7.「完成」
マリー視点に戻ります
塔でルドルフ様と別れてから、私はさっそく研究の続きを進めていた。
「魔力流路、再調整……これだと、薬草のエーテル濃度が微妙にズレるから……」
手元の試験管をじっと見つめながら、慎重に再設定の作業に取りかかる。
「ポイントを再設定……アンバーグリスを少し足して、調合! これで魔力増幅二割アップ留める!!」
(以前は三割アップで爆発した……ならば、二割に抑えたらどうなるでしょうか)
(泡が安定して、継続的に発生し続ければ成功の証――)
試験管の中で泡が立つ。結果は――
――ボコボコン! ボコッボコッボコッ ボコッボコン!
爆発は起きなかった。
「……実験は成功でしょうか?」
隣のロベルト様が、恐る恐る尋ねてくる。
「……いえ、これでも失敗です」
確かに爆発は起きなかった。泡も発生している。だが、求めていた“泡の安定”という条件はまだ満たされていなかった。
これでは、患者の命を安定させるには程遠いでしょう――。
「気を取り直して、計算式を見直しましょう……」
それでも、以前のように落ち込むことはありませんでした。
またひとつ、失敗という経験を得られた。それは、薬の完成に一歩近づいたということ。
――そうやって前を向いて考えないと、進めない。
私はロベルト様をはじめ、研究員たちと共に再び計算式を考え直しました。
生命素子と魔素媒介液の“正確な融合比”。
ほんの少しでも計算が狂えば、想定した結果にはならない。果たして、一度に完璧な答えなど出せますでしょうか……。
気づくと、いつの間にか夜が明けていました。
机の上で、私はそのまま寝入っていたようです。
周囲を見渡すと、私を含め、研究員たち全員に毛布がかけられていました。
(毛布に残ったこの香り――これはまさか)
誰が毛布をかけたのかは、私はすぐにわかりました。
「起きましたか……マリーさん」
背後から、ロベルト様の声。彼はコーヒーの粉をカップに入れているところでした。
「言っておきますが、毛布をかけたのは私ではありません。
私も含め、寝ていた研究員たちに毛布をかけてくれたのは――」
「ええ、ルドルフ様ですよね?」
「――はい」
やはり。この香りはルドルフ様だ。
昨日、抱きしめられたとき、彼はいつもと違う香りがしたのです。
おそらく、弟のアルブレヒト様と面会に行ったとき、香りを変えたのでしょうか。
あの時の感触がよみがえります。
突然、強く抱きしめられたとき、もちろん戸惑いました。
ですが、力強く、どこか優しさを感じる彼の腕に包まれ、胸の奥が静かに満たされていくのを覚えたのです。
……正直嬉しかった。抱きしめられて。
「ズズズ……ルドルフ様は仰っていましたよ。
『根を詰めて研究するのもいいが……体を壊せば元も子もない……焦らず、少しずつ進めればいいんだ』――と」
コーヒーをすするロベルト様が、穏やかに伝言を告げました。
(……少しずつ進む!?)
