神々は漫ろに来る
……………
「【外神】か……。あと一歩で『門』が開ききるなッ!」
『バキバキバキィイイイッ!』
そう語って振りかぶり、空を殴りつけた金剛。その拳は空間に大きな罅を入れる。
その罅に呼応するように、或人は我に返り金剛の存在を始めて認識する。
他の者たちは未だ『支配』から逃れられず、宇宙の果て、遥か一点を凝視したままだ。
「こ、金剛さん!? これは一体……!?」
金剛は答える。
「ククク……。悪いが或人殿、答える時間は無い! 今すぐその裂け目から逃れよ!」
彼は歓喜に満ちた笑みの中でそう言うと再び拳の先へ魔力を集中させ、何か呪文のような物を口走る。
「オン・バサラ・キャリ・ソワカ・ ego sum alpha et omega, initium et finis.・貴様はαでもなければΩでもない。始まりも無ければ終わりも無い。・哀れなる存在よ、こちらを見ろ」
呪文の終わりと同時、破戒僧は紡がれた言葉の紐『魔術的結合』をまとった二発目の殴打を空間に向けて放つ。
『ドガッシャァアアアン!』
途端、有穂、宇美部、課長の三人が正気を取り戻しその場で膝をつく。
同時に、宇宙を示す空間が歪み、白い部屋の像が舞い戻ってくる。
やがて黒い宇宙は消え去り、或人たちは白い部屋に戻ってきた。
だが、その部屋にはある相違点があった。
『パチャッ……。ペチャっ……』
水音と共に蠢く、触手。
鮮血を思わせる赤と脂肪が纏いつく肉を思わせるピンク色を示し、ぬらぬらとした粘液にまみれ、吸盤は無く、何かを探すように壁を這いずる何十本もの触手が部屋の壁、天井からゆっくりと這い出して来ていた。
触手らは課長や有穂といった金剛と或人以外の全員の身体に纏わりつき、皮膚とその触手を『一体化』させ、部屋へ『取り込もう』と蠢いているのだ。
金剛はその触手へ向け拳を振り上げながら叫ぶ。
「或人殿、ここは逃げよ! 守りながら戦うには相手が悪すぎるんでなぁ! ムワッハハハハハッ! さぁ来い! 拙僧にもっと食わせて、見せてくれ!」
振り下ろした拳は触手を潰し、衝撃が部屋全体を大地震のごとく揺るがす。彼はその感触に笑みをこぼしながら、顔に飛び散った肉の破片を舌で舐め取り捕食の喜びに打ち震えていた。
或人にはその言葉と表情のギャップが、この異様なる僧が持つ、畏怖にも似た妙な信頼感を補強しているように感じた。
有馬をはじめとした全員が我に帰り、困惑して周囲を見回す中、よろよろと立ち上がった課長が或人の肩を掴んで叫ぶ。
「早く、あの裂け目に向かえ! 我々も、後から、向かう!」
しかし、彼女の腕や足は触手と一体化しもがく体力さえも奪われていた。
或人は忠告を聞かず、その腕と一体化し始めている触手を外そうと触れた。
ぬるりとした粘液に触れた彼はその手に激痛を覚える。
「!ッ ああッ!!」
「止めろ! 或人、我々は既に任務に殉ずる覚悟がある! 君の護送さえ完了すれば我々は……」
だが、或人はその激痛に歯を食いしばって耐え、掴みがたい粘性の触手に指を食い込ませてちぎるように触手を引く。
『ブチブチィイッ!』
触手は音をたてて千切れる。片腕が自由となった課長はすぐさま自身に纏わりつく触手を切り裂き、離脱。
或人はそれに一瞬安堵を覚える。
――このまま全員の触手を断ち切れば……!
その瞬間、或人はまたしても直感的にある一点へ注意を向けた。その方向からは壁のような多数の触手が今までにない速度で現れ、迫り始めていた。まだ、誰も気づいていない。
――このままいけば多くの人が助からない。
そう思った或人は何の思考も躊躇もなく、ほとんど衝動的に自らの身を投げ出していた。
『ドダチャァアアッ!!』
「――ふう……。自己犠牲とは中々に高潔な心意気、と言いたいところであるが。自棄になっているだけではないかな?」
或人の目の前に飛び出し、拳一発で触手の壁を止めた金剛が彼へ語る。
その背中は彼にとってあまりに大きく映った。
「良いことを教えておこう或人殿。
他人のために犠牲になるのも一つの選択。一つの自由。本当に君がそうしたいのならそうすればいい。
だが、自由とはたくさんの選択肢を見て決めること……。
そして何より、『選択』することにはそれなりの『力』が現状の世界では必要なのだ。哀しいことにな……」
そう語る金剛の顔を、或人は見逃さなかった。先ほどと打って変わって静謐とした彼の表情は慈悲さえもうかがわせる様子。
しかしながら、その額には大粒の汗がにじみ、鼻や瞳から血をぽたぽたと流している。
或人は理解する。
この場には、この金剛でさえも及ばない『力』があり。故に彼にさえも選択肢がほとんど残されていないという事。そして彼はその『力』や迫り来る『運命』に一抹の恐れも抱いていないことを。
金剛がニカッと笑って拳を振り、触手を蹴散らしながら叫ぶ。
「さぁ或人殿! 課長と共に、他の皆と共に脱出するのだ! 触手は拙僧が千切っていく!」
見れば有穂や宇美部は自ら触手を千切り始めており、有馬や賀茂は金剛が一直線に救助へと向かっている。
そして課長は、やや放心しかけた或人を問答無用で抱えだす。
「あっ!」
「任務を遂行する」
そのまま彼女は金剛が入ってきた時空間の中へ真っ直ぐ飛び込んでいった。
『ドザアアッ!』
なすがまま連れ出された或人が空間の外に見た景色は、護送車車内。
