終焉圏、鍵は嗤う(後編①)
「……無駄な足掻きです。どのような異形に成り果てようと、あなたがここで塵に還るという結末は変わりませんよ」
アガレスが特大剣『ウァッサゴ』を逆手に持って構える。
「消えない……贖罪重撃!!」
先ほどハルトの腕の骨を砕き、絶望の淵に追いやった必殺の一撃。黒金の重装甲から放たれる圧倒的な質量と魔力が空間を歪ませ、ゴエティア・グリードのへと無慈悲に放たれた。
一方、ゴエティア・グリードは回避すらしない。ただ、だらりと下げていた左腕の大楯『グラトニー』を、無造作に構えただけだった。
ドガァァァァァンッッ!!!
激突の瞬間、アガレスは自身の目を疑った。
弾き返されたのではない。相殺されたのでもない。
ウァッサゴに込められた数千トンの衝撃と破壊のエネルギーが、グラトニーの「口」に接触した瞬間、まるで底なし沼に石を投げ込んだかのように『喰い殺された』のだ。
「……何? 贖罪重撃が……喰われた、とでも言うのですか?」
冷静だったアガレスの声に、初めて微かな動揺が混じる。
対するグリードのバイザーの奥で、血走ったような紅い光が三日月状に歪んだ。
次の瞬間、巨躯からは想像もつかない絶望的な速度で、黒き盾が前方に突き出された。
――シールドバッシュ。
ただの打撃ではない。グラトニーの表面に並んだ凶悪な牙が、アガレスの誇る黒金装甲に深々と食い込み、装甲板を文字通り「噛み砕いた」のだ。
「ガ、ハァッ……!?」
内臓を揺らす衝撃にアガレスの巨体が宙に浮く。だが、グリードは決して獲物を逃がさない。
ズチャァッ!
グラトニーの口から、巨大な肉の舌が鞭のように射出された。
強酸性の粘液を撒き散らすその舌は、アガレスの右腕に巻き付くと、恐るべき万力で締め上げた。メキメキメキッ! と、強化鋼の装甲ごと骨が圧壊する不快な音が戦場に響き渡る。
「ぐ、ううぅぅッ……! 離しなさい、この悍ましい化け物が……!」
舌が生き物のようにうねり、アガレスの巨体をやすやすと持ち上げると、そのまま地面へと何度も、何度も叩きつけた。
ズンッ! ズドンッ! ギャリィィィンッ!!
先ほどまで圧倒的な力でハルトを蹂躙していた強敵が、まるで子供が壊れた玩具を振り回すように弄ばれている。
自慢の黒金の鎧は容赦なく剥ぎ裂かれ、装飾ごと砕け散る。
刻まれた魔紋がひび割れ、封じられていた魔力が赤黒い光となって噴き出した。
これは戦闘ではない。圧倒的上位存在による、一方的で残酷な蹂躙であった。
「くっ……あのゴエティアには、マルファスでも無理みたいね……」
遥か上空、アスタロトと交戦していた氷将アイラが、眼下の異常な光景を見下ろし、忌々しそうに吐き捨てた。
彼女とアガレスは同じ主を戴く魔人というだけであり、そこに個人的な感情や仲間意識は一切ない。だが、これ以上の失態は自分たちの任務に支障をきたす。
アイラはアスタロトの猛攻を氷壁で強引に防ぐと、全魔力を杖に集束させた。
周囲の空気が絶対零度に凍りつき、巨大な氷の処刑槍が空を覆い尽くすほど生成される。
「氷結の刑に処す。絶対零度・氷葬陣ッ!!」
アイラの手から放たれた極大魔法が、猛吹雪と共にゴエティア・グリードへと殺到した。それは、周囲の地形すらも変えるほどの圧倒的な広域殲滅魔法だった。
「避けろ、草薙!」
上空からアスタロトが叫ぶが、当の捕食者は鬱陶しそうに空を見上げただけだった。
グリードが左腕を天に向ける。
グラトニーの禍々しい顎が、限界まで大きく開かれた。
『ーー喰ラエ』
ビュルルンッッ!!
上空へ向けて放たれた極太の大舌は、迫り来る極大魔法の氷槍に触れた端から、絶対零度の魔力そのものを「ジュルリ」と飲み込み、魔法の構造そのものを分解してしまった。
「嘘……私の最大魔法すらも、喰えるの……!?」
アイラが驚愕に見開いた瞳に、黒い絶望の影が落ちた。それはコンマ一秒の出来事だった。
魔法を喰らい尽くし、さらに加速して伸びたグラトニーの舌が、アイラの細い胴体を真っ向から貫いた。
ズボォォッ!!
「……え、あ……?」
口から大量の鮮血を吐き出すアイラ。
だが、悪夢は終わらない。舌は貫いたアイラの身体にぐるぐると巻き付くと、そのまま凄まじい力で地上へと引きずり下ろした。
引き寄せられた先にあるのは、グラトニーの大きく開かれた「口」と、幾重にも並んだ凶悪な牙。
「いや……やめ――」
グシャッ。
バキバキバキバキッ!!!
アイラの絶叫は、血の混じったおぞましい咀嚼音によって完全に掻き消された。
大楯『グラトニー』は、魔人であるアイラの肉体すらも、ただの餌として噛み砕き、その胃の腑へと飲み込んでしまったのだ。顎からポタポタと、赤い血と肉片がアスファルトに滴り落ちる。
「いや……ハルト、駄目……」
「馬鹿な……何なんだ、あの姿は……」
輪廻は、変わり果てたゴエティアの姿に震え、アスタロトは、あまりの衝撃に立ち尽くしていた。
「…………馬鹿な」
地面に這いつくばったまま、その光景を目の当たりにしたアガレスの口から、呆然とした声が漏れた。
仲間の死を悲しんでいるわけではない。彼を満たしていたのは、純粋な驚愕と、底知れぬ恐怖だった。
「あり得ない……。アイラが……高位の魔人である彼女が、魔法ごと、あのように無惨に『捕食』されたというのですか……?」
アガレスは震える手でウァッサゴの柄を握りしめた。
彼の視線の先では、食事を終えてさらに禍々しいオーラを放つゴエティア・グリードが、次なる獲物を見下ろし、ゆっくりと泥濘むような歩みを進めていた。