その瞬間、私の思考が止まった。何かが、心の奥で引っかかったような感覚――。
「フフ、最もな意見ですが、肝心のルドルフ様自身、私たち以上に早起きして忙しいというのに……
我々以上に根を詰めているのは、むしろルドルフ様のほう……。
ルドルフ様には悪いのですが、ルドルフ様が頑張るなら、私もより一層頑張りましょう――」
笑顔で話すロベルト様。
けれど、私は一つの言葉が頭に引っかかり、今、彼の話がまともに入ってきません。
「ロベルト様……いまなんとおっしゃいました?」
「うん? いえ、ルドルフ様が頑張るなら、私もより一層頑張りましょう――」
「いえ、もっと前です……『焦らず、少しずつ進めればいいんだ』……ですって?」
「ええ。それはルドルフ様の伝言で――」
話している途中のロベルト様には大変失礼なのですが、私は急いでチョークを手に取り、黒板に書き込む。
――カッ、カッ、カッ、カッ、カッ……
思いついた計算式を、ありのままに。
「こ、この式は!?」
流石ロベルト様。計算式を見て私の意図をすぐに理解してくれました。
そして、私は衝動に突き動かれるように、実験材料を用意する。
「マリーさん! 手伝います!」
説明もしていないのに、ロベルト様は即座に協力してくれました。
そして、今書き上げた計算式をもとに、調合を始める。
すると――
――ボコッ……ボコッ……ボコッ……ボコッ。
爆発もしない。
泡が安定して、継続的に発生している。
これは……成功の証。
「マリーさん! これって――」
今にも跳ねそうな勢いのロベルト様。
けれど、私のほうが、もう我慢できませんでした。
「そっか――っ!! 一度に求める必要なんてないんだ!!」
あまりの嬉しさに、思いついた言葉をそのまま大声で叫んでしまいました。
その声に驚いて、研究員たちが慌てて飛び起きたのは――言うまでもありません。
***
「ハァハァ……フクスから聞いたぞ……マリー、薬が完成したと!!」
汗だくになって研究室に駆けつけたルドルフ様。
その表情は、私や他の研究員と同じ――いや、それ以上に、興奮と期待に満ちていました。
「ルドルフ様……そんなに汗びっしょりで……それに、まだ会議のお時間では?」
「治療薬が完成したと聞けば――何をおいても優先すべき、喫緊の課題だ!!」
まったく、どんなに急いでも、その凛とした姿勢は崩れません。
汗びっしょりでもルドルフ様の魅力はまったく損なわれず、いや、むしろ、陽の光に照らされてさらに輝きを増している――イケメンは流石ですね。
「それで、本当なのか!? 薬が完成したとは――」
「はい……理論上では完成であります。ですが――」
「マリー!」
――ガシッ!
言い終える前に、ルドルフ様が私を抱きしめた。
「「「「「!?」」」」」
私を含め、その場の全員が驚いた。
「流石だ……君は本当に流石だ……私は信じていた。君なら完成できると――」
喜びによるルドルフ様の体の震えが、まるで電流のようにそのまま私に伝わってくる……じゃなくて!
「あ、あのう……ル、ルドルフ様? は、話の続きが――」
「それに、薬を完成したのは、ヴァスタの研究員の皆さんのおかげでもあって……」
私が言いかけると、研究員たちが口々に叫びました。
「いえいえ、マリーさんのおかげですよ!!」
「そうです! 我々はただ、あなたの邪魔にならないよう手伝っただけ。功績はあなたのものです!」
周囲を見渡すと――
ルドルフ様に抱きしめられる私を見て、驚きのあまり口をぽかんと開けている人、なぜか「ヒューヒュー」と祝福する人、そして、頬を染めてトキメキをしている女性研究員までいらっしゃいました。
ですが、今回のハグは嬉しいというより――流石に恥ずかしいという思いがいっぱいです。
前回も恥ずかしいと言えば、恥ずかしかったのですが、あの時は二人きりのところもありました。しかし、今回は、人の目がありますので……余計に恥ずかしさが……。
「あっ、す、すまなかった――そ、それで話の続きとは」
慌てて離れるルドルフ様。
私は気持ちを真面目モードに戻すため、「コホン」と大きく咳をして話を続けました。
「はい。確かに理論上では薬は完成です。ですがその薬を人体への使用は一度も行っていません。
有効性と安全性の確認――つまり副作用があるかどうかを調べるには、“臨床試験”を踏まなければならず……」
「なるほど……臨床試験か。確かに、副作用のことまでは考えていなかったな……」
ルドルフ様は顎に手を当て、真剣な表情を浮かべる。研究室の空気が、先ほどまでの熱狂から一転、静かな緊張に包まれた。
「……はい。問題は、その試験のために誰を――」
私がそう口にしたそのときだった。
――バン!
