表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/10

2.「ルドルフ・フォン・ヴァスタブルク殿下」

 婚約破棄からはや数日。

 私は王都のはずれにある古い別邸――もとい、即席研究室で暮らしている。

 資金はカツカツ、設備もボロボロ。屋根の隙間からは風がピュウピュウ入り、いつも寒い。

 季節が暑い時期だったなら、虫も入ってきそうなところ。

 けれど、そんなことはどうでもいいのです。

 やりたかった研究を、好きなだけできる喜びに勝るものはないのだから!

 だから今日も、私は研究に勤しむ。


「よし……今度こそ――」


 手にした試験管をくるくる回しながら、結果を待つ。

 今、私はある()()を治す“万能薬”を作るため、試験管に次々と材料を加えていた。


「魔力流路、再調整……あら? 薬草のエーテル濃度が微妙にズレてますわね……」

「じゃあ、ポイントを再設定しましょう……アンバーグリスを足して、調合! これで魔力増幅三割アップですわ!!」


 理論上なら、これで薬は完成するはず――だが。

 ――ボコボコボコッ


「ちょ、ちょっと泡立ちすぎですわ!? ちょ、待っ――!」

 ――ドッッカァァァァァァン!!!


 実験室の窓がガタガタと震え、天井から薬草の葉っぱがぱらぱらと降ってくる。

 気づくと全身真っ黒、髪は勝手にアフロ風にヘアアレンジされていた。


「ケホケホ……どうやら、生命素子と魔素媒介液の融合比の見直しから必要ですわね……」


 やはり、そう簡単には完成しない。

 けれど今回は、“強制再活性化”まで進んだのだから、十分な成果はあった。


「よし、さっそく融合比の見直しをしますわ」


 実験とは、試行錯誤の連続。

 いくら理論値を出し、最適解を求め、ベストを尽くしても、必ずしも良い結果につながるとは限らない。

 ですが、たとえ失敗しても、必ず一つ得られるものがあります。

 ――それは、“失敗”という名の、貴重な経験。

 失敗したということは、どこかで考え方ややり方を間違えたということ。ならば、その原因を見つけ出せば、次は同じ間違いをしない。

 よかった。今日も私は、失敗によって万能薬完成に一歩近づいたのですね。


「……実験し続けることで薬を作れるように、人も歩みを止めない限り、失敗という言葉はないのかもしれませんわね……いや、小娘ごときの戯言ですけれど」


 一丁前に哲学めいたことを語ったが、箱入り娘の私に、人の人生なんて全然わからない。

 それでも、こうして酔ったように哲学っぽく、“人生とはなんぞや――”と独り言をつぶやくのも、悪くないですわね。


 次の実験に向けて材料を確認しようとしたら――


「あら? アンバーグリスと薬草モカミールが足りませんわ……買い足さないと」


 材料が足りない。

 いくら失敗が無駄じゃないとしても、そもそも実験できる状態でなければ、何もできない。

 仕方なく、私はアンバーグリスと薬草モカミール、ついでに本日の夕飯を買いに街へ出た。


 ***


 街中を歩いていると、私のことをひそひそと話す声が聞こえる。


「ホラ……あの人よ。例のダス様に捨てられた人、キュリス連合王国元令嬢のマリー。今では、古い館で哀れに一人暮らししているそうよ」

「まあ、令嬢とは思えないボロい服装にアフロヘア……気でも狂ったのかしら」

「ダス様から婚約破棄されたんですもの。無理もないわよ」


 私に聞こえないよう小声で話しているつもりでしょうが、こういう自分に関する話は、なぜか遠くでも聞こえるものですね。


 言われている通り、今の私は化粧もせず、服装も中古や譲りものばかり。

 遠目に見れば、まさに“没落令嬢”そのもの。

 王族だった頃の華やかな服装や宝石は、研究施設やその環境づくりのために質屋に預けてしまった――つまり、もう手元にはないのです。

 けれど、悲観なんてしていません。本来の私は、人の目なんて気にしない性格。だから、誰にどう思われようが、どうでもいいのです。

 むしろ、王族の頃は常に身だしなみを整え、令嬢らしい振る舞いを求められてばかり。

 名声も地に落ち、好きなように生きられる今の方が、ずっと気楽なものです。


「……とはいえ、このアフロヘアだけは、さすがに許容できませんわね」


 私は近くの店のガラスを鏡代わりに覗き込み、アフロヘアを元のストレートロングへと急いで戻した。

 そうして、いつもの行きつけの店に向かいました。しかし、運悪く品切れで――実験材料も、本日の夕飯の食材も、一切ありません。


(まあ、たまにはそういう日もありますわね……)


