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鴉の慟哭、獣の残響(前編)

遊園地での決戦は、ハルトの勝利という形で幕を閉じた。しかし、代償はあまりにも重い。ハルトの身体を蝕む「灰化」の進行、そして突如として現れた西園寺レイジという強大な敵の影。


ハルトが深い眠りの中で、輪廻の献身的な看病を受けている頃。

響花は一人、夜明け前の静寂の中にいた。



霧が立ち込める奥多摩の山道。

湿った土と、腐りかけた落葉の匂いが鼻を突く。


響花は、対魔機関から支給された最新鋭の重火器、**対魔銃『カラス』**の感触を確かめていた。冷たく、無機質な鋼の重み。それは、今の彼女にとって唯一、自分をこの現実に繋ぎ止めてくれる錨のようだった。


(……ハルトは灰化と戦っている。私も負けていられない)


響花の胸中には、複雑な感情が渦巻いている。

輪廻への嫉妬、ハルトへの想い。だが、それ以上に彼女を突き動かしているのは、対魔機関のエージェントとしての強い責任感だ。ハルトが前線で戦えない今、この街の「裏側」を守れるのは自分しかいない。


「……始めるわよ」


響花はボルトを一度引き、薬室に銀の弾丸を送り込んだ。カチリ、という硬質な音が、霧の中に溶けていく。


今回の任務は、山岳地帯における特定外来魔物「寄生種」の調査と駆除。

通常、魔物は「ゲート」と呼ばれる空間の歪みから現世に現れる。しかし、今回のターゲットにはそれが一切見られない。どこから、どうやってこの山へ侵入したのか。その経路が不明であるという事実が、対魔機関の専門家たちを困惑させていた。


「侵入経路が不明、ね……。まるで、最初からこの山にいたみたいじゃない」


響花は独り言をこぼしながら、さらに奥へと足を踏み入れた。


道なき道を進む彼女の視界に、異様な光景が飛び込んでくる。

立ち並ぶ巨木には、何かに削り取られたような深い爪痕が刻まれ、その表面は銀色の不気味な粘液で覆われていた。その粘液は、月明かりを反射して、まるで生きているかのように微かに脈動している。


ふと足元を見ると、一頭の鹿が横たわっていた。

死後数時間は経過しているはずだが、死体は腐敗するどころか、筋肉組織が肥大化し、あちこちから銀色の触手が突き出している。


「……気持ち悪い。ただの魔物じゃないわね、これ」


響花は『鴉』のスコープを覗き込み、周囲の気配を探った。


その時、風の音が止まった。

深い霧の向こう側から、ズルリ、ズルリと、重い肉体を引きずるような音が聞こえてくる。


「――いた」


霧の裂け目から現れたのは、見るも無惨な不定形の肉塊だった。

それは、生命への冒涜を体現したような姿をしていた。剥き出しの赤い筋肉組織が波打ち、その隙間から無数の銀色の触手が、獲物を探る触覚のように蠢いている。骨格も顔もない。ただ、中心部にある巨大な紅い一点――「核」だけが、冷酷な光を放っていた。


魔物は響花の存在に気づくと、触手を鞭のようにしならせて、周囲の地面を激しく叩いた。土煙が舞い上がり、次の瞬間、その肉塊は信じられない速度で跳躍した。


「速いッ!」


響花は反射的に横へ転がり、間一髪で魔物の突進をかわした。

着地と同時に銃を構え、魔物の核を狙い撃つ。


ドォォン!!

『鴉』から放たれた大口径の銀弾が、魔物の側面の肉を吹き飛ばした。


だが、魔物は痛みを感じている様子もなく、瞬時に失われた肉を再生させると、今度は粘液を弾丸のように飛ばしてきた。


「しつこいわね……!」


響花は木々の間を縫うように走り、機動力を活かして魔物を翻弄する。

対魔機関で叩き込まれた実戦格闘技術と、天性の勘。彼女はただの銃使いではない。空間を把握し、敵の死角へと滑り込む、生粋の「狩人」だ。


数分にわたる激しい攻防。

響花は冷静に魔物の動きを観察し、ある確信を得ていた。


(あの触手……寄生先を探してるのね。今の不定形の状態なら、核を直接叩けば終わる!)


響花は、あえて魔物の真正面に姿を晒した。

囮だ。魔物が大きく触手を振り上げ、トドメの一撃を放とうとしたその瞬間、彼女は『鴉』のトリガーを絞った。


「これで終わりよ!」


銀の弾丸が、吸い込まれるように魔物の「核」へと向かう。

勝負は決まった、誰もがそう確信した時。


霧の向こうから、一人の男がフラフラと姿を現した。


「……助け、て……」


それは、数日前から消息を絶っていた対魔機関の先行調査員だった。

だが、その姿はあまりにも無惨だった。顔の半分は銀色の粘液に覆われ、皮膚の下を何かが這い回るように脈動している。男は響花に向かって手を伸ばし、絶望に満ちた声を漏らした。


「しまっ――」


魔物は、響花の弾丸が着弾する直前、その男を盾にするように軌道を変えた。

男の肩を銀弾が掠める。響花は咄嗟に射撃を中断し、男へと駆け寄った。


「しっかりして! 今助けるから!」


「逃げ、ろ……。そいつ、は……『意識』を……」


男が言い切る前に、魔物の触手が男の背後から伸び、彼を包み込もうとした。

響花は男を突き飛ばし、自らが盾となって触手を『鴉』の銃身で受け止める。


ギギギ……ッ!

金属と肉塊が擦れ合い、火花が散る。魔物は響花の強い生命力に惹かれたのか、あるいは「盾」としての価値を失った調査員を見捨てたのか、突然その触手を解いた。


そして、嘲笑うかのように、そのまま背後の崖――深い谷底へと自らを投げ出したのだ。


「待ちなさいッ!」


響花が崖の縁へ駆け寄ったときには、すでに遅かった。

谷底。そこには、縄張りを侵されたことに憤怒し、天を仰いで咆哮する一頭の巨大なツキノワグマがいた。


魔物の肉塊は、空中から正確にその熊の背中へと着地した。

銀色の粘液が、瞬く間に熊の毛皮を侵食し、毛穴という毛穴から血管のような触手が突き刺さっていく。


「グォォォォォォォォォッ!!」


断末魔のような叫びが、夜の山々に木霊する。

熊の肉体はみるみるうちに膨張し、背中からは血に濡れた銀の棘が、まるで凶悪な鎧のように突き出した。かつての野生の王は、その自我を寄生種に喰い破られ、最悪の変異体キメラへと変貌を遂げた。


「……最悪。しくじった……」


響花は苦渋に満ちた表情で、残された調査員を安全な岩陰へ運ぶと、再び『鴉』を構え直した。

眼下の谷底では、紅く光る瞳を持った魔獣が、冷酷な知性を持って響花を見上げている。


霧が完全に晴れ、満月がその殺戮兵器を青白く照らし出す。


「……行くわよ、鴉。ハルトがいない間、私がこの街の『不純物』を掃除しなきゃならないんだから」


響花は薄く笑い、引き金に指をかけた。

孤独な夜の狩りは、ここからが本番だ。

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