約束の果ては、あまりにも脆く(前編①)
それは、音だった。
あまりにも小さく、
あまりにも残酷な――終わりの音。
ぱきり。
乾いた音が、世界のどこかで鳴った。
その瞬間、視界の端から色が剥がれ落ちていく。
夢の国のパステルカラー。
楽しげな音楽。
夜空を照らしていた光。
すべてが、灰色へと沈んでいく。
「ハルト、逃げて!」
喉が裂ける。
「もういい!!もう戦わなくていい!!」
私の声は、魔力の暴風に飲み込まれて消えた。
目の前にあるのは――
ただ一つの背中。
銀灰色の装甲。
魔導騎士ゴエティア。
ハルト。
彼は、私を庇うように立っていた。
けれど、その姿はもう、かつての英雄のそれではなかった。
禁忌の力。
魔導騎士の限界を超えた魔力。
その代償。
「灰化」
彼の体は、すでに人の肉体ではない。
鎧の隙間から、灰が零れている。
腕が。
肩が。
体の輪郭そのものが、砂の城のように崩れ始めていた。
そこに、痛みはない。
悲鳴もない。
ただ、存在が少しずつ削れていくだけ。
それが、あまりにも残酷だった。
――その時。
アガレスが剣を振るった。
空間が軋む。
不可視の重圧が、ゴエティアの身体を叩いた。
ぱきり。
また音がした。
次の瞬間。
彼の体が砕けた。
切断ではない。
破壊でもない。
まるで燃え尽きた紙のように。
装甲ごと、腕が灰になって崩れた。
無数の灰の粒が夜空に舞う。
「…………っ!」
私は息を呑んだ。
けれどハルトは叫ばない。
苦しみもしない。
ただ、体の一部が消えただけのように静かだった。
それが、余計に恐ろしかった。
腕を失った体がよろめく。
それでも。
彼は退かない。
片膝をつきながらも、私の前に立ち続けていた。
その視線の先には――
怪物。
魔導騎士アガレス。
黒い魔力が炎のように噴き上がる。
世界の密度そのものが歪んでいた。
剣が掲げられる。
魔力が収束する。
空間が震える。
それは、世界を沈める一撃だった。
その背後。
私は見てしまった。
レイジくん。
魔導騎士アスタロト。
彼はすでに地面に倒れていた。
変身は解除され、血にまみれ、動かない。
もう、この場に。
アガレスを止める者はいない。
絶望が完成していた。
(どうして……)
胸が痛い。
(どうして、あなたはいつも……)
涙が溢れる。
(私のために、全部を失おうとするの……)
思い出す。
あの日の約束。
まだ戦いなんて知らなかった頃。
ハルトが笑いながら言った言葉。
あの声。
あの笑顔。
「俺が何度だって助けてやる」
その誓いを守るために。
彼は今。
自分の魂さえ灰に変えている。
「輪廻……ごめん……」
掠れた声。
振り返ったバイザーの奥。
ほんのわずかに見えた口元から。
灰混じりの血が零れ落ちた。
それでも。
彼は剣を握る。
残った左手で。
震える腕で。
体の半分が灰になりながら。
それでも。
私を守ろうとしている。
アガレスの剣が振り下ろされる。
世界を断つ一撃。
絶望そのものの奔流。
それが、ハルトへ迫る。
世界が、白く染まる。
光の中。
私は見た。
ハルトが微笑んでいた。
優しく。
いつものように。
悲しいほど穏やかに。
私は手を伸ばした。
あと少し。
あと少しで届く。
彼の頬に。
でも――
触れる寸前。
ハルトという存在を繋ぎ止めていたすべてが、崩れた。
さらり。
灰が舞う。
彼の体が。
声が。
温もりが。
全部。
灰になった。
私の指先に残ったのは。
温もりじゃない。
ただ。
風に舞う。
冷たい灰。
それだけだった。
これは。
まだ訪れていない未来。
けれど――
遠くない未来。
私が最愛の人を失う、その瞬間の記憶。
そして。
世界が静かに終わりを告げる、
始まりの記憶。




