3.「癒しの錬金術師」
「何……!? あの、“癒しの錬金術師”だと? フクス、それは誠か!?」
驚きに目を見開くルドルフ様。
癒しの錬金術師――懐かしいですわね。その呼び名で呼ばれるのは。
フクスと呼ばれた、執事様は静かに頷き、興奮を抑えきれない様子で続けました。
「はい……もし本当に、その方がマリー令嬢様でいらっしゃるなら、間違いなく癒しの錬金術師でございます!
キュリス王立魔法学院において、薬学の分野で創設以来もっとも優れた生徒と称えられた才女にございます」
「さらには、彼女が卒業論文として発表された
『魔力の媒介としての薬草モカミールの回復効果に関する実証研究』――それは、我がヴァスタ帝国のみならず、世界中の研究者に多大な影響を与えた、まさに伝説級の論文でございます」
「なるほど……その論文は私も読んだことがある」
ルドルフ様は腕を組み、ゆっくりと頷く。
「ヴァスタの研究員には及ばぬとはいえ、私も薬学を学んだ身だ。そんな私から見ても、彼女の論文は独創的でありながら、確かな理論で構成されていた」
感心したように語るルドルフ様。その隣で、執事のフクス様は誇らしげにうなずき、そして二人そろって、私を尊敬の眼差しで見つめてくる。
――懐かしい。
確かに、学院時代は癒しの錬金術師と呼ばれ、少々持ち上げられていた記憶がありますわ。
そして、あの卒論――四年間の集大成として、これから学ぶ後輩たちの糧になればと思い、必死で作り上げたものでした。
それが、まさかヴァスタ帝国どころか世界中にまで影響していたなんて……。なんだか、嬉しいような――それでいて、少し怖い気もしますわね。
けれど、一つだけ訂正しておかなければなりません。
「ルドルフ様、フクス様……恐れながら、お伝えいたします。
私はいまや“元”令嬢でございます。先日、ダス様から婚約破棄をされ、今の私は他の誰とも変わらぬ民のひとりでございます」
令嬢時代のようにスカートの裾を軽くつまみ、膝を折って丁寧にお辞儀をする。
「なに……そうだったのか」
気まずそうに目を伏せるルドルフ様とフクス様。
「いえいえ、お気になさらないでください。……破棄されたおかげで、今の私はようやく、思う存分研究に打ち込めるようになったのです。
むしろ、ダス様には感謝しているくらいですよ」
それは、嘘ではない。本心からの言葉。
その一言に、ルドルフ様とフクス様は、静かに私を見つめる。
「……なるほど、マリー。君は強いな。普通なら、地位を失えば貴族から蔑まれ、世間から好奇の目にも晒される。それでも、君は君なりの幸せを見つけているのだな」
「マリー、私は君を尊敬する。一人の人間として」
ルドルフ様は、穏やかに微笑みながらまっすぐ私を見つめてそう言った。
その青い瞳に見つめられると、思わず顔を逸らしてしまう。
……なぜでしょう。ずっと見つめられると、心がおかしくなってしまいそう。
「マリー。君が求めていたアンバーグリスと薬草モカミール――確かにここにある。おそらく研究のためだろうが……一体、何の研究をしているのだ?」
「……クローナペストの治療薬を開発するためです」
私はまっすぐ、迷いなく答えた。
一人の研究者として、そして何より――もう誰も、この病で苦しむことのないように。
ルドルフ様は一瞬、目を見張り、それから小さく頷いた。
「なるほど……やはりそうか。いいだろう。アンバーグリスと薬草モカミールを譲ろう」
思わず、ぱっと笑顔がこぼれそうになったその瞬間――。
「ただし、一つ条件がある!」
そう言うなり、ルドルフ様は顔をぐっと近づけてきた。
近い。息がかかるほどの距離。
私はまた思わず、大きく唾を飲み込んだ。
(な、何を……ルドルフ様は、何を要求なさるおつもりなの!?)
