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コアワルツ・リィンカーネーション  作者: 彷徨南無
双胎、或いは絶対

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レイニーブーツ

 

 空挺型侵略者と呼ばれる宇宙船が港を通り、サードアースからセカンドアースへと旅発つ。

 美しい穴の空いた人体。魑魅魍魎の死体。それらが点々と続いて、その中心には闇。

 その闇に向かって血の海の中を歩く女がいた。長身の背丈に癖のついた黒髪が映える。長い髪に目を伺うことはできず、両耳には大仰なヘッドギアがついている。エレクトーンのような奇妙な音を聞いて、口角を上げる。

 ある円の中に侵入したものに、それは反応する。円の外側は有脳体の死体が折り重なっている。黒髪の女性は堂々とその輪に入った。海月のように細長く半透明の触手が真っ直ぐに彼女の首元に向かう。先端は針。石が割れるような音がして、その首に大穴が空いた。鈍い音を立てて落下する。その顔は未だ笑っていた。

 駄目押しに他の触手も襲い掛かる。首の無い胴体はマントを使って攪乱しながら追撃を容易く避けた。そのまま右手で銃のジェスチャーをとる。その瞬間、触手の一本が焼き切れた。切れ端が黒い体液を出して辺りを染める。

 全ての触手を切除して、胴体は根本に迫る。そこには頭をがっくりと垂らしてへたり込む者がいた。幽かな呼吸音。半身は白い布で覆われたように皮膚が爛れている。半身皮膚とくっついてしまったサードアース軍の外套が破れかぶれになっている。右脚の膝から下は無い。背中からは触手がのびていた。

 断裂した触手の停止を確認し、女性の胴体は転がった自らの首を拾う。ガチャガチャと接合部を合わせ、無理やりに繋ぎとめた。そのまま意識の不明瞭な生命体を抱き上げる。

 生命体はその体温に包まれ、力なく呟いた。

「かあ、さん……」

 虚ろな目に涙が光った。女性はため息を吐く。

「んに~。ボクは超若作りのババアだよ」



 ――――――――――――――――

「良い人間とは常に一番を目指すものだ」

 アリカは定例の説教に飽き飽きして髪をいじっている。

「一番であれば、何もとりこぼすことなど無いのだ。しかし近頃のこの体たらくは何だ?」

 ブランド物を纏った筋骨隆々の男性が、手に持っていた新聞を握りつぶした。紙面には直近の大会の優勝者が祝福されている。それはアリカたちのカップルではなかった。彼女らは三位。

「大会前はもっと練習時間を増やせ。たるんでいる」

「テストも重なってたんだから仕方ないだろ」

 高校から帰宅し、制服から着替える間もなく書斎に連れてこられているアリカは早くこの場を立ち去りたくてうずうずしている。木の高級家具と本棚に入りきらずに積み上げられた本が威圧しているようだった。

「それが怠慢だと言うのだ。お前は毎日しっかり勉強しているのだから、直前の詰め込みなぞ必要ないというのに」

 図星を突かれて、アリカは頭を掻く。彼女は日々の授業をきちんとこなしているので、テスト期間は専ら友人たちに勉強を教えるばかりだった。

「別に、そこそこでいいだろ」

 呟くように放った小さな声が逆鱗に触れた。男は新聞を机に叩きつける。アリカは縮こまった。

「アリカ……父の名に恥を塗るな」


「そんなの、私達の勝手なのにね」

 父の横暴を聞いて、エリィは小さくため息を吐いた。放課後の教室


 で、エリィはアリカの髪を結っている。二人きりだった。

「エリィは……こういう時間を犠牲にして、一番になるために練習したい?」

「私、あなたといられるのならどっちだっていい」

 何でもないようにエリィは答えた。アリカは頬を染めて俯く。


 練習をおろそかにしているわけではなかった。ただ、大きな大会で一位をとるには足りないというだけ。二人ともセンスが良く、学校に通いながら着実にダンスの技術を身に着けていた。


 アリカは父の教えに共感できずにいた。

 その日は地方大会だった。競技としてではなく娯楽として参加する中年のカップルも多い。

 ダンスフロアで、アリカは弾かれるように転倒した。エリィも巻き込まれる。ダンスフロアに鮮血が一粒落ちた。

「エリィ!」

 すぐに体勢を立て直して、鬼気迫る顔でアリカが叫ぶ。音楽はまだ続いている。

「平気だよ」

 そう言って、エリィはアリカの悲壮な顔を見て、その視線の先を見た。ドレスに血が滲んでいる。左肩に切り傷ができていた。アリカのハイヒールの先がかすったようだ。

「ごめん……ごめん、アタシが下手だったから」

「大丈夫だから、泣かないで。ここを離れよ」

 二人は立ち上がり、救護室へ向かう。装飾の多いドレスで廊下を歩くと、人々の視線が痛かった。今アリカは、パートナーを怪我させたリーダーだった。

 その日の帰り道を、アリカはよく覚えていない。もし怪我をしていたのが顔だったら、どうあがいても償いきれない。一番傷つけたくない人を傷つけてしまった。

 それから、言うまでもなくアリカは練習に打ち込むようになった。エリィがいない時も一人で踊った。父親が忙しくて帰らない日、夜中に抜け出して公園で踊った。疲労骨折してドールに怒られた。授業中はこっそりダンスの動画を見た。断っていたインタビューを受け、メディアに露出するようになった。

 アリカは見違えるほど上達した。しかし、表情の作り方が下手になった。コンペティション・ダンスは表情も評価の対象となっており、全身で感情を表現することが求められる。

 いつからか、彼女等の踊りは精密機械に例えられるようになった。正確無比で、遊びが無い。アリカは、これでいいと思った。自分はエリィという光を際立たせる影であればいいと思った。

 しかし、アリカは必死で気づかなかった。本来エリィの踊りはジャズのような偶然性を重んじる変幻自在なものだったことを。より楽しいほうを求めて、エンターテイナーとして皆を喜ばせることに喜びを感じていたことを。


 影は影でしかなかった。


 ――――――――――――――――




「アリカ……アリカ」

 誰かが呼ぶ声がする。恐る恐る目を開けると、長い黒髪で両目の隠れた女性がこちらを見ていた。何もかも、知らない景色だった。身体が重い。難儀して身体を起こすと、右脚の凹んだベッドが軋んだ。部屋は薄暗く、埃っぽい。

「んに。おはよう」

 長い黒髪で目も確認できない女性がにこやかに声を出す。アリカは声を出そうとするが、長い間そうしなかったせいでうまくいかない。

「ボクはウスバ。キミを宇宙船から盗み出してきたよ」

 ウスバと名乗った女性はひらひらと手を振って見せる。首に巻き付けた全身を覆い隠すマントの下には基礎が見え隠れしていた。アリカは肉体の不均衡を感じて視線を落とす。右脚の膝から下は無く、右半身が白い脂肪のようなもので覆われている。身体の輪郭が変化し、不規則な凹凸ができていた。

「アタシはアリカ……知ってるみたいだけど」

 困惑しながらもアリカはウスバを見る。彼女は口元を歪ませていかにも愉快そうだった。

「んに~。キミの記憶を覗かせてもらったよ。ボクは脳の科学者なんだ。ずいぶん無茶をやってこの星に来たみたいだな」

 奇妙な口癖を披露しながらウスバはアリカに近寄る。そのままアリカの右腕に触れた。

「キミは有能体(モレイイール)と融合して生き残った世にも珍しい生命だ。キミたちの言葉なら……拉致型侵略者、か」

 アリカは目を伏せる。

 拉致型に呑まれた後、瀕死でありながらもそれは船へ辿り着いた。腹を膨らませた拉致型は傷ついた侵略者の群れの中でじっとしていた。

 それは「母」だった。もちろんアリカと血が繋がっているわけではない。しかし偶然にも、それは母だった人間の幾人かを材料にして生まれた兵器だった。その拉致型は兵器として埋め込まれた冷酷さを、怯える孤独な子供の前に忘れてしまった。拉致型はアリカに自らの全てを分け与えた。我が子が飢えないように、温もりを与えた。敵が来れば遠ざけた。

 意識を失っていたアリカだが、なんとなく知っていた。拉致型が自分の命を守ったと。その過程でいくつかの命が失われたと。動悸がして、心臓が震え出した。アリカは目を見開いて、胸の中心をぐっと掴む。

「アタシのせいで……何人が死んだ?」

 アリカは声を震わせる。脚を引き寄せて、死者の視線から隠れるように頭を抱える。絞り出した声は消え入りそうだった。

「いや、人数の問題じゃない……人殺しだ…アタシは…」

 虫のようにか細い声。

「殺してくれ」

 頭を掻きむしりながら、アリカは震えている。ウスバは何も言わないで、アリカの肩を強く押し倒した。

 どこからかウスバは古風な拳銃を取り出し、アリカの胸に当てる。そのまま破裂するような音がして、銃弾が彼女の右胸―――ちょうど心臓のあるような場所を貫いた。熱線で貫かれたように、患部が熱い。熱くて,汗が滝のように出る。床に鉛がめり込む。

「あゥ……がっ」

 苦しみにもがくアリカの両腕を、のしかかったウスバが掴んだ。

「ん。傷口に触れるな」

 口の端から血が流れた。患部からも黒い血が垂れる。コントラストで際立つ白い脂肪のような塊がにわかに流動し、空いた穴が塞がれていく。

 激痛と動悸のなか、アリカは肩で息をしている。息をしている。

「フフ……ハハハ!」

 ウスバが身体を反らして大口を開け笑う。古びたベッドが悲鳴をあげた。

「おめでとうアリカ!キミは有脳体と融合し、殺されても死なない身体を手に入れた!」

 アリカは勝手に溢れてきた涙を拭うこともできず、茫然としている。続く痛みが思考に靄をかける。

「ぁ……アタシ、今、撃たれ……」

「んに?キミはまだ自分が人間だと思っているのか?」

 脇の下に手を入れ、ウスバは膝立ちのままアリカを高く持ち上げた。天井すれすれまでアリカの視線は持ち上がる。s

「んに~。アリカ、キミは今殺されて、新しく生まれた。不死の化け物同士、仲良くやっていこうじゃないか」

 明るい声色が狭い部屋を満たす。アリカは事態を消化する前に、新たな痛みに襲われる。

「……ッ」

「ん。まだどこか痛むか?」

「右脚……幻肢痛……」

「んに。少し耐えろ」

 ウスバはゆっくりアリカを寝かせ、しばらく思案した後そう言って部屋を出た。アリカは先っぽのない右脚を抱き、埃っぽい布に顔を埋める。

 十分ほどして、革靴のような足音を鳴らしながらウスバが戻った。彼女のヘッドギアとは似て異なる、ヘッドホンのような機械を持っている。

「んに、少し電気を流すぞ」

「え……」

 抵抗することもできず、アリカの頭にヘッドホン型の何かが装着させられる。痛みと恐怖に身体を縮こませる。ウスバは少し離れてボタンを押した。すぐに刺激が走る。

 それは、ホールドが組み変わるような、滑らかな変化だった。

 思わず目をつむったアリカは、驚いて起き上がった。痛みが消えている。心なしか少し身体が軽い。ウスバの顔を見る。

「ンフフ。身体地図を書き換えてみたよ。無い物を有ると脳が勘違いして起こる痛みは、こうして克服できる」

 身体地図とは、“脳が思う”自分の肉体のことだ。脳はよく間違える。思春期に急成長した身体に対して更新が追いつかずに身体の端をよくぶつけたり、楽器やラケットを自分の身体だと認識したりする。

