結界
……………
『ドルルルルン……。ヴーン……』
エンジンが掛った車はハンドルがグイと手前に引かれアクセルが踏まれることでふわりと空中へと浮かび上がる。
乗車している或人たちには奇妙な浮遊感が全身に感じられ、ヘリコプターやセスナ機に乗っているような感触というべき、風や大気に煽られるようなやや不安な感覚があった。
助手席の或人はこの浮遊感にやや慣れたせいか、あるいは沈黙を忌避してか、隣で運転する賀茂に質問を投げかける。
「そういえば――賀茂さんの【式神術】っていうのは、この『音声通信』だけじゃなくて『式神の視界』や『資料の送信』までできるんですね」
数十メートル上空で安定的に飛行する体制に入ったため、前方から目を離した賀茂が或人の方を見て説明を始める。当然、車は浮かび始めた時点で世俗からは見えないよう認識阻害魔術が適用されている。
「ええと、それはですね。種類にもよるんですが、式神術に限らず魔術はほとんどどんな効能も可能です。
魔術というのは【術者本人の主観】がかなり大きく影響する技術でして、【術者が有利・便利・有用・困難と感じる効能】はやや魔力を大きく消費するんです。
対して【術者が不利・不便・不要と感じる効能】は魔力消費が少ないどころか、魔力消費を低減することがあるんです。
この仕組みは【呪術法理】と呼ばれるものですが魔術師が複雑な魔術を操る理由の一つでもあります。
私からしてみれば【視界共有】や【資料の送受信】はかなり便利な機能なので少し魔力消費がかさんで魔術の持続時間が減ります……。
ですが【遠隔で式神を操作するのが主眼の魔術師】からしてみれば【視界共有】は当然の機能ですので私よりもやや消費が軽く済みます」
「【主観】……。ですか、自分の主観的な判断を把握する……。それってあまり難しいことではないような気もしますが……」
賀茂は首を振る。
「自分で魔術を組んでみるとわかりますよ。【自分の主観】ほどわからないモノはないです。だから、私はある程度【規律】に則った術式を扱うようにしています。
有馬さんみたいに柔軟な運用が可能な術はメインで使えないので伝統に即した術をいくつも使うことでカバーしています」
「――【自分の主観】……」
或人はその言葉に対して深く、思うところがあった。
彼が【賀茂瀬里美】に対して行った【魔術】や、初めて魔界に来た時の金剛破壊居士を救いたい一心で発動した【魔術】。それらは修行で行った時とは全く異なる感覚であり自分の力ではない魔術であったことを思い出していたのだ。
――僕の中に、あるいは賀茂さんのような【別の自我】が存在している……?
だから【僕とは全く異なる主観】で動く魔術がさっきのように発動するのだろうか?
僕は僕のあずかり知らぬところで、彼女のように暴れ出していないだろうか?
そもそも、僕は僕のことをほとんど知らないではないか、どれだけの魔力が備わっているのかとか、どれだけの力量があるのかとか、そうした物理的に示せることをも何もわかっていないのに、どうして精神的な面、【主観】を理解しているといえるのだろうか。
僕は僕のことを、何もわかっていないのだろうか?
或人の内省が続く中でも、車は空中を進む。眼下では上空の車など知りもしない人々が生活を営んでいる。ビル街は住宅街へと移り変わり、やがて家々がまばらになり、林が見えてくる。
車の高度が徐々に下がり、何の変哲もない道路の元へと下がっていく。
だが、突如として景色は切り替わり、先ほどいくつもの戦いが行われいくつものクレーターができた光景が広がる。
元の場所に戻ってきたのだ。
だが、或人はさらにその景色の中から違和感を見つけ出す。
「あれ……? あそこ……」
運転席の賀茂が聞き返す。
「? どうしたの或人君?」
「いや、林の奥の方に何か、違和感というか……」
「そう? 私は……。感じないけど……?」
話の中で車は道路に着地する。
賀茂がギアをそのままパーキングに入れると、松谷がまず外に降り立って伸びをする。
「うーむ。何度か乗っても慣れんな」
賀茂も降りて言う。
「そうですかね。まぁ世俗の車よりかは酔いやすいとも聞きますけど……。私の運転はまだ良いほうですよ。有馬さんなんてもっと……」
「おめーはノロノロ運転してるだけだろ」
その声は有馬。林の木の上に立ち、【隠匿法】によって魔力と気配を完全に消したニンジャのごとく、ガスマスクを顔に着け腕組をして待っていたのだ。
松谷や賀茂が驚くなか、車から降りた或人は彼に訊く。
「有馬さん、一体どうしてここに僕らを……?」
「話はあとだ、お前ら全員【隠匿法】を徹底しろ、松谷は俺が運ぶ」
そう言った彼はすぐに鎖を立ち尽くしていた松谷にからめとると林の中へ飛び去る。
或人と賀茂は慌てて魔力を制御しつつ有馬を追う。
「ちょ、ちょっと、有馬さん速い……!」
賀茂はそう言いつつ、木々の合間をスルスルと曲がり、すり抜けてゆく有馬について行く。或人は二人の影を追うように必死で走るが、魔力に慣れ親しんだ二人と異なり、やはり身体能力は二段ほど劣る。
隠匿法の制御も同時に行うことにより彼の神経はかなり摩耗し、ただ走るよりもずっと疲労感が早く感じられる。
数分も立たずに彼は息切れをし始め、かなりおいて行かれている状態であり、有馬や賀茂の姿は見えなくなっていた。
だが、彼は迷うことなく歩みを進め、するすると木々を曲がり、やがて目的地にまでたどり着く。
そこは、或人が先ほど車で感じた違和感の元凶。
空間にドーム状のうっすらとした【歪み】が存在している場所であった。
その前に立つ有馬と鎖に縛られた松谷、少し息を切らす賀茂が或人を待っていた。
「よし、来たな」
賀茂が或人を見て言う。
「ふう……。或人君よくついてこれたね。私、何度か有馬さんを止めようとしたんだけど全然追いつけなくて……」
「はぁ……。はぁ……。いえ……。大丈夫です、何となく行く方向は判っていたので……」
有馬が息切れ一つなくガスマスク越しのくぐもった声で返答する。
「予知か、感知によるものだろう。木々の揺れやわずかな振動も感じ取れるレベルに精密な感知能力が備わっているんだ。――どうやら、オマエは【感知型】の魔術師みてぇだな、苦労するぜ?
秘匿課の【宇美部】も感知型だ、今度はそいつに色々聞くといいだろう」
有馬の言葉に或人は肩で息をしながら、うなづく。返事をする気力もわかなかった。
一方の有馬は背後の【ドーム状の歪み】に半身を入れて全員に指示する。
「入れ、おれが張った【結界】だ。中では【隠匿法】はしなくていいが、暴れるな、急ごしらえで狭いからな」
松谷を引いてドームへ入っていく有馬に賀茂がすぐさま返答。
「有馬さんじゃないんだから、暴れるようなことはありませんよ」
そのまま或人もそのドーム内へと入る。
ドーム内は地面に魔力で示された紋様と、空間を満たす無数の魔術結合、そして中央に拘束もなく、一人座っている【怪人】がいた。




