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硝子の檻、混血の楔(前編)

戦いの始まりから数日。


草薙ハルトと神楽輪廻は、奇妙な共同生活を始めていた。


住む場所も、帰るべき家も失った輪廻を、ハルトが自身のボロアパートで一時的に保護することになったのだ。


六畳一間の狭い部屋。


古びたテーブルの向かいには、正座をしてお茶をすする巫女姿の少女。


シュールな光景だが、ハルトの胸中にあるのは居心地の悪さではなく、鉛のような重苦しさだった。


(魔界と人間界のハーフ……か)


昨晩、彼女はぽつりぽつりと自身の生い立ちを語った。


彼女の父は人間、母は魔界の貴族だったという。


彼女の身体に流れる**『混血の血』**は、二つの世界の境界を破壊し、巨大なゲートを強制開放する唯一の「生体鍵」となる。


『今はまだ、魔界の軍勢は大挙して押し寄せられません。世界の裂け目が狭いからです』


『でも、私が捕まれば……私の血を触媒に、境界は完全に砕かれます。そうなれば、この世界は一晩で魔界に飲み込まれるでしょう』


『父と母は……そんな運命から私を逃がすために、追手の囮になって……』


震える肩。


押し殺した嗚咽。


彼女はただの少女ではない。


両親の死というトラウマと、世界滅亡のトリガーという残酷な運命を、その細い背中に背負わされているのだ。


「……ハルト様? どうかされましたか?」


ふと、輪廻が心配そうに顔を覗き込む。


ハルトは慌てて思考を振り払い、笑顔を作った。


「いや、なんでもない。……せっかく天気もいいし、今日は外に出ようか。ずっと部屋にいたら気が滅入るだろ?」


連れ出したのは、駅前のゲームセンターだった。


喧騒と電子音、煌びやかな光。


初めて見る現代の娯楽に、輪廻は目を丸くして驚き、やがて子供のように瞳を輝かせた。


「うわぁ……! ハルト様、見てください。透明な箱の中に、小さな動物たちが囚われています!」


「いや、囚われてるんじゃなくて、クレーンゲームの景品だから。ぬいぐるみだよ」


「なんと……。これが、現代の『愛玩の儀式』なのですね」


ガラスケースに張り付き、ピンク色のウサギのぬいぐるみを熱心に見つめる輪廻。


その横顔は、世界を背負う巫女でも、追われる身の混血児でもなく、ただの年相応の少女そのものだった。


ハルトはその姿を見て、少しだけ救われた気持ちになる。


彼女には、こんな当たり前の笑顔こそが相応しいはずなのに。


彼は左手首に巻かれた「重み」を確認する。


それは、錆びついた銀色の鎖と、小さな髑髏のチャームがついた無骨なブレスレット。


小型化して擬態させた、魔導剣レメゲトンの今の姿だ。


『カッカッカ! 貴様、鼻の下が伸びておるぞ。平和ボケしおって、背中が隙だらけだ』


脳内に直接響く剣の悪態。


「うるさいな、ジジイ。少しは黙っててくれよ」


ハルトは心の中で毒づきながら、輪廻のために小銭を取り出そうとした。


その時だった。


ガシャァァァァァンッ!!


平穏を引き裂く轟音。


ゲームセンターの入り口、分厚い強化ガラスが粉々に砕け散った。


「キャァァァァッ!?」


悲鳴を上げて逃げ惑う客たち。


飛び散るガラス片を踏み砕き、土足で踏み込んできたのは、黒いロングコートを纏った長身の男――いや、人の形をした「何か」だった。


「ククク……匂うぞ。腐りかけの人間と、甘美な魔界の血が混ざり合った、禁忌の芳香がなぁ!」


男がコートを脱ぎ捨てる。


その下には皮膚がなく、剥き出しの赤い筋肉繊維が脈打っていた。


両腕からは骨が異常発達した鋭利な「刃」が伸びている。


魔界からの第二の刺客、**斬撃魔獣『レイザー』**だ。


「見つけたぞ、神楽輪廻ェ……。我らが悲願の『鍵』よ!」


「あ……っ、あぁ……!」


輪廻の顔から血の気が引く。


彼女の脳裏に、両親が惨殺されたあの夜の光景がフラッシュバックする。


足がすくみ、動けない。


「さあ来い! その血を一滴残らず搾り取り、偉大なる門を開くのだ!」


レイザーが跳躍する。


獲物を狩る獣の速度で、輪廻へと迫る。


「させるかよッ!」


絶望に凍りつく輪廻の前に、ハルトが割って入った。


彼は左腕を突き出し、叫ぶ。


「おいジジイ! 仕事の時間だ、目を覚ませ!!」


『口の悪い小僧だ。……よかろう、存分に振るえ!』


ハルトの意思に応え、左手首のブレスレットが黒い光を放つ。


ジャラッ! と鎖が弾け飛び、瞬時に鋼鉄の質量が増大する。


一瞬にして、ハルトの手には巨大な大剣レメゲトンが握られていた。


ズシリ、と床のタイルがひび割れるほどの重量が手に蘇る。


「……ハルト様」


「輪廻さんは下がっててくれ。――君の過去も、運命も、全部俺が断ち切る!」


魔獣レイザーが、目にも止まらぬ速さで骨の刃を振りかざす。


「邪魔だ雑魚がぁ! 死ねぇッ!」


ハルトはポケットから、凍えるほど冷たい「銀色の鍵」を取り出し、大剣の鍔にある鍵穴へ迷わず突き立てた。


「装着ッ!!」


――ガギンッ! ゴォォォッ!!


鍵が回ると同時に、ハルトの足元から灰色の炎が噴き上がる。


迫りくる骨の刃を、炎の壁が受け止めた。


炎の中から現れたのは、燻し銀の鉄塊。


舞い散る火の粉とすすを纏い、魔導騎士ゴエティアがその姿を現す。


戦火を潜り抜けたような無骨な鋼鉄の腕が、魔獣の刃をガッチリと掴み、軋ませていた。


「……消し炭にしてやる」


兜の奥で、紅い瞳が静かな怒りに燃え上がった。

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