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灰色の景色、贋作のワルツ(中編②)

 その週末、駅前広場は熱狂の渦に包まれていた。


 中央に立つのは、銀灰色の装甲を纏った騎士。佐藤ナナ(27歳)は、溢れんばかりの歓声の中で、自作の『魔導剣』を高く掲げていた。


 普段の彼女は、都内の商社で働く地味な事務職に過ぎない。茶色の髪を無造作に結び、タイトな白のスカートに赤いカーディガンを羽織って、Excelの数字と格闘する毎日だ。婚約者に裏切られ、どん底の淵で泣いていた彼女を救ったのは、あの日、路地裏で見た本物の『ゴエティア』の背中だった。


「わあ、かっこいい! 写真撮ってもいいですか?」


 小さな子供が目を輝かせて駆け寄ってくる。ナナは、ウレタン製の重厚な兜の下で、最高に幸福な笑みを浮かべた。


(……ああ、これなんだ。私が求めていたのは)


 コスプレ衣装を身に纏うたび、昨日までの惨めな自分は消え去り、何者にも負けない「勇者」になれる。衣装の下の豊かな曲線が、ヒーローとしての説得力に変わる。この瞬間だけは、彼女にとっての「真実」だった。


 だが、その絶頂は、唐突に訪れた「死の静寂」によって切り裂かれた。


 空気が凍りついた。


 賑やかだった広場の喧騒が、まるで水を打ったように消え、人々は本能的な恐怖に突き動かされて蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。


 立ち込める、禍々しい紫色の魔圧。


 そこには、古びた布を纏い、異形の角を幾重にも生やした怪物が立っていた。魔界の十二将が一人、『智将』フォラス。かつてナナの「ハッタリ」に怯んで撤退したはずの魔人が、あの日以上の殺気を伴って再来したのだ。


「……見つけたぞ、矮小なる詐欺師よ」


 フォラスの言葉は、まるで墓石を削るような不快な響きを持って響いた。その視線は、ナナが誇らしげに掲げていた木製の剣を、ゴミを見るかのように射抜いている。


「この私が……百戦錬磨の将たる私が、あのような稚拙な紛い物に怯え、背を向けたとは。魔界に帰ったのち、己の失態に気づいた瞬間の屈辱、貴様に理解できるか?」


「あ、あ……っ」


 ナナの足が、生まれたての子鹿のようにガクガクと震える。


 昨日まで自分を万能感で包んでいた装甲が、今はただの「逃げ場のない檻」に感じられた。


「貴様は私に……筆舌に尽くしがたい恥をかかせた。ならば、その火ごと消してくれよう」


 フォラスの動きは、巨体に似合わず瞬速だった。


 ナナが悲鳴を上げる間もなく、太い丸太のような指が、彼女の細い首を鷲掴みにする。


「が、はっ……!?」


 そのまま、目にも止まらぬ勢いで広場の壁際まで押し込まれた。


 背中がコンクリートに叩きつけられ、肺の空気がすべて強制的に排出される。万力のような握力で喉を潰され、ナナの意識は瞬く間に白濁していった。


「こんな……こんな玩具に。私は……っ!」


 フォラスの怒りが爆発する。空いた方の手が、ナナの胸元へ伸びた。


 ベリィッ! と、断末魔のような音を立てて、彼女が心血を注いで作り上げた銀灰色の装甲が、紙切れのように引きちぎられた。


 露わになったのは、場違いなほどに白い肌と、窮屈な衣装の下で押し込められていた豊満なボディ。赤いカーディガンと青のシャツを脱ぎ捨ててまで「騎士」になりたかった彼女の熱意は、冷たい風に晒され、無残に蹂躙されていく。


「やはり、ただの女か。貴様のような羽虫が、ゴエティアを騙った報い、その身に刻め」


 フォラスの指先が、さらに首に食い込む。


 苦しい。助けて。誰か、お願い。


 ナナの指先が、空を掻く。意識が遠のく中、彼女の瞳には、あの日見た「本物の騎士」の幻影が映っていた。


(助けて……ゴエティア……!)


 その時。


 世界からすべての音が消え、ただ一筋の「銀」が視界を横切った。


――ズバァァァァンッ!!!


 空間そのものを両断するような強烈な斬撃音と共に、フォラスの右腕が不自然な方向に弾き飛ばされる。


「何奴ッ!?」


 フォラスが咆哮し、獲物を放り投げて後退した。


 床に叩きつけられ、激しく咽せ返るナナの前に、「それ」は静かに降り立った。


 ナナが着ていたウレタンの玩具とは違う。


 全身を包むのは、古の戦場を幾度も潜り抜けたであろう、煤けた銀色の甲冑。


 隙間からは赤い残り火のような魔力が、まるで血液のように脈打ち、立ち昇る蒸気が周囲の温度を急上昇させている。


 そして、その右手に握られているのは、ナナが作った金ピカの木製剣などとは次元の違う、本物の**『魔導剣レメゲトン』**だった。


 黒鉄を鍛え上げたような重厚な刀身には、血脈のように赤い魔力線が走り、柄には深淵を覗き込むような妖しくも美しい宝玉が嵌め込まれている。禍々しさと神聖さが同居するその剣は、周囲の光を吸い込むかのように、静かで圧倒的な存在感を放っていた。


 その背中に宿る威圧感は、魔界の将すらも凌駕するほどに、冷徹だった。


 本物の魔導騎士、ゴエティア。


「……悪いな。俺の名前を騙った罰は、もう十分に受けたはずだ」


 ハルトの声は、兜の中で深く響いた。


 彼はレメゲトンの柄を強く握り締め、禍々しくも美しい切っ先を魔界の将へと向ける。


 その目は、獲物を確実に仕留める獣の如く、昏く燃えていた。


「ここからは……本物の時間だ。覚悟しろ」


 偽物が願った「光」に応えるように。


 銀灰の騎士は、魔導剣から迸る紅蓮のオーラと共に極限まで加速し、魔人の懐へと肉薄した。

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