鍵たちは引かれ合い
………………
衝撃音は或人の予想より早く鳴り響き、或人は驚くべき情景を目の当たりにした。
目の前に静止する巨顔。
それは直前まで或人へと驚くべきスピードと動きによって迫ってきていた、龍のような怪異のそれである。
その爛々《らんらん》とした黄色の中に幾つものドス黒い血管がはしる瞳は、その瞳孔をカッと見開き、六つすべてがあらぬ方向を向いている。
口内のイボとして蠢く人間の手足は萎びてビクビクと痙攣して力を失っている。
ぬらぬらと生々しく照っていた鮮やかな色の歯茎は死んだように青くなり、人間の形をした歯がそのうえで傾き、今にも崩れようとしていた。
その原因はすべて一つの光景に示される。
奥まで広がる、百メートルほど果てへ見通せるぽっかりと空いた風穴。
中心に佇む、一人の男。
彼はところどころ破れたり焦げたりしている赤と黒で構成された七条袈裟に、大きな赤い薔薇と白い髑髏の刺繍を着けたものを身に纏い、安心感を覚える笑みを浮かべて或人の目の前に立っていた。
彼はニッと笑って言う。
「やぁ、初めまして。或人殿」
その声は低くも柔和で軽やかなトーンを持っていた。聞くものを安心させるような重厚な響きを持った声には敵意や悪意などは一切感じられない。
或人は警戒しながらも口をついて返事をする。
「あ、ど、どうも……」
「拙僧は『金剛破戒居士』。
実存主義者・無神論者・不可知論者の破戒僧だ! 今後ともよろしく!」
「えぇ……?」
全く訳の分からない自己紹介に困惑する或人。
そんな中、彼の背後でモニター頭の森が空へ向け機械音声が発される。
『課長、怨霊の残数は?』
その言葉に上空の課長が返答するより前に、金剛が割り込んで答えた。
「半径1キロ圏内にいたのは『クラビス殿』に任せている。拙僧も少しつまんだが前菜としてはまぁまぁだったぞ。
だがそろそろ『本命』が拙僧らに追いつく。水都殿と或人殿は護送車へ向かうのを暫し待たれよ。
――課長たちは残る敵を蹴散らして護送車へ!」
金剛は次々と指示を送り、課長をはじめとした全員が異議を唱えることなくそれに従って動きはじめる。
或人にはその光景にこの奇妙な僧侶のもつ異様な雰囲気から説得力を覚えていた。
この男には今まで見てきた怪異や超常現象をあやつる人々とは比べ物にならない『圧倒的な力』が満ちていた。
そしてその威圧的な力とは対照的な、柔和さやしなやかさ、鋭さや繊細さなど様々な印象が交錯している。
一言で表しえない混沌とした存在。
今まで見てきたどんな人物よりも掴みがたい異様なものが、この男にはあった。
そしてその異様な雰囲気の根源は、より圧倒的な『力』があらわれることによって明らかとなる。
次の瞬間、白い漢服を着た男が金剛の腕に蹴りを入れている姿が或人の目に飛び込んでくる。
或人は瞬き一つしていなかったのにもかかわらず、その光景は漫画のコマを切り出したかのように唐突に彼の瞳へ映った。
文字通り、破戒僧・金剛とその男の二人は一瞬の間に拳と蹴りをぶつけ合っている。
『ズガァアアアアアアアン!』
二人のぶつかり合いの後、音と突風が遅れてやってきた。或人は風に思わず腕をかざす。
「なん……!」
響き渡る音は肉体のぶつかり合いと言うよりも、巨大な鉛の塊がぶつかり合うような重々しい轟音。
だが、二人の肉体は軽やかに、かつしなやかに躍動する。
蹴りを左腕で受け止めていた金剛は音が鳴る間に右腕を振り下ろし相手の顔面を殴りつける。
相手の男は素早く両腕をクロスして顔に降ろされたその拳を防御したが、表情のこわばりからその衝撃は効いている事がうかがえる。
『ズギャァアアアアアアアアアン!』
爆発音に似た衝撃音がまたしても遅れて風と共に響き渡る。
そのまま白漢服の相手はやや声を震わせて語る。
「金剛破戒居士……! 【日本魔界府】の『特異対策担当』……! 手合わせの機会を逃すわけには行かないね!」
そして金剛は満面の笑みを浮かべ右拳を押しつけつつその言葉に答える。
その笑みは獲物をじっとりと狙う捕食者のような凶悪さを秘めており、或人や仲間に向けられた柔和な笑みとは異なっている。
「栄光のジュン! ――噂に聞く『薔薇の特異』は如何ほどかな?」
彼はその言葉の直後、すぐさま歌のような呪文を唱え始める。
「知らばや成せばや何にとも成りにけり、心の我の身を晒せ。偽り事も空虚なる世には真に成れり。紙も石に、石も鉄に、鉄も鉛に成りにけり、心の我を神と成せ」
