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陽だまりのショッパー、鋼殻の執行者(後編)

月光が、静まり返った部屋の隅にある『魔導剣レメゲトン』の刀身を、冷たく、だが厳かに照らしていた。


ハルトはベッドの端に腰掛け、脈打つような痛みを訴える左腕を凝視していた。地下駐車場での敗北。自慢の『灰は灰に』が、まるでそよ風のように弾かれたあの感覚。死を間近に感じた恐怖よりも、自身の「最強」が無残に否定された事実に、心は泥のように沈んでいた。


「……レメゲトン。あいつに、勝てるのか」


絞り出すような問いに、剣が老骨を軋ませるような重厚な共鳴を返した。


『――案ずるな、小僧よ。貴様はまだ死んではおらん。戦いはこれからじゃ』


レメゲトンの、戦場を幾度も潜り抜けてきた老将のような厳かな声が、ハルトの脳内に響き渡る。


『よいか、小僧。あの「鋼」を穿つには、個の武勇では足りぬ。お前という「器」、ワシという「剣」、そして傍らに這う「獣」。三つの命脈を一つに束ね、完全に己を明け渡してみせよ。己の魂を、信じる者たちに「預ける」勇気。それこそが、理を超えた一撃を放つための唯一の鍵よ』


「……預ける、勇気。俺と、お前と、フェンリル。三つの魂が、一つに……」


今まで、一人で戦っている気でいた。


この力も、灰化の呪いも。


だが違った、傍にはレメゲトンやアストラ・フェンリルがいる。


ハルトは窓の外に視線を移し、左腕の灰の痣を強く握り締めた。


数日後。


響花が対魔特務機関『S.A.I.D.』の定時連絡に出向いている間、ハルトと輪廻は郊外の河川敷を歩いていた。リハビリを兼ねた散策。青い空と、春の訪れを予感させる柔らかな風。


「ハルト様、見てください! あのワンちゃん、すごく可愛いです!」


輪廻が少女らしい笑顔で、遠くを散歩する子犬を指さした。


その屈託のない笑顔を見つめながら、ハルトの脳裏には数日前の光景が蘇っていた。


賑やかなショッピングモール。クレープを美味しそうに頬張り、慣れない服に顔を赤らめ、ただ「今」を全力で楽しんでいた輪廻。あの時、彼女は一人の普通の少女だった。魔界の鍵でも、魔獣を呼ぶ厄災でもない、ただの――。


(……そうだ。彼女はただ、生きたいだけなんだ。この世界の素晴らしいところを、もっともっと、その目で見せてやりたい。それが、俺の戦う理由だ)


だが、平穏を暴力的に引き裂く「音」が、背後から迫る。


――ガシャン。ガシャン。ガシャン。


不快な金属音と共に、あの鈍色の死神――『鋼殻のアイアン・ジェネラル』が、逃げ場のない河川敷に立ち塞がった。


「……っ、来たか。輪廻、下がってろ!!」


ハルトは即座に彼女を背後に押しやった。輪廻の指先が、小刻みに震えながらハルトの服の裾を掴んでいる。


買い物の時はあんなに楽しそうだった彼女が、今は恐怖に顔を歪めている。その対比が、ハルトの胸を鋭く刺した。


(守れるのは、俺だけだ。……いや、違うな。俺たち、だよな)


ハルトは内に宿る二つの気配に意識を向けた。


「……頼むぞ、レメゲトン、フェンリル。力を貸してくれ」


ハルトは銀色の鍵を握る。


「装着」


銀色の鍵が回り、ハルトの全身を燻し銀の甲冑が包み込む。同時に、影の中からアストラ・フェンリルが咆哮と共に飛び出し、ハルトの傍らに並び立った。


「行くぞ!!」


だが、現実は残酷だった。


ハルトが全霊を込めて放ったレメゲトンの横一文字は、アイアン・ジェネラルの装甲に触れた瞬間、弾かれた。無効化だ。


「……っ!? またか!」


『――不毛だと言ったはずだ、魔導騎士。貴様の剣は、我が鋼殻の「不変」には通じぬ』


応じるように振り下ろされた巨大な戦鎚が、ハルトの視界を埋め尽くす。いなす隙すら与えない。空間ごと圧殺するような超質量の暴力。


ドォォォォォォォンッ!!


