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聖戦は、ベッドサイドで(後編②)

深夜の濃密で背徳的な喧騒が嘘のように、病室には清々しい朝の光が差し込んでいた。窓の外では小鳥がさえずり、空はどこまでも高く、青い。


「ん……っ……」


無機質な白いシーツの上で、ハルトの瞼がゆっくりと持ち上がる。


視界に真っ先に飛び込んできたのは、清潔な病院の天井だった。全身を覆う鉛のような倦怠感と、魔力が体の奥で燻るような熱は、あの絶望的な死闘を生き抜いた何よりの証である。


「……ふん。ようやくお目覚めか。随分と長く贅沢な昼寝だったな、ハルト」


低く、落ち着いた、それでいてどこか芝居がかった声。


視線を向けると、そこにはかつて敵の幹部『魔導騎士アスタロト』として刃を交え、今は奇妙な縁で戦友となった男――レイジが、窓際で腕を組んで立っていた。


朝日を背に受けるその立ち姿は無駄に様になっている。そして何より、彼がごく自然に、サラッと「苗字呼び」から「名前呼び」へとシフトしていたのだが――この場にいる誰一人として、その劇的なデレ(?)にツッコミを入れる者はいなかった。


なぜなら、その周囲に集まっている三人の美女たちの様子が、明らかに『異常』だったからだ。


「……みんな……。俺、どれくらい寝てたんだ……?」


「丸一日ってところね。でも安心して、ハルトちゃん。あんたの超人的な回復力なら、あと数日で退院できるわよ」


主治医である神宮寺ミラが、白衣の隙間から丸太のような大胸筋を満足げに揺らして告げた。その言葉にハルトは心底安堵の息を吐いたが、すぐに妙な違和感に首を傾げた。


(……なんだ? この空気……)


いつもなら、自分が目を覚ました瞬間に「ハルトぉぉっ!」と涙ながらに抱きついてくるはずの輪廻が、少し離れた場所でモジモジと指を絡ませている。


「バカ! 心配させないでよね!」と小言の一つも言いに来るはずの響花は、なぜかそっぽを向いて、手元のペットボトルのラベルを無意味に細かく千切っている。


そして、「おはよう、ハルトさん」と大人の余裕たっぷりに微笑むはずのカレンでさえ、腕を組んだまま、どこか気まずそうに視線を泳がせているのだ。


「……? どうしたんだよ、三人とも。なんか顔色が悪いぞ。徹夜で看病でもしてくれたのか?」


ハルトの純粋で、悪意の欠片もない労いの問いかけ。


その瞬間――三人の美少女の肩が、ビクゥッ!!と分かりやすく跳ね上がった。


昨夜の、深夜の記憶。


『顔を近づけての未遂』、『唇の強奪』、そして『胸板の蹂躙』……。


当人たちにとっては、口が裂けても、いや、舌を噛み切ってでも隠し通さなければならない「恥部」とも言える秘密が、三人の脳裏を鮮烈に駆け巡っていた。


「い、いいえっ!? なんでもないわよ! ちょっと……そう! 夜中の廊下が、ネズミでも出たみたいに騒がしかっただけだから!」


響花が慌てて声を裏返し、千切ったラベルを握りしめながら顔を真っ赤にして誤魔化す。


「そ、そう……そうです、ハルト。なんだか、夜中に……変な、甘い気配がした気がして……っ、ぜ、全然寝不足とかじゃないですから!」


輪廻は両手で自身の熱い頬を覆い隠すようにし、耳の先まで茹でダコのように赤くして俯く。彼女の唇には、まだハルトから奪った感触が幻影のように残っているのだ。


「ええ。昨夜のこの部屋は、予想外に『熱気』が凄まじかったから。少し疲れが残っているのかしらね……。ふふっ」


カレンだけは努めて冷静に振る舞おうとしていたが、頬に微かな朱を散らし、誤魔化すように金色の髪をかき上げた。その瞳の奥には、ハルトの胸筋の感触を思い出した「女」としての生々しい熱が帯びている。