「脳の研究だけは君の星、サードアースよりも進んでいるからね。ボクがあのロボットを作るなら、もっと脳への悪影響を減らせるだろうに……」

 そう話しながらウスバはアリカから機械を取り外した。

「……ありがとう。アンタの真意はよくわかんねえけど」

「んに?こんなに心優しくて分かりやすいやつはそういないだろ?」

 ウスバは手を広げて首を傾げる。

「いや……殺したり治したりわけわかんねえよ」

 ウスバはアリカを見やり、一息ついて、微笑んでこう言った。

「ボクはキミが好きなんだ。それだけさ」

 清々しいほど真っ直ぐな言葉に、アリカはたじろぐ。思わず目線を逸らした。

「実験体として、これ以上ないしね」

「んなっ……」

「さァ飯にしよう。と言ってもキミだけだが……腹はすいているだろう?」

 ウスバはついてこいと言いアリカを案内する。キッチンのついた小さなリビングのテーブルには山盛りの料理が所狭しと並んでいる。

「アタシ一人に、これを……?」

「んに。キミはまだ二十二のガキなんだ、これくらいいけるだろう」

「アンタは食べないのか」

「ん、言ってなかったか。ボクの身体はロボット。コアで動かしている。だから食事などという面倒な行為は必要ない」

 そう言ってウスバは頭を外して笑った。断面から豆電球が点滅するのが見える。

「ウワッ!」

 声を上げるアリカを見てウスバは更に笑った。




 食欲は無かったはずだったが、少し手をつけると無言で食べ続けてしまった。ウスバは何故か同じ食卓につき、口角を上げながら見守っている。全く見たことのない肉の炒めや黄色く濁った根菜のスープを腹に入れると、アリカは久しぶりに温かい睡魔に包まれた。ここで寝てはいけない、と思いつつ頭が揺れる。ウスバが席を立った。

「んに。人間の肉体は難儀だなァ」

 ウスバは彼女を持ち上げ、ベッドへ運んでやった。

「おやすみ。せめて今日くらいは、ゆっくり眠るといい」




 風を感じて目を覚ますと、アリカはウスバの背に揺られていた。ウスバのマントとまとめて布に覆われている。ぼんやりしていると、ウスバが振り返りもせずに言う。

「んに、まだ寝てていいぞ」

「ここは……?」

 セカンドアース周辺に太陽のような星はなく、ドーム都市部のみを電気が照らしている。ウスバの拠点は都市を離れており、今歩いている道もほとんど明りがない。灰色の砂が舞っていた。アリカだけが白い息を吐いている。

「セカンドアース。深海さ」

 アリカは眼前の光景に魅かれて深く息を吸った。遠い都市部と思われる場所は輝いているが、この星を覆ってしまえるほどではない。生命の感じられない、白や灰の砂漠は「深海」という比喩を裏付けていた。

「キレイだろう。この星は磁場が発生しやすくてね、いろいろ浮かんでいるんだ。ほら、そこの空魚とかな」

 ウスバは顔も動かさないまま空を指差す。

「本当に……こんな生物がいたんだな」

「渡航の制限もずいぶん長かったが、星交が完全に途切れたのは確か十年前か。見たことなくて当然だなァ」

 妙に寂しそうにウスバは言った。

「今は人の多い場所を目指している。知り合いから既に拠点に向けて追手が放たれたとタレコミがあった。キミは軍部から追われている。だから、こうして隠れやすい場所に運んでいるというわけだ」

「……降ろしてくれ。アタシは逃げるわけにはいかない」

「捕まれば兵器にされるだけだ。償いにはならないさ」

 言わんとすることが読まれている。アリカにはうっすら覚えがあった。サードアースからセカンドアースに帰る船で有脳体と乗組員の命を奪ったこと。

「こんなに……罪を重ねているのに、どうして、アタシだけが生き残る」

 ウスバに問うでもなく、アリカは呟いた。

「んに。キミはもう懲りてしまったのか?生き残ったんだからキミのパートナーにも会えるじゃないか」

「エリィのことを知ってるのか」

「んに~、暴れるな!」

 思わず身体を乗り出してしまい、ウスバは前かがみになる。

「平常ではいられんだろうが、ゆっくり話そう。キミの想い人のこと」

「おっ……」

 アリカは耳が熱くなるのを感じる。

「んに。キミはさっさと告白でもして恋人になっておくべきだったな」

「なんでそんなこと……まさか」

「んに。生まれてからボクと出会う日まで、全ての記憶を見せてもらったよ。脳には思い出せない記憶も収納されているから、今ボクはキミよりキミに詳しい」

 ウスバはしたり顔をしている。

「暴挙だ……」

 アリカが恥ずかしがって俯いた。改めて息を吸って疑念を払拭できていない眼差しを向ける。

「まだアンタは信頼できないが、今は信じることにする。話してくれ、エリィのこと」

「んに。もう暴れるなよ」




 その赤ん坊は私生児だった。父親は知れず、母親は困り果てていた。赤ん坊を養うほどの財産が無い。自分が生き延びるだけで精いっぱいだ。

「その赤ん坊、売らないか」

 スラム街の路地に似合わない、高価そうなコートを着た男が母親に声をかけた。渡りに船だった。まだ名前すらもついていない赤ん坊は取引の末、男に売り渡された。母親は赤ん坊を売った金で肉を買った。

 男は第二王子直属の部下だった。秘密裏に赤ん坊を集め、実験の材料にしていた。独自の兵器開発に繋げるためのものだ。

 人間は(コア)を失うと、飛躍的に改造しやすくなる。枷が外れたように四肢が変化し、一部が肥大化する。開発基地では日夜魂が取り除かれ、捨てられていた。魂の有用な活用方は見出されていない。コストが高いのだ。

 たくさんの命が消え、合成され、すりつぶされ、砕けた。その末に、唯一有脳体と融合できた者がいた。安定を確認した後、その幼児は王族の一人娘という枠に収まった。彼等はいずれサードアースに赴くことが決まっている。潜入しても悪目立ちしないよう、名が与えられた。

 エリィ・キリュウ。ひとりぼっちの、偽物の姫の名前。


 彼女は戦況を大きく変える聖遣(ダーリア)として、星の住人から大きな期待が寄せられていた。聖遣とは有脳体と融合した人間であり、崇拝の対象である。


「エリィ……」

 アリカはそれだけ呟いて考え込んでいる。なぜ話してくれなかったのか、という言葉がよぎったが、飲み込んだ。顔を上げる。

「アンタはなぜこの星の軍事の内情を知ってる?」

「……ボクは昔彼等の下で働いていた」

 ウスバが珍しく言葉を詰まらせる。背負われるアリカは彼女の顔を伺い知ることができない。アリカはそれ以上の追究を避けた。

「あの子が苦しんでいるのなら……助けに、行かなきゃ」

「んに。もう彼女は兵器になっている。どう救うと?」

「少なくともアタシは、エリィに人を殺させたくない。アイツを取り戻したい」

「でも、彼女は自分からキミのもとを去った」

「……それは」

 抗議するアリカの言葉をウスバが遮る。突然足を止めた。アリカが降ろされる。

「キミは分かっていない。コアが無いというのは、心が無いということだ」

「……心」

 冷たい風が吹きすさぶ。ウスバは腰に手をやって前方に視線を送る。街が近い。アリカの脳裏にエリィとクウロの顔が浮かんだ。

「そうは思えない。エリィは小さい頃から、アタシと笑ったり泣いたりしてきた」

「見せかけだ」

「なんでそう言い切れる!」

 ウスバは黙っている。アリカの顔を見ないままだった。

「ボクが……(コア)の抽出に初めて成功した科学者だからだ」

 アリカは息を呑んだ。ウスバの口は笑っていない。

「心を取り出した人間は飛躍的に改造しやすくなる。心がボク達の肉体を人間の形に保つんだ」

 街のぼんやりとした明かりが影を作る。アリカがウスバの前に立ち、胸倉を掴んだ。

「なんで……なんで、そんなことして平気でいられる!アンタがいなければ、エリィは、みんなは、みんな」

「フッ。平気に見えるか」

 自嘲のような表情を見せたウスバに、アリカは驚いて言葉を続けられなかった。

 アリカの手が覆われて、何かを握らされる。小さな鍵だった。

「キミは先にこの街の拠点に戻ってくれ。知り合いを案内に呼んである」

「……アンタは」

「んに。行くところがある」

 ウスバがどこからか取り出した小さな笛を吹くと、暗がりの中から拉致型有脳体が現れた。赤ん坊ほどの大きさで、通常より小さい。一つ目に背骨のような太い一本の触手と、そこから肋骨のようにいくつか触手が生えている。アリカは反射的に後ずさる。汗が噴き出た。

「んに~。寄り道するなよ」

 ウスバがそれに触れて語りかける。会話しているようだった。

「この子はユーニという。攻撃の能力は持っていない。彼について行くんだ。あ、街中では定期的に振り向くんだぞ。スられるから」

 声を聞いて、ユーニが楽しげに回転する。心を持たないらしい彼をそばに置くのはなぜだろうか。ウスバは何事もなかったように明るく手を振りながら闇の方へ向かって引き返していった。アリカが何かを言う暇もない。アリカとユーニの二人きりなった。緊張で口が乾く。

「……ユーニみたいなのは……ほかの人に見られてもいいのか」

 彼は頭を大げさに振り、アリカのマントの中に入った。そのまま右腕に巻き付いている。街の人の目につかないように案内してくれるらしい。


 エリィは軍部に管理されており、少し前決起集会に姿を見せてからその所在を隠されているらしい。今は軍部から逃げているのだから、おそらく彼女からは遠ざかっている。もちろん助けなければならないが、迫撃機巧も仲間もいない中、何かできるとも思えない。

 エリィを助け出すためなら、ウスバのような人間とも協力しよう。そう決心して、右腕を持ち上げる。ユーニが小首をかしげた。

「汗、すごいだろ……悪いな」

 小さい子供に笑いかけるように気を配ったが、不格好な笑みだった。ユーニが目を閉じたような気がした。あれから有脳体の声は聞こえない。口腔型を踏み潰した時の感触を振り払い、深呼吸した。そのまま街の明かりのほうへ歩みを進める。


 巨大な道路から分厚い半球のドームに包まれた都市に入った。内部に起伏はなく、どこまでも街が広がっている。天井があるからか高層ビルは見受けられない。天井付近には十二の電球が円に並んで設置してある。街の中は暖かく、明るい。浮遊する車が行きかっていた。洋風の華やかな服を着た人が多いが、腕や足を欠損している人も多い。仕事人の通りなのか、遊びのない場所もあった。辺りを見回しながらユーニが引っ張る方向へ進んでいく。

 光のマークを施した建物ばかりの都市を抜けると次第に明かりが減りほこりっぽい街に入った。ユーニは人通りの多い道を選んでくれているようだった。アリカはこの辺りを通って、電線というものを初めて見た。それほど背の高くない電柱に矜羯羅った電線が垂れていた。ここの人々は豊かではないらしく、子供たちは靴を履いていない。薄暗い路地に目をやると、電線にボロボロの紐靴がひっかけられていた。都市とは違い様々な人種が集まっている。アリカはフードを深く被り早足で歩いた。ウスバがあつらえた義足は収まりが良く、正常に機能している。


 街を十分ほど歩き、コンクリートがむき出しの平屋にたどり着いた。シェルターのような趣でドアに鍵穴は無かった。ユーニは地面近くの通気口の柵を器用に取り外し侵入する。すぐに中からドアが開いた。光が漏れる。

「……ここが拠点で合ってるのか。鍵も使ってないし」

 戸惑いながらもドアをくぐると、小さな部屋には簡素なテーブルとイス、金庫だけが配置されている。床にはなにも敷かれていない。ユーニがアリカを金庫の前へ引っ張った。立派な錠前がかかっている。促されるままに腰を下ろし、金庫に鍵を刺すと重い扉が開いた。

 中にはタブレットと小さなカード、厚い紙の束があった。ユーニが金庫の中に入ってタブレットの電源をつけた。尻尾でなぞった画面をこちらに向ける。文字が映っていた。

 ぼくのこと こわい?

 アリカが目を見開く。ユーニが答えを待っていた。

「……嫌なこと、思い出すんだ。ユーニが怖いとか、嫌いなんじゃない」

 よかった

 心なしか空気が緩む。アリカはまた悪いな、と言った。ユーニは電子機器を通じて会話ができるようだ。

 ウスバはきらい?

 アリカは言葉に窮して頭を掻く。

「……率直だな。怖くはない。撃たれたのに、なんでだろう」

 ウスバのこと きらわないであげて

「嫌ってないよ。ずっと守ってくれた恩もある。ユーニみたいな子に好かれてるんだから、悪い奴じゃないんだろう」

 アリカは金庫の紙を手に取った。コアに関する論文のようだった。コアの技術も、ダイナマイトのようなものかもしれない。そう考え始めた。

 そんなアリカを見て、ユーニは正方形のカードを持ち上げた。

 このなかのきろくに ウスバのこと ぜんぶある バックアップっていってた このきかいで ぜんぶみられる

 見て、とばかりにメモリーカードを突き出した。アリカはそれを優しく押しとどめる。

「悪い、ユーニ。アタシは見ないでおくよ」

 ユーニが尻尾を曲げる。

「うまく、説明できないんだけど……こういうのは本人の口から聞きたいんだ。ウスバはこれが公平だと思ってるのかもしれないけど」

 それだと うそも つけちゃうけどね

「ああ。それくらいは信用してる」

 ユーニが回転して喜ぶ。アリカも少し笑った。


 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――んに? メモリーカード、見てないのか。知りたくならなかったか?


