白衣の乙女(!?)は恋のキューピット ——迷える子羊と鉄の味——(後編①)
あらあら。これはいよいよ、お肌のゴールデンタイムを前に年貢の納め時かしらね。
月明かりさえも拒絶するような、不気味に蠢く児童公園。私の全身を締め上げるこの蔦といったら、冷たくて、ベタついて、おまけに安物の香水より鼻に付く青臭い匂い。医師としての衛生観念も、一人のオネェとしての美学も、さっきから「不潔よ! サイテーよ!」って悲鳴を上げっぱなしだわ。
「……あ、……ぁ……」
視線の先では、人質の女性がいよいよ魔獣の巨大な捕食袋……あの、毒々しいラフレシアのような「口」へと吸い込まれようとしている。
隣を見れば、響花もカレンも、普段の威勢はどこへやら。蔦の毒素のせいか、あんなに血色の良かった頬も今は青白く、呼吸を乱しているわ。
最強のライバル同士が揃ってこんな「緊縛プレイ」の餌食になるなんて、後でどんな顔をしてハルトくんに会うつもりかしら……なんて、そんな余裕をぶっこいていられるのも、あと数秒の話ね。
絶体絶命。私のメスも、彼女たちの剣も銃も、この異常な再生能力の前では無力だった。
魔獣の汚らわしい粘液が、いよいよ人質の喉元を濡らそうとした、その瞬間。――キンッ、と。夜の重苦しい空気を切り裂く、凍てつくような高周波の音が響いたわ。
「……見苦しいね。特務機関の精鋭が、揃いも揃って植物の肥料になろうとしているなんて。君たちの教育係は、よほど無能なんだろう?」
冷徹で、どこか傲慢な響きを持った少年の声。
闇の中から現れたのは、漆黒のコートを翻す黒髪の少年――レイジくんだったわ。でも、今日の彼は「生意気なイケメン」の顔じゃなかった。
彼の影が、銀色に輝くスライムのような不定形の塊を吐き出す。それこそが、彼の半身とも言える魔導獣**『グレモリオン』**。その銀色の塊は、瞬時に質量を増し、驚くべき変貌を遂げたの。
レイジくん自身も、瞬時にその身に禍々しくも美しい武装を纏っていたわ。それは、魔導騎士アスタロトの鎧。炎を宿したような赤い輝きと、深淵のような黒。一振りの巨大な魔導剣を構えたその姿は、まさに絶望を切り裂くために降臨した暗黒の騎士そのものね。
驚くべきは、その隣よ。銀色の不定形だったグレモリオンが、主であるレイジくんの姿を写し取り、もう一人の「アスタロト」へと姿を変えたの。
「掃討するよ。グレモリオン」
レイジくんの低く短い号令。二人の魔導騎士が、同時に地を蹴ったわ。
それはもう、目にも留まらぬ速さ。アスタロトの鎧から放たれる圧倒的な威圧感だけで、私を縛っていた蔦が、恐怖に震えるように萎えていくのがわかった。
「……ッ!? アスタロトが二人……?」
地面に転がり落ち、自由を取り戻した響花が息を呑む。カレンもまた、蔦の呪縛から解放され、呆然とその戦いを見つめていたわ。
グレモリオンが写し身となったアスタロトの姿で、人質を捕らえていた巨大な茎を噛みちぎるように両断。瞬時に女性を救出し、優しく安全な場所へと運び去る。
そして、本体であるレイジくん――アスタロトが、逃げようと蠢く魔獣の「核」へと肉薄した。
「逃がさないよ。……僕の散歩の邪魔をした罪は、その命で償ってもらう」
レイジくんは、魔導剣**『ラプラス』**を静かに、かつ深く構えたわ。
魔導騎士の参入を悟った植物魔獣が、必死に無数の蔦を盾にしようと壁を作る。でも、アスタロトの放つ冷気と熱を同時に孕んだオーラの前では、そんな盾は紙細工も同然だった。
「終焉だ。……ブラッド・レクイエム(血の鎮魂歌)」
一閃。夜の闇を、血のように紅い三日月が走り抜けたわ。
それは、ただの斬撃じゃない。対象の細胞一つ一つに斬撃を刻み込み、再生のサイクルそのものを強引に停止させる「死の刻印」。