誰がどう見ても挙動不審な三人。


しかし、女性の機微など知る由もないハルトは、「そっか、病院って案外うるさいんだな」と呑気に納得し、ふと思い出したように言葉を繋いだ。


「そう言えば……。寝ている時、すごく不思議な夢を見たんだよな」


――ピシッ。


その瞬間、病室の空気が完全に凍りついた。


輪廻、響花、カレン。三人の心臓が、文字通り「ドックン!!」と痛いほどの音を立てて跳ね上がり、呼吸が止まる。


「夢……? どんな夢だ」


窓際で腕を組んだまま、ただ一人平常運転のレイジが、冷めた目で問い返した。


「いや、なんて言うか……。すごくリアルっていうか、三つの違う、すごく良い香りがしたんだよ」


(((――ッッッ!?!?)))


三人の顔色から、一瞬にして血の気が引いた。


「一つ目は、爽やかな柑橘系みたいな香りでさ。俺の顔のすぐ近くまで来たと思ったら、急にフイッと離れていって……」


(ひ、ひぃぃぃっ!! それ私っ! 私のシャンプーの匂いよ!? 起きてたの!? ねぇ起きてたの!?)


響花が内股になり、顔から火を吹きそうな勢いで震え出す。


「二つ目は、なんだか甘くて優しい花みたいな香りで。……その直後、俺の口のあたりに、すごく柔らかくて温かい感触が押し当てられてさ。泣き出しそうな、必死な感情が伝わってくるみたいで、なんだかすごく胸が締め付けられたんだ」


(あぁぁぁ……っ、ダメ、言わないでハルトっ! 私のファーストキス、みんなの前で公開処刑しないでぇぇっ!!)


輪廻はついに膝から崩れ落ちそうになり、シーツの端をギリギリと握りしめて涙目になる。


「で、最後の一つは……。少し大人びた、甘くてクラクラするような香水みたいな匂い。それが近づいてきたと思ったら、今度は俺の胸のあたりに、すごく温かくて、豊満で……ズッシリとした重い感触が乗っかってきて。……不思議と、すごく安心する夢だったんだよな」


(……っ! こ、この鈍感ボーイ……! よりにもよって私の『果実』の感触を、そんなエロティックに言語化するなんて……っ!)


常に余裕を崩さないカレンでさえ、己の豊満な胸を両手で隠すように庇い、羞恥で顔を真っ赤にしてワナワナと震え出した。


顔の前に近づく気配(響花)。


口の感触(輪廻)。


胸の重み(カレン)。


ハルト本人は、死線の果てに見た「心地よい癒しの夢」として純粋に語っている。いや、本気で夢だと思っているのだ。


だが、当事者たちにとっては、まさに昨夜の背徳的な行いの『完全なる答え合わせ』であり、羞恥のギロチンが振り下ろされる公開処刑に他ならなかった。


「ふん……」


三人の乙女たちが羞恥のあまりショック死しかけている静まり返った病室で、レイジが呆れたように鼻で笑った。


彼は腕を組んだまま、冷徹な分析官のような、あるいは世界の真理を悟った賢者のような口調で吐き捨てる。


「なんだ、ハルト。お前も結局、その程度の俗物だったか」


「……は? なんだよ、いきなり」


「口と胸に感触だと? 三種類の良い匂いだと? ……笑わせるな。それは極限のストレスから解放されたお前の脳と願望が作り出した、ただの『発情期』の幻覚だ。英雄色を好むとは言うが、呆れたものだな」


「なっ……! 発情期ってなんだよ! 願望とか言うなよ、俺は本当にそう感じたんだから!」


ハルトが顔を真っ赤にして反論する。


「馬鹿馬鹿しい。そんな男の理想をギュウギュウに詰め込んだような、二次元のハーレムも真っ青な都合の良い事態が、この現実に起きるわけがないだろう?」


レイジはやれやれと溜息をつき、自信満々に自らの前髪をかき上げた。


「現実を見ろ、ハルト。このクールで、知的で、非の打ち所のない整った顔立ちの僕でさえ、そんな甘い出来事は未だかつて一度たりとも起きていないんだ。……いいか? それはただの脳のバグだ。恥ずかしい男の妄想だ。お前は疲れているんだよ」


