陽だまりのショッパー、鋼殻の執行者(中編)
極彩色の光が踊るフードコート。そこは、甘いクレープの香りと子供たちの無邪気な笑い声に満ちた、平穏の象徴だった。
一方、その数十メートル真下。
無機質なコンクリートの底では、死神の吐息のような冷気が支配する「闇」が渦巻いていた。
衝撃波が、地下駐車場の静寂を物理的に粉砕した。
「――がはっ……!」
ハルトは肺の中の空気を強制的に吐き出され、背後にある支柱に釘付けにされていた。視界が火花を散らすように点滅し、全身を覆う『ゴエティア』の装甲が激しく軋む。
目の前では、鈍色の巨躯――『鋼殻の将』が、その巨大な戦鎚を軽々と肩に担ぎ直していた。
(何なんだ、こいつの硬さは……!)
ハルトは震える手でレメゲトンを握り直し、無理やり身体を剥がすように立ち上がった。必殺の【アッシュ・トウ・アッシュ】。因果を断ち切り、万物を灰へと還すはずの灰の光は、奴の装甲に触れた瞬間に「無」へと帰した。
それは防御というより、無効化。
こちらの攻撃をまるで受け付けない。
『――不毛な。我が鋼殻はあらゆる干渉を許さぬ。貴様では勝てぬ』
鋼殻の将が再び地を蹴る。
その巨体からは想像もつかない瞬発力。重戦車が音速で突っ込んでくるような圧迫感が、地下空間の酸素を奪う。ハルトは反射的に剣を横に払い、受け流そうとするが、接触した瞬間に絶望が脳を焼いた。
(受けれない……なんて重さだ……!)
ドォォォォォォンッ!!
いなすことも、受け流すことも許されない。
ダンプカーがぶつけられたような圧倒的な質量が、逃げ道を塞いでハルトの全身を叩き潰す。床がクモの巣状に砕け、ハルトは再び後方へと弾き飛ばされた。装甲に亀裂が入る。位階を上げ、代償を抑え込み、ようやく手に入れたはずの力が、目の前の無機質な鉄塊によって無残に否定されていく。
地上、喧騒の中。
色とりどりのトッピングが並ぶフードコートで、響花と輪廻はクレープを手にしていた。
「……ハルト、遅すぎるわ。お茶を取りに行くのに、何分かかってんのよ」
響花が不機嫌そうに呟いた瞬間だった。
足元から、地鳴りのような「振動」が伝わってきた。金属が衝突し合う、不吉で重厚な音。周囲の客たちが「地震?」と顔を見合わせる中、響花の表情が瞬時に戦士のものへと変わる。
「……っ!? 輪廻ちゃん、車へ行くわよ!」
「響花さん!? あ、はいっ!」
響花の直感が叫んでいた。ハルトが、あの血と鉄の臭いに満ちた「裏側」に再び引きずり込まれているのだと。
地下駐車場。
ハルトは、もはや防戦一方だった。
鋼殻の将の攻撃は、一撃一撃が文字通りの致命傷。回避しても余波で装甲が削られ、受ければ骨が砕ける。
『終焉だ、魔導騎士』
巨大な戦鎚が、ハルトの頭上から死神の鎌となって振り下ろされる。
(……これは……やばい!)
ハルトがダメージを覚悟し、奥歯を噛み締めたその刹那。
「――あんた、何してんのよッ!!」
乾いた破裂音が地下空間を支配した。
響花が愛用のホルスターから抜き放ったのは、対魔専用ハンドガンだった。
ガァァンッ! ガァァンッ!
超硬質の銀の弾が戦鎚の側面に激突し、激しい火花を散らす。ダメージを無効化する鋼であっても、物理的な「衝撃のベクトル」までは完全には消せない。わずかに軌道がずれた戦鎚が、ハルトの横の床を爆散させた。
「響花……!」
「ボサっとしてんじゃないわよ! 死ぬ気!?」
響花はハンドガンを構えたまま、流れるような動作でハルトの腕を掴み、自分たちの車の後部座席へと放り込んだ。
「輪廻、後ろに! ハルトを支えてて!」
「わ、分かりましたっ!」
パニック状態の輪廻をハルトの隣に押し込み、響花が運転席に飛び乗る。彼女はヒールでアクセルを床まで踏み込み、エンジンを狂ったように咆哮させた。
『逃がすか、鍵と魔導騎士よ……』
鋼殻の将が、逃走を許さじと戦鎚を再び振り上げる。
「行かせるわけないでしょ! この、スクラップ野郎!」
響花は片手でハンドルを切りながら、逃走用煙幕を投げつけた。地下空間を不透明な白が埋め尽くす。
タイヤがアスファルトを焼き、車体は矢となってスロープを駆け上がった。バックミラーの中で、煙を突き抜けて追ってこようとする鈍色の巨像が、次第に遠ざかっていく。
地上へ飛び出した車は、夕暮れに染まり始めた街を疾走した。
車内には、激しい呼吸音と、焼けたゴムの匂いだけが充満していた。
「……ハルト、あんた大丈夫なの!? その傷……」
ハンドルを握る響花が、バックミラー越しにハルトを睨む。その声は怒りに満ちていたが、ハンドルを握る指先は小刻みに震えていた。
ハルトの装甲は既に解除されていたが、その下のシャツは血に染まっていた。
「……ああ、なんとか。……助かったよ、響花」
「当たり前でしょ。あんたがいなくなったら……誰が輪廻ちゃん守るのよ」
響花は毒づきながらも、アクセルを踏む足に力を込める。
「ハルト様……ハルト様……っ」
後部座席でハルトの身体を抱きしめるように支えながら、輪廻が堪えきれずに嗚咽を漏らす。
平穏な日常は、たった数分で粉々に壊された。
『アッシュ・トウ・アッシュ』すら受け付けない、絶対不変の敵。
ハルトは窓の外を流れる極彩色の街並みを、虚ろな目で見つめていた。
あの鋼鉄の怪物は、必ず追ってくる。
次に相まみえる時、自分にはあいつの「不変」を貫く手段があるのか。
(……もっと、強くならなきゃいけない。代償に喰われる前に、あいつを倒すだけの……「力」が要る)
灰の痣が、ハルトの肌を冷たく締め付ける。
地下から這い上がってきた絶望の余韻は、加速する三人の影にべったりと張り付いたまま、離れようとはしなかった。