 ……ボクの口から、か。わかったよ。

 長い話になる。




 西暦二千五十年、全長三キロほどの巨大な宇宙船が、砂の舞う不毛の星に着陸した。この船は異星を第二の地球として開拓する使命を帯びている。


 名をアルカディア。出発からの経過年数は三十年。クルーは二百。


 誰一人として、地球の大地に還ることはなかった。




「またスリッパで出歩いて…アサギくんに見限られるよ」

 ドアを開け帰宅した娘に、母親は呆れている。少女はくせのついた茶髪も気にせず、ラフな格好で船の中を歩き回っている。背は小さく、まだ幼さが残っていた。

「んに~。あいつはそんな奴じゃないもん」

 少女はぱたぱたと部屋を走り、髪を結び、荷物を持ってまた部屋を出た。船外に出る。たくさんの科学者達が少女を待っていた。

「私たち、行っちゃうよ、ウスバ」

 肩まで伸びる黒髪の少年、アサギが優しく語りかけた。

「んにー!ボクも!探検だ!」

 ウスバ―――アリカと出会った彼女とは似ても似つかない快活な少女―――は拳を高く上げた。



 ウスバとアサギは十五歳にして研究者としての頭角を現していた。ウスバは脳科学、アサギは遺伝子の分野だ。二人とも宇宙船の中で生まれた。


 探検家達はヘルメットを被り、前方をヘルメットについたライトで照らしながら進む。気温も人間が活動できる程度の冷え込みなので、動きやすさも加味した長袖の探索服を着こんでいる。大気はあるが太陽がないため、ライトがなければできることも少ない。重力はファーストアースとほぼ変わらず、地面は砂場のようだった。舗装された道しか歩いたことのないウスバは何度もよろめいた。

 頭上には息を呑むほどの星空がいつでも広がっている。かつてのアリゾナのような岩場を抜けると、砂漠があった。広々とした光景にウスバは目を見開く。

 突然地響きがした。急遽散らばっていた全員が一丸に固まり、大人達がウスバとアサギを庇う。

 砂漠の中心で風が砂を大きく巻き上げる。いや、風ではない。あれは、光?

「鯨だ」

 生物学者が歓喜に膝から崩れ落ちる。内部の球体から白い光を放つ半透明の鯨が、砂の中から跳ねた。高く、誰かを呼ぶような不安げな音が響く。それは鳴き声だった。

「すごい……」

 誰もが茫然と空を見上げていた。鳴き声に呼応するように他の鯨もやってきて、空を泳いでいる。記録を行おうとアサギがタブレットを取り出すと、それはもう動かなくなっていた。他の電子機器も作動しなくなっている。

「リーダー!リーダー!」

 ウスバの焦った声を聞き、アサギが振り返る。ウスバが「リーダー」と呼びかける筋骨隆々の男が額を押さえてきょろきょろしていた。

「みんな、どこだ……ここは……」

 その「リーダー」をはじめ周りの大人達はみな茫然自失し、魂の抜け落ちたように座っている。

 ウスバはアサギに向かい、叫んだ。

「アサギ!ボクがわかるか!」

「ああ。私は無事だ」

 答えながらアサギは辺りを見渡す。

「皆は何も聞こえてない。夢のなかにいるみたいな……触れられてもわからないみたいだ」

「電子機器も全て動かなくなっている。独立した電源を持っている機械も通電していない」

 ウスバは鯨の巨大な光によって気づかなかったが、全員のライトが消灯している。鯨の群れは遠ざかってはいるが、まだ近くにいる。

 アサギは考える。全員が助かる方法を。その間も、鯨の炯炯とした光が泳ぐ。

「……ウスバ。君だけ引き返してくれ」

「そんな!アサギや皆はどうするんだよ」

 鯨の声が轟音を巻き起こしている。大人達は地面に縮こまっている。

「信号が途切れたから、船から救助隊が出ているはずだ。その人達と合流して状況を説明するんだ。ボクはここに残って皆を守る」

 ウスバは唇をかむ。他に選択肢が無かった。アサギはなんでもないように微笑んでいる。

「アサギ、かがんで」

 言われるままに少年は屈む。少女の唇は同じ高さに降りた唇をふさいだ。ほんの短い間。

「待ってて」

 踵を返し、顔を真っ赤にして、少女は走る。







 隈の浮いたウスバは頬杖をついてモニターを見ている。キーボードを打つ手はずいぶん鈍かった。モニターには探検隊の脳のCTスキャンが映っている。いつも結ばれているくせっけも解き放たれ跳ね放題になっている。机は書類で埋まっていた。ウスバはその中に手をつっこみブロック型の栄養食を取り出す。

 背後からウスバの手首が握られる。栄養食が取り上げられた。

「んに~。何だアサギ」

 椅子を回転させて、アサギに文句を言う。彼も少しやつれているが、ウスバほどではない。

「これは食事とは言わない。朝ごはんもまだだと聞いたよ。さ、食堂に」

 ウスバはアサギの手を振りほどく。三日経っても五感が失われたままのリーダ―の虚ろな瞳を思い浮かべた。外傷どころか内部の異常すらも見つからず、ウスバは脳に異常があると考えている。

「まだ何もできてないんだ」

「ウスバ……」

 ウスバはまたモニターに向き直る。アサギは彼女の耳元で囁いた。

「私は背の高い女の子が好きだ」

「んに!?」

 ウスバは赤面し、耳を押さえて立ち上がる。机の上のペンが転がって落ちた。彼は微笑んでいる。

「初耳だ……なんでもっとはやく言わなかったんだ!」

「こんな話、恥ずかしいでしょう。ほら、ウスバの身長もこれからなんだから」

 彼はそう言っているが、何ら恥ずかしがっている様子はない。ウスバは椅子を降り、食堂へ向かってぱたぱたと走る。すれ違いざまにアサギが言う。

「転ばないように、ね」

「舗装された道では転ばん!ばかっ」

 ウスバは以前砂漠に足をとられて転び、膝に絆創膏をつけている。運動は得意ではない。

「んにっ。人間の身体で素晴らしいのは脳だけだ」

 小さな声で、独りごちた。




 大人達はこの星で観測された鯨のような生物を空鯨と呼ぶことにした。空鯨が埋まっていた地点の地下には巨大な氷が確認されている。川も海もないこの星の貴重な資源だ。

 一瞬だけ映像に映った空鯨の光が会議室を照らしている。皺の刻まれた手や刻まれていない手が資料をめくった。

「奴らは同じルートで回遊しています、必ずカチ合いますよ」

「頼みの探検隊も壊滅的な被害だ」

「今焦れば確実にクルーを失うぞ」

「しかし!最優先退避隊が十日後に到着するんですよ」

 会議室が静まり返る。全員が苦い顔をした。

「……捕鯨だ」

 老齢の船長が初めて口を開いた。注目が集まり、空気が変わる。

「三日後に少数のチームで空鯨を狙い撃つ。古代の日本に倣う。電気は使わん」



「……電気……電気だ!求心性神経に流れる電気パルスが喰われたんだ」

 食堂で大声を出しウスバが立ち上がる。その場にいた全員が静まり返る。アサギは口に運びかけていたスプーンを置いた。

「ずいぶん急だね」

「んにっ今わかったっ!エウレカだ」

 ウスバが着席する。止まっていた時間が動き出したように食堂に喧噪が戻って行く。

「あの鯨は電気を喰っている……それが現時点での生物班の見解だ。もちろんこれは間違っていない、が。電気が流れているのは機械だけじゃない」

 ウスバはフォークをゆらゆら揺らした。目は輝いている。

「……神経細胞!そういうことか」

「んに!ボクらは見落としていたんだ。どんなに高性能の電球でも断線すれば意味が無い」

 ぴょこんと椅子を降りてサンダルで歩き出した。アサギは彼女のフォークで彼女の皿に残った緑色の欠片を刺し、ゆらゆら振った。

「ピーマン残ってるよ?」

「あげるー!」

 遠くなっていく背中を見ながら、アサギは野菜を口に入れた。



 荒野にリーダーと砲手が陣を張っている。

「人類史史上百年ぶりの捕鯨だ。気合を入れろ」

「……あれ、本当に鯨なんです?」

「遺伝子班の解析が終わるまでは、鯨ではない、とは言えんな」

 五感を取り戻したリーダ―が太い声でニヤッと笑う。無精ひげを蓄えた砲手の男は息を吐いた。ゴムでできた防護服に身を包み、電気で動く暗視ゴーグルで上空を見上げる。

「あ、ゴーグルがお釈迦です」

「ちょうどあいつらも光り出したな」

 星空に染まっていた半透明の空鯨の一団が光り始める。二人の直上に迫っていた。

 捕鯨砲。かつて船の頭に取り付けられたそれは、地上に設置すると大砲のような趣だった。槍のような銛の先端が覗いている。根本からは大量のロープがとぐろを巻いていた。地球の鯨とは違い、空鯨は砲身からの距離が長いので火薬を多めに積んである。

「一撃で仕留めることが肝要だ。信頼しているぞ」

「捕鯨の映像は山ほど見ましたがね、上空に撃ってる馬鹿なんて一人もいませんでしたよ。しかもあんな奴に急所があるのかどうか……」

「そう言いつつもやってくれるのが君だ」

 既に彼等は近づきすぎている。一撃で終わらせなければ捕食されるかもしれない。空鯨が暴れて銛のロープが切れるようなことがあれば、鞭のようにしなってこちらが危険に晒されることもある。砲手は捕鯨砲の切っ先を動かして狙いを定める。

 引き金を引いた。

 炎が爆ぜ、銛が射出された。耳の割れそうな爆発音が響く。空鯨の中心、地球の鯨の肺にあたる部分に銛が刺さった。これまでの比ではない大きな鳴き声がロープを震わせる。傷口から津波のように透明な液体が流れ、地上の二人に降りかかった。他の空鯨にも動揺が広がり、徐々に離れていく。

 銛の刺さった空鯨は低空を泳いでいたが、中心が点滅した後、完全に光が失われた。一声高く鳴いて墜落する。砂が舞い上がってしばらくなにも見えなかった。


「んに!やったぞ!」

 後方でウスバとアサギは双眼鏡を構えていた。

「回収班GO!」

 アサギが拡声器で大声を出した。空鯨の影響を受けない領域の境界線で待機していた車達が動き出す。


 明かりが灯され、空鯨の解体、運搬作業が急ピッチで行われた。恐怖の震源地であった空鯨の出現地点は今や人でごった返している。

 アサギは生物班の科学者と真剣なまなざしで調査を行っている。半透明だった空鯨はアオリイカのように急速に白くなった。柔らかい身体が切り取られ、強烈な光を放っていた巨大な岩石のようなものが表出するとざわめきが広がった。

「これが……この生物の(コア)なのか」

 ライトを反射して鈍く光る宝玉がウスバの瞳に一際強く輝いた。




 空鯨の出現地点にあった氷は溶けかかっており、採集は予定よりも早く進んだ。

 アルカディアのクルーは航行中に計画した通り、人の住む地区を定め、重点的な開発を行っている。宇宙船からこの星に居を移すため、現在の地球と同じくドーム型都市の建設が目指される。

「んに、すごいなァ。ボク達が空鯨に右往左往しているうちにこんなに街ができてたなんて」

 ウスバとアサギは建設中の街の入り口に立っている。仮設ではあるが画一的なコンクリートの家屋が幾つも建っていた。

「建築が進んでるのは、資材が豊富だからだよ。この星の土が使えるみたい。ほら、あれ」

 アサギが指をさす。その先には洗濯機ほどの大きさの機械が砂を吸い、熱を持ったコンクリートを吐き出して道路を作っている。

「んに~。すごい機械だ。中で何が起こってるんだ?」

 ウスバは駆け寄ってまじまじと見つめる。

「私も詳しくは知らないけど……中で土を溶かして精錬しているらしいよ」

「正確には土じゃありません。堆積物(レゴリス)ですな」

「うげ、土屋」

 眼鏡をかけた男が話に割って入る。その男は土の研究者であり、名前は土屋ではないがそう呼ばれている。ウスバは眉をひそめた。

「土というのは生物との相互作用を持っているもののことを言うんです。この星の地面にはまるで生物がいない。植物どころか、微生物も確認できません。生物がいなければ、農業をやるのは厳しいですが、いいところもあります。実はここの堆積物にはアルミニウム、鉄、チタン、ケイ素、酸素が入っているんです、すごいと思いませんか。この星が次なる地球候補に選ばれたのも、大気とこの堆積物のおかげで」

