硝子の檻、混血の楔(後編)
魔獣レイザーが骨の刃を振う。
ガキィィィン!!
「硬いな、貴様……ッ!」
魔獣レイザーが驚愕の声を上げる。ゴエティアの装甲は、生半可な攻撃では貫通しない。
だが、敵は百戦錬磨の悪魔だった。
「だが、その鈍重な鉄塊で、この俺の速度について来られるかな!?」
レイザーが嗤う。次の瞬間、その姿がかき消えた。否、速すぎるのだ。剥き出しの筋肉繊維が異常収縮し、人間には不可能な加速を生み出している。
ガギィンッ! キンッ! ズガガガガッ!!
「ぐぅ、うぅっ……!」
ハルトは防戦一方だった。前後左右、あらゆる角度から骨の刃が襲い来る。
レメゲトンで受け流し、装甲の厚い部分で弾くが、衝撃までは殺しきれない。重い鐘の中に閉じ込められて殴りつけられているような感覚。脳が揺さぶられ、視界が明滅する。
ゴエティアの鎧はあまりに重い。一撃の威力はあっても、風のように舞う敵を捉えるには、ハルトの熟練度は絶望的に足りていなかった。
燻し銀の装甲表面に、無数の傷が刻まれていく。火花が散るたび、装甲の隙間から微かに血飛沫が舞うのが見えた。
「あ……、嫌……やめて……」
輪廻はその場に凍りついていた。目の前の光景が、あの日の記憶と重なる。
彼女を逃がすために、魔界の追手たちに立ち向かい、そして蹂躙されていった父と母の最期。圧倒的な暴力の前に、大切なものが無残に壊されていく音。
(私のせいで、また……誰かが死ぬの?)
ガタガタと震えが止まらない。呼吸が過呼吸気味になり、視界が涙で滲む。
彼女の絶望を敏感に察知したレイザーが、醜悪な舌なめずりをした。
「クハハ! そうだ、その顔が見たかった! 騎士気取りの次は、貴様の番だぞ巫女ォ!」
レイザーがハルトの防御をかいくぐり、大きく跳躍した。狙いはハルトではない。その後ろで震える輪廻の首だ。
「しまっ――!?」
ハルトの反応が遅れる。間に合わない。思考よりも先に、体が動いた。ハルトは防御を捨て、自らバランスを崩してレイザーの軌道上へと割り込んだ。
「輪廻さんッ!!」
ドォスッ!!
鈍く、湿った音が響いた。ハルトが輪廻を抱きかかえるように庇ったその背中に、レイザーの骨刃が深々と突き刺さっていた。装甲の継ぎ目、一番脆い脇腹を貫通し、生身の肉を抉る感触。
「が、ぁ……っ!!」
熱い。焼けるような激痛が脳髄を駆け巡る。口の中に鉄錆びた血の味が広がった。
「ハルト、様……!?」
腕の中で、輪廻が息を呑む。ハルトの傷口から溢れた血が、彼女の巫女装束を赤く染めていく。
「バカめ、自ら盾になるとはな! 騎士道ごっこの末路がこれだ!」
レイザーが勝利を確信し、突き刺した刃をさらにねじ込もうとする。意識が飛びそうになる激痛の中で、ハルトは歯を食いしばった。
『小僧! 今だ、意識を保て! 肉を斬らせて骨を断つ、その機を逃すな!』
脳内でレメゲトンが叫ぶ。
(ああ……分かってるよ、クソジジイ……!)
ハルトは渾身の力を込め、自らの脇腹に突き刺さった骨刃を、装甲と腕で掴んだ。
「なっ、にィ!?」
レイザーが腕を引き抜こうとするが、万力のように固定されて動かない。逃げようともがく魔獣の目の前、至近距離で。
兜のバイザーの奥、消えかけていた紅い瞳が、最後の残り火のように燃え上がった。
「捕まえたぞ……これで……終わりだァッ!!」
ハルトは残った片腕で、大剣レメゲトンを振りかぶった。技術も何もない。ただの暴力的なまでの質量による、ゼロ距離からの叩きつけ。
「灰に還れ! アッシュ・トゥ・アッシュ!!」
ズドォォォォォンッ!!
大剣が魔獣の肩口から斜めに食い込み、腰までを一撃で断ち割った。遅れて発生した衝撃波が、店内のゲーム機をなぎ倒し、残っていたガラス片を吹き飛ばす。
「バ、カ、ナァァァ……」
断末魔は続かなかった。斬られた断面から灰色の炎が噴き出し、魔獣の肉体を瞬く間に風化させていく。数秒後、そこには塵となった灰の山だけが残された。
戦いが終わる。ハルトは鍵を引き抜き、変身を解除した。
「が、はっ……!」
膝から崩れ落ちる。脇腹の傷は深く、ドクドクと血が流れ出ている。変身の負荷と出血で、意識が急速に遠のいていく。
「ハルト様! ハルト様ッ!!」
駆け寄ってきた輪廻が、倒れそうになるハルトの体を小さな体で必死に支えた。彼女の手は酷く震えていたが、ハンカチを取り出し、ハルトの傷口を強く押さえる。温かい血が、彼女の白い指の間から溢れ出す。
「なんで……どうして、こんな無茶をするんですか……!」
輪廻の瞳から、大粒の涙がこぼれ落ち、ハルトの頬を濡らす。
「私なんかを庇って……あなたが傷ついて、死んでしまったら……私は……ッ!」
両親を失った時と同じ、喪失の恐怖。この温かい人が、冷たくなってしまうことへの耐え難い恐怖。
ハルトは荒い息を整えながら、薄く目を開けた。目の前で泣きじゃくる少女の顔を見て、なぜか少しだけ安心した。
彼は震える手を持ち上げ、傷口を押さえる彼女の手に、自分の血と煤で汚れた手を重ねた。
「……言ったろ。見捨てないって」
声は掠れ、息も絶え絶えだったが、その言葉には確かな意志が宿っていた。
「俺は、君の父さんや母さんみたいに立派じゃないけど……君が泣くところは、もう見たくないんだ」
「ハルト様……っ」
「それに、さっきのクレーンゲーム。まだ取れてなかったしな。……約束、したから」
ハルトが弱々しくおどけて見せると、輪廻は泣き笑いのような、くしゃくしゃの表情で俯いた。
彼女の手のひらから伝わる体温。それは、冷たい鋼鉄の鎧越しでは決して感じられなかった、互いの「生」を確かめ合うような、熱い温もりだった。
「……はい。ありがとうございます、ハルト様。……絶対に、死なせません」
夕暮れの街。傷だらけで動けなくなった騎士と、その体を支えながら、もう二度と離さないと誓うように強く抱きしめる巫女。二人の影が、以前よりもずっと近くに寄り添って、長く伸びていた。