「が……はあッ!!」


受け止めることすら叶わない。防壁を展開した甲冑は容易く砕け散り、ハルトの身体はコンクリートの地面をバウンドしながら十メートル以上吹き飛ばされた。内臓が潰れるような衝撃。口から溢れる鮮血が、燻し銀の装甲を汚していく。


立ち上がろうとするが、右腕の感覚がない。


視界が赤く染まる中、鋼の巨躯がゆっくりと歩を進めてくる。一歩、一歩。その足音は、死の秒読み(カウントダウン)そのものだった。


「ハルト様ッ! 負けないでください……っ!!」


輪廻の、絶叫に近い叫びが背中を叩く。


その瞬間、ハルトの中で「恐怖」が消え、代わって凄まじい「熱」が爆ぜた。


(……そうだ。情けない姿ばかり、見せられるかよ。俺はまだ……こいつに、この世界の続きを見せてやらなきゃいけないんだ!)


ハルトは立ち上がり、残った左手にレメゲトンを握り直す。


その時、魂の底からレメゲトンの声が響いた。


『――小僧! 己の命脈を、ワシらに解き放て!』


「ああ……信じる。レメゲトン、フェンリル! 俺の命を、全部預ける!!」


刹那、世界が静止した。


剣の理、獣の鼓動、そしてハルトの渇望。三つの魂が今、一つとなる。


ゴエティアの装甲から、これまでにないほど激しく灰色の炎が吹き出した。フェンリルが咆哮を上げ、魔力の奔流となってハルトの身体と一体化していく。


ハルトは、光の獣へと変貌したフェンリルの背に飛び乗った。


「駆けろッ、フェンリル!!」


フェンリルが大地を蹴る。もはやそれは移動ではない。空間を跳躍する光の矢だ。


視界が線となり、大気が摩擦熱で発火する。フェンリルが纏う強大な魔導エネルギーが、磁石に引き寄せられるようにレメゲトンの刃へと収束していく。


剣身が眩い銀光を放ち、周囲の空間を「灰」の嵐が包み込む。


アイアン・ジェネラルが、迎撃のために戦鎚を構える。だが、その巨体すら、今のハルトには止まった案山子に過ぎなかった。


「俺たちの命を、一振りの「重さ」に変える……。お前の絶対防御を切り裂いてやる!」


疾走する光の獣。すれ違いざま、ハルトはすべての重心と魂をレメゲトンに乗せ、鋼の首元へと振り抜いた。


「三位一体! アッシュ・トウ・アッシュ— 灰燼騎禍カイジンキカ—!!」


それは、一閃ではなかった。


万物を塵へと還す「灰の嵐」が、物理的な超質量となって叩きつけられる、神の断罪にも似た超斬撃。


バギィィィィィィィンッ!!!


全てを拒絶するはずの「絶対防御」の装甲が、ハルトたちの三位一体となった存在密度の前に、まるで薄氷のように砕け散る。


狼の咆哮と共に刃が通り抜けた瞬間、アイアン・ジェネラルの巨躯は、存在そのものを「否定」されるように内側から崩壊を始めた。


『――馬鹿な……「不変」が、……砕かれる、だと……!?』


絶叫と共に、鈍色の巨躯は眩い銀の灰へと分解され、消滅した。


夕暮れの河川敷に舞い散るのは、もはや鋼の欠片ですらない。かつて死神だったものの、虚しい塵だけだった。


静寂が戻る。


ハルトはフェンリルの背から降り、よろめきながらも剣を下ろした。


「ハルト様……!」


駆け寄ってきた輪廻を、ハルトは残った左手でしっかりと受け止める。


その温もりが、冷たくなっていたハルトの魂を再び人間へと引き戻した。


『――見事じゃ。……小僧、その覚悟、生涯忘れるなよ。……随分と無理をさせたが、今の貴様なら、この理を御せるかもしれんな』


脳内で響くレメゲトンの、老騎士らしい誇らしげな声。ハルトは静かに頷き、夕闇に染まる帰り道を一歩ずつ踏み出した。

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