 この土研究者は保守的であり、土の定義については見解が分かれる。

「わかったわかった!聞いた以上のことを話すなっ!」

 アサギは興味津々で土屋の話を聞いており、ウスバは思わず遮った。

「明日最優先退避隊が来ますけど、これだけの街が出来ていれば胸を張れますね」

「お偉いさん方のお眼鏡にかなうといいですがね」

 三人で明かりの灯った作りかけの街を見上げる。朝の来ないこの街が住民で賑わうことを夢想した。



 最優先退避隊の出迎えは豪勢に行われた。突貫工事の水道もなんとか機能し、食糧もいきわたっている。

 この星は深海のようだった。自然光は無いに等しく、静かだが、サバンナのような極端な気候変動も無い。安定しているのだ。人口土壌の生産が進めば、家畜を宇宙船の外に出し植物を育てられるようになるだろう。アルカディアのクルーがまっさらな砂漠を開拓し、退避隊―――もといセカンドアース当局のエリート達が社会制度を整えていけばこの星はきっと光に包まれる。

 次代の地球という肩書も、現実味を帯びてきていた。




 しかし、アルカディアのクルーと当局の間に亀裂が走るのに時間はかからなかった。当局は当分の間、アルカディアからの膨大な量の食糧の提供を求めた。現在、食糧はアルカディアの船内で栽培した野菜や家畜から賄っている。余裕は無い。

「カカオ農園で働く子供がチョコを食べたことがない、みたいな状況だな」

「環境が変わってもお偉いさんがやることは同じか」

 アルカディアのクルーの食事は制限され、船内の空気は日に日に張り詰めていった。独自の通貨や法律の整備の際も、アルカディア側の意見は尊重されなかった。



 着陸三百日目。船員の全てに集合がかかり、当局からの勧告が伝えられることになった。講堂に二百二人が集まる。マイクとタブレットを持ったリーダーが読み上げを行う。

『地球にて高速航行エンジンの大幅な技術革新が起こり、より早いスパンでこちらにさらなる移民がやってくる運びとなった。退避の第二陣のためのインフラ整備に励むよう。』

『第二陣が既に地球を経っている。総乗組員数は五百。予定する到着日まであと―――』

 皆が固唾を呑む。

『二百日』

「冗談じゃない……」

 アサギの隣にいた男が目を見開いて呟いた。にわかにざわつき始める。

「現状でギリギリなのに」

「これ以上の食糧をどうしろっていうんだ」

 大人達は口々に悪態をついた。多数が怒りに震えている。アサギが周囲の異様な雰囲気に息を呑むと、ウスバが人を押しのけてリーダーに向かって走った。

「みんな!」

 ウスバがリーダーの持っていたマイクを引き寄せて言った。ざわつきが静まって、少女に視線が集まる。

「……大丈夫。ボク達ならやれるさ。今まで当局のむちゃぶりに応えてきたじゃないか」

「あぁ、ウスバの言う通りだ。私達は私達にできることをやろう」

 リーダーがウスバに視線を送った。ウスバはさっと群衆の中へ戻る。

「今一度、何のためにここへ来たか、思い出そう。将来的には地球の人口のすべてがここへ来るんだ。音を上げる暇はない」

 言葉を切って、息を吸った。

「怒っている暇もな」

 リーダーがマイクを置く。人々がそれぞれ別の方向へ向かって歩き出し、解散した。アサギとウスバだけが同じ場所で突っ立って、手を繋いでいる。

「怖かったね。ありがとう」

 ウスバは勢いよく頭を横に振った。両手を強く握りしめながら。




 着陸五百日目。第二陣が宇宙港にまもなく到着する。出迎えにアルカディアや当局の宇宙船がセカンドアースの宙域に浮かんで待機していた。

 人口土壌による農業はセカンドアースの気候にマッチしており、成功を収めていた。人々にいきわたる量からは程遠いが、安定して植物が育っている。本来土壌とは何千年もかけて生物によって作られるものだが、動植物の遺骸を高速で分解する不可視光の存在によって三日程度で一キログラムの製造が可能になっていた。

 街は拡大し、その都度空鯨や空魚による電気障害に悩まされたが、確実に発展している。問題は人口増加だった。たくさんの子供が生まれ、食糧の供給が追い付かない。

 貧困層は飢餓に陥ることがあった。


「船長、何か……妙ではありませんか」

 老人と若い男が並んで宇宙を睨んでいる。リーダーは何も答えない船長を一瞥して話す。

「当局の船、出迎えにしては多すぎるかと」

「私に聞くな。どんな陰謀も我々は蚊帳の外だ。それでいい」

 船長は干し肉を齧った。

「肉ばっかり、飽きないんです?」

「野菜なんぞ貴族の食い物さ」

 二人はまた宇宙に視線を戻す。大小様々な三十ほどの当局の船が光っていた。


「来た!アサギ」

 うとうとしていたアサギをウスバはより起こす。二人はアルカディアの窓に張り付いていた。巨大な船が誘導灯に迎えられて真っ直ぐ進んでいる。

「あ!当局がセカンドアースの旗を掲揚してるぞ。うーん、何度見ても凝りすぎた頭でっかちの模様だ」

「ほんと。これが私達の星旗かあ」

 二人ともおでこを硝子にくっつけている。通りがかった土屋の足が止まった。

「……今、なんと?」

「んに?凝りすぎた頭……」

「その前ですよ」

 土屋もウスバの頭上から宇宙を覗く。

「セカンドアースの旗を掲揚してる」

 その光景を目にして、土屋は戦慄した。

「そうか……あなた達は知らないんですね。メインマストに旗を揚げる意味を」

 アサギとウスバは彼の顔を見る。遠くの船には複数の旗が照らされていた。

「世界大戦の際からの暗黙の了解なんです。最も高いマストに複数の旗を掲揚するのは―――」

 アルカディアの船内に警報が響く。当局の艦首が光って、紅色のそれが真っ直ぐに第二陣の船を貫いた。

 軍旗掲揚は、戦闘の合図である。




 アサギはこの目で雨を見たいと思っていた。本物の海も、大地も、太陽も知らなかったが、彼は雨に惹かれていた。水が再び大地に巡り、川から海へ流れていく。その循環を美しいと思っていた。

「でも、この星空は雲が無いからこそじゃないか」

 ウスバは星空が好きだった。光の無い星だが、星空の美しさは地球の比ではなかった。二人はよくアルカディアの甲板に寝転んで星を見ていた。

「まあ……いつか地球に行ってみてもいい。アサギとなら」

 本当は、地球に帰る場所は無いことをわかっていた。クルーの皆が懐かしんで話す自然は無くなっていた。

「私は……君がいれば……それで……」

「……アサギ?んもーまた寝てる!土屋―――!運ぶの手伝って!」




 地球からやってきた第二陣の船はあっけなく流星の欠片となって散った。アルカディアと当局が袂を別つ決定的なものとなった。

 それからの顛末は酷いものだった。


 当局はアルカディアには攻撃しなかった。しかし、いずれやってくる地球からの宇宙船を排除し続けること、その協力を要請することを通達した。断ればアルカディアにも攻撃が及ぶことは明らかだった。

 当局はこれまで、再三地球に向けて移民計画の延期を求めてきた。それでも地球を脱出する船は次々と出航した。このままでは自分達の住処が侵略され無くなってしまう。そういう強い危機感を抱いていた。

 アルカディアが当局に恭順することはなかった。それは総意だった。愛する者を地球に置いてきたクルーも少なくなかった。

「これ以上当局の横暴を許してはいけない」

 積み重なった怒りはもう収められそうもなかった。哀れなことに、これは義憤だった。互いに正義があった。だから、互いに止まれなかった。


 最初に、当局本部が燃えた。屋根などは地球から持ってきた木材で造られていたから、よく燃えた。銃撃戦が起きて、若い男達から死んでいった。

 ウスバとアサギは負傷者の手当てを手伝った。アサギは手榴弾で血の雨が降ったのを見て、ほとんどご飯が食べられなくなった。

 アルカディアは数的不利をとっており、次々に拠点を失った。残った人間は市街から引揚げ、アルカディアの中に立てこもった。


 ウスバは負傷者でいっぱいになった会議室で包帯を運んでいる。呼ばれたような気がして、重傷者が集められる列を歩いていた。その列の中に土屋を見つける。ぼろぼろの布に寝かされていた彼は血を流しすぎて、長い間意識を失っていた。話せる状態ではないはずだった。しかし、確かにウスバを見て、口を開いた。

「私が死んだら……埋めて、ください。土になるの、夢だったんです。笑える……で……しょ……」

「あ……あ……嫌、いや、いや」

 ウスバが駆け寄って手を握る。

 もうそれは、いつでも帰ることができた。




 アサギは大人に呼ばれてウスバのもとへ駆けつけた。

「なァ……アサギ……」

 へたり込んだウスバの前に土屋が横たわっている。俯いている彼女の表情はよく見えない。

「ボク達の研究は……役に立たないなァ……!」

 アサギは震えているウスバを強く抱きしめる。彼女の瞳に宿っていた宝石が零れるように、堪えていた涙が滴った。輝きが散っていく。

「戦争に利用されるよりずっと良い……」

 アサギは歯嚙みして、ウスバの温もりを確かめる。もうアルカディアのクルーは半分以下だった。




 三週間ほどでアルカディアのクルーは抵抗する力を失い、誰もが無為に過ごした。補給路を完全に断たれ、できることは餓死を待つことだけだった。耐えきれず船外に出た者は撃たれた。ウスバとアサギは研究室の壁にもたれ、手を握って寄り添っている。

 ウスバだけが起きていて、アサギのこけた頬をなぞった。もうできることはなかった。彼は一日のほとんどを眠って過ごした。ウスバはよく不安になって心音と呼吸を確かめた。

 起きている間何かを考えるのは辛くて、ウスバはアサギの書いた小説を読んでいた。現実であった事を基に、一日ごとに一ページの物語がノートに綴られている。人間は魚に、舞台は地球に置き換えられていて、その独特な世界観を楽しんでいた。

 ウスバは、続くことが好きだった。続くことだけが彼女の希望だった。続ければ、続きがあれば、何かが変わって、好転することがある。

「アサギ、キミが生きる限りずっと書き続けて。ボク、これ大好きなんだ」

 いつかそう言って、「それって、死ぬまで一緒にいるってこと?」と聞き返された。アサギは、ずっとウスバの隣で書き続けると約束した。


 何日それが続いたのかは分からない。とりあえずまだ餓死者が出ないくらいの日数が経って、研究室のドアが開いた。痩せたみんなが二人を見てほほ笑んだ。

「アサギ、ウスバ。ご飯にしよう」


 アサギは他のクルーの肩を借り、ウスバもふらつきながら会議室にたどり着くと、そこには夢のような光景が広がっていた。二人分の料理がある。

「なんで……」

「君達には新しい任務を与えることにした。そのためにはいっぱい食って力をつけなきゃな」

 松葉杖を脇に置いて、リーダーが笑った。用意された食事は二人分だけだが、全員が食卓につく。

「少しづつ食べろ。身体に悪いからな」

 ウスバは何らかの意図を確信しつつも、ゆっくりと匙を口に運んだ。白黒の世界に色がついたようだった。じゃがいものスープ。ベーコン。スクランブルエッグ。

 彼女の目から涙が止まらなかった。無心、無言で食べた。意図など、どうでも良くなった。アサギに用意された料理は流動食が多かった。彼もゆっくりと食べていた。

 残ったクルーの皆が二人を見ながら思い出を語らった。初めてこの星を観測した日。探索隊が空鯨に遭遇した日。食中毒に苦しんだ日。砂を吸ってアレルギー反応が止まらなくなった日。船外で初めて眠った日。水道に空魚が混入して大騒ぎになった日。第二陣の報が届いた日。人口土壌から芽が出た日。街に電線を通した日。人間同士で戦った日。船に逃げ込んだ日。

