虚無は、君を覚えている — 灰になる前に — 終幕
静寂が、戦場を支配していた。
魔導騎士アガレスは消えた。
その証のように、魔導剣ウァッサゴだけが地に突き刺さり、かすかに震えている。
魔軍は動かない。
いや――動けない。
黄金の騎士。
ゴエティア・オーバーロード。
俺が放つ魔圧が、戦場そのものを押し潰していた。
だが、それすらも。
“終わりの前触れ”に過ぎなかった。
「……見事だ」
低い声が響く。
魔軍の最奥。
魔人王バエルが、ゆっくりと歩み寄る。
ただ、それだけの動作で。
空気が凍りついた。
大地が軋む。
空が沈む。
存在そのものが、世界を圧迫している。
「灰から蘇り、理を掴むか」
バエルの瞳が俺を射抜く。
「素晴らしい力だ」
感情はない。
だが、その言葉には確かな“評価”があった。
俺はレメゲトンを構える。
「……だからどうした」
黄金の瞳で睨み返す。
「終わらせる。それだけだ」
バエルは、わずかに笑った。
次の瞬間。
空間が“開いた”。
背後に展開される巨大な術式。
幾重にも重なる紋様。
無数の文字。
それは――
虚無そのものを、この世界に縛りつける術式。
「これは終焉だ」
バエルが手を掲げる。
中心に、闇が生まれる。
黒ではない。
“存在しない色”。
見ているだけで、認識が削られる。
「消えろ」
振り下ろされた。
次の瞬間。
それは放たれていた。
空間を押し潰しながら迫る、圧縮された死。
触れたものはすべてが破壊される。
「――っ!!」
回避しようとした。
だが。
動けない。
空間ごと凍りついている。
逃げ場はない。
直撃する。
『任セロ』
声が響く。
グリードキー。
俺の中で、強欲が脈動する。
失うことを拒絶する意志。
すべてを奪い返す執念。
「……来い」
逃げない。
俺は、剣を下ろした。
受ける。
真正面から。
ドォォォォォォォンッ!!!
衝撃。
爆発。
世界が砕けた。
黄金の光が、闇に飲み込まれていく。
音が消える。
意識が沈む。
それでも――
離さない。
奪われない。
すべてを、掴む。
喰らう。
飲み込む。
強欲のままに。
そして。
静寂。
「……終わりか」
バエルが呟く。
「所詮は人間」
その時だった。
「それは、どうかな」
声。
闇の中から。
煙が晴れる。
そこに立っていたのは――
俺だった。
無傷のまま。
黄金の鎧を纏って。
「な……に……」
バエルの顔が歪む。
初めての動揺。
「全部、もらった」
俺は一歩踏み出す。
身体の奥で、力が軋む。
限界だ。
わかっている。
だが――
これで終わる。
『小僧、時間がない』
レメゲトンの声。
鎧が明滅する。
崩壊が始まっている。
「十分だ」
剣を掲げる。
黄金が収束する。
そして――
灰。
俺の原点。
すべてを失ったあの力。
それが、今の力と融合する。
灰が舞う。
世界が静かに沈む。
後方。
輪廻が見える。
祈るように、こちらを見ている。
涙を浮かべて。
「輪廻」
声が届く。
「約束する」
息を吸う。
「これで終わらせる」
「……はい!」
その一言で。
すべてが繋がった。
俺の中の力が、完成する。
灰が剣に集まる。
静かに。
圧倒的に。
「終わりだ」
バエルを見る。
「灰に還れ」
振り下ろす。
「――アッシュ・トゥ・アッシュ!」
音はなかった。
光もなかった。
ただ――
灰が、舞った。
嵐のように。
優しく。
だが、逃がさない。
「な……なんだ……これは……」
バエルが後退する。
灰が触れる。
装甲が崩れる。
翼が崩れる。
存在が崩れる。
「やめろ……!」
叫び。
だが、止まらない。
「我が理が……消えていく……!」
灰はすべてを呑み込む。
怨嗟も。
力も。
存在そのものも。
「馬鹿な……この私が……」
最後の言葉。
そして。
消えた。
完全に。
静寂。
嵐が止む。
そこには、何も残っていなかった。
魔人も。
魔獣も。
すべてが、灰になって消えた。
残ったのは――
人間だけ。
仲間たちの声が聞こえる。
歓声。
安堵。
涙。
俺は、剣を下ろす。
同時に。
鎧が崩れた。
黄金が剥がれ落ちる。
灰が混じる。
身体が軋む。
それでも。
歩く。
一歩。
また一歩。
輪廻のもとへ。
「……待たせた」
視界が揺れる。
だが。
笑う。
彼女の前で。
「もう、大丈夫だ」
輪廻が、泣きながら笑う。
その瞬間。
すべてが報われた気がした。
夢の国は、静かに光を取り戻していく。
戦いは終わった。
灰は、灰へ。
塵は、塵へ。
だが――
残ったものがある。
それは。
奪われなかったもの。
守り抜いたもの。
絆。
そして――
生きるという、意志だった。




