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心界侵蝕、魔導騎士再臨(中編①)

世界が断絶された。


光も、音も、温もりさえも喰らい尽くす完璧な絶対空間。ハルトと輪廻が閉じ込められた『深淵の檻』の裏側――その果てしない漆黒の影で、他の三人もまた、メルキオスが仕掛けた魔界の秘術という底なし沼に翻弄されていた。


「くっ……! これ、どうなってんのよ!?」


響花の苛立ちに満ちた叫びが、光の一切を拒絶する漆黒の結界の中で虚しく反響した。


上下左右、どこを見渡しても狂気的なまでの闇。その深淵から、次々と形を成して襲い来るのは、不定形な闇の魔獣たちだった。


響花は愛用の対魔銃を構え、流れるような動作で特殊弾を連射する。鼓膜を震わせる銃声と共に、銃口から真紅のマズルフラッシュが強烈に瞬き、漆黒の空間を一瞬だけ鮮やかに照らし出す。


だが、その希望の光は刹那で終わった。


放たれた高火力の弾丸は、魔獣の眉間を貫く直前、まるで陽炎のように空間そのものに溶け込み、音もなく虚空へと吸い込まれてしまったのだ。


「ウソでしょ……無効化してるっていうの!?」


舌打ちをしながらバックステップを踏み、迫る魔獣の爪を間一髪で躱す。


「ハルト! 輪廻! 返事しなさいよ!!」


叫びは、まるで綿に吸い込まれるように闇へと呑み込まれ、こだますることすら許されない。


響花の胸を焦がしているのは、自身の命の危機よりも、見えない仲間たちへの危惧だった。特に、戦う術を一切持たない輪廻のことが気がかりでならない。あの子がたった一人でこの暗闇に放り出されているとしたら……その想像だけで、響花は心臓が握り潰されそうだった。


「あの子に指一本でも触れてみろ……悪魔だろうが何だろうが、絶対に許さないんだから!」


同じ頃、カレンもまた、別の漆黒の空間の中で、死神の吐息のような冷気と対峙していた。


「……鬱陶しいわね。絡みつくのが趣味なら、他を当たってくださる?」


彼女の周囲では、まるで意思を持つ蛇のように蠢く無数の鎖が、全方位から彼女を捕縛しようと迫っていた。鎖から放たれるのは、対象の魔力と生命力を吸い尽くす呪いの波動。


だが、魔力を持たぬ彼女にその呪いは意味を成さない。カレンが両手に握りしめているのは、超振動によってあらゆる物質の分子結合を強制的に断ち切る『高周波ブレード』の二刀流だった。


キィィィィン――!!


耳障りな共鳴音と共に、カレンは金色の旋風と化した。魔力に頼らぬ純粋な武技と、研ぎ澄まされた身体能力。演舞のように華麗で、かつ無慈悲な連続攻撃が、迫りくる鎖を次々と細切れの鉄屑に変えていく。


しかし、彼女の美しい額には、やがて冷たい汗が滲み始めた。


断たれたはずの鎖の残骸が、闇に溶けたかと思うと、即座に新品の鎖となって虚空から再生してくるのだ。


(斬っても斬ってもキリがない……! 明らかにこちらの体力を削りに来ているわね。ハルトたちは無事なの……?)


そして、魔導騎士『アスタロト』ーーレイジもまた、出口なき暗黒の迷宮で自身の影、そして絶望的な現実と刃を交えていた。


(ハルト……君の戦闘能力なら、ある程度は耐え凌げるだろう。だが、輪廻を守りながらでは、あまりに分が悪すぎる……。一刻も早く、この結界の基点を破壊し、外から解かなければ……!)


彼の手にあるのは、論理と演算を司り、未来を予知する魔導剣『ラプラス』。


紅蓮の光を放つその剣の刀身には、無数の数式と演算結果が高速でスクロールしていた。しかし、レイジの表情はかつてないほどに険しかった。


「……解なし、だと?」


最適解を導き出すはずのラプラスが、エラーを吐き出し続けているのだ。光さえ届かぬこの非論理的な漆黒の結界は、現世の物理法則はおろか、既存の魔術理論すらも完全に逸脱している。


実体のない概念の牢獄。決定打を見出せぬまま、レイジの焦燥は限界点へと近づいていた。


絶望の淵での仮説


翻って、ハルトの状況は、仲間たちの予想を遥かに超える最悪の事態を更新し続けていた。


「ぐっ……あああああ!!」


漆黒の天から驟雨のように降り注ぐ精神毒の針が、ゴエティアの装甲を容易く貫通し、ハルトの肩の肉を深く抉った。


傷口から噴き出した鮮血が、冷たい床にどす黒い染みを作っていく。かつてどんな猛攻も弾き返した燻し銀の魔導鎧は、見る影もなくボロボロになっていた。


防御に特化したはずのゴエティアの装甲が、この漆黒の空間の理によって、まるで「消しゴムで文字を削り消される」かのように、パラパラと灰になって剥がれ落ちていくのだ。


「ハルト! ハルト……!」


背中で輪廻が悲鳴のような声を上げる。ハルトは彼女の手を絶対に離さず、崩れ落ちそうになる膝を必死に叩いて立ち上がり続けた。


(……どうする……どうすれば、突破できる……!)