極めて論理的。極めて正論。


一般論で言えば、レイジの言う通り「そんな夢みたいな都合の良いこと」が起きるはずがないのだ。


だが。


彼がその「完璧な正論」を口にした瞬間、病室の気温が、氷点下まで急降下した。


背後に渦巻く「絶望的なまでの殺気」に、流石の魔導騎士アスタロトも、背筋に悪寒を走らせた。


ドゴォォォォォォォ…………。


「…………え?」


レイジが恐る恐る振り返ると、そこには、巨大な黒いオーラを立ち昇らせた三人の「夜の獣」たちが立っていた。


「……誰が、妄想ですって? 誰の願望ですって……? レイジ、あんた……」


冷徹な殺意を宿し、今にも異能を発動させんばかりに瞳を光らせる響花。


「……私の、あのハルトへの想いが……男の恥ずかしい妄想……? ……ふふ、ふふふふっ。消し飛ばしてやります……塵一つ残さず……」


羞恥の限界を突破し、完全にヤンデレのスイッチが入ってしまった「鍵の巫女」輪廻。


「……レイジくん。その減らず口、物理的に縫い合わせてあげましょうか? ええ、麻酔なしで」


氷のように冷たい、絶対零度の微笑みを浮かべながら、懐の消音銃サイレンサーに手を伸ばすカレン。


三人の女性陣の視線が、高出力のレーザー照射のようにレイジの眉間、心臓、急所へと突き刺さる。


「なっ……!? お、お前ら、何故僕を睨む!? 僕は極めて客観的な事実を述べただけで――」


「「「黙れ(なさい)!!!」」」


「ヒッ、ヒィィィィィィィ!?」


理不尽なまでの暴言と、本物の殺意を向けられたレイジは、かつてハルトと死闘を繰り広げた時以上の恐怖を感じ、ガチガチと歯の根を鳴らして窓際まで後ずさった。


このままでは、魔人との戦いの前に、身内に八つ裂きにされてしまう。


「わーっはっはっはっはっ!! あーっはっは!!」


その地獄のような光景を見ていたミラ先生が、ついに耐えきれずに腹を抱えて大爆笑し始めた。


昨夜、あの病室で何が起きていたのかを「唯一」知っている彼女?にとって、今のこの構図は最高級の喜劇でしかなかった。


「ひぃーっ! 愉快、実に見事な人間模様ね! まさかあんたたち、自分が我慢できなかったこと棚に上げて、とばっちりでレイジ君を八つ裂きにしようだなんて! あーお腹痛いっ!」


白衣のボタンが弾け飛びそうなほど大胸筋を震動させ、病室に豪快な笑い声が響き渡る。


「いいわねぇ! これも立派な若さの『代謝』よ! ハルトちゃん、あんたはそのまま何も知らずに、しっかり食べて、その罪作りな身体に筋肉をつけなさい!」


「……? はぁ。よく分からないけど……分かりました……」


ハルトは依然として不思議そうに首を傾げていた。


なぜレイジがガタガタと震えながら命乞いをしているのか。


なぜ三人の美少女たちが、顔を真っ赤にしながら、互いを牽制し合うように睨み合っているのか。


そして、なぜミラ先生が涙を流すほど爆笑しているのか。


「(……本当に、俺が寝てる間に何があったんだ?)」


真実を何一つ知らないハルト。


何も知らないのに、正論を吐いただけで殺されそうになっているレイジ。


そして――「あんな濃厚な接触をしておきながら、すべて夢だと思われている」という圧倒的な事実を突きつけられ、墓場まで持っていくべき秘密を共有してしまった三人のヒロインたちの、長く、熱く、そして前途多難な日常は、ここからまた新たに幕を開けるのだった。

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