固まる私に、彼は穏やかな声で言葉を続けた。
「君の研究所を見せてくれ……そして、できれば君が研究しているところを見たい」
***
……と、そういう経緯で、ルドルフ様御一行は、私の家――いえ、研究施設へと招き入れることになりました。
「うわ……部屋がぐちゃぐちゃだな」
護衛のひとりが、ぼそりと呟いたのが聞こえました。
フクス様は、無言のまま、目力でその護衛に怒りを告げる。
(……わかっていますけどね。実際に言われると、やっぱり少し傷つきますわ)
もともと、人を呼ぶ予定なんてありませんでしたもの。
――でも、片付けくらいはしておけばよかったと、今になって後悔しています。
私はルドルフ様に向かって、姿勢を正し、静かに告げました。
「ルドルフ様……あらためまして、食料と日用品、そして実験材料まで譲っていただきありがとうございます」
「私はこれから、さっそく実験に取りかかりますが……申し訳ございません。実験中は、周りが見えなくなる性格でして……多分、話しかけられても反応できないかもしれません」
「構わん。私はマリーの研究している姿を見られるなら、それでいい。それと……よろしければ、そこにある本を読ませてもらってもいいかな?」
ルドルフ様は、机に散らばった本の山を指さされました。
「ええ……それは、もちろん、問題ありませんわ」
正直、ありがたいお申し出。
実験に集中している間、誰かに話しかけられると反応できず失礼になる。
けれど、ルドルフ様が読書に集中してくださるなら、互いに気を遣わずに済みます。
私は気持ちを研究者モードに切り替えるため、髪をひとまとめにして後ろで軽く結ぶ。
そして、意識のエネルギーすべてを実験へと向けた。
(さて……前回は“強制再活性化”の成功まで進んだ)
(理論上、これによりクローナペストの末期症状――臓器不全や呼吸停止を引き起こしたとしても、そこから回復させることができる。さらに、その過程で身体の防衛機能が活性化し、最終的には病そのものを打ち消すはず)
(しかし……問題は、その後の安定性)
(強制再活性化後の身体機能の維持。これができていなかった。だが――これさえ克服できれば、治療薬はほぼ完成といっていい。そのためには、生命素子と魔素媒介液の“正確な融合比”……それを導き出すことができれば)
私は黒板に向かい、融合比を求めるための計算式を書き連ねていく。
――カッ、カッ、カッ、カッ、カッ……
チョークが黒板を叩く乾いた音が、心地よいリズムを刻む。
この音が、私の思考をさらに加速させてくれる気がする。
(……これなら!)
――カッ!
導き出した計算式。
私はすぐさま試験管を取り、計算どおりに調合を始めた。
「……これなら、どう……!」
――ボコ……
泡が一瞬だけ、ぽつりと浮かび上がり、そしてすぐに消えた。
泡が安定し、継続的に発生し続ければ成功。
だが、今回は一度きりで終わった。
――つまり、また失敗。
「ああ! もう、どうして! 何が間違っているの!!」
私は大声を上げながら、髪をくしゃくしゃにかく。
やはり、私ごときでは薬の完成など無理なのでしょうか。
いいえ――そもそも、クローナペストの治療薬なんて、実現不可能なのでは……。
心が折れそうになりながら、私はふとルドルフ様の方へと視線を向けました。
すると、ルドルフ様とフクス様が、目を奪われたように私を見つめながら、立ち尽くしていたのです。
「ルドルフ様? フクス様?」
……もしかして、私、失礼なことをしてしまったでしょうか?
あっ、今の大声がうるさかったとか? それとも実験が失敗したことに落胆されて――
「ルドルフ様……お気づきになりましたでしょうか?」
フクス様が、私を見たまま静かに言った。
「ああ……見事なものだ。クローナペストの研究が、あそこまで進んでいるとは……。我が帝国の研究者でも、ここまで到達した者はいないぞ」
ルドルフ様もまた、私から目を離さぬまま応じる。
「彼女なら……作れるかもしれない……本当に、治療薬を……」
その青い瞳が、一層強く輝いて見えた。
そして――
「マリー!!」
ルドルフ様が勢いよく声を上げ、次の瞬間、私の両手をがっしりと掴んだ。
その顔は、まるで宝石を見つけた令嬢のように興奮に満ちていて……(私は宝石など興味ありませんが)
「マリー・フォン・キュリスベルク! 私から一生のお願いだ!
君の研究を――我がヴァスタ帝国で、全面的にバックアップさせてくれ!!」




