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超越加速 — レメゲトン vs 未来予測 — ラプラス(中編)

湾岸地区の最果て。潮風に洗われ、都会の喧騒から置き去りにされたその場所には、巨大なコンクリートの骸が横たわっていた。


かつては数千人の労働者の叫びと機械の咆哮が支配していたであろう廃工場は、今や冷たい沈黙を溜め込んだ**「時間の墓標」**と化している。割れた高窓から差し込む月光は、埃の舞う空間を不気味な白銀に染め上げ、錆びついた鉄骨が風に鳴く音は、まるで成仏できない亡霊の啜り泣きのようだった。


「……ここ、ですか」


輪廻の声が、薄暗い空間に波紋のように広がる。


彼女はハルトの半歩後ろに立ち、自身の細い指先を強く握りしめていた。その指先は白く、肩は小さく震えている。彼女の瞳に映るのは、ただの廃墟ではない。自分という存在が引き寄せてしまった、避けがたい「破滅」への予感だった。


「間違いない」


ハルトの声は、低く、重い。


ポケットの中で握りしめたスマートフォンには、西園寺レイジからの短く無機質な宣告が残されていた。


『パートナーは預かった。返して欲しければ、湾岸地区の廃工場へ来い。……一人で来いとは言わない。君の絶望を「観測」する者がいた方が、数式は美しく完成するからね』


「ハルト様……響花さん、無事でしょうか」


「助ける。必ずだ」


ハルトの返答は即座だった。だが、彼の視線は闇の奥、一つの「点」に固定されていた。


そこには、この場所の風景にあまりにもそぐわない、洗練された**「死」の気配**が漂っていたからだ。


――コツ。


乾いた音が、広大な工場の静寂を、硝子を叩き割るように引き裂いた。


――コツ、コツ。


一定の、残酷なまでに正確なリズム。


鉄骨の影から姿を現したのは、銀の縁取りの眼鏡を指先で直す、西園寺レイジだった。長い黒髪が夜風に遊ばれ、整えられたスーツには塵一つ付いていない。まるで大学の講義室に現れたかのようなその優雅さが、今の状況下では何よりも狂気的に映る。


「やあ、待っていたよ。ゴエティア」


レイジは薄い唇を吊り上げ、愉しげに、そして深く蔑むように笑った。その視線はハルトを通り越し、背後の輪廻へと注がれる。


「こんばんは、『鍵』の少女。さあ、僕と一緒に来てもらおうか。君という存在がいれば、**“あの人”**は、この世界に還ってくる」


レイジが優雅に手を差し出す。ただそれだけの動作。しかし、その瞬間、輪廻は叫び声を上げることさえ忘れ、その場に縫い付けられた気がした。魔力ではない。レイジという人間が放つ「執着」の重圧が、彼女の生存本能を凍りつかせたのだ。


ハルトは、輪廻を庇うように一歩前へ出る。その背中を見て、輪廻の胸にちりりとした痛みが走る。


(また、ハルト様に背負わせてしまう。私のせいで、ハルト様の命が――)


レイジの瞳が、獲物の弱点を見つけた捕食者のように鋭く細められた。


「楽しそうだね、ゴエティア。……いや、痛々しいと言うべきか。君の身体、もうキツイだろ? よくそんなボロボロの器で、正義の味方ごっこを続けていられるなと感心するよ」


レイジの指先が、ハルトの首筋を指し示す。そこには、過酷な戦闘の代償である不気味な灰色の痣――**「灰化」**の兆候が、毒に侵された根のように広がっていた。


「自分の命さえ守れない男が、他人の命を救う? 噴飯ものだ。数式にもならない、ただの誤差だよ」


「……黙れ」


ハルトの全身から、凄まじい威圧感が噴き出す。それは怒りであり、自身の中に巣食う死の予兆を塗りつぶすための叫びだった。


「響花をどこへやった。今すぐ返せ!!」


「いいよ。僕に勝てたら、ね」


レイジが虚空を掴む。そこには、蜃気楼のように揺らめく、不吉な紫黒の光を放つ大剣の幻影が顕現した。


魔導剣・ラプラス。


それは未来を「予測」する魔剣。


「「装着」」


二つの声が重なり、廃工場に金属の軋む絶叫が響いた。


ハルトを覆うのは、燻し銀の重厚な装甲。数多の死線を越えてきた、魔導騎士**『ゴエティア』。**


対してレイジを包むのは、夜の深淵そのものを切り出したかのような、鋭利で禍々しい黒銀の甲冑。魔導騎士**『アスタロト』。**


「君の未来は、僕が決める」


アスタロトが地面を蹴る。


速い――。


ハルトが防御の構えを取るよりも早く、アスタロトは魔導剣ラプラスを振るう。


ギィィィィィィィン!!


