表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/118

貪欲なる盾、揺れる三心(中編①)

地上300メートル。港を見下ろす展望台の回廊は、宝石をぶちまけたような夜景と、バレンタインを謳歌するカップルたちの甘い熱気に包まれていた。だが、その一角だけは、物理的な火花が散るほどの緊張感に支配されていた。


「ちょっと、ハルト! さっきからどこ見てるのよ。調査対象はあっちのベイエリアだって言ってるでしょ!」


響花は、ハルトの左腕をぐいと引き寄せ、無理やり自分の隣に固定した。普段の任務では冷静な彼女だが、今は顔を真っ赤に染め、視線を泳がせている。バッグの中には、数日前から成分配合を0.01g単位で計算し、温度管理を完璧に行って作り上げた「大人のビターチョコ」が重く鎮座していた。


(……何やってんのよ、私。ただチョコを渡すだけじゃない。仕事のついでに、余った材料で、義理以上の意味はないって……そう言えばいいだけなのに!)


「ハ、ハルト……。これ、その……あんた甘いもの好きだったでしょ? 勘違いしないでよね、余った材料で作っただけなんだから!」


響花は、爆発しそうな心臓の鼓動を隠すように、ぶっきらぼうに箱を突き出した。指先がわずかに震えていることに、彼女自身も気づいていない。


「あ、ありがとう響花。調査の合間に糖分補給できるのは助かるよ。効率的だな」


「効率的って……あんたねぇ!」


ハルトのあまりに実務的な返答に、響花の肩ががっくりと落ちる。これだけ隙を見せているのに、彼はいつもの「幼馴染」としての壁を1ミリも崩さない。その鉄壁の朴念仁ぼくねんじんぶりに、彼女はため息をつくしかなかった。


そこへ、控えめながらも揺るぎない決意を瞳に宿した輪廻が、静かに、しかし確実な足取りで歩み寄った。彼女はハルトの右側を陣取ると、そっと彼の袖を掴む。


「ハルト様……。私には、響花さんのような高度な技術はありません。でも、ハルト様を想う気持ちだけは、この一粒に込めました。……受け取って、いただけますか?」


上目遣いで、捨てられた子猫のように潤んだ瞳。たどたどしく差し出されたのは、不格好だが愛情の重みが伝わる「真心チョコ」だ。魔力を使えぬ彼女にとって、このチョコは己の存在を証明する唯一の供物だった。


「輪廻もか? 悪いな、二人とも本当に仲がいいんだな。俺は果報者だよ」


「「……そういう意味じゃない(です)!!」」


二人の絶叫が夜景に虚しく響く。ハルトの鈍感さは、ゴエティアの鎧よりも堅牢であり、彼女たちの乙女心は空回りするばかりだった。


三人がそんなやり取りをしているとーー


甘く淀んだ熱気が、 たった一瞬で――死んだ。


空気そのものが軋み、 展望台を満たしていた温もりは、無慈悲な「冷気」に塗り潰される。


急激な気温低下。 白く染まる吐息。 回廊は瞬く間に、逃げ場のない氷の牢獄へと変貌した。


 


「――仲良くしてるところ、悪いけど」


冷え切った声が、上空から降ってくる。


「鍵の巫女は、もらっていくわ」


 


展望台の外。 本来、何も存在しないはずの中空に―― 一人の女が“立っていた”。


風に揺れる銀髪。 軍服を思わせる、威圧的で高慢な衣装。 その瞳には、命を数えるような冷たい光。


女魔人、『氷将』アイラ。


彼女が優雅に指を鳴らした、その瞬間。


――パキ、パキ、パキ……。


展望台を囲む強化ガラスが、不吉な音を立てて結晶化していく。 蜘蛛の巣状に走る白い亀裂。 逃げ道は、音を立てて閉ざされた。



「氷の矢……避けられるかしら?」


嘲るような微笑と共に、


無数の氷の礫が生まれ、 次の瞬間、弾丸と化して襲いかかる。


空気を裂く甲高い音。 回避は不可能――そう思わせるほどの物量。


 