「頑張ったよな、俺達」

「面白いことばかりでした」

「初めて見るものに溢れてたわ」

 もう若くない歴戦のクルー達は思い出をしみじみと味わった。

 食後、ウスバとアサギは船の奥に連れていかれた。幼少期に探検して以来入ったことのない部屋だった。リーダーがスイッチをつけると、棺桶のようなカプセルが一つだけ照らされた。

「この星に着いて、必要が無くなったのでバラしてしまったが、一つだけ残しておいた。二人とも小さいから入るだろう。ウスバ、アサギ」

 彼が目で促す。それはコールドスリープのための機械だった。ウスバは動揺する。クルーを振り返り叫んだ。

「任務って……みんなは!?みんなはどうするんだよ!」

「この星はまだまだ開拓できる。未踏の地を目指すよ」

「嘘だ!みんな死ぬ気なんだろ!そんなのボクは許さないからな!」

 頬が熱い。勝手に涙が伝っていた。

「君達は一番若い。きっと未来は明るいさ」

 見たことのないリーダーの表情にウスバは言葉を失った。クルーの何人かも泣いていた。自分が死ぬからではない。別れがつらいのだ。アサギは拳を握りしめ、開いた。

「行こう、ウスバ」

 アサギがウスバの両肩に手を置く。

「いや……いやだよ」

 アサギは涙を流す彼女の顔を持ち上げ、唇に合わせる。一瞬ウスバはつま先立ちになって、そのアサギにもたれたままだらりと力が抜けた。

 涙を止められないまま、抱き合った形でカプセルの中に入った。リーダーが蓋を閉める。ウスバは硝子越しに手を当てた。残ったクルーの全員が寄り添い、手を当てる。

 皆が何かを言っているが、硝子が厚くて聞き取れない。やがて冷気が流れ込んできて、ウスバは彼の胸の中に収まった。涙が固体になって落ちていく。お互いを抱きしめて、意識を手放した。

 悲しみだけが温度を持ち、褪せることは無かった。



 誰かが名を呼んでいる。アサギが瞼を開くと、老婆がこちらを見ていた。

「ウスバ……?」

 アサギの肉体からは駆動音がする。目の前の誰かの心臓の音がする。目も耳も異様なほど冴えわたっている。身体は硬く、服だけが柔らかい。袖からは関節が覗いていて、継ぎ目がわかる。

「わかるんだね、ボクが……!」

 本当は、一番近くにいたはずの人間を呼んだだけだった。膝立ちの老婆がアサギを抱く。

 彼女は泣いていた。アサギはぎこちなくその背中に手を当てた。温もりは伝わってこなかった。


 長い時間をかけて、アサギはコアを持つロボットとして蘇った。戸惑いつつも、ウスバと再び会えたことに喜びを感じていた。彼は自分のロボットの身体についてウスバから説明を受けた後、まじまじとウスバを見つめる。車椅子にのった彼女の髪は白くなり、顔の肌が垂れてきている。元から小さかった彼女がいっそう小さくなったようだった。しかし身体の線は太くなっている。

「少し、肉がついたんじゃない」

「恥ずかしいことに、食べていないと落ち着かなくてね。この年で太れるのは才能らしい」

 自嘲気味にウスバは笑った。棚から厚い本を取り出す。

「キミが眠っている間のことをまとめてある。読むかどうかは任せるよ」

「私は君のことをずいぶん待たせてしまったみたいだ。今は早く君に追いつきたい」

 無機質な研究室で、アサギは手書きの本を受け取る。ページがうまくめくれず、手間取ったが開くことができた。



 君が眠ってからのことをここに記す。できるだけ簡潔にまとめた。想像の通り、悲しいことが多い。君が全てを知る義務は無い。

 それでも知りたいなら、僕は君に全てを明かそう。


 二千百五十一年 二月

 僕達が眠った後、皆は軍と戦った。一部は逃げのびた。僕達は発見されなかった。飛行機能を失っていたアルカディアは要塞化された。


 二千百五十二年 三月

 王政府が樹立した。ある程度インフラが安定する。


 十月

 この星に未踏の地は無くなった。


 二千百五十三年 一月

 僕達の入っているカプセルが発見された。身元を確認した王政府は利用価値を見出し、保護することにした。

 四月

 僕が目覚めた。君は衰弱していてすぐに治療を受けることになった。

 五月

 僕は政府に囚われ、電気を用いた脳の治療についての研究を行うことになった。未だにこの星の人間は空鯨や空魚による心身消耗に悩まされていた。

 君は眠り続けている。


 八月

 第三の大型移民船が入港したところを爆撃され、墜落した。これを皮切りにたびたび地球から来た船と砲撃戦が起こるようになる。


 二千百六十年 十月

 空鯨の核を参考にして、個人の脳の電気信号パターンをコンピューターに複製できるようになった。まだ人格の複製とまではいかないが、大きな前進だ。

 二千百六十五年 一月

 新しい地球候補が見出された。恒星が近くこの星より温暖で水も豊富らしい。地球はセカンドアースへの移民を停止した。


 二千百七十三年 六月

 内紛が絶えない。


 二千百七十六年 七月

 この星の鉱石に導電率がぴったりのものがあった。この鉱石に帯電させることで、人の脳を再現できるかもしれない。これを紅玉と呼ぶことにする。


 二千百九十年 三月

 君の脳から紅玉にネットワークを定着させることに成功した。この紅玉は脳の複製と言えるだろうか。まだ検証が必要だ。みんなは紅玉を(コア)と呼んだ。

 五月

 君の肉体が滅んだ。


 ・

 ・

 ・

 二千百五年 八月

 君に見合う身体を用意できた。おはよう。




 最後まで読み終えて、思わずアサギは頁を破ってしまった。まだ力の加減がうまくできない。

「ごめん……ウスバ」

 ウスバは震える手から本を受け取る。時間の重みを感じていた。

「本当に長い間、君を一人にしてしまった」

 アサギは目を閉じて俯く。ウスバが寄り添った。

「ずっと、キミのことを考えていた。一人じゃなかったさ」

 アサギのプラスチックでできた頬を撫ぜる。彼は膨大な事実を反芻していた。この星は退避隊が支配していること。ウスバは退避隊のもとで研究を行ってきたこと。自分はもう死んでいて、彼女によって蘇ったこと。

「この……(コア)というのが、私を動かしているのか」

 アサギは胸の中心をなぞる。そこに魂が内蔵されていた。

「うん。キミの脳の電気信号の動きを鏡のように映したのがコアだ。空鯨のものを参考にした」

 空鯨の身体の中にある石には電気が宿っており、膨大な情報を読み取ることができた。

「私の脳だけが保存されている……という認識で構わないのかな」

「脳の模写をしてはいるが、脳の欠陥までは引き継いでいない。例えば、コアは錯覚を起こさない。物理的な波長そのもので世界を観測できるんだ」

 人間の臓器で、物を見ているのは目ではなく脳だ。だから色を間違えたり、見えないものが見えたりする。

「……それは、すごいね」

「まだ不確定なことも多い。ボクは曖昧なこの魂が尊いものであってほしいという願いを込めて……心と呼んでいる」

 ウスバは微笑み、アサギの胸に手を当てた。彼がそれを包み込んだ。

「心。心、か。曖昧な言葉に託したんだね。君らしいよ」

 アサギも微笑んだ。

「そろそろ……他の研究員が来る。キミのことを検査するだろう……ごめん、アサギ」

「いいよ。もう疲れたでしょう。君はお休み」

 眠そうなウスバの車椅子を動かす。薄暗く、小さな部屋の簡素なベッドの前まで運んだ。車椅子から移すのは力加減を誤ってしまうのが怖くてできなかった。部屋を出ると、すぐに白衣の男が待ち受けていた。

「コアロボットは貴様で五体目だ。だから我々は貴様を五号(フィフス)と呼ぶ。人権は無い。我々に従い、協力しろ」

「人質をとって搾取する気なんだね。君達はいつもそうだ」

 アサギは大げさに肩をすくめる。遊びの無い研究所の廊下を二人は歩く。

「生憎私は若いので、昔のことはよく分からないが……貴様は遺伝子の研究をしていたようだな。貴様自身を調べつつ、―――の研究に加わってもらう」

 長身の男は淡々と話した。アサギが立ち止まる。

「……ウスバには秘密にしておいてくれ」

「わかったよ」

 アサギは拳を握り、人差し指が手の甲を貫通した。



 ウスバは緊張の糸が切れたのか、毎日眠りこけるようになった。アサギは毎朝早い時間に彼女を訪ね、調査の時間になるまで二人で過ごした。

 彼は眠ることができなかった。目を閉じても耳を塞いでも辺りの状況を知覚してしまうようだった。


 彼は少しずつおかしくなっていった。


「五号、A-5の部屋には何がある?」

「人が五人。全員男。あと空魚が三匹」

 アサギは瞼を閉じ、完全に映像の供給を断っている。背中からコードを接続されて、モニターにはたくさんのデータが映し出された。

「ウスバも来てるんだね。生きていた時はどれほど物が見えていなかったか、思い知ったよ。ふふ」

 彼は硝子で隔絶された先にいるウスバに声をかける。よく笑うようになった。最初は見えすぎることに疲弊しているようだったが、段々とこの状況を楽しめるようになっていた。

「キミは今も生きているよ……」

「そうだったね」

 戸惑うウスバに対して、彼はまた笑った。



 極端に怒っている時もあった。早朝、眠っているウスバを見下ろして、手を握りしめた。

「私は君をウスバと呼ぶのに抵抗があるよ……だって君はお婆さんじゃないか。ねえ、ウスバはどこに行ったの?君は偽物なんでしょう?どこかに隠しているんでしょう?かえせ、ああ、返せよ、偽物。返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ返せ。ふふ、これだって狂っているフリだ。早く本物の身体が欲しい。私の身体。同期している身体、血の通った身体、こんな玩具じゃない身体」

 アサギがウスバの首を握って持ち上げる。

「ア、サギ……痛い、痛いよ」

 ウスバがうめき声をあげるとぱっと手を放した。音を立てて車椅子の上に落ち、反動で後退する。

「痛いってなんだっけ?忘れたな」

 ロボットが小首を傾げる。ウスバは恐怖でものが言えない。

「忘れるのって人間の脳の特権なんだっけ?忘れたな」

 彼は顔を覆って、しばらく考えている。ウスバの息が荒い。うまく呼吸できない。

「わかったよ。私達、深海に住んでいるから、雨を知らないんだ」

 突然アサギは笑いだして、そのまま出て行ってしまった。



 その日、ウスバは深夜に目を覚ました。また夕方に眠ってしまっていたようだった。電源がついたままのタブレットにはニュースが流れている。それを消し、廊下に出ると明かりの漏れている部屋があった。おそらくアサギだろう。ドアを開ける。

 その部屋にはたくさんの水槽があり、全く未知の異形が眠っていた。一つ目の化け物。口だけがむき出しになっている化け物。人間の手のひらが大量にくっついた化け物。どれも半透明で、オレンジ色の液体が透けている。その水槽を背にアサギはこちらを見ている。

「アサギ……それは、何だ」

 ウスバの声が震える。アサギは人間のように、特に必要のない瞬きした。

「透けていて、きれいだろう。空鯨の遺伝子を参考にしたんだ」

「そんな話をしてるんじゃない……」

「うーん、私の身体、なのかな。うまくいかなかったよ」

「なんで……こんなものを」

 その異形は明らかに人体でできている。誰かの命を使っている。

「ウスバ!」

 彼はいつものように優しい微笑みを浮かべた。

「君はまだ自分が人間だと思っているの?」

 久しぶりにウスバはアサギの目が輝いているのを見る。星空のもとで語り合った夜を思い出した。

「言ってみてよ、あの口癖……機械の私にはもうキスしてくれないのかい?君は私の身体を用意する過程でどれくらいの命を使ったの?どうしてみんなが命を賭けて戦った相手に簡単に従ったの?」

「ボクはただ、キミに会いたかった……もう一度……キミだけは失いたくなかった、だから」

「さよならウスバ。地獄で逢おうよ」

 瞬間、水槽が割れて針のように変質した異形が全てを貫く。うその肉が砕けて、赤い欠片が飛び散った。血の雨すらも降らない。電球も砕けて、光の欠片が舞っている。ウスバは心か魂か肉体か存在か、どれに向かって手を伸ばしているのか分からないまま身を乗り出し、地に倒れた。




