長雨の終わる刻、鋼鉄の凱歌(後編)
「……ガ、アアアアアアッ!?」
手を伸ばし、それを掴んだ瞬間に走ったのは、激痛だった。
右腕から全身へ、心臓を直接握り潰されるような衝撃が駆け抜ける。
だが、ハルトの手には、確かな「重み」が落ちていた。
「なんだ、これ……!?」
握りしめていたのは、鉄の塊のような黒刃の大剣。刃は鈍く、周囲の光をすべて吸い込むように暗い。ただ、圧倒的な質量と「意思」だけがそこに存在していた。
『……掴んだか』
頭蓋の奥に直接響く、枯れた老兵のような声。
「……誰だ……!」
『我が名は、魔導剣レメゲトン』
声に昂りはない。幾千の命が灰になるのを見届けてきた者の、乾いた響き。
『時間がない。契約するか、死ぬかだ。代償は、お前の残りの寿命だ』
「寿命……?」
背後で、少女の息が震える音がした。
彼女の絶望を塗り潰せるなら、未来なんて不確かなもの、安い買い物だ。
「……守れるなら、くれてやるッ!!」
ハルトの叫びに応じるように、黒刃の鍔に「鍵穴」が浮かび上がる。
同時に、ハルトのポケットが焼けるように熱くなった。
取り出したのは、見覚えのない銀色の鍵。
迷わず、鍵を差し込み、回す。
――ガキンッ!!
重い金属音と共に、ハルトの胸から「未来」が噴き出した。
熱ではない。時間が削れる痛み。未来が、灰になって舞う喪失感。
『耐えろ。騎士は、己の命を燃やしてこそ立つものだ』
灰が肌に吸着し、鋼鉄へと変質していく。
侵食。
骨の奥まで、魔界の鋼が食い込む。
灰の炎が収まった時、そこには――。
燻し銀の甲冑を纏い、兜の奥で紅い瞳を灯した騎士が立っていた。
『契約完了。魔導騎士ゴエティア』
「……これが、俺の力……」
一歩踏み出す。
フルプレートアーマーの重みを感じる。
だが、未来が削れた分だけ、体に力が湧く。
魔獣が咆哮を上げ、突進してくる。
ハルトは黒刃を無造作に一閃した。
灰色の炎が走る。
触れた瞬間、魔獣の巨大な腕が、腐った木切れのように静かに崩れ落ちた。
血は流れない。ただ、灰へと還っていく。
「……終わりだ」
魔獣が狂乱し、最後の突撃を仕掛けてくる。
背後で少女が自分を呼ぶ声がした。
ハルトは静かに剣を掲げる。
『奥義は重いぞ。さらに命を削ることになる』
「当たり前だろ。……守ってみせる!」
ハルトの意志に従い、大剣から灰の炎が爆ぜる。
魂を直接掴まれ、削り取られる感覚。
「――アッシュ・トウ・アッシュ!!」
振り下ろされた一撃。
音が消えた。
魔獣は、断末魔さえ上げられぬまま、静かに、塵となって夜の雨に溶けていった。
沈黙。
雨音だけが戻る。
直後、ハルトの膝が激しく砕けた。
鎧にひびが走り、兜の間から漏れたハルトの左頬は、すでに一部が灰色に変色し、感覚を失っている。
『代償だ。それが命を燃やした報いだ』
「……知ってるよ」
ハルトは変身を解き、泥だらけの地面に這いつくばった。
視界の端で、巫女装束の少女――輪廻が、涙を溢れさせながら駆け寄ってくるのが見える。
「怪我、ないか?」
少女は言葉にならず、ただ何度も首を振った。
その様子を見て、ハルトはようやく、灰色の痛みの中で微かに微笑んだ。
「……なら、上出来だ」
雨が、彼の肌に付着した灰を無情に洗い流していく。
こうして、寿命を灰に変える騎士の戦いが、幕を開けた。
すべてを灰に変えてでも、守りたいもののために。