肉が裂け、精神が毒に侵される激痛の中、生存本能からか、ハルトの思考だけは氷のように冷たく、異様に冴え渡っていた。


この漆黒の結界の正体――それは、メルキオスの魔力そのものであり、実体を持たない『概念の塊』だ。


(レイジのラプラスによる演算でも、響花の対魔銃の火力でも、カレンの超振動の刃でも……この結界の壁は絶対に破れない。壁という実体が存在しないんだからな)


ハルトは荒い息を吐きながら、手にした漆黒の魔導剣レメゲトンを強く握り直す。


(たとえ俺が、奥義である『アッシュ・トウ・アッシュ』を全開で放ったとしても、斬るべき「実体」がここにない以上、ただ虚空をすり抜けて消滅するだけだ……)


さらには、自らのスピードを爆発的に高める『ゴエティア・ブースト』すら、今の状況では完全に無意味だろう。どれだけ自らの出力を上げ、スピードを引き上げようと、標的が「無」である限り、ぶつける先のないエネルギーは行き場を失うだけなのだ。


(まさしく、必殺……。敵を逃さず、敵の強みをすべて無にする、詰みの魔術結界……!)


背筋を氷の指でゆっくりとなぞられたような、底知れぬ戦慄がハルトの全身を駆け巡った。メルキオスという悪魔の底なしの悪意と知略。


だが、その絶望の淵で、ハルトの脳裏にある「一つの可能性」が閃いた。


(……突破できるのは、ただ、一つだけだ)


物理法則が通じない。魔術理論も通用しない。実体のない概念の檻。


ならば、その「概念そのもの」を噛み砕き、強引に飲み込むことができる規格外のバケモノに頼るしかない。


ハルトは深く息を吸い込み、意識を自らの足元――深く、暗い「影」の奥底、決して開けてはならない禁忌の扉へと沈めていった。


意識の底。


そこは、音も光も存在しない、ただひたすらに果てしない暗闇が広がる精神の深淵だった。


足元には波紋ひとつない水面のような空間が広がり、ハルトはその中央に立っていた。そして目の前には、見上げるほど巨大で、禍々しい紫色の鎖で封印された重厚な「扉」が鎮座している。


ハルトはその扉の奥に座す「何か」に向かって、初めて自らの意志で言葉を投げかけた。


「……そこにいるんだろ? グリード」


その瞬間、ハルトの意識にリンクしている老兵レメゲトンが、驚愕と焦燥に満ちた声を脳内に響かせた。


『小僧、何を考えておる……まさか! その扉を自ら叩くつもりか!? やめろ、ソイツは……!』


レメゲトンの制止を遮るように、暗闇の奥から、ハルトの心臓を直接わし掴みにするような、途方もない重圧プレッシャーが溢れ出した。


空気が軋み、精神の海が荒れ狂う。


そして、漆黒の帳の奥から、獲物を品定めするような禍々しい紫の眼光が二対、ゆっくりと開かれた。


『……何ノ用ダ、小僧』


脳髄を直接揺らすような、低く、傲慢で、万物を路傍の石ころのように見下す声。


七つの大罪の一つを冠し、世界を喰らい尽くす禁断の鍵――『グリードキー(強欲の鍵)』。


「取引だ」


ハルトは、圧倒的な恐怖に足の震えを必死に堪えながら、その紫の眼光を真っ直ぐに睨み返した。


「このままじゃ、俺はメルキオスの結界にやられる。器である俺が死ねば、お前も困るだろ? 力を貸してくれ」


『……断ワル。オレハ、何一ツ困ラナイ』


グリードは、まるで虫の羽音でも聞いたかのように、退屈そうに鼻で笑った。


『貴様ガ死ネバ、オレハ次ノ器ヲ探スマデヨ。オレノ永イ永イ時ノ中デハ、貴様トノ時間ナド、瞬キ一ツ分ノ出来事ニ過ギヌ。無能ナ器ハ、サッサト砕ケ散ルガイイ』


絶対的な強者ゆえの、冷酷なまでの無関心。


だが、ハルトは一歩も引かなかった。むしろ、口角をわずかに上げて、闇の奥の化け物を挑発するように笑った。


「……お前は、“何でも”食べるんだろ?」


『……アァ?』


闇の中の紫の眼光が、微かに細められた。


「だったら、目の前に広がるこの巨大な結界も、食いたいんじゃないか? ただの魔力じゃない。魔界の将が丹精を込めて作った最高級の“概念”だ。腹の底から満たされるほどの絶品だぜ。……存分に味わえる」