その言葉と共に彼の右腕は或人が先ほど感じ取った『言葉の紐』によって覆われ、それを受け止めているジュンがまるでプレス機で押されているかのように地面が割れて下に押しつぶされ始めた。
「クッ……! '爾知悉列誡、勿姦人妻、勿殺人、勿偷、勿妄稱、尊爾父爾母。 '」
ジュンのその呪文は金剛の腕に纏わりつく言葉の紐を徐々に解き、腕をゆっくりと押し返す。それに対抗し金剛は呪文を唱え続ける。
異様な戦いの構図はジュンが金剛の腕を上へ押し出し、一気に突き上げたことで一変。
ジュンはそのまま金剛の腹に重い一撃を素早く入れる。その初速に金剛は対応できない。
『ズガァアアン!』
衝撃の後、激突音が響く。
その時すでにジュンは二発目を打ちこもうと腕を振る。
だが、金剛は既に腹へ一撃を受けた時点で腰を落とし、正拳突きの構えをとっており今まさに腕を振っていた。
一発目から二発目に移行する隙。
わずか一瞬、されど対応することのできない針の穴、音速を越えた動きに差しはさめる絶妙なタイミング。
通常ならば速度でやや負ける金剛の側がそこを狙う動作、彼は未来を見ているように予め自身と相手の動きを『組んでいた』のだ。
「破ァッ!!」
気合入れの如きその叫びよりも一瞬速く、音速を超える正拳がジュンの振り出されかけた拳とぶつかる。
『ドガァァァン!』
爆発の如き衝撃音は爆風のような衝撃波に遅れて響きわたる、その時すでに栄光のジュンは遥か後方へ吹き飛ばされていた。
一発一発の威力において、金剛は相手を圧倒しているのだ。
すぐさま金剛は振り返り、或人のベッドを押す森に指示する。
「今だ、護送車へ走り給え!」
その号令と共に森は地面を統べるような高速移動でベッドを押す。自動車のように加速していくベッドに或人は驚愕しつつも掴まる。
だが、それを遮るかのごとく前方に影が現れる。栄光のジュンだ。
「遅いよ?」
金剛の一撃で離脱したはずの彼はすぐに態勢を立て直し、恐るべき速度で回り込んだのだ。そして彼はその場で音速の『演武』を披露する。
『ババババッ!』
突きと蹴り、緩急に満ちた攻撃を空に放つ流麗な武闘は靭やかに披露される。
その間、彼の足元の地面に『言葉の紐』による『紋章』が広がっていく。それはやがて空間に壁を作り出し、ドーム状に形成されてゆく。
さしもの森も逃れることはできず、その紋章の中に取り込まれた。
彼は一瞬で完成してゆくドームの中、或人と森へ向けニヤリと笑って語る。
「ワタシの『結界』からは逃れられない……! 絶対に! ――さぁ、その『鍵』、『鳥羽或人』を我々に渡すのだ!」
暗いドーム内は無数の人間の腕がドームの外殻や床を覆い尽くし、内部に入った侵入者――つまりは或人たち――へと掴みかかる。
服を、体を、精神を、魂を、その無数の腕は掴む。
或人には直感的に理解る。この腕すべてが侵入者よりすべてのものをこの場所に留め、そしてじっくりと奪い取るのだと。
脅迫的なその理解へ達した或人の瞳に、ドーム上部、無数の手が形成する外殻が暗がりの中ぼんやりと映る場所に、一つの大きな影がぬるりとあらわれた。
それは外殻から伸びる巨大な2本の腕。そして腕の間には白い漢服を着る『栄光のジュン』が浮遊してたたずみ、或人を見下ろしていた。
彼が或人へ手を伸ばすと動きに呼応して巨大な腕も或人へ伸びる。
巨大な掌によって或人はベッドから引き離されるのだ。それを制止しようとする森も、無数の腕に囚われ、身動きが取れない。
巨大なる手は或人をつつみ。とてつもない圧力でつまみ上げる。
或人は奪われるのだ。
しかし。
「――この世に絶対などは無いぞ、栄光のジュン殿」
その声は金剛。瞬間。
『ドガッシャアアァッ!』
無数の手によって閉ざされた外殻をブチ破り、凶悪な笑みをうかべた破戒僧は結界の中へと飛び込んできた。
彼はそのままの勢いで両手を結び、体重をかけて或人たちの目の前の地面、紋章のもとへと振り下ろす。
その手には半透明の言葉の紐がまとわりついている。
『ズゴォォン! ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!』
爆発的衝撃波は地面を大きく凹ませ、周囲を大きく揺るがす地震と共に、形成されつつあった紋章を叩き壊す。
しかし、栄光のジュンもまた冷静沈着。絶対の自信があった自らの結界が崩れたにもかかわらず、すぐさま森と或人目掛けて駆け出し、距離を詰める。
或人の眼前に彼の魔の手が差し迫った。
『バシィィン!』
その手を払うように一枚のカードが飛来し衝撃音を響かせた。




