不屈の共闘、あるいは白亜の檻の共鳴(後編①)
夜気すらも焼き焦がす火花が、白亜の病棟を照らし出した。
「オオオオオッ!!」
裂帛の気合いと共に、魔導騎士ゴエティア――草薙ハルトが駆ける。
彼が振るう黒刀の大剣は、疾風の如き速度でアガレスの懐へと突き進んだ。踏み込むたびに地面のアスファルトが爆ぜ、灰銀の魔力が彗星の尾のように夜を切り裂く。
だが、その渾身の一撃は、あまりにも無慈悲な現実に阻まれた。
――ガギィィィィンッ!!
硬質な衝撃音が、鼓膜を劈く。
ゴエティアの大剣は、アガレスの鎧に触れた瞬間、まるで巨大な山脈に爪楊枝を突き立てたかのように、微動だにせず受け止められていた。
「……硬いッ!?」
「無駄ですよ。貴方の刃には、私を穿つ『重み』が足りない」
アガレスの兜の奥で、嘲笑の黄金の光が灯る。
その巨体はにあるように、漆黒と黄金の装飾に彩られた重厚な鎧に包まれており、獣のたてがみのような白銀の毛が夜風に不気味に靡いている。彼が手に持つ特大剣『ウァッサゴ』は、ただそこに在るだけで空間を歪めるほどの質量を放っていた。
「消えなさい」
アガレスが無造作に腕を振るう。
剣技ですらない。ただの「裏拳」に近い動作。
だが、そこには暴風のような運動エネルギーが宿っていた。
「ぐぅッ……!?」
ゴエティアは咄嗟に大剣の腹で防御姿勢をとる。しかし、その防御ごとかち上げられた。
大型トラックに正面衝突されたような衝撃が両腕の骨を軋ませ、視界が明滅する。
「が、はっ……!」
ハルトの体は紙屑のように吹き飛び、中庭の噴水を粉砕し、さらに背後の病棟の壁へと叩きつけられた。
コンクリートが蜘蛛の巣状に亀裂を走らせ、粉塵が舞う。
「ハルト!!」
瓦礫の陰から、響花の悲痛な叫びが響いた。彼女は『鴉』を構えようとするが、アガレスの放つ威圧感に体が竦み、指が動かない。
「……っ、げほっ、が……」
兜の隙間から、ドロリとした鉄の味が溢れ出る。
ハルトは瓦礫の中で膝をついた。全身の筋肉が断裂したかのような激痛。ゴエティアの鎧は、所々が赤熱し、激しい損傷を負っている。立ち上がる力さえ、根こそぎ奪われたような感覚だった。
「虫ケラは虫ケラらしく、土に塗れて死になさい」
アガレスが、死神のような足取りでゆっくりと歩み寄る。
その巨大な影が、月明かりを遮り、ハルトを絶望の闇へと飲み込んでいく。
「貴方を殺し、鍵の少女を回収すれば、この不完全な人の世界もようやく終わりを迎えます。無意味な生にしがみつく苦しみから解放して差し上げましょう。それが慈悲というものです」
慈悲。終わり。
甘美ですらあるその言葉が、薄れゆくハルトの意識を撫でる。
(ああ……勝てない。強すぎる……)
心のどこかで、諦めの囁きが聞こえた。自分はただの大学生だ。選ばれた戦士でも、天才でもない。ここで倒れても、誰も責めないのではないか?