 このときの私は、特に気にも留めず、次の店へと向かいました。

 ですが、次の店でも……


「……品切れ?」


 おかしいですわ。今日はセールでもやっていたのでしょうか。

 そして、次の店、また次の店、さらにその次の店へと足を運びましたが……


「――ない、ない、ない、ない!」


 思わず両手で頭を抱えた。

 実験材料や夕食の食材のみならず、生活用品も、すべて品切れ……一体、何が起こっているの!?

 私は半ば泣きそうになりながら通りを歩いていた。


「どうしましょう、なんで……どこの店も品切れなの? 本日は祭りや特別な日でもないはずなのに……」

「もっと遠くまで探しましょうか……それとも、今日は家に――」


 どうしようかと途方に暮れて立ち止まったその時――


「待って! ルドルフ様のお通りだわ!」

「う、嘘、あのヴァスタ帝国の――ルドルフ様!?」


 街がざわめき、人々が一斉に道の端へ避ける。

 通りの向こうから、護衛を従えた馬車の列がゆっくりと進んでくるのが見えた。

 黒と銀で彩られた狼の紋章旗が、風を受けてはためいている。

 ……間違ありません。あれは、ヴァスタ帝国の紋章。


「……ヴァスタ帝国の皇族が、どうしてこの辺境に?」


 思わずつぶやき、少し離れた位置から私は見守る。

 やがて、馬車が止まると、顔たちが整った一人の青年がゆっくりと姿を現した。

 灰のような銀髪が、薄暗い夕方でも淡く輝く。そして、その瞳は――蒼炎のように、静かに燃える青。

 彼の名は――


「……ルドルフ・フォン・ヴァスタブルク殿下」


 そう、私は小声で呟いた。

 帝国の第一皇子、ルドルフ・フォン・ヴァスタブルク。

 大陸の半分を治める巨大国家の、次期皇帝候補だ。

 この国、キュリス王国は表向きこそ同盟国だが、実質的にはヴァスタ帝国の庇護下にある。


「……ねえ、やっぱりルドルフ様ってイケメンよね」

「本当にそう! 一度でいいから、あんな人とお話してみたいわ……」


 私の隣で、女性たちのひそひそ声が聞こえる。

 たしかに整った顔立ちではあるけれど――恋愛より研究が恋人の私には、特に興味はありません。


「キュリス王国の民よ! 聞け! 我が名は、ルドルフ・フォン・ヴァスタブルク!!」


 次期皇帝候補に恥じない威厳のある声が街中に響いた。

 その声は決して大きすぎるわけではないが、聞くだけで、誰もが思わず見入ってしまうような、重厚さを感じさせる。

 事実、ルドルフ様の一声で、ざわめいていた街は瞬く間に静まり返った。

 子供たちも、走っていた犬も、商人も、みな足を止め、声の主に目を向ける。

 通りを歩く人々の背筋がぴんと伸び、誰もが自然と頭を下げる――まるで、声だけで人々を統べるかのようだった。

 ……そして、いつの間にか、私も頭を下げていた。


 やがて、私を含め、街の誰もがルドルフ様に注目しているのを確認すると、彼はゆっくりと次の事実を告げた。


「昨今、世界中に蔓延する疫病――“クローナペスト“。ついに、このキュリス王国にも侵入した!!」

「……ええっ!?」


 思わず大声を出してしまった。

「無礼者!」と護衛に叱られ、私はすぐに謝罪して沈黙する。


 疫病――クローナペスト。

 それは、いまだ治療法の見つかっていない、不治の病。

 初期症状は風邪のように、高熱や喉の痛み、咳を伴う。やがて末期症状に至ると、臓器不全や呼吸停止を引き起こし――そのまま死に至る恐ろしい病である。

 さらに恐ろしいのは、その進行の早さ。発症からおよそ一ヶ月で、確実に死が訪れるのだ。

 だからこそ、世界中で治療法の確立が急がれている。

 そして――何を隠そう、私が研究している薬は、まさにこのクローナペストを治すためのものなのです。


 ルドルフ様は話を続ける。


「本日、どの店でも品切れが起きていただろう……あれは、クローナペストが王国に入ったという噂が広まったせいだ。

 人々は恐怖に駆られ、日用品や食料を買い占めたのだ。さらには、次回の入荷も疫病の影響で遅れている」

「そ、そんな……」


 私は思わず言葉を失った。

 そして、同時に納得した。どの店でも、品切れだった理由を。

 次回の入荷が遅れるとなれば、食事はもちろん、実験も思うように進まない。

