超越加速 — レメゲトン vs 未来予測 — ラプラス(前編)
魔界最深部。
そこは、光も音も、時間さえもが意味を失う領域だった。
闇は単なる暗黒ではない。
“何も定義されていない”という状態そのものが、空間として存在している。
上下も、前後も、距離さえも曖昧だ。
視線を向けた先が近いのか遠いのかすら、判断できない。
絶対零度の玉座の間。
凍結しているのは温度ではなく、世界の概念だった。
天井はなく、床もまた境界を持たない。
闇が闇のまま、終わりを拒むように無限へと続いている。
その沈黙を、切り裂く音があった。
コツ。
コツ。
コツ。
規則正しい革靴の音。
本来、音が存在するはずのない場所で、
その足音だけが、異様なほど明瞭に響いていた。
黒曜石の床を踏みしめながら歩く青年――西園寺レイジ。
漆黒の闇の中で、彼の輪郭だけが、はっきりと“人間”を主張している。
その歩みは落ち着き払っていた。
魔界に足を踏み入れているという自覚も、魔人王の御前に近づいているという緊張も、彼の歩調に一切の乱れを与えない。
まるで大学の講義棟を移動しているかのような、気負いのない足取り。
彼の内側には、恐怖も高揚も存在しない。
あるのはただ、目的を達成するための冷徹な計算だけだった。
「来たか。西園寺レイジ」
闇の中心。
そこに“玉座”という概念だけが、無理矢理固定されている。
黒き王冠を戴いた魔人王バエルが、重い瞼を持ち上げた。
その視線が向けられた瞬間、
空間が軋み、世界の密度が変わる。
並の悪魔であれば、
存在を維持できず、魂ごと圧壊していただろう。
だが、レイジは一歩も退かない。
視線を逸らすことすらしない。
「お呼びかな、陛下」
その声は、凍てついた湖面のように静かだった。
波立たず、揺らがず、感情の温度を一切持たない。
恐怖も、畏怖も、過度な恭順もない。
彼は“王の前に立つ人間”ではなく、取引相手としてそこに立っていた。
「……あの魔導騎士は、まだ生きているようだな」
低く、粘つくような声。
レイジは、わずかに口角を上げた。
その微笑みには、喜びも怒りもない。
ただ、観測結果を述べる者の冷淡さがあった。
「ああ。滑稽な奴だよ」
淡々と、しかし確かな侮蔑を込めて言い切る。
「自身の身体が悲鳴を上げていることにも気づかず、
“守るべき日常”という幻想にしがみついている」
人を守るという行為を、
彼は“誤った変数”として切り捨てていた。
「ならば、その幻想を砕け」
バエルの声が、玉座の間を震わせる。
それは命令であり、宣告であり、
同時に世界そのものの意志だった。
「証明してみせよ。
人間の世界など、脆弱な砂上の楼閣に過ぎぬとな」
魔人王の感情に呼応するように、
玉座の間に嵐のような魔力が吹き荒れた。
空間が歪み、
黒い稲妻が、意味もなく走る。
世界が、王の苛立ちに怯えている。
「そうだね……」
だが、レイジはその只中で、微笑んだ。
圧倒的な魔力に晒されながら、
まるで興味深い仮説を思いついた研究者のように。
「そろそろ、彼にも“現実”を教えてあげなくては」
そして、真っ直ぐに魔人王を見据える。
「――バエル。約束、忘れないでね」
それは忠誠ではない。
願いでもない。
条件提示だった。
レイジの目的。
それさえ果たされるなら、
世界がどうなろうと、彼にとっては誤差に過ぎない。
共犯者の笑みが、彼の唇に浮かぶ。
その手に握られた魔導剣ラプラスの刀身が、
未来を切り刻むかのように、怪しく輝いていた。
ーーー
夜の市街地。
雨上がりのアスファルトは、ネオンの光を毒々しく反射し、
まるで歪んだ万華鏡のような様相を呈していた。
湿った空気。
鉄と血の匂い。
響花は、路地裏に倒れ伏す魔獣の死骸を見下ろしていた。
「……妙ね」
討伐は終わった。
傷も浅い。消耗も想定内。
それなのに――
