嵐に乗りて歩むもの
……………
或人はまたしてもいつの間にか、嵐と霧の立ち込める場所に立っていた。
そして、そこには五体の影が例によってたたずんでいる。
――また、ここか……。ここは一体……。いや、それよりも……。
或人が対応する間もなく、影たちは彼の身体に触れ、次々と消え去ってゆく。そして彼に『夢』を見せる。
―――――
こんな、夢を見た。
俺が大学へ合格したことで家を離れることになった時のこと。
引っ越しの荷物をまとめているときに、妹が俺の後ろに立っていた。
あいつは何も言わず、ジッと俺を見ていた。
俺が振り返って話しかけても、何も言わない。
ただ、あいつはジッと俺を見ていた。
「どうしたんだ? 何か、あったのか?」
返事は無い。
「黙っていても、わからないよ」
返事は無い。
「もう、荷造りも済むから」
その時、ようやっと返事が来た。
「いつ」
妹は俺を見て言った。
「いつ、帰ってくるの」
俺は、その返事をしなかった。
いいや、その返事ができなかった。
俺は、逃げるように家を出たのだ。
大学を卒業し、商社に勤め、戦争となって職を失い、軍を志願し、学校で学び、戦地へ向かい、そして俺はそこで死んだ。
帰ることから逃げていた。
帰ることからずっと。
『私を置いて行かないで』
俺は妹を置いて行った。
俺がもう少し親父に殴られていれば、妹はもっと殴られずに済んだだろうか?
『私のことなんて気にも留めていない』
俺は母とあまり話さなかった。
俺がもう少し話してれば、母は俺たちを愛しただろうか?
『俺とは出来が違うんだろう』
俺は父を恐れていた。
俺がもう少し強ければ、父はもっと異なる姿を見せただろうか?
『俺たちを本当は見透かしているんだろう?』
俺は叔父を避けていた。
俺がもう少しマトモに向き合っていれば、叔父は俺を認めただろうか?
俺はもっとやるべきことがあった。
俺はもっと努力すべきだった
俺は恐怖から逃れた。
俺は家族から逃れた。
『お前は逃げた』
『お前は恐怖した』
『お前は目を逸らした』
『お前は手を離した』
『お兄ちゃんは私を見捨てた。私たちを見捨てて、命を使った』
所詮、自己満足。それが俺のすべてだった。
そしてまた俺は過ちを繰り返す。
―――――
或人は気づきかけていた。
この影たちが怪人の内側に生きていた増田太郎とその家族であることを。
影が見せる奇妙な夢は、怪人が視ている世界だということを。
なぜ、それが或人にも視えるのか。感じられるのか。自分事として受け取れるのか。
その答えを彼は内心で悟りかけ、拒んでいた。
――ここは僕の心の内だろうか……?
だとすれば何故、増田さんたちが居るのだろうか?
精神の動きは呪いの力として魔力に作用する、と言った賀茂さんや金剛さんの言葉からすると……。僕の魔力に増田さんたちの呪いの力が共鳴した……?
その思考を打ち切るように、霧の中、嵐の中へ気配が入り込む。
或人はその『敵意ある気配』に警戒し、声を漏らす。
「誰だ……?」
『ズズズズズズズ……』
空気が震えるような重々しい音が響く。
霧の奥に影。
それが映った瞬間、その影から無数の『人間の腕』が現れ、霧をこじ開けるように溢れて、奥から人ひとりが通るための空間を作り出してゆく。
そこから現れたのは『栄光のジュン』。
或人はようやく自分の『見落とし』に気がつく。
戦いの中で常に張り詰めて周囲数百メートルを探る彼の感知に全く掛からなかった存在。最後に見たのは気絶した姿。
見落とせる訳のない強力な存在が感知されなかったこと、そこに気付くべきだった、と彼は後悔していた。
栄光のジュンはその或人を見て、口の端に笑みを浮かべながら語る。
「まずは……。『感謝』するよ。
キミ、『真なる鍵』のおかげでワタシの予知能力と結界術は『次の次元』へと進んだ……!」
そう語る彼の背後より無数の魔術結合が音も無く襲いかかる。その速度は或人の瞳で追いきれず残像さえ残してゆく。
だが、栄光のジュンは、その魔術結合にいちべつもくれず、腕や首を少し動かすだけで避けきる。
そして彼はそのまま話を続ける。
「殺意も害意もない魔術結合……。拳、戦い。
恥ずかしながらワタシは対人戦闘や呪物封印ばかりでそのようなモノを予知する経験がなかった。天災の如きモノへの予知を……。
感知による殺意や害意を受けて真の予知能力を補助することに慣れすぎていたのだ……!
だが、先の『金剛破戒居士』はそれでは対応できなかった。
そしてこの『異世界法則型結界術』……。
通常では考えられない結界術の侵入者対策……。
大いに学ばせてもらったよ」
彼が話す間にも禍々しい呪いを放つ彼の『結界術』が生み出した『腕』がじわりと霧の中を蝕んでゆく。
或人は何が起きているのか分からずに困惑した様子で語る。
「異世界法則型結界術……? この霧が、そう言う術なのか……? これは僕の夢や幻覚じゃない……?」
栄光のジュンはやや意外といった様子でそれを聞くが一人納得した様子で語る。
「フム、どうやら無自覚……。いや『鍵の先に居るもの』が干渉しているだけかナ?
マァいいさ、時間もあるし教えてあげよう。
通常の結界術は単なる防御や隠匿、あるいは内部の魔術結合に効果を付与して、空間内全体に効果を適用するためのモノだ。
だが、術式の中には『空間内情報を直接操作して支配する』モノがある。
それが異世界法則術式。通常は結界術で区切った内部空間の法則を支配する。
物理法則を捻じ曲げたり、特殊法則を強制するようなコトさ」
増えてゆく腕が霧を押しながら、栄光のジュンは軽妙に語る。
「そんなトンデモない術式、当然消費が激しく燃費も悪い。それに制御すること自体がとんでもなく難しい。
だから皆、己の呪いや他者の呪いの力を利用し、空間内を調整する。複数の霊魂による『贄』や複数術者による儀式、術者本人の深層心理にある心象風景を重ねるなど。
だが、キミは……。どうやら『逆』。
果てしないチカラの暴露による『死』を振り撒き、それを受けた人間のタマシイをここに呼び出しているようだね」
或人はその言葉をなんとなく理解する。
いや、今までこの空間で起きたことを思い返し、考えかけては無視していたことを直視しただけである。
彼のこの空間は、彼が死んだ時に放たれる『謎の魔術結合』を受け、その効果によって即死した者の魂が現れる。
それをまとめた一言を栄光のジュンは口にする。
「自らの死によって、他者に死をばら撒き、自らは復活する。
――なんとも恐ろしい術式だ、キミの命に宿命されたモノというのは」
つまり、或人は怪人、増田太郎を自らの手で殺していたのだった。
或人の理解とともに霧が晴れてゆく。
彼が目にしたのは、地面に横たわり、動かなくなった怪人の姿だった。




