呪いと意志
……………
「食らえ、無能者がぁッ!」
人狼の炎のごとく滾る魔力によって熱せられた爪が、或人の身体を引き裂く!
だが、爪が彼の身体に触れると、人狼・バルトルト・ホーフェンは覚る。
『シュワァアアアッ!』
――水蒸気!? これは、冷気! コイツ、私と同じ【態域】の魔力操作を!
しかも技量で勝る私の効果を打ち消す魔力の【量】!
だが、甘い!
「|偉大なる者の毒を与え、矮小なる死を与えよ《Verabreiche diesem hier das Gift der Großen und gewähre ihm einen unbedeutenden Tod.》」
口早なドイツ語の詠唱。
魔術結合は人狼の爪に集まる。
「!」
或人が見た、彼の身体に剥く爪の先、熱がシューシューと音を立てて、彼の魔力操作によって打ち消される位置において、魔術結合が【銀色の液体】を生成する。
直観、彼はそれが【毒】であると覚る。【水銀】だ。
――毒は魔力で防衛できる?
少なくとも今の僕にはそれを防ぐ手立てを【想像】できない。ということは、できない可能性が高い。
或人は冷静にそう判断する。
毒液は彼の身体内へ侵入しようと鋭く突きたてられた爪を伝う。傷口に入っても、皮膚に触れても、危険。
なおかつ、或人の【効果法】による温度の低下を止めれば、沸点わずか20℃の水銀が蒸発し気体となって肺から吸収される危険性が高く、この行動も絶対にできない。
故に、人狼は笑う。
――私の傾向属性は【色道】!
得意中の得意である色域・【仮想物質生成術式】による【仮想水銀】!
結合を介して魔力供給を続ける必要はあるが、視たところ奴は【解呪】の腕はない!
故に回避不能!
さあ、選べ、気化した水銀を吸うか? 傷口から体内へ迎えるか?
どちらにせよ体内に入った途端、私の魔術結合が爆発的に【仮想水銀】を増大させる!
急性中毒死は必至!
魔術結合を含んだ仮想の水銀は今にも爪の先より或人の体内へ迫る。
瞬間。
『ドガァアアアッ!』
「!!?ッ」
人狼の爪が【質量】に押され地面へと一気に落ちて地面を割る。莫大な魔力が彼の爪に仮想質量を与えていた。【魔域】の効果である。
バルトルト・ホーフェンは自らの爪に宿る圧倒的な魔力によって仮想水銀が或人の傷に入り込むことなく、地面へとこぼれてゆくのを感じ取る。
――バカな、なぜ水銀が気化しない!?
彼の大きな爪に掛かる仮想質量の魔力、だがそれだけでなく【温度を奪い取る作用】を持った魔力もそこには併存。彼の熱を生み出す魔力操作を切り離されてもまだ相殺しているのだ。
――切り離してなお、この強度……! 破れんことはないが、咄嗟には無理……!
くそっ……! 【隠者の薔薇】が追う【真なる鍵】とやらがこれほどまでとは……!
彼がそう思考するなか、或人は振り返り、彼に背を向けて松谷を追う。
或人はすぐに松谷を発見する。
そこはあらゆる地面がえぐり取られたような状態になっていたが、ほとんどスクラップのような状態の車の残骸が残されていることで、かろうじて道路であった場所であることがわかる。
松谷は或人を見るなり、聞く。
「さすがにここまでぺしゃんこじゃどうにもならんだろ! なんで車なんかを……」
だが、或人は先ほどから知覚している【魔術】が刻まれたエンジン部へすぐに触れ、魔力を流し込む。
すると、エンジンはひとりでに掛かり、知覚に散らばる部品や遠くに飛ばされた車のフレームなどが勢いよく飛来。一気に元の車が再生し、エンジンが掛った状態で現れた。
「あっ、松谷さん速く乗らないと!」
或人は呆気にとられた松谷に言う。
実のところ或人本人もここまで早く、的確に車が再生するものとは思わず呆気に取られていたのだが、すぐ背後で【いやな気配】を感じ取って我に返ったのだ。
松谷はすぐに運転席に乗り込む、或人はそのまま後部座席へ飛び込む。
二人が入るとともにドアも閉めず、アクセルが踏まれ一気に車が走り出す。
そして或人は車の後方で膝をつく【人狼】へ目を向けた。
その人狼、バルトルト・ホーフェンは或人によって付与された魔力を振り払うことなく、その場でいまだ膝をついていた。
だが、その銀色の体毛は逆毛立ち、何やらドイツ語の呪文をブツブツと唱え、魔力は燃え盛る炎のように沸き上がって揺らめき、呪いに満ちていた。
【儀式】を行っているのだ。
そして、彼はおもむろに立ち上がり、自らの爪に付与された或人の魔力をようやく、ふわりと振り払って、黒革の軍服の懐から箱を取り出す。
その箱には【薬剤の入った注射器】が入っていた。
「――勝利万歳!」
彼はそう言うと注射器を首筋に挿し、一気に薬剤を注入する。
次の瞬間、彼の身体は肉があふれ出すような急激な成長を遂げ、彼の骨は驚くべき速さで伸び、彼の顔はオオカミのような形から、骨と臓器と肉がそれぞれ反発しあう様な歪な形状へと変貌していく。
それは明らかに生物ではなかった。それは臓器と血を持ったモノではなく、ただ魔力と精神を持った肉の塊であった。
彼は自らの肉体を【儀式】の【供物】として、それを生み出した。
松谷と或人の乗る車をその【幽鬼】というべき存在が追いかけ始めた。