 誰かが名を呼んでいる。ウスバが瞼を開くと、研究員たちがこちらを見ていた。

「ア……サギ……」

「目覚めたか。全て覚えているな。貴様はコアロボットの六体目だ。五体目の代わりとして、研究に協力してもらう」

 駆動音がする。瞼を開けたり閉じたりして、周囲を伺う。

「こんな感じかぁ……。良く動くいい身体じゃないか」

 長身の研究員が椅子に座らされたウスバを見下ろしている。ウスバは手を握ったり開いたりした。身体の外見は簡素なもので、髪の毛も、余計な凹凸もない。胸の中心に赤いコアが埋め込まれているのも視認できる。

「早速だが実験だ。この施設に脱走した生物兵器が潜んでいる。その知覚能力で探し出せ」

 ウスバは勢いよく顔に指を突き刺し、レンズを取り外して握りつぶした。白い床に破片が散らばる。どよめきが起こった。

「何をしている!」

「ふふ……ハハハ!確かに必要なかったな。キミのために良いレンズを探した時間がバカみたいだ!」

 笑いながら立ち上がり、床に座り込む。研究員の男が蔑む目で息を吐いた。

「壊れたか。一旦停止コードを送れ。リミッターも強化しろ」

 直後、男の後頭部が撃ち抜かれた。ウスバはボソッと呟く。

「こんな部屋も武装していたか。金のかかった施設だ」

 天井の壁が外れ、裏に装備されていた生物兵器のための銃が覗いていた。煙が揺らめく。

「防衛システムが乗っ取られた!」

「リミッターは!?」

「なぜ停止コードが機能しない!」

 硝子ごしに見ていた研究員が叫ぶ。撃たれた男の白衣が血で染まる。ウスバは両手を床につける。

「ボクのコアが触れているなら……それは全てボクの身体ということになるなあ」

 口を開いていないのに、スピーカーから声がした。

「滅茶苦茶だ」

 研究員の一人が呟いて、撃たれた。



 研究所のありとあらゆる銃器を暴走させ、破壊の限りを尽くしていると、多くの異形のいる檻まで辿り着いた。

「キミ達、声が出せるのか」

 ウスバは以前聞こえなかった声に驚く。炎が迫る中で、檻を捻じ曲げた。しかし、誰も出ようとはしない。

「……そうか。そう望むか」

 ウスバは地面に手をつく。壁が外れ、大量の重火器が現れる。異形達は集中砲火を受け、ただの肉塊となった。


「本当にいい身体だ。悪夢も見ないし、強迫観念に駆られることもない。アサギ、キミのこと、全然わからないよ」

 ウスバは自由だった。研究所に残ったアサギの生物兵器に関わるデータを全て削除した。その過程で、ウスバはあの異形がコアを抜き取った人間から作られること、有脳体と呼ばれていることを知った。

「生きる意志があるのは君だけか」

 燃える研究所を背に歩くウスバの隣には、小さな有脳体が一体。ユーニと名乗った一つ目の化け物はくるりと一回転した。

「ボク、アサギのこと、全然わからないけど、それでよかった。わからないままで受け入れられたのに」

 ユーニは尻尾でウスバの目元に触れた。

「あァ、でも、そうか……」

 二人は明かりから遠ざかるように歩く。最早光は必要なかった。

「この身体だと、泣けないんだ」















 茫漠とした砂丘に車が停まっている。

「クソ……なぜ気づいた」

「んに~。(コア)の空間認識能力を舐めてかかったなァ」

 これは半分ハッタリであり、ウスバは散りばめられたカメラの映像を受信して追手の存在に気付いた。後方一キロの車を心だけでは検知できない。

 紺の軍服を着た男が苦境に歯を食いしばった。仰向けに転がされて両手を上げている。荷台の大きな車のそばでウスバが男の額に銃を突き付けていた。男の身体は所々腫れて格闘の痕が残っている。

「この大きい荷物はなんだ?ボク達を追う以外にも何か命じられているのか」

「なんでだろうなあ」

 ひげ面の男は冷や汗を流しつつも笑う。

「んに!ボクは尋問なんて面倒な手段はとらないぞ。キミが語らないならキミの脳に聞くまでだ」

 ウスバが銃口を額から喉に動かす。

「ロック解除!全員出ろ!」

 突然男が叫んだ。荷台の天井が開き、有脳体が次々と浮かび上がる。ウスバは口腔型に体当たりされ男から離れた。数十の異形が彼女を取り囲む。

 男が鼻血を拭い立ち上がった。風が吹く。

「胸の中に本体(コア)がある。そこを狙え」

 ウスバは右腕を左の二の腕に引っ掛け、取り外す。断面から武骨なガトリングが覗いた。



 突然地響きのような音がして、アリカ達は外に出る。街の人間もざわついて同じ方向を見ている。何かが崩れる音がした。ユーニは何かを感じ取ったようだった。

 ウスバ よんでくる ここで まってて

 ユーニが通気口から一直線に飛び出す。

「ユーニ!」

 アリカは一人で取り残された。道は逃げる人で溢れている。家の前で音の源の方向を見ていると声をかけられた。

「おい、逃げろ!聖遣様がお怒りだ」

「……聖遣」

 

 

 

 荷台の開いた車の傍らで様々な有脳体が倒れ伏している。ウスバは昏倒させた追手の記憶を読んでいた。膨大な映像の中に飛び込む。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 宮殿にいる。長髪の男がこちらの肩に手を置いた。顔つきは険しい。

「貴様の任務は二つ。一つは幽霊(ウスバ)堕蛇(ラッセル)の追跡。一つは贄の運送。奴らは聖遣様のおられる第二都市に向かっている。捧げ続けているが、まだ神の贄が必要だ。頼んだぞ」

「はっ。王命とあらば……」

 記憶の中の一人称は緊張している。

「不安か?」

「……すみません、少し」

「堕蛇は秘密裏に消さねばならん。贄を使役してもよい。……貴様だけが頼りだ」

 男が微笑む。

「必ずや遂げて参ります。グソク様」

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

「まずい……」 

 ウスバは記憶を読むためのヘッドギアを置いた。

 聖遣が近い。

 

 

 轟音が響いて粉塵が舞う。

「ウウ……」

 聖遣―――エリィがゆらりと上体を起こした。本体は浮遊しているが、背中から数十体の有脳体との管が繋がっておりそれを引きずっている。天井が崩れ、拘束装置の破片が落ちた。

 吹き抜けの教会を模した部屋にそれは浮かんでいる。ステンドグラスの光が半透明の触手に色彩を与えていた。淡いドレスがたなびく。

 爆発するように触手が拡散し、周囲のあらゆるものが抹される。研究員達が逃げ惑う。



  道端で転んだ子供に、鋭い触手が迫った。

 黒い血が飛び散る。

「あ……あなたは」

 子供が目を丸くする。歪な部分を覆い隠していた包帯が落ちる。傷ついた右腕の筋肉が新しく生まれ、再生した。

「平気か」

 半身に白い肉を纏う女性が跪く。アリカだった。

「あ……れ……どうして、ここにいるの……」

 高所に浮かぶエリィがアリカを視認する。子供を逃がし、アリカは彼女を見上げた。エリィは光を背に受けて、アリカを隠している。今目覚めたかのようにエリィの表情はぼんやりとしていた。アリカはエリィが生きていたことに安堵しつつも、背中の管を見て痛ましさを感じた。

「エリィ、ずっと……会いたかった。アタシ、エリィにいっぱい言いたいことがあってさ」

「アリカ姐」

 ぎこちなく言葉を並べると、エリィが遮る。エリィが触手を伸ばし、強引にアリカの身体を包み込んだ。足が浮き上がり、目線が揃う。

「もう私のために頑張らなくていいよ」

「……エリィ?」

 さらに首元に触手が巻き付く。目も覆われた。次第に締め付けが強くなっていく。血が迸って半透明の触手が赤黒くなっていく。

「覚えてくれるだけでいいって言ったのに。こんな姿、見られたくなかったな……」

 エリィは表情を変えないまま呟く。

「待て……エ、リィ、話を」

「ねむって」

 エリィに向かって伸ばした手が空を切る。

 

 

 非可視の熱線が触手を穿った。繋がりが解け、落下するアリカを巨躯が受け止めた。触手がぼとぼとと地面にこぼれる。

「ボク以外に殺されるな、アリカ!」

「ハ、へんな、セリフ……っう!?」

 アリカはウスバの腕の中でうっすらと微笑んだ後、何かに苦しみもがき始める。

「アリカ!おい!」

 ウスバの呼びかけや揺さぶりに反応しない。目を瞑り、呼吸は荒く、耳を押さえて震えている。冷や汗もかいていた。

 触手の追撃が来る。ウスバはアリカを抱きながら飛び、エリィに問いかける。

「アリカに何をした」

「疲れているみたいだから……寝かせてあげたの」

 エリィは熱線で途切れた触手の断面を見る。黒い血が流れるばかりで再生できない。ウスバはエリィの追撃をひらりとかわしながら触手を撃つ。瓦礫に黒い肉がいくつも落ちる。

「アリカ姐は、望んだ夢のなかにいるから……もう起きないよ」

「殺したようなものじゃないか。なぜ二人で生きようと思わない!」

 珍しく声を荒げるウスバとは対照的に、エリィはただ冷たい。

「私の知らない所で死んじゃうより、いい」

「んに~!諦めの早い奴は好かんな!」

 ウスバは高く跳躍し背中から煙幕を出した。ユーニが光線を放ち脱出のバックアップを行う。

「全部……壊さなきゃいけないのに」

  煙が晴れるとエリィは糸が切れたように意識を失った。研究員達が駆け寄り、拘束具を取り付ける。


 ウスバ達は廃墟の中でアリカの様子を見ていた。時折うめき声をあげている。ユーニが不安そうに見つめた。変声を迎える前の高い少年の声をウスバは聞く。

 アリカ こわいゆめ みてる?もう おきない?

「んに。普通はな」

 ウスバは自分の身体からアリカの頭に様々な管を伸ばし、円形のシールで貼り付ける。

「これから、ボクの心(コア)を完全にアリカに預ける。ボクなら脳とコアを繋いで直接アリカを起こしに行けるからな」

 それじゃあ ウスバが もどってこれないよ

「確かにコアの制御権を譲渡するのは危険だが……きっとうまくいくさ」

 ウスバは自分のコアを手に持った。ユーニに笑いかける。

「攻撃を受けたらキミがアリカを守ってくれ。ボクはコアさえあればどうにでもなる」

 まつのは きらい

「んに〜、わかったわかった、すぐに帰ってくるよ」

 ウスバはユーニの尻尾と指切りする。

 アリカの手をとった。赤く光るコアを握らせる。

「行ってくる」

 

 気がつくと、アリカは以前着用していたダンスのためのドレスを着ていた。右半身が変化したので、一部は破けて凹凸が見て取れる。

 そこは屋外のダンスフロアだった。瓦礫の多い地帯の中にある、広い空間。花畑が広がっている。それは全て造花で、散ることはない。踏み荒らして構わないということだ。強い光が照りつけて、乾いている。

「ね҉̋͋͋̚え҈̿̏̇̋、̴͛͌̏踊̵̅̔̚ろ̵̔͆͊う҉̀̐̔͌?̷̔̾͊」

 花畑の、黒い土だけがぬかるんでいる。光のなかにいる少女がこちらを見て、何かを言った。十五歳くらいの娘はお姫様のようなフリルのドレスに身を包んでいる。

 たくさんの花もこちらを見ていた。

 恐怖して後ずさると、花が潰れ、黒い水が跳ねた。義足が染まる。瓦礫の影の中に、たくさんの目が輝いている。頭を掻きむしった。

「見るな………見るなぁ!」

 アリカがそう叫ぶと花に霜が降り、作り物だったはずのそれらがすべて枯死する。地面も凍ったように固まった。少女の身体はどろりと溶けて、真っ黒な液体となり姿を変えた。アリカと同じくらいの背丈になり、目だけが光っている。

「苦しいか」

 そう言って影は嗤った。

 

 

 

 気がつくと、ウスバは小さな部屋の中にいた。壁から床まで新聞や紙で埋め尽くされている。棚には輝かしいトロフィーがいくつか飾られていた。窓にはカーテンがかかっており薄暗い。