胸の奥に、言いようのない違和感が残っている。
まるで、
**誰かに“見られている”**ような感覚。
その違和感が、確信へと変わった瞬間。
「こんばんは。奇遇だね、ゴエティアのパートナー」
背後から、あまりにも落ち着き払った声が響いた。
反射的に振り返る。
街灯の光を背に立っていたのは、西園寺レイジだった。
整えられた服装。
乱れのない髪。
雨粒一つ付いていないその姿が、逆にこの場所と致命的に噛み合っていない。
「あんたは……どうして、ここに」
全身が、警鐘を鳴らす。
――危険。
――今すぐ距離を取れ。
本能が、声にならない叫びを上げていた。
「そんなに構えなくてもいい」
レイジは肩をすくめ、穏やかに言った。
「今日は、君に用があるんだ」
その視線が、響花を真っ直ぐに射抜く。
「ゴエティアの調子はどうだい?」
響花は一歩引き、ハンドガンに手をかけた。
「……あんたに話す義理はない」
「そうだろうね」
レイジは否定しない。
むしろ、納得したように頷いた。
「だから、ここからは“戦闘”だ」
その言葉と同時に、
彼の足元から、鈍く赤い光が滲み出した。
空間が、焼けるように歪む。
次の瞬間、
虚空から引きずり出されるように、大型の直剣が顕現する。
魔導剣ラプラス。
黒鉄の刃身は、まるで内部で熔解した溶岩を封じ込めたかのように、
赤く、脈打っていた。
レイジは迷いなく、
黒色の鍵を、その鍔元へと突き立てる。
「――装着」
閉じていた鉄の扉が、開くような乾いた金属音。
同時に、
世界が一段階“沈んだ”。
レイジの右腕から肩、胸部へと、
黒銀の装甲が食い込むように展開していく。
継ぎ目からは赤熱した魔力が漏れ、
まるで内側から焼かれているかのように明滅していた。
兜が形成される。
獣のように鋭角的なシルエット。
眼孔の奥で、紅い光が灯る。
「く……っ」
響花の喉から、かすれた声が漏れた。
アスタロト。
未来を予測し、“最も残酷な最適解”へと収束させる魔導騎士。
「抵抗しても無駄だよ」
装甲越しの声は、くぐもっているのに、異様なほど明瞭だった。
「君では僕に勝てない」
その瞬間、
響花の背筋を、氷水を流し込まれたような感覚が走る。
(――来るっ!?)
ハンドガンを抜く。
照準を合わせる。
引き金を引く。
だが、その一連の動作を、レイジは“すでに見て”いた。
アスタロトが、前に出る。
響花が引き金を引くよりも早く、
彼女が“引こうと決意した瞬間”に。
「……っ!?」
銃口が上がる前に、
重装甲の拳が、最短軌道で踏み込む。
未来予測によって選別された、
意識だけを断ち切るための一撃。
「――がはっ……!」
腹部に走る、内臓を直接揺さぶる衝撃。
息が、肺から強制的に吐き出される。
視界が歪み、音が遠ざかる。
崩れ落ちる身体を、
アスタロトは無造作に支えた。
「大丈夫」
兜の奥から囁かれる声は、戦闘とは不釣り合いなほど穏やかだった。
「死なない未来は、ちゃんと選んである」
意識が闇に沈む直前、
響花の視界に映ったのは――
赤く脈動する装甲に包まれた魔導騎士と、
その奥で静かに輝く、演算を終えた冷たい瞳。
「君は、ハルトを絶望させるための、最適な駒だ」
次の瞬間、二人の姿は闇に溶けた。
ご愛読ありがとうございます!
実は一つ前の輪廻メインのお話の時に、あとがきを書くの忘れてましたので、ここで書かせていただきます。
前回は輪廻の心情を深く掘り下げてみましたが、いかがでしたでしょうか?
ヒロインはどっちが好きですか?
読み終わった今の率直な感想や、作品へのレビューをいただけると、作者としてこれ以上の喜びはありません。
まだの方は、ぜひブックマークをして次回の更新をお待ちください。
皆さんからいただく評価の一つひとつが、物語を完結まで描き切る勇気になります。
どうか、応援よろしくお願いいたします!