「……っ!」


ハルトは反射的に手を伸ばし、 即座に愛剣を呼び出した。


「レメゲトン!」


顕現した刀身で氷の礫を払い飛ばすが、氷将の狙撃は正確無比だった。


「二人とも、大丈夫か!?」


叫びながら振り返るハルトの足元で、霜が音もなく広がっていく。


「は、はい……!  ハルト様こそ……っ!」


息を整える間もなく、吐く息が白く凍りつく。


「私が援護する!  ハルト、その隙に鎧を!」


響花が懐に手を差し入れ、対魔銃を抜き出す。 迫り来る氷の矢を次々と撃ち落とした。


――だが。


空間そのものが、軋む。


相殺されたはずの氷は砕けながらも冷気を撒き散らし、 床、壁、空気――すべてを侵食していく。


アイラの冷気は、 “攻撃”ではなく“支配”だった。


いくら打ち消しても、 速度は緩まらない。


戦場は確実に、 彼女の色へと塗り替えられていった。


――その時だった。


ハルトの影で、 鍵が――蠢いた。


「……っ!?」


手を伸ばすよりも早く、 まるで獲物を見つけた獣のように、鍵が自ら宙へ跳ね上がる。


拒絶する意思など、最初から存在しない。


鍵は空中で軌道を変え、 愛剣の柄に穿たれた“鍵穴”へ―― 吸い込まれるように、深く、深く、突き刺さった。


『この鍵は……!? いかん! 小僧、今すぐそれを外せ!』


――ガチリ。


金属とは思えない、 歯が噛み合うような不快な音。


剣に刺さった鍵が、 ゆっくりと――回った。


――ギチ、ギチ、ギチ。


内部で何かが噛み合い、 世界の法則そのものが、ねじ伏せられるような音。


次の瞬間。


ハルトの足元から、 黒い影が噴き上がった。


影は液体のように広がり、 金属の質量を伴って形を成す。


脚。 腰。 胸。 肩。


黒鉄の鎧が、下から這い上がるようにハルトの身体を包み込んでいく。


冷たい―― いや、違う。


それは温度ではなく、 “拒絶を許さない重さ”だった。


装甲は硬質でありながら、 どこか生き物の皮膚のようにうねり、 関節部がぴくりと脈打つ。


最後に兜が降りてきた瞬間、 視界が狭まり――


世界が、遠のく。


同時に。


ハルトの手にあった黒い刀身が、 不意に――軋んだ。


「……っ!?」


刃が波打ち、 金属が歪み、 剣としての輪郭を失っていく。


刀身は横へ、縦へと引き伸ばされ、 骨のようなフレームを形成し、 中心部が不自然に盛り上がった。


――バキリ。


裂け目が走り、 そこから牙が生える。


一本、また一本。

 

盾。


だが、それは防具の形をした 口だった。


裂けた中央から、 ぬらり、と。


粘ついた舌が垂れ下がり、 唾液が雫となって落ちる。


牙を剥き、 呼吸するように開閉する盾。


 


鎧と盾が、 同時に――ハルトを認識する。


 


――装着、完了。拒否権はない。


それは装備ではなく、 “選ばれた”という宣告だった。


ハルトの視界が、 ゆっくりと紅く染まっていく。


「――うおおおおおっ!!」


それは、 雄叫びではなかった。


喉が裂けるほどの、 悲鳴だった。



ハルトの絶叫が展望台に反響し、 凍りついた空気を震わせる。


鎧が――応えた。


黒鉄の装甲が軋み、 内側から何かが蠢くように脈打つ。


力が、溢れる。 だがそれは、制御の先にある力ではない。



「……やめろ……っ」


掠れた声は、 自分自身に向けたものだった。


 

視界が赤黒く染まり、 音が歪む。


鼓動が、 人間のそれではなくなっていく。



盾の口が大きく開き、 舌が歓喜するようにうねった。


――獲物を見つけた。


そんな“意思”が、 否応なく流れ込んでくる。



ハルトの足元で、 床が砕ける。


一歩、踏み出しただけで。 力の加減など、存在しない。



「ハルト……?」


背後から、 誰かの声が聞こえた気がした。


だが、 もう振り返れない。


 

鎧が、 盾が――


彼を人間として扱うのを、やめていた。


暴走。


それは切り札ではなく、 戻れない地点への――転落だった。


「えっ……ハ……ハルト様……?」


変わり果てた、無機質な漆黒の兜に覆われたハルトの姿に、輪廻は恐怖で動けなくなる。かつての優しい温もりは、そこには微塵も感じられない。


暴走したハルトの赤い瞳がアイラを捉え、そして次に、目の前で震える「魔人の血を引く少女」――極上の魔力を含んだ輪廻へと向けられた。


「……喰ワセロ……。全テ、咀嚼シテヤル……」


大盾の口が、ガチガチと音を立てて輪廻を威嚇する。


幸せなバレンタインの夜は完全に消え失せ、展望台には死と強欲の臭いだけが充満していた。漆黒の鎧に包まれた獣が、大盾の牙を鳴らしながら、氷の魔人へと歩み寄った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