「んに~。ここがアリカの世界か」

 ウスバは伸びをして、適当に手に取った紙面を調べる。そして壁に貼られたものを見渡すと、ほとんどがダンスにまつわる記事であることが分かった。写真もいくつか混ざっており、それだけが色を持っている。アリカだと思われるシルエットは、クレヨンで殴ったように黒く塗りつぶされていた。塗りつぶされた赤ん坊を撫ぜる女性を見て、ウスバの動きが止まる。

「キミという奴は……」

 写真の中でアリカのそばにいる者たちはみな笑っていた。この部屋はアリカの努力の証であり、拠り所だった。

 部屋を出ようとドアノブに手をかけると、何かが右脚を引っ張った。いくつもの小さな黒い手が右脚を掴んでいる。

「キミが欲しいのは肉で出来た右脚だろう」

 ウスバはしゃがみ、手たちを優しくはらう。簡単に霧散してしまった。

 部屋を出ると、外は瓦礫で埋め尽くされていた。建物のほかに、迫撃機巧の破片も散見される。ウスバは物音を聞いて、その方向へ飛び跳ねていった。

 

 黒い骸の群れの中に、破れて散り散りになったドレスを着た人間が何かを殴りつけている。集中して知覚領域を広げると、アリカが攻撃を受けていることが分かった。ウスバは煙幕で視界を奪い、その隙にアリカを奪う。

 煙が晴れて、逆光を受けドレスを着た人間は、言った。

「もう死んでるよ」

 アリカを殴りつけていた人間も、アリカの形をしていた。ウスバは辺りの気配を感じて言葉を失う。アリカの顔をした人間がたくさん倒れ、泥となって黒く濁っていた。ウスバは抱いているアリカの瞼を閉じた。泣いていたので拭い、瓦礫に横たわらせる。

 そのまま振り向かずに、ウスバは問う。

「なぜ、こんなことをする?」

 唯一立っているアリカの下半身は汚れ、地面の色と見分けがつかない。拳からは血が流れていた。空が曇る。

「アタシの勝手だろ……せっかく一人だったのに」

「アリカ。キミはなぜ感情を殺す?」

 風が吹いた。ウスバが振り向いて、向き合う。

「だって……だって、そうじゃなきゃ生きていけないじゃないか」

 アリカは泣いていた。堰が壊れたように、大粒の涙がとめどなく流れる。水滴が二、三粒落ちて、土砂降りの雨も降ってきた。

 アリカは涙を拭うが、次から次へと涙が溢れて止まない。

「あ……あれ……」

 膝を折り、茫然として座り込む。固まっていた大地に水が染み込んでいく。

 ウスバは歩み寄って座り、着ていたマントでアリカを覆い隠す。雨に濡れないように。アリカは歪な身体がぬくもりに包まれるのを感じて、滴り落ちる涙を拭おうともせず、子供のように泣いた。下を向いた頭をウスバの鎖骨に押し付ける。

「あ、アタシ、ずっと、痛くてっ……こわ、怖いことばっかりで……」

 アリカは地面についた手を握りしめる。ぬかるんだ土がまとわりついた。

「みんな、うっ、みんなを、アタシ……が……エリィ、にも、もういい、って……」

 ウスバはただ耳を傾けている。勢いのある雨が背中を打っている。

「ひとごろし、で……ばけもので……もう、抱きしめて、もらえない」

 うなだれたアリカが嗚咽交じりに声を絞り出す。

「そーだなァ……」

 ウスバがトントンと一定のリズムで背中を叩く。

「アタシはっ、ひぐ、一人だ……っ」

 少しづつ落ち着いて、アリカが鼻を啜る。雨も弱まった。ウスバは肩を震わせる子供の顎を持ち上げた。その涙を拭きとる。二つの顔が向き合った。

「ボクがいるじゃないか」

「……え」

 アリカが目を見開いた。雲間から僅かに漏れた光が、彼女の瞳に閃く。ウスバはこつんと互いのおでこをくっつけた。頬を伝い、ウスバの顎から雨粒が滴る。

「ボクは人間みたいに脆くない。キミが死ぬまでそばに居よう」

 また涙が落ちて、アリカは目を閉じた。恐怖からではなく、安堵からだった。ウスバは彼女をゆったりと抱く。

「んに。ボクはね、アリカ。キミが望むなら母にも……いや、父にもなろう」

「ぁ…………うああ、ああ……」

 アリカはウスバの胸の中で震えていた。涙を流しながら。

 

 小雨が降っている。祝福のように。




 悪い奴ではないが、悪いこともしている。本物の親ではないが、親身になってくれている。

「この前、分かったんだ。なんでアンタが怖くないか」

「んに?」

「アンタには目がついてないから……」

 そんなウスバの顔を見た。アリカと視線が合うことはないが、ウスバはいたずらっぽく笑っている。岩場に腰かけた彼女等の影が伸びる。

「ユーニが悲しそうな顔してるぞ」

「あぁ、ごめん。もう怖くないよ」

 そばに寄ってきたユーニを慌てて慰める。

 三人は奇妙な共同生活を送りながら、有脳体が製造されている各地の研究所を破壊して回っている。エリィの居所が分からない以上、改造に使われる有脳体の数を減らす必要があったし、ウスバはずっとそうして暮らしていた。




「ねえ知ってる?暴走した有脳体から守ってくれる聖遣(ダーリア)のはなし」

「駄目だよ、あんなのを聖遣なんて言ったら」

「サードアースに行けるのはいつ?」

「あれは堕蛇(ラッセル)っていうらしい」

「最近有脳体の暴走が多くて怖いわね」

「我々が真の地球人だ」

「堕蛇なんてのもいるんだろ?サードアースから来たらしい」

「聖遣の偽物だ。腹立たしい」

「関係ない。聖遣が皆救ってくれる」

「早く捧げてしまいたい」

 ウスバの耳には様々な地点に仕込まれた機械から大量の情報が流れ込んでいる。それらを全て右から左に流して、不可視の熱線を放った。

 床に転がった小さな口腔型有脳体の動きが止まる。黒い血が流れて、再生も行われない。アリカがそっと抱き上げる。ユーニが尻尾で口端の血を拭った。

 研究所は教会に偽装されていることが多い。この星の教会には電子機器が持ち込めないので秘密を隠すのに都合がいい。今回も礼拝堂の地下に有脳体を製造していたであろう研究施設があった。

 研究員は影も形もなく、既に引き払っている。残されたのは改造に失敗した小さな有脳体だけだった。

「その銃があれば、殴ったり潰したりしなくて済むんだな……」

 街を見下ろすことのできる小高い砂丘に死んだ有脳体を埋めながら、アリカが呟いた。

「んに。これは動植物の遺骸を高速で分解する不可視光だ。ボク達先遣隊が編み出した土壌を育てるための技術だが、戦争の中でそのレシピは失われた。作れるのはボクだけさ」

 ウスバが体内に銃を収納しながら話す。アリカは難しい顔をして、ウスバに向き合った。

「ウスバ……改めて聞きたい。アンタの言う『心が無い』ってどういうことなんだ?」

「説明しなきゃならんな。フム。……コアの抽出を行うと脳に強い負荷がかかるんだ。前頭連合野の一部に障害が起きて、多幸感を感じやすくなる」

「多幸感……」

「意外かもしれないがね。そこに障害が起こると悲しみを認識しにくくなり、喜びを認識しやすくなる。短絡的になるんだ」

 ユーニには難しいようで、大きな瞳を傾けてきょとんとしている。

「それじゃ、なんで……檻の中の有脳体は死を望む?」

「彼等には命令が埋め込まれている。人を殺せというな。そして、力を使うことに快感を覚えるようになる」

 ウスバは街のほうに視線を向ける。様々な光が明滅している。

「自分が自分でなくなっていくのは怖い、らしい」

 他人事のように呟くウスバの表情は硬い。アリカは胸が痛くなった。

「ユーニはまだ改造が完全ではなかったから、そういう衝動を持っていない。軍の人間に命令されても拒絶することができる」

 アリカはクウロが口頭で有脳体に命令を出して操っていたことを思い出す。ナターシャとジャイブを踊った時のことも。母のような有脳体に包まれたことも。

「それでも、やっぱり……アタシはみんなの心を感じた。だから……エリィのことも説得できると思うんだ」

 有脳体の皮に覆われた右の頬に触れながらウスバに語りかける。

「説得?無理だな!この王府のことだ、裏切らないための洗脳も手術も辞さん、というか、もうやっているだろう。もうキミの知る彼女じゃない。前会った時に何をされたか忘れたか?」

「……あの子がアタシに向けるまなざしは、ちっとも変わってないんだ。光みたいなのに、暖かくて怖くない」

「ずいぶん抽象的な根拠だなァ……」

 呆れるウスバにアリカは微笑む。

「その銃で命を奪う他に……何か方法があるはずだ。エリィを止めて……戦争すら止める方法が!」

 アリカの目には光が灯っている。

「それをボクが考えろと?全く……」

 ウスバはため息交じりに苦笑する。ユーニも笑っているようだった。

「この星はエリィにかなりのリソースを割いてる。融合させるために多くの有脳体を運んでいるみたいだし……あの子を止められれば戦いは長引かない」

 アリカはウスバに迫る。ウスバは観念したように肩をすくめた。

「……恐らく、聖遣は自分の(コア)をどこかに隠している。それは改造される前の……ただの人間だったころのものだ。それを使って脳を書き換えてやれば、彼女を止めることができるかもしれない」

「脳を書き換える、って……」

 アリカは不安げにウスバを見上げる。

「性格を人畜無害に改変する、ってわけじゃないぞ。今彼女の脳は後付けの身体……もとい大量の触手に指令を送っている。その回路を消しゴムで消してしまうわけだ。元からあった回路は消しゴムくらいでは消えん」 

「軍に破壊されてるんじゃないか」

「あいつらは心を軽んじているからな。聖遣が崇拝される存在なだけに、わざわざ破壊することはないだろう」

 アリカの顔に喜色が滲む。

「エリィの残した(コア)を取り戻してやれば……あの子を救える!」

 ユーニとアリカは顔を見合わせて喜ぶ。

「心の居所は……キミはナターシャと呼んでいたな。彼女が知っているだろう」

「え……ナターシャが?」

 そういえば、エリィがサードアースから去る日に、彼女は心を抱いていた。クウロとウルメのように心と本体に乖離が生じていることもあるが、どう考えてもナターシャはエリィの心ではない。少なくともアリカはそう確信している。

「ナターシャの心はボクが抽出した。そして聖遣とナターシャには交流がある」

 矢継ぎ早に飛び出す事実に驚いてアリカは目を見開く。

「この星にある心はボクが把握している。聖遣の心はサードアースだろう」

 ウスバが空を見上げたのにつられて、アリカとユーニも星空を見る。数えることのできないほどの星が全てを見通していた。




 アリカ、ウスバ、ユーニによるエリィの奪還作戦が始まる。結果的にはそれが三人の共同体の終わりになるのだが、誰もそれを知る由はない。



「おなかすいた……」

 椅子とベッドだけが置かれている殺風景な部屋でエリィが呟いた。椅子に座っており、背もたれからはみ出る触手は厳重に拘束されている。厚い硝子を挟んで、白髪の男が答えた。スピーカーから声が流れる。

「聖遣に補給行為は必要ない。空腹感は錯覚だ」

 眉間に皺を寄せて、老人は取り合わない。

「……もう、エリィって呼んでくれないの?」

「甘ったれるな」

 苦し気に、突き放すように、心にもない言葉を放つ。老いさらばえた手が固く握られた。

「貴方はまだ、そんな顔ができるんだね」

 それは無意識だったようで、老人は顔に手を当ててみる。肌は乾いて皺が寄っている。

「そんなに苦しいなら、撫でてあげようか」

 エリィは空中を泳ぐようにして硝子に触れる。老人も硝子越しに手を伸ばしかけて、やめた。握った拳をただぶら下げる。忘我したように呟く。

「潰してしまうだろう……」

 彼女は大きな瞳を携えて、ただ微笑む。

「早く眠れ。明日は大仕事だ」

 人間が立ち去り、電気が消える。早く……全部壊してしまわないといけない、とエリィは思った。




「アベンエズラでボクらがやることは二つ。聖遣を奪取することと、(コア)になるオリヴィーンを破壊することだ」

 捨てられた街の空き家でウスバはタンスを漁っている。写真を切り取ったように生き生きとした剥製が飾られていた。地球の生物も見受けられる。よっぽどの金持ちが住んでいたらしい。