静寂が支配する精神世界。


グリードキーの沈黙は、ハルトの魂がすり減るような数秒間に感じられた。


「食わしてやるよ。俺の体を自由に使っていい。……腹、空いてるんだろう?」


それは、悪魔に対する究極の誘惑だった。


ハルトの提案は、助けを乞うものではない。底なしの餓えを抱えるバケモノの「本能」に直接語りかける、危険極まりない餌付けだった。


やがて――暗闇が歪み、空間そのものが裂けるようにして、禍々しい三日月型の「口」がニヤリと吊り上がった。


白く鋭い牙の列が、紫の光に照らされてギラリと輝く。


『……フン。オモシロイ。貴様ノ生意気ナ口減ラシ、乗ッテヤロウ』


地獄の底から響くような、歓喜に満ちた笑い声が精神世界を震わせる。


『ダガ、後悔スルナヨ。貴様ノコトワリゴト、世界ヲ喰ライ尽クシテヤル……!』


強欲の宴の始まり


意識が、現実に引き戻される。


精神毒の針が降り注ぐ絶望の檻の中。ハルトの足元に落ちていた「影」が、突如として沸騰するように泡立ち始めた。


ガチ……ガチガチ……!!


耳障りな金属音と共に、ハルトの影の中から、柄に禍々しい口と牙を象り、内部からオレンジ色の灼熱の光を放つ一本の「鍵」――グリードキーが実体を持って這い出し、ハルトの左手に握られた。


「ハルト……? 何する気なの……? その鍵はーー」


背後に隠れていた輪廻が、グリードキーから発せられる異常な瘴気に当てられ、不安げに眉を揺らしながらハルトの背中をギュッと掴んだ。


「……大丈夫だ。少しだけ、俺の我が儘に付き合ってくれ」


ハルトは、血に濡れた顔で振り返らずに言った。


「輪廻――俺はこの力に賭ける。 たとえ暴走しようと、俺は逃げない。 もし闇に堕ちたなら……その時は仲間が、俺を止めてくれる。 俺は、あいつらを、輪廻を信じて戦う!」


ハルトは大きく息を吐き出すと、右手に握った漆黒の魔導剣レメゲトンの刀身の根元、鍵穴へと、左手のグリードキーを勢いよく差し込んだ。


ガチャンッ!!!


その瞬間、世界が反転した。


『クックックッ……アァ、タマラナイ匂イダ。サア……飯ノ時間ダ!』


現世の海底トンネルで、ボロボロに崩れかけていたゴエティアの燻し銀の装甲が、まるでタールのようにドロりとした「どす黒い魔力」に呑み込まれていく。


それはハルトの魔力ではない。強欲の悪魔が解き放った、純粋な『暴食』のエネルギーだ。


どす黒い液状の魔力がハルトの全身を覆い尽くし、再結合する。光を一切反射しない漆黒の金属装甲、頭部を覆う悪魔の角のような兜。防衛のための鎧は、すべてを喰らうための禍々しい捕食者の姿――**『ゴエティア・グリード』**へと変貌を遂げた。


さらに、鍵を差し込まれた魔導剣レメゲトンが、鼓動を打つ肉塊のようにグチャグチャと膨張し、変形を始める。


刀身は瞬く間に形を変え、ハルトの半身を覆い隠すほどの巨大な防具――**『大楯グラトニー』**へと姿を変えた。


だが、それはただの盾ではない。


鈍く光る黒鋼の表面が真ん中からメキメキと裂け、無数の鋭利な牙が乱れ生えた巨大な「口」がパクリと開いたのだ。その大口の奥からは、緑色の粘液を滴らせ、表面に不気味なイボを浮かべた長大で肉厚な「舌」が、獲物を求めるようにズルリと這い出した。


『ギャアアアアアアアッ!!』


盾に宿った狂気の口が、産声を上げるように絶叫する。


大楯グラトニーから伸びた醜悪な舌が、頭上から降り注ぐ精神毒の針を、そしてメルキオスが作り上げた絶対的な漆黒の結界そのものを、まるで甘い飴細工でも舐めとるかのようにペロリと削り取った。


結界の「概念」が、文字通り物理的に咀嚼され、喰われていく。


漆黒の兜の奥で、ハルトがゆっくりと顔を上げる。


その両の瞳は、白目までが底なしの漆黒に染まり、瞳孔だけが禍々しい紫色の光を放っていた。


「さあ、残さず食い尽くせ……グラトニー」

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