その中心にぽっかりと空間の裂け目が開かれている。裂け目の下、床面には魔力によって紡がれた言葉の紐による紋章が描かれており、春沙クラビスが常に魔力を送って維持している様子であった。
クラビスは出てきた課長と或人を見て言う。
「課長、金剛ちゃんと私だけでの結界維持は長く持ちません。魔力補充の補助を」
「ああ、或人は結界から離れていろ」
だが、そう指示した後、結界に手を差し向け呪文を唱える課長の『補助』も焼け石に水、裂け目は時間と共に確実に縮んでいた。
焦りを見せるクラビスは身をその裂け目の中へ乗り出して叫ぶ。
「さっさと皆出るんだ! こっちで張った結界は崩壊寸前だぞ!」
クラビスが発破をかける中、まだ知識がハッキリとしない有馬や賀茂、車椅子に乗る男が有穂と宇美部によって救出され、結界外へ放り出される。
宇美部はそれに続いていそいそと時空の裂け目を飛び出していく。
そして有穂が脱出する番となったが、彼はそこで魔力を両手に籠め、裂け目を支え、広げようと掴む。
「くっ! 金剛のおっさん! 早くこっちに……!」
最後に残る金剛が、触手を殴りながら口から血反吐を吐き飛ばした後、笑いながら言う。
「くっはっはっはっは……! 先に行かれよ。
拙僧が力を緩めれば、貴殿はまた支配に囚われる。それにこやつ等、もう少し削らねば、またすぐに同じことをするからなッ!」
金剛はそう言って拳を振り、部屋中に広がる触手を一気に吹き飛ばす。心から笑うその口元には鮮血がどくどくと流れ出している。
有穂はそれに気づきながら、彼の狂気ともいえる純真な笑みに対して同じく笑いで返す。
「ははっ。食えないおっさんだ。人がせっかく、やせ我慢でかっこいい所見せようってのに」
彼は身体を外へ脱出させ、それでも裂け目を支えようと手を掴み続けていた。
それを見た宇美部が即座に支えに参加して叫ぶ。
「私にも支えられる! 金剛さん! 早く!」
しかし、二人の力は及ばず、裂け目はみるみる縮小していく。
当の金剛も、既に精魂尽きかけ立っているのもままならない様子。
彼の身体は触手と一体化することはないが、部屋ごと彼を埋めんとその触手は増殖を継続している。
脱出した或人たちにできることは小窓ほどに小さくなった裂け目から、触手に埋もれる金剛の姿を見送る事のみ。
或人はその事実に、怒りさえ覚えていた。
――僕は、僕は立ってみている事しか。出来ないのか……!
元はと言えば僕が招いた事態。僕を狙う存在によるものだ。さっきだって僕が余計なことを……!
それなのに、あの金剛さんが、何故あのよくわからない場所に一人置き去りにされなければならない?
彼について僕は良く知らない。
けれど周りの人たちの様子や、今まで見た事からわかる。少なくともこの場にいる人たちは彼の強さと優秀さを確信し、惜しんでいる。
僕にはそんなふうに思ってくれる人はほとんどいない。
あそこで孤独に膝をつき、血を流しながら死ぬべきなのは僕じゃないか。
それなのに、僕は他の人に救われ、ここで立ってみている。
それは、間違っている。
或人が握った拳。噛んだ奥歯。そこに滲んだ怒りは思わず、一歩を踏み出させる。時空の裂け目に向け走りだそうとする一歩。
その姿に、課長が言葉を漏らす。
「或人……!」
時空の裂け目へ手を伸ばす或人に、諦めを促すような課長の手が彼の肩に置かれる。
或人の手は裂け目の前で止まり、諦めるように降ろされる。
だが、彼の心には自責の念が鬱屈していた。
一人の心にはあまりに大きいその感情に彼の魔力が呼応し始める。
『ズズズ……』
或人の肩に手を触れていた課長はその魔力の高鳴りを直に感じ取り、怖気を覚えた。
――この私に鳥肌を立たせるほどの……。今まで感じたことのないほどの……!
いや、なにか、この感覚には懐かしさが……。覚えがある……?
彼女は手が震えながらも確固たる意志で或人の動きを静止するべく肩を掴む。
一方、或人の魔力は活発に揺れ動く反面、彼自身は動きを止め、消えゆく時空の裂け目を見守る。
だが、その魔力の鳴動は同時に或人の奥に眠る【何か】を確かにたきつけていた。
彼の脳裏にまたしても聞き知らぬ者の声が響く。
――『死が口を開く。君の心の鬱屈が、意志の力を揺るがして、私の口をこじ開けた』
その時、彼の胸から魔力によって紡がれた紐が飛び出し、わずかに開く空間の裂け目へするりと滑り込んだ。
倒れる金剛のもとへ、紐が飛び込む。
彼はそれを見るなり驚いた様子を見せた。
「!? まずいッ!」
金剛は、向かい迫る紐をわずかに残った力で身をよじり、間一髪回避する。
そしてその紐は空間に広がる宇宙に【付着】し、一気に空間中へと広がっていく。
「こ、これはっ!?」
金剛が驚愕の声をあげるとともに、空間の裂け目は有穂と宇美部の手を弾き飛ばし、一気に消失。
護送車内には金剛の居た証拠など一切残らず、完全に裂け目は失われた。
静寂。
或人にはその静寂の意味がわかった。その場にいる誰もが金剛の消失を信じられていない、受け止められていないがゆえに生じた静寂であることに。
彼が先程考えたように、金剛と言う存在がいかに、この場の人間にとって大きな存在だったのか、それを彼は再び理解して自責の念を募らせ始める。が、その時。
『バリィイイイイン!』
「「「!?」」」