魔獣は断末魔の叫びを上げる暇さえ与えられず、紅い閃光に包まれて、細胞の端から消滅していった。あんなに私たちを苦しめた再生能力が、まるで作画ミスだったかのように、呆気なく、そして美しく塵へと還っていく。
戦闘が終わると、レイジくんは静かに魔導騎士の鎧を解除したわ。元の黒髪の青年に戻った彼は、何事もなかったかのようにコートの襟を正し、こちらを冷めた目で見下ろしてくる。
「……助かったわ、レイジくん。見事な腕前ね。惚れ直すとこだったわよ」
私が歩み寄ると、彼はふんと鼻で笑ったわ。
「……ふん。これで以前、僕の治療にあたった際の借りは返したよ。神宮寺先生の腕は買っているけれど、護衛対象としては手がかかりすぎる。……それに、」
彼は視線を、まだ地面に座り込んでいた響花の方へと向けた。
「……何をやっているんだい、君たちは。揃いも揃って醜態を晒して。品性まで魔獣に吸い取られたのかな?」
「……っ、う、うるさいわね! 油断しただけよ! あんたに言われなくても、あんなの私一人でなんとかなったんだから!」
響花が顔を真っ赤にして立ち上がるけれど、声が震えているのがバレバレよ。
「別に、助けてなんて一言も言ってないわよ? 私も本気を出そうとしたところだったわ」
カレンも負けじと、落ちていたブレードを拾いながら優雅に皮肉を飛ばすけれど、その瞳には隠しきれない驚嘆が宿っている。
「はー、やれやれ。これだから品がない女性は……。素直に感謝もできないのかい」
レイジくんは呆れたように肩をすくめると、踵を返そうとしたの。
でも、その時。「……レイジ」響花が、いつになく消え入りそうな声で、彼の背中に呼びかけたわ。
「……何かな? まだ言い訳が足りないのかい?」
「…………。……助かったわ。ありがとう」
彼女にしてみれば、年下の、しかも生意気なレイジにお礼を言うなんて、苦い薬を飲むより嫌だったに違いないわ。でも、曲がったことが大嫌いな彼女にとって、命の恩人に礼を欠くことはできなかったんでしょうね。
「…………っ」
あらあら! 見たかしら今の? あの不遜で、誰に対しても傲岸不敵な態度を崩さないレイジくんが、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をして固まったわよ。
「…………いつになく素直だね。……調子が狂うよ、君らしくもない。どこか頭でも打ったのかい?」
「なっ……! せっかくお礼を言ってあげたのに、一言多いのよ! やっぱりあんたなんて大嫌い!」
響花が再び怒鳴るけれど、それはあくまで「いつもの生意気なレイジ」に対する反射的な苛立ち。彼女の頭の中はまだ、この後のハルトくんへの報告と、どうやって汚れた服を着替えるかでいっぱいみたいね。
「ははっ。……よく言われるよ。全く、君は面白いな。その真っ直ぐなところだけは、評価してあげてもいい」
レイジくんが、ふっと柔らかく笑ったの。
それは響花を舐めきった傲慢な笑みではない。一人の女性の反応を純粋に楽しんでいる、十九歳の青年らしい顔。
「何よ! どういう意味よ、それ!」
食ってかかる響花と、それを軽くいなすレイジくん。そのやり取りを見守りながら、私の中の「オネェのレーダー」が、かつてないほど激しい反応を示したわ。
(あらあら……。これは傑作ね。響花ちゃんは相変わらずハルトくん一直線で、レイジくんのことなんて「生意気なガキ」としか思ってないみたいだけど……。レイジくん、あなた……その視線、もう隠せてないわよ?)
救われた側の響花は一ミリも意識していないけれど、救った側の青年は、明らかに彼女を意識している。ハルトくんを巡るライバル同士だと思っていたけれど、どうやらこの戦場には、本人の知らないところで新しい「恋の矢印」が乱入してきたみたいね。
さあ、恋の戦線はますます泥沼……じゃなくて、華やかになってきたわ!




