不屈の共闘、あるいは白亜の檻の共鳴(中編)
病院の夜は、死を連想させるほどに静まり返っていた。
廊下を走る滅菌灯の青白い光が、無機質に闇を切り裂き、リノリウムの床に冷たい影を落としている。空気中には微かな消毒液の匂いと、魔法障壁が放つオゾンの香りが混じり合い、肺の奥を白く塗りつぶすような錯覚さえ覚えさせた。
その最奥に位置する、S.A.I.D.付属特別医療センターの隔離病室。
数日前まで、命の灯火を「灰化」という呪いに蝕まれ、死の淵を彷徨っていたとは思えないほど、草薙ハルトの表情には生気が戻っていた。
「……よし、異常なし。数値も安定しているわ。筋肉の衰えも、私のスパルタ治療のおかげで最小限ね」
神宮寺ミラがタブレットのカルテを閉じ、はち切れんばかりの白衣の肩を鳴らして頷いた。
ハルトの左腕。かつて魔導騎士アガレスとの死闘で石化しかけ、崩壊寸前だったその部位は、今は清潔な包帯の下で静かに息を潜めている。不吉な文様は皮膚の深層へと沈み、暴走の気配はない。
「ありがとうございます、ミラ先生。……ようやく帰れる。長かったような、短かったような……」
「ハルト様、本当によかったです。明日にはまた、いつもの朝食を準備できますね」
ベッドの傍らで、神楽輪廻が慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。彼女の存在は、この殺風景な病室において唯一の救いだった。
ハルトは自分の掌をゆっくりと握り締め、体内に流れる感覚を確かめる。
ゴエティアの力の残滓はまだ熱を帯びている。だが、それは以前のような「暴走の予感」ではない。より深く、より鋭く、研ぎ澄まされた――深淵の底から響く鼓動のような感覚だった。
しかし。
その穏やかな空気は、物理的な破壊音に先んじて、魂を直接凍りつかせるような**「死の波動」**によって一瞬で塗りつぶされた。
――ズゥゥゥゥン……!!
地鳴りではない。病院を支える杭そのものが悲鳴を上げたような、暴力的な衝撃。
続いて、静寂を切り裂くように緊急警報がけたたましく鳴り響いた。
「な、何事!? 敵襲……!? 」
ミラが即座に窓際へ駆け寄り、中庭を見下ろす。
その瞳が驚愕に染まった。月明かりに照らされた中庭に、それは鎮座していた。
かつて倉庫でハルトたちを、そして西園寺レイジをも絶望の淵へ叩き落とした、暴力の権化。
魔導騎士アガレス。
「やっと見つけましたよ。ここが対魔特務機関《S.A.I.D.》ですか……さっさと壊してしまいましょう」
アガレスの全身を覆う重厚な鎧が、紫色の魔気を噴出させながら軋む。その手には、巨岩を削り出したかのような大剣**『ウァッサゴ』**が握られていた。
「迎撃しろ! 侵入者を一歩も通すな!」
施設の守備を任されていたS.A.I.D.の精鋭警備兵たちが、遮蔽物から一斉に飛び出す。彼らが手にするのは、重装甲の魔導兵器をも貫く最新鋭の対魔用ライフルだ。
夜の静寂を、絶え間ない銃声と閃光が埋め尽くす。
しかし、現実はあまりにも残酷だった。
アガレスは回避すらしない。雨あられと降り注ぐ魔力弾は、その鎧に触れた瞬間に小石のように弾け、火花を散らすだけだ。
「小虫のようですね。目障りです。……消えなさい」
アガレスが無造作に、大剣ウァッサゴを一閃させた。
ただの横薙ぎ。だが、それは大気を物理的に断ち切り、真空の刃を伴う「暴風」へと変わる。
「ぎゃああああッ!?」
盾を構えていた警備兵たちが、まるで紙細工のように空中に舞った。コンクリートの壁に叩きつけられ、人体とは思えない音を立てて沈んでいく。最新のタクティカルスーツも、長年の訓練も、魔導の極致に立つ騎士の前では、ただの無価値な数字に過ぎなかった。
中庭は、一瞬にして鉄と血の匂いが立ち込める処刑場へと変貌した。
「……待ちなさいよ、このデカブツ!!」
警備兵たちが全滅しかけたその時、瓦礫を蹴立てて一人の少女が中庭へと乱入した。
S.A.I.D.のエージェント、響花だ。
急行した彼女は、呼吸も荒い。だが、その瞳には激しい闘志が宿っていた。
彼女の両手には、対魔銃**『鴉』**が握られている。
(ハルトに近づかせない……絶対に!)