「……ガッ……!?」


レメゲトンで辛うじて防ぐ。だが、ラプラスから伝わる衝撃が、ハルトの五臓六腑を揺さぶり、脳を揺らす。


「どうした? 反応が遅いよ。……こんなものかい?」


ハルトは歯を食いしばり、渾身の力で剣を振り抜いた。灰色の軌跡が闇を切り裂く。


だが、その一撃は、まるで最初から当たるはずがなかったかのように、アスタロトの体をすり抜けた。


「少しはやるようになったが……まだまだだね」


アスタロトのラプラスが、容赦なくハルトの脇腹を裂く。装甲が火花を散らし、コンクリートの床にハルトが膝をつく。


「ハルト様……ッ!!」


輪廻の悲鳴が工場に響く。彼女は自分の無力さに爪を立てる。


(ハルト様は、私のために命をかけている。私が『鍵』でさえなければ。私がいなければ、この人はもっと自由に、もっと長く生きられたはずなのに!)


「そこで見ていろ、鍵の少女。君が信じているこの男が、如何に脆弱な幻想であるかを。……そして、大切な人を失う絶望を、君に与えよう」


「……西園寺……お前は……なぜ……」


ハルトは血を吐き捨て、震える足で立ち上がる。バイザー越しに見える彼の瞳には、まだ火が消えていない。


「なぜ、魔界側へついた……。お前ほど、剣の技を、知性を持っている男が……!」


「……ふふっ」


一瞬、レイジの動きが止まった。漆黒のバイザーの奥で、彼の瞳が、ひどく虚ろで、ひどく熱い「何か」を宿して揺れる。


「……君は、いいよね。まだ、守るものがあって。失う辛さを知らないから、そんな綺麗な言葉が吐ける」


レイジの背後に、一瞬だけ女性の幻影が重なった気がした。


「神は、善良だった姉を救わなかった。……だから、僕は取り戻す。魔人王の力で。僕の、大切な人を。そのためなら、世界なんてどうなってもいい。数式が一つ書き換わるだけの話だ」


アスタロトの剣が、今まで以上の殺意を帯びて咆哮する。


「君の未来を、僕が壊してあげる。……そうすれば、君もようやく僕と同じ場所に立てる。失った者同士、理解し合えるだろう?」


「ふざけるな……っ!!」


ハルトが叫ぶ。その叫びは、己の内に潜む「死」への恐怖さえも飲み込んでいく。


「そんな理由で……響花を、輪廻を巻き込むな!!」


ハルトの圧が限界を超えて膨れ上がる。首筋の痣が激しく明滅し、彼の生命を削りながらも、ゴエティアのエネルギーを爆発させる。


身体が熱い。骨が軋む。灰になって崩れ去る感覚。


それでも、彼は前を見据える。


「守るんだ……。俺が、俺の、この手でッ!!」


灰銀と黒銀。


二つの光が、廃工場そのものを崩壊させる勢いで正面から激突した。


二振りの大剣が重なり合った瞬間、金属音を超えた「軋み」が戦場を支配した。


凄まじい衝撃波が吹き荒れ、錆びた鉄骨が耐えきれず次々と落下する。


**『魔導剣・レメゲトン』**の漆黒の刀身には、脈動する血管のように黄金の紋様が走り、周囲の空間を歪ませ、あらゆる質量を一点に収束させようと唸る。


対する**『魔導剣・ラプラス』**は、まるで聖堂の尖塔を象徴するような荘厳かつ無骨な装飾を帯び、不動の石壁となってレメゲトンの衝撃を正面から受け止めていた。


「断ち切る……ッ!!」


「無駄だよ……!!」


レメゲトンの黒い刀身が煌めき、ラプラスの石のような刀身を削り取ろうと食らいつく。ラプラスもまた、その巨大な質量でハルトの腕ごとレメゲトンを押し潰さんと、魔力を帯びた衝撃を放射し返す。


火花は赤い閃光となって散り、二振りの剣が噛み合う境界線からは、次元が耐えきれずに放つ紫の放電がパチパチと弾けていた。


輪廻は、その光景をただ見つめていた。


土煙の中で、互いの魂を喰らい合う二振りの剣。


そして、その剣を握る、ボロボロになりながらも決して折れないハルトの背中。


(ハルト様……お願い。死なないで……!)


彼女の祈りが、廃工場の冷たい空気に溶けていく。


戦いは、まだ終わらない。結末への数式は、まだ書き換えの途上にあった。

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