だが。
「……ざ、ける……な……」
ハルトの喉から、掠れた声が漏れた。
「……終わらない……終わらせない。俺が……お前を、ここで斬るんだ」
血を吐き捨て、震える腕で再び大剣を杖にする。
ガクガクと震える膝を叱咤し、ハルトは立ち上がった。その姿はボロボロで、風が吹けば消えてしまいそうな、小さな灯火のようだった。
アガレスが足を止め、心底不思議そうに首を傾げる。
「無駄な足掻きを。理解できませんね……なぜ、そこまでボロボロになって戦うのです?」
アガレスの声には、感情の色がない。あるのは純粋な疑問だけだ。
「貴方はただの適合者に過ぎない。魔術の素養もなく、戦闘の訓練も受けていない、所詮は『ただの人』です。命を惜しむのが『生物』の合理でしょう」
「……ははっ、そうだな……」
ハルトは低く、しかし芯の通った声で笑った。
兜のバイザー越しに、赤い瞳がアガレスを睨み据える。
「ああ、そうだよ。俺は、大した人間じゃない。西園寺のような剣の腕もないし、響花のような覚悟もない。頭も良くないし、この『ゴエティア』の力がなきゃ、お前と対等に口を利くことすらできない……。だがな」
ハルトの脳裏に、「日常」の風景が走馬灯のように駆け巡る。
エプロン姿で、「ハルト様、朝食のお時間です」と嬉しそうに微笑む輪廻。
不器用で、口は悪いが、「あんた、また無理したでしょ!」と怒りながら、誰より先に傷つき盾になろうとする響花。
自分を信じて背中を預けてくれた仲間たち。
「輪廻が……あの子が、生きたいって泣いてるんだ。明日もご飯を作りたいって、ただそれだけの願いを守りたいんだ! 響花が、自分の命を投げ打ってまで、みんなを守ろうとして震えてるんだ!」
ハルトの手甲が、ギリギリと大剣の柄を握りしめる。
「だったら、俺が逃げるわけにいかないだろ! 俺は『ただの人』だからこそ……大切な仲間のために、何度だって立ち上がってやる!」
ハルトの全身から、灰銀の魔力が爆発的に膨れ上がった。
それは『ゴエティア』というシステムが放つ力ではない。草薙ハルトという人間の「意志」が、魔導騎士の限界出力を無理やり引き上げた、魂の咆哮だった。
「絶対に、輪廻も、響花も、他のみんなも殺させない。……アガレス、お前をぶった斬る!!」
ハルトが死力を尽くして突撃しようとした、その刹那。
「――ハッ。……相変わらず、品がない男だね」
戦場に場違いなほど優雅で、氷のように冷徹な声が響き渡った。
熱り立った空気が、一瞬で凍りつく。ハルトとアガレスの視線が、破壊された病棟の影へと向いた。
そこには、一人の男が立っていた。
S.A.I.D.の病衣の上に、場違いな高級コートを肩に羽織り、包帯だらけの痛々しい姿。
しかし、その立ち振る舞いは王族の如く傲岸不遜。
西園寺レイジ。
「西園寺……! お前……どうしてここに!?」
ハルトが驚愕に目を見開く。
レイジは指先で銀色の魔導具『ラプラス』を弄びながら、ハルトを一瞥もせずに鼻で笑った。
「全く……品のない戦い方だ。叫んで、吠えて、泥臭くて、見てられないよ。これだから『凡人』は嫌いなんだ」
「……アスタロトか。まだ生きていたとは」
アガレスが興味なさげに特大剣を向ける。
レイジは悠然と、アガレスの殺気の中を歩み出た。恐怖など微塵も感じていないかのように。
彼はハルトの横で足を止めると、冷ややかに言い放った。
「勘違いするなよ、草薙。別に君に協力するわけじゃない。君のその暑苦しい『友情ごっこ』に付き合うつもりもない」
レイジの視線が、アガレスを射抜く。その瞳には、ハルトに向けるものとは比較にならない、どす黒く、しかし鋭利な殺意が渦巻いていた。
「ただ、僕をここまで無様にしたあの『泥人形』が、僕の目の前で我が物顔をしているのが……最高に気に入らないだけだ」
「……西園寺」
「下がりたまえ、凡骨。……格の違いというものを、教えてやる」
レイジが高らかに腕を掲げる。
その手の中で、銀色の鎖が変形し、一本の巨大な剣へと姿を変える。
「行くよ、ラプラス。奴を斬る」
『わかったわ。勝率は……「共闘」により急上昇中よ!』
ラプラスの妖艶な声と共に、レイジの全身から紅蓮の雷光が迸る。
「――装着」
ドオォォォォンッ!!
爆発的な魔力の渦が晴れると、そこには深紅のアクセントが入った鋭角的な兜と、流麗な黒銀の鎧を纏った騎士が立っていた。に見られるその姿は、ハルトの無骨な鎧とは対照的に、洗練された死の舞踏家のようだった。
「さて……第二ラウンドだ、マルファス。魔導騎士アスタロトの名において、貴様を塵に還してやる」
並び立つ二人の騎士。
太陽のような紅蓮の魔力を纏うアスタロト。
月光のような灰銀の魔力を纏うゴエティア。
絶望に支配されていた瓦礫の庭に、反撃の狼煙となる二色の光が立ち昇った。