響花は『鴉』を構え、アガレスの頭部に向けて迷わず引き金を引いた。
しかし、放たれた銀弾をアガレスの鎧は弾いた。
「……っ!」
響花は何度も引き金を引くが、アガレスはゆっくりと近付いてくる。
アガレスはゆっくりと首を傾け、響花を視界に捉える。
「……また貴女ですか。無駄だと言ったはずですが」
「うるさいっ!!」
響花は死に物狂いで連射するが、アガレスは弾丸の雨の中を悠然と歩み、一瞬で間合いを詰めた。
「あ……っ」
反射的に回避しようとした響花だったが、アガレスの速さは常軌を逸していた。
無造作に伸ばされた巨大な籠手が、まるでドアの取っ手を握るかのような動作で、響花の細い首を掴み上げた。
「がっ……!……は、はなせ……っ」
「大人しく、ここで死になさい」
アガレスの手の力が強まる。
響花の足が地面を離れ、宙で虚しく泳ぐ。視界が真っ赤に染まり、肺が悲鳴を上げる。
地面に落ちた『鴉』が、カランと虚しい音を立てた。
その時、病棟の三階から強烈な魔導の波動が爆発した。
「――レメゲトン!!」
夜風の中に、少年の叫びが響く。
飛び降りたのはハルトだ。自由落下の中、彼は虚空から現れた「銀色の鍵」を手に取り、腰に現れた魔導書型デバイス『レメゲトン』へと差し込む。
『承知! 気をつけるんじゃぞ!』
レメゲトンの古風な声が響き、ハルトの全身を灰銀の光が包み込む。空中での瞬間的な装着。
ドォォォォォンッ!!
中庭に降り立ったのは、もはや無力な青年ではなかった。
燻し銀の重厚な鎧。
深淵を映したような黒刀の大剣。
魔導騎士ゴエティア。
着地と同時に、ゴエティアは大剣を構え、アガレスへと肉薄した。
「……ちっ!?」
不意を突かれたアガレスは、咄嗟に響花を投げ捨て、特大剣ウァッサゴを盾にするように構えた。
激突。
大剣と特大剣が真正面からぶつかり合い、凄まじい衝撃波が円形状に広がった。周囲の木々は一瞬でなぎ倒され、病院の窓ガラスが次々と悲鳴を上げて砕け散る。
「はぁ、はぁっ……げほっ……!」
地面に投げ出された響花が、激しく咳き込みながら顔を上げた。
霞む視界の先。そこにいたのは、自分を救うために立ち塞がった、大切な背中だった。
「……ハルト……」
「大丈夫か、響花。……遅れて悪かったな」
ハルトは背後を見ずに答える。その真紅に輝く双眸は、眼前の宿敵を逃さぬよう鋭く固定されていた。
「お前の相手は、俺だ……アガレス!」
アガレスは特大剣を低く構え直し、その兜の奥で不気味な紅い光を灯した。
「……また、私に倒されたいようですね。先日は見逃してやりましたが、次は確実に死にますよ。……貴方のその、不完全な力と共に」
「そっちがな!!」
ゴエティアが大剣を握り直す。
病室という檻を飛び出した騎士は、今、自らの運命を、そして守るべき人を守り抜くために、最強の騎士へと牙を剥いた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
実はここ数日、ブックマークの数字が動かなかったり、少し減ってしまったりするのを見て、正直に言えば「自分の物語は届いているのかな」と、書くのが怖くなる瞬間がありました。
でも、解析画面を見ると、深夜に何度も読み返してくださっている方がいたり、毎日PCからじっくり追いかけてくださる方がいる。その事実だけに救われて、なんとか今日もこの1話を書き上げることができました。
もし、ハルトと輪廻の歩みを少しでも「いいな」と思ってくださったなら、**ブックマークや★**でその気持ちを届けていただけませんか? 皆さんのその一歩が、今の私にとって、何よりも大きな励みになります。
応援、よろしくお願いします。




