追跡者
……………
「なんだ……? あれは……?」
或人の目には、異形の変貌をとげた人狼軍人の肉体がはるか後方で膝をつき死んだように動かなくなっているのが見える。
肉体は骨が肉を貫き、白く歪なトゲが繭のような球を腹部に作り出しているのが見える。
その肉体はピクリとも動かない。
或人はしかし、今もなお、追われているような危険な感触を覚えていた。
――なんだ? あの【繭】は?
それに、あの形態……。ずいぶん変身に時間がかかっていた。
僕が二度目に奴と会った、喫茶店裏では賀茂さんの攻撃へ瞬時に変身していたのに、あの形態への変身は魔術の詠唱が必要だった……。
なにか、なにか迫ってる……? なにか、ヤバい……!
或人は脊椎に巨大な氷柱を挿し込まれたかのようにイヤな悪寒と、自分のものとは思えないほどに冷たい汗を感じ取っていた。予感――いや、この場合は【霊感】と言うべきだろう。
彼はただ感覚でその【存在】を感じ取ったのだ。
間髪入れず彼は運転席の松谷へ指示する。
「右へ、ハンドルを切って、全部!」
「何ィッ!? う、うおおおおお!」
一瞬のためらい、だが松谷は或人へ全幅の信頼性をおいて、一気にハンドルを切る。車は一気に右へ回転しUターンするような動きを見せる。
だが、その先は悪路、陥落へと落ちる――
「ハンドルを思いっきり引っ張ってください! 飛びます!」
「お、おおおおっ!?」
松谷が力いっぱいハンドルを自らの方へ引く。
通常ではありえないハンドルの動きながら、可動したハンドルに合わせて車が浮かぶ。
だが、或人の覚える【迫る者】は、その動きに対応したようで、浮遊する車を追跡していた。
――相手の存在を知覚するのが難しい……!
『賀茂瀬里美』さんの見えない式神ほどではないけど、相手は実質的に透明!
式神と同じく攻撃時に魔力を放出するのか?
僕は有馬さんのように【霊】の知識が無い……。一つ一つ検証するしかない……!
或人は走行中であることなど気にせず、車の扉を開け、敵の存在が感じられる方向へ魔力を球状にして切離し、放出。
相手の出方をうかがう。
案の定、相手はそれを知覚し回避を選択したらしく動く感覚が或人に伝わる。
――魔力感知はできる、想定内、そして――
或人は魔力操作を行う。
それは球状に切離した魔力と同時に自分の心体から伸ばしていた『隠匿法』を施した魔力の操作。
その魔力は散弾のように拡散し一帯を制する。それは音も無く、魔力は隠匿されたまま、静かに動作した。
だが、或人だけはその作用を感じ取る。
――見えたっ!
炸裂した魔力弾は『存在』にぶつかる。
そして魔力はそこに付着し、その『存在』を彼へと知らせるのだ。
――僕の『隠匿法』も通用しているようだ……。
それならば……!
或人はおもむろに扉を閉める。
一方、『幽鬼』となった人狼軍人、バルトルト・ホーフェンは自らの霊体を維持するために魔力を激しく消耗し、また、自らの精神を『侵食』する霊魂に抗い精神的にも消耗していた。
――まだだ! まだ、この『幽鬼』の力は引き出せるはずだ……!
『熱い、熱い熱い熱い熱い熱い熱いぃぃいいい!』
『アイツがやったんだ、俺は知らない、アイツだ、俺はやってないんだ! やってないって言ったんだ! 言ったのに聞かないからだ! 聞かないから! 俺の話を聞けぇッ!』
『テケリ、テケリ、テケリ・リ、テケリ・リ』
『とけるよぉお!? とけちゃうよぉ! おかーさーん、おとーさーん、ここは日本だよぉー、熱いよぉー』
うるさい! うるさいっ!
おれは、俺は親衛隊秘匿部隊アーネンエルベのバルトルト、バルトルト・ホーフェン……。
『三月二十日のことだった、私は帰宅途中、野原の中に奇妙な形状の刈り込みがあることが気になった。明らかに幾何学的な模様での刈り込みがなされていたのだ。それは上空から見下ろした時に確認できるような形状だった。その時、暗い空が急激に真昼のような明るさとなった。そして眩い光を発するなにかが空にあった。そして私は、目を覚ますと家に居た。この話を聞いて君はどう思う?』
うるさい! うるさいっ! 俺は……。
『天田四郎、28歳、独身。仕事は卒なく真面目にこなすが、今ひとつ情熱の無い男……』
違う! 俺は親衛隊……。
『熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い』
『とけちゃうよぉ!』
『テケリ、テケリ、テケリ・リ』
『君に聞くんじゃなかった、忘れてくれ』
うるさい! ああ、俺は、いや、まずは、目の前の、奴を、追う……! 俺は、天田? いや、バルトルト……。
バルトルト・ホーフェンは現在、自身の精神を複数人分の霊魂を混合した霊体と接合し、肉体を離脱して追跡を行っていた。
これは圧倒的な隠匿能力と魔術的な強化を与えるが同時に、彼の精神自体が他の霊魂と融合し、元の肉体へ戻らない可能性がある極めて厳しい『代償』があった。
彼は揺らぐ精神のなかでも、自身の精神を魔術的に操作しなんとか目標を達しようとする。
――俺の感知にまだ奴らは掛かっている……!
車だろうがすぐに追いつく!
見えざる攻撃によって為す術なく、死ねぇいッ!
バルトルト・ホーフェンは霊体の腕を伸ばし、魔力を感受できる『車』の後部をきり裂こうと振る。
だが。
『ドガァアアアアアン!!』
――!? なんだ!? 見えない攻撃! 隠匿法か!?
彼が魔力を放出し周囲を完全に感知した。
彼は知る。
或人が彼の身体へ体当たりを敢行していることを。
――バカな!? 車の扉は閉めて……!?
彼の魔力が過ぎ去ってゆく車にかかる。
魔力の上では車は扉が閉まり、穴も無い。
だが、それは魔力だけの見せかけ。
或人は自身の作戦が成功したことに安堵していた。
――やはり、コイツも怪人同様に魔力で視ている!
魔力で穴を塞ぎ、自分は隠匿法を使えば、車の天井をぶち抜いて外に出ても気付かない!
勝機はある!
しかし、彼の首筋へ、霊体の爪が振りかかる。
『さぱっ』
軽い音と共に、彼の首と胴体は離れた。