 食事は少量でも生き延びられる。しかし、実験が進まないのはつらい。

 いや、そもそも私自身がクローナペストにかかってしまえば、志半ばでこの世を去ることになる――それだけは絶対に避けたい。

 そんな気持ちが沈んだその時――


「だが、安心しろ……それゆえ、私がここに来た! 君たちの恐怖を少しでも和らげるために、食料と日用品を届けに来たのだ!!」


 力強く、そして揺るがぬ決意を込めた声に、街の人々の顔に安堵の色が浮かぶ。

 そうして、街の人々は列を作り、順番に食料と日用品を受け取ることになった。

 そして――私の番が来た。


「君は……さっき大声を出した女性だな」


 ルドルフ様が、まっすぐに私に話しかけた。

 高い身長、整った顔立ち。そして、間近で見つめられる青い瞳――。

 その瞳は、蒼炎のように静かに燃える青でありながら、氷のように凍てつく冷たさも宿している。

 相反する気配が同居するその瞳に、ついついじっくり見入ってしまう。


「どうした?」


 黙り込んだままの私に、ルドルフ様が心配そうに声をかけてくる。


「え、えっと……あ、あの時は……申し訳ございませんでした」


 しどろもどろになりながら答えた。

 おかしい。

 普段なら、もう少し落ち着いて話せるはずなのに――。目の前のルドルフ様を前にすると、どうしても心がざわついてしまう。

 これは、ルドルフ様の威圧感によるものなのか。それとも――別の理由によるものなのか。


「いや……大声を出したことを謝る必要はない。むしろ、君のように正直に反応する人は好ましい」


 柔らかく、しかし芯の通った声が耳に届き、胸の奥に温かさが広がる。


「……名前を教えてもらおうか」


 物資を受け取るにあたって、ルドルフ様が静かに問いかける。


「……マリー・フォン・キュリスベルクです」

「マリーか……こちらが食料と日用品だ。体調には十分気をつけるんだぞ」


 そう言って、護衛から受け取った袋を、ルドルフ様は私に手渡した。

 その瞬間――指先が、ほんの一瞬だけピタッと触れ合う。


「あっ……」


 思わず声が漏れ、心臓がドキッと大きく跳ねた。

 物資を受け取ったのだから、このまま礼を言って帰るべきだ。

 けれど――私は、どうしても伝えたいことがあった。


「あ、あの……失礼ですが、ルドルフ様。差し出がましいこととは存じますが、ひとつ、お願いを申し上げてもよろしいでしょうか?」

「うん? お願いだと? 何だ? 申してみよ」


 ルドルフ様が応じると、今度は演技ではなく、自然と大きく唾を飲み込み、慎重に言葉を紡いだ。


「もし、もし……アンバーグリスと薬草モカミール、この二つがあれば、ある分だけ、渡してもらうことは可能でしょうか?」

「何……アンバーグリスと薬草モカミールだと!?」


 思いもよらぬ要望に、ルドルフ様の声がわずかに高くなる。

 無理もない。いきなりこんなことを言われれば、驚くのも当然でしょう。

 ですので、私は、一から説明しようとした。

 私もクローナペストの治療薬を開発しており、そのためにアンバーグリスと薬草モカミールが必要であることを――。


 その時――

 ――ガタッ!

 馬車の扉が勢いよく開いた。

 中から現れたのは、黒いタキシードに、白髪に片眼鏡をかけた中年男性――どうやらルドルフ様の執事様でしょう。

 しかし、その表情は尋常ではなかった。


「お待ちください……マリーに、薬草モカミール……思い出しました……」

「あなたは……もしや……キュリス王立魔法学院の出身にして! “癒しの(ヒーリング)錬金術師アルケミスト”と呼ばれた――マリー・フォン・キュリスベルク令嬢ではないでしょうか!!」



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
拝読いたしました! 婚約から解放されて研究に没頭する元令嬢マリーのキャラクターが魅力的で、失敗を前向きに積み重ねていく姿が好印象です!マリーの研究者としての真剣さと、周囲の評価とのギャップも面白く、先…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