勢いよく扉が開く音が響いた。
皆が驚いて振り向くと、そこに現れたのは――
車椅子に座った痩せた青年と、その車椅子を押す金髪のメイドでした。
「話は聞かせて貰ったよ! その臨床試験……この僕――アルブレヒト・フォン・ヴァスタブルクが引き受けるよう!!」
その一声をあげたのは、車椅子の青年でした。
ルドルフ様とは対照的な黒髪、瞳の色はルドルフ様と同じ青っぽいが、どこか水色に近い色をしていました。
(待って! 『アルブレヒト』と言えば――)
「弟よ……」
ルドルフ様が、静かに答える。
初めて見ます。あの方が、ルドルフ様の弟――アルブレヒト・フォン・ヴァスタブルク様。
――キュルキュル
メイドさんが車椅子を押して、アルブレヒト様はゆっくりと部屋に入ってきました。
「はじめましてマリーさん……いつも兄がお世話になっております。弟のアルブレヒトです。あなたのお噂はかねがね兄から伺っております」
「はじめましてマリー・フォン・キュリスベルク申します。どうぞ、お気軽にマリーとお呼びくださいませ」
令嬢時代の癖で、スカートの裾を軽くつまみ、膝を折って丁寧にお辞儀をする。
「ほぅ……マリーさん、ね。なるほど……兄さんが惚れるのもわかるよ」
(えっ!?)
アルブレヒト様は顎に手を当て、じっと私を見つめたあと、ルドルフ様の方へと視線を向けた。
「なっ、お前!?」
突拍子のないアルブレヒト様の言葉に、ルドルフ様は反応に困っている。顔も、ほんのり赤くも見えます。
アルブレヒト様はクローナペストの末期症状と聞いていました。
確かに一見、やせ細っていて痛々しい姿にも見えます。ですがそれ以上に、その瞳は蒼炎のように、輝いていることもあるのと、ルドルフ様との掛け合いといい――むしろ生き生きとした印象の方が強く与えます。
「そんなことよりアルブレヒト、なぜ、お前がここに来た?」
ルドルフ様が問いかけると、アルブレヒト様はフッと笑みを浮かべた。
「執事のフクスが僕のところにも来てね……マリーさんが薬を完成させたって。そしたら、いても立ってもいられなくなって――」
そう言って、車椅子を押すメイドさんへと視線を向ける。
「エリーザベトに無理を言って、ここまで連れてきてもらったんだよ!」
えへへ、と笑顔を見せるアルブレヒト様。
対して、安静にすべき弟を連れてきたエリーザベト様を、ルドルフ様がじろりと睨む。二人の視線を受けた彼女は肩をすくめ、怯えたように言葉を漏らした。
「申し訳ございません、ルドルフ様……アルブレヒト様がどうしてもと……
純水のように清らかな瞳を向けられると、私、エリーザベトはどうしてもアルブレヒト様の言うことを聞くしかできず……」
「ハァ……まったく。エリーザベト、君は昔から弟には弱いな」
呆れたように頭を抱えるルドルフ様。
「それよりも、話を戻そう。兄さん、マリーさん――その薬を最初に使うのは、僕にしよう」
あらためて、臨床試験に名乗り出るアルブレヒト様。
「……アルブレヒト」
ルドルフ様が心配するのも当然のこと。私を含め、周囲の方々も皆、不安を隠せませんでした。
ですが、アルブレヒト様はこう続けました。
「だって、僕以上に適任な人はそういないだろう? “クローナペストの末期症状で、生まれつき身体が弱い人材”は――薬が本当に効くのか、薬の副作用がないのか――両方確かめるいい機会じゃないか!」
「だが――」
「死ねばそれまで。
僕のクローナペストの病の段階としては、もういつ死んでもおかしくない身だ。仮に副作用のせいで死んだとしても、僕はマリーさんや研究員たちを恨まない。むしろ、僕の犠牲を生かして薬の改善をして欲しいくらいだよ」
そして、少し間を置いてから、意地の悪そうな笑みを浮かべました。
「それとも何か? まさか……そんな人体実験みたいなこと、民に押しつけるつもりじゃないよね?」
アルブレヒト様の声は想像以上の覚悟を感じさせました。
「本気だな……アルブレヒト」
「……うん」
しばし、互いを見つめ合う兄弟。お互い口で語り合っていませんが、今もこうして、兄弟だけ伝わる会話をしているかもしれません。
やがて――
「……マリー、その薬だが、弟に使ってくれ」
「……承知いたしました」
アルブレヒト様本人が志願し、兄のルドルフ様が了承したのです。
それならば、私如きにはもう何も言うことはないでしょう。
研究員たちの方も、納得するように頷き、薬を持っていくことにしました。
果たして、薬は効くのか!?




