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日本国魔界府府庁秘匿部秘匿室秘匿一課  作者: 臆病虚弱
序章 死を継ぐ者 Inherit The Wind of Death
2/17

ぼんやりとした絶望

……………


 2022年2月2日 AM6:00 北海道阿嘉霧(あかむ)市、道道93号線谷地(だにっち)町付近にて。


 殴りつけるかのように吹雪が、彼の身体をとおり過ぎてゆく。

 一晩、凍える冬の闇夜を歩きつめ、彼の身体は冷えきっていた。

 だが、その感触すら彼には遠い場所のことに思えていた。


 彼、鳥羽或人(とりう あると)は気もそぞろに人気のとぼしい雪の国道をうろついている。吹雪は強まり、数メートル先すらも見えず、風の音も大きくなっていく。朝焼けの陽も乱反射によって仄明るい程度である。


――明朝だからか、吹雪がつよいな……。

 ブーツの中にいくらか雪も入ってきている。凍傷になっていたら笑えるが、帰ってシャワー浴びてすぐに寝よう。

 どうせ夜まで起きられはしない。


 諦めたようにそう思い、一歩一歩降りつもる雪を踏みしめていく。

 まるで夢のように朝日にきらめく雪の一つ一つが、彼にとってはわずらわしく、虚しさをさそった。どうしようもない気分の時に美しいものを見ると、人は虚しさを、より一層感じることがある。


 彼は家が近づくにつれて自らの不安を思い出す。


――結局、一晩歩いてしまった……。

 数カ月後には仕事が始まるというのに、僕は未だにこんなことをしている。

 折り合いをつけるべきだ。

 向上心のない、空虚な人間はせめて、周りの人間を不幸にしないように努力しなくてはならない。

 こんな状態ではいずれまた、堕落する。

 そう、堕落だ。

 身体の弱さ、精神の弱さにして、できるはずのこともできなくなり、休息ばかりを求める怠惰たいだへ。堕落してはいけない。

 制御しなくてはいけない。

 

『ドガッ』


 彼が転ぶ。

 やわらかな新雪の底にある硬い根雪に足を取られ、またフラフラと力の無い足どりによって彼は雪へ顔を埋めた。

 彼は命を奪っていく実感ある冷たさを顔に感じながら、熱にうかされたような思考を続ける。


――ああ、このまま、終わりたいな。


 その願いとは裏腹に彼は立ち上がる。


――終わることも、許されない。許されるはずがない。

 僕は義務を果たさなくてはならない。この世に生を受けた義務を。育てられた恩義を。生き長らえている謝意を。

 

 己にかけた呪いによって立ち上がった彼は、再び歩き出す為に一歩、新雪の中へ足を踏み入れる。

 靴底で固まる雪の感触が伝わる中で彼は妙に、前方を気にする。


――なんだ? 明るい……?


 彼が風でぶつかってくる細やかな雪から腕で目を守りながらで前方を確認する。


『ブオオオオォ!』


 大型トラックの真正面。

 煌々《こうこう》としたライトの光が彼の身を包む。

 朝焼けで輝いていた吹雪は、大型トラックのハイビームによって反対からも照りつけられていた。風でかき消されていた駆動音はクラクションと共に鳴り響く。


 彼が気付いた時には雪道を時速80キロの速度で走行する大型トラックは目と鼻の先。


 避けることはできない。


――そうか。死ぬのか。


 その瞬間、彼にはそれが、どうでもいいことに思えた。


『ドガアアアアアアアァァァァァン!』


……………


 そうして死にかけた彼が事の顛末を思い出した後、脳裏に浮かび上がってくるのは古い記憶の断片。

 その果てに見える光景は名も忘れた人々の目。目。目。

 彼の記憶には何時も、人の目と言われた言葉の断片だけが鮮明に残る。

 それは常に見られているという恐怖の記憶(トラウマ)


――ただ、見ているだけ。誰もが、ただの目に思えてくる。実際にはそんな事無いのは分かってる。

 でも、分かり合えない人々はそれ以上の存在となることなんて、あるのか?

 それは僕の経験が乏しいだけか。


 彼の諦観は、そのように冷笑的な自嘲でいつも終わる。あとに残るのは冷え切った心だけ。

 そして今、彼の身体も冷たくなり始めている。

 彼にとってそれは遠い場所の出来事のようであった。


 彼は朦朧とした中で微かな視界を見開く。

 そこに映るのは倒れたトラック、炎、音のない世界。

 彼は自分が死の間際にいることを悟り、自分の中に何の感傷も無い事に気づく。


――ああ、そうか。僕は不注意で死ぬのか。

 だがそんな死に方に、何の感情も沸かないな。

 全く、最期ぐらい、何か思えよ。本当にくだらない。結局……。人生というのは……。虚しい……。


 心に寒々とした諦めが映ると共に彼の身体は温度を失う。


 だが、彼は揺らぐ視界の中、ある物を見た。


 血を流す、見知らぬ運転手と思しき男性。フロントガラスや車のフレームなどにぶつかり全身に微細な傷が刻まれ、頭部にも打撲痕があり、かなりの重態であるように見えた。


 それは彼の呼吸を荒げ、恐怖と焦燥を呼び起こす。血の泡立つ音ともに彼は喉を震わす。


「だ……。駄目だ……! 駄目だ!!」


――僕の、巻き添えで人が死んではいけない。他人が、何の関係も無い人が、死ぬなんてあってはいけない!


 動く筈のない肉体をよじらせ、大量の出血と頭部から胸部にかけての無数の骨折、複雑骨折、傷口を完全に無視し、痛みに悶え狂いながらもより強い狂気によって身体を自ら破壊しながらなんとか近づいて行く。

 ハッキリとしていく思考と反対に身体の温度は失われて行く。

 だが彼は自らの命などどうでもよかった、目の前の人へ手を伸ばしたかった。それに何の意味も無いとしても。


 彼は誰かを呼ぼうと声を張る。


「あ……。が……! だれ……。あ……!」


 次の瞬間、彼の視界は闇につつまれる。

 だが、無音の世界にとつぜん声が響く。彼の熱気に呼び醒まされた者の声が。


『懐かしい冷たさだ。血は淀み、臓器は壊死し、肉は蝕まれる。思考は喪失の時を永劫に刻み、呆気なく消え去る。人生とは虚しい。

 だが悲しいかな。

 君はまだ死なない。望んでもいない。

 残念なことだ。本当に申し訳ない……』


……………


 しばらくして、目を覚ました或人。

 朦朧(もうろう)と、目がくらむ中で彼は視界を取り戻してゆく。


『課長、目を覚ましました』


 遠い場所で聞こえるような、くぐもった声。

 ゆらめく視界が定まる中で、彼は、自分が見知らぬ場所のベッドで眠っていたことに気づく。


「ここは……」


 視界が定まり、或人は上体を起こす。彼は自分に真正面を見た。

 その先では黒革のコートをまとった女性が鋭い目つきで彼をまっすぐと見ていた。

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