「オリヴィーン?」

 ユーニに髪を切ってもらいながらアリカが答える。

「心のもとになる鉱物だ。心の抽出に必要なのは、大量の電気とオリヴィーンと人間の脳。今この街には全てが揃っている。祭りに合わせて心の抽出を行う手筈だろう」

「祭りと合わせる理由はなんなんだ?」

「この祭りに集まる信奉者達は自ら供物になることを望むからだなァ。聖遣のおかげで士気も高揚しているし」

「……最悪だな」

 苦々しい顔をして、アリカは右目に包帯を巻く。有脳体に覆われた右の頬は真っ白になっていた。

「しかし、この熱狂も長続きはしない。電気と人間はいくら手に入れられても、オリヴィーンには限りがあるからな」

 ウスバは目当てのものを見つけて、取り出した。硝子の玉が光を反射して煌めく。

「ここ百年で地表にあるものは全て採集された。残った塊は数百人分といったところだろう。ここで破壊できれば―――」

 玉を直上に投げて、掴む。

「もう、心も有脳体も生まれない」



 どうして死なないの、と聞かれても、分からない。

 どうして生きたいの、と聞かれても、分からない。

 ぼくはただ必死に生きていて、気づいたら化け物になっていた。

 ぼくはただ生きたくて生きている。死にたくなくて生きている。

 ウスバも同じみたいで、ぼくと長い時間を過ごした。

 ぼくたちに終わりは来るのかな。ずっと生き続けるって、駄目なのかな。



「良かったのか?置いて行って」

 電気自動車をウスバが駆っている。アベンエズラまでの道はドームに覆われておらず、アリカは布にくるまっていた。

 ウスバは前回の襲撃で顔が割れたので新しく顔に目を付けた。硝子に光が映っている。

「んに。ユーニは一人でもやっていけるさ。これ以上ボク達と暴れると危険だろう」

「そうじゃなくて……ウスバだよ。アンタが平気か聞いてる」

「ハッ。ボクが?……誰がいようがいまいが、ボクは生きていけるよ。そういう奴なんだ」

 ウスバは想定していなかったアリカの言を鼻で笑う。アリカは黙っている。

「……神妙な顔をするな!あぁ分かったよ、寂しがればいいんだろ!うわぁ~ユーニー」

「おいっ!ハンドルを握れ!」

 アリカは嘘泣きしながら抱きついてくるウスバを運転席に押し返した。


 宗教都市アベンエズラ。光のマークや海月や海星のレリーフがそこかしこにあしらわれて、色鮮やかな場所である。中心部には天井のない礼拝所があり、千人ほどのキャパシティを誇る。港もあり、宇宙船の往来も活発だ。

 その日は祭りだった。鯨を模った入れ墨が道行く人々の手の甲に刻まれている。この日のために空鯨も捕らえられていて、鎖につながれたまま四体浮かんでいる。

 人、有脳体、宇宙船、食糧などのあらゆる資源がこの街へやって来ていた。




「聖遣は全ての有脳体を操ることができる。口頭で命令を下すことでな。前回キミが眠らされたのも、キミの中の有脳体を操ったんだろう」

 アリカは右手を見た。真っ白な皮で覆われて一回り太くなり、血管が浮いている。

「もしキミが一人のときに聖遣に出会ってしまった時は耳を塞いで逃げろ。半身が封じられると出来ることもない」

「あの子は……ただの女の子だよ」

 アリカは左側の前髪を掻き揚げる。

「兵器になんかならない。なれない。まだ一度も有脳体に命令してないだろ?この前も……あんな回りくどい方法じゃなく、簡単にアタシ達を殺せたはずだ。……アタシはあの子から逃げない」

「楽観的だな」

 ウスバはため息をつくそぶりを見せる。アリカの瞳は鋭く、何かを言っても聞きそうにない。

「聖遣と相対する時は、必ず二人でだ。わかったな」

「助かる」

 アリカは不満気なウスバに礼を言って、微笑んだ。

 夜明け前にも関わらず、街には人が忙しく動き回っている。ウスバとアリカは街の中心の塔に向かって、屋根の上を走っていた。

「オリヴィーンを粉々にするのがキミの仕事。ボクは聖遣をかっぱらってくるよ。宇宙船もハッキングで盗る」

「逆だろ!アタシがエリィを」

「無理無理!大人しく聖堂の地下へ行け!終わったら船で迎えに行く!」

 塔の前には巨大な舞台と聖堂が配置されている。ウスバはさっさと塔に向かって行ってしまった。

「頼んだからな……」

 アリカは後ろ髪を引かれつつも、バリケードを破り地下への階段を駆け下りた。




 有能体や人間の警備を蹴散らしてウスバは塔の最上階へ躍り出る。

 そこには聖遣の姿は無く、巨大な赤い鉱石が鎮座していた。その前には人型ロボットが胡座をかいている。

「オトリ作戦成功ぅ!よぉイカレ科学者!待ってたぜ。三百年ぶりか?」

「奇遇だなイカレ殺人鬼。また会えるとは思ってなかったよ」

 鉱石は深い赤色であり、吸い込まれそうだ。厚い硝子に包まれている。ウスバはわざと誘い込まれたようだった。聖遣はいないが、やるべきことをやるしかない。

 ウスバは右腕の銃身を構える。イカレ殺人鬼―――コアロボット三号(サード)も両腕を向けた。手のひらはついておらず、無骨な銃の頭が鈍く光る。

「おめえがどれだけ馬鹿げた身体になろうが、俺には見えてるぜ。おめえの真っ黒い肚ん中がな。身体は捨てても女は捨ててないってか?ギャハ!」

 精神を蝕むような発砲音と火花が続いて、互いの腕から夥しい数の薬莢が排出されていく。左腕が爆発して、舌打ちをして三号は叫んだ。

「俺はさあ!こん身体で最悪だぜ!女抱けねえからな!」

 ウスバの身体には凹凸があるが、三号の身体はマネキンのようにのっぺりしている。三号は左腕を噛んで取り外した。うその肉が割れて、激しく光る刀身が姿を現す。

「俺もお前も!気持ちわりぃバケモンじゃねえか!」

 斬りかかったウスバを三号は腕で受け止める。

「なぁーんで皆馬鹿みてえに捧げる捧げるつってんだ?いずれこうなるのによぉ」

 膝を見舞われてウスバは後ろに倒れる。

「それだけは同意だな」

 三号が右腕を再度構えると、綺麗な断面が露わになっていた。射出しようとしていた弾丸が零れ落ちる。

「打つ手なしか」

「元々手なんかねーよ!」

 三号はまた蹴ろうと足を伸ばすが、腕の一部を失って均衡が崩れ、無様に倒れる。花瓶を落としたような音が鳴る。

「クソッ」

 ウスバはすぐに三号の胸部を探る。外装を無理に剥がすと赤く光るコアが表出した。すぐに取り外せるように手をかける。

「何か言い残すことはあるか」

「クソが。クソ野郎の貴族を五人殺しただけでクソ檻にぶち込まれてクソロボットにされちまっただけの俺に、何か遺す言葉があるとでも?まあしかし、お前は変わったな。研究所をぶっ壊した時のお前なら俺のコアを一瞬でぶち抜けただろ」

 基盤から俄かに火花が散る。

「今更人間の心でも思い出したか?クソ科学者!弱くなったなって言ってんだよ!」

 電流が走り、一瞬の光に包まれ、二台のロボットの動きが停止した。



 茫洋とした明かりの中にウスバは立っている。よく知っている場所だった。茫然として歩を進める。

 そこは船だった。彼女が産まれ、目覚め、眠った場所。だが、人の影はどこにもない。明かりがついたままの廊下を走り回って、息が上がっていることに気づく。

 心臓の音がする。肩で息をしている。ウスバは震える手で自分の頬に触れた。柔らかく瑞々しい。

「この……身体は……」

 声が高い。

 ウスバの身体は、十五歳の時に戻っていた。

「いや……いやだ……おなかがすいたよ、誰か……」

 動悸を止められずに座り込む。

「寒い……寒い、寒い、寒い、ゔう、はっ、しんじゃ、しんじゃう」

 勝手に涙が零れ落ちた。両腕を強く掴む。

「いや、いや、いや、死にたくない!死にたくない!死にたくない!みんな!お母さん!お父さん!リーダー!船長!キビ!ルリ!ヒガラ!ツグミ!ノジコ!マヒワ!土屋!」

 一通り叫んで、床に伏せる。声を絞り出した。

「…………アサギ……」

 見慣れた靴が見えて、顔を上げる。いつものように―――生きていた頃のように、アサギは優しく微笑んでいた。

「それがコイツの名か」

「っあ……ちが、違う」

 ウスバは座ったまま後ずさる。アサギの皮を纏った何者かが、彼女に近づいた。

「おめえにもこんな時期があったとはなあ」

 彼はウスバの顔を持ち上げてしげしげと眺める。

「四号の記憶もこうして覗いたんだ。そしたらあいつ、それだけで壊れちまった……」

 三号はウスバの首元を掴む。

「おめえは何されたら壊れる?愛されるか?殺されるか?」

 三号は顎に手をやってにやつく。

「ウスバー。お、これか。俺は……僕は?……私は」

 ウスバの目を覗いて、反応を確かめる。『私は』の時、ウスバの瞳孔が開いた。

「私。私は……君が好き」

「黙れ!」

 孤独な叫びが響いた。

「ウスバ。私は君を―――」

 硝子が割れる音がして、三号は振り向く。外界に面した上方の硝子に穴が空いていた。そこから光が差し込む。

「ウスバー!怪我してないかー!」

 遠くから本物の声がする。

「平気さ、ボクはいつも……平気だったさ」

 そう呟きながらウスバは泣いている。泣きながら安心しきって笑っている。

「何が起こってる……?この船に人はいないはずだ……そういう過去を選んだはずだ!」

 三号は取り乱す。顔を押さえると皮がどろりと溶けて、中から別の顔が出てきた。イカレ殺人鬼の顔だった。

「残念。今日は祭りの日だ。みんなで船の外で遊ぶんだよ」

「おめえの仲間は船に魚ブッ刺して遊ぶのか!?」

 割れた硝子の先には針のような魚が刺さっている。空魚だった。

「この日は落とし※をやっていてなァ。まずい方向に追い込んでしまって船の硝子を破ってしまったんだ。笑えるだろ?」

(地球でいう釣り。空に浮かぶ空魚を地上に落とすので落としと呼ばれている)

「ふざけやがって」

 眉をハの字にして憎々しげに三号は口角を上げる。

 ウスバには見えていた。巡った部屋の時計は止まっておらず、カレンダーの日付には赤い丸がついていた。

 ウスバと三号が突入したのは過去。時間は止まっていない。おそらく最も楽しかった時間。最も思い返すのが苦しい時間。もう戻ってこない時間。

「また、みんなに救われたな」

 ウスバは涙を拭う。窓から射した光が彼女を照らしていた。

「ウスバーー!早くこっちに来てよ!」

 アサギの声が聞こえる。

「悪い!待っててくれ!」

 ウスバも大声で返して、うずくまる偽物の前に立つ。

「感謝するよ。いい夢を見られた」

 三号は何かに怯えるように遠くを見て震えている。

「やめろ……」

「キミにもいい夢を見せてやらんと、不公平だよなァ」

「近づくな!やめろ!俺の中に入ってくるな!見るな!」

 ウスバは彼の頭に手を当てた。世界が硝子のように割れて、崩れていく。全てが闇に包まれた。



 目を開けると、ウスバは血だまりの中にいた。ドレスにも血が付いている。部屋は高価なものばかりで、緻密に編み込まれた絨毯にも血が染みていく。

 彼女の肉体も変化していて、二十歳ほどの金髪の女性になっていた。

「なるほど?(コア)と心が触れ合うと互いの意識や記憶に潜ることができるんだな。片方は片方の記憶の中の人物に置き換わる、と。興味深い」

 三号らしい子供は頭を抱えて震えている。

「三号!最期の望みくらい叶えてやらんこともないぞ」

「黙れ偽物!」

 声変わりも終わっていないのか高い声が響く。ウスバは彼の肩を持って、顔を覗いた。

「悪いな」

 持っていた短刀を心臓に突き刺す。三号は抵抗もしなかった。ただウスバが纏っている皮を見つめている。

 また光が消えて、次に認識した世界は現実だった。

 ウスバは両腕を失った三号の心を握っている。

「死んで救われると思うな……俺はお前の……苦しみだけを祈ってる」

「あぁ。キミのことだって忘れないでやるよ」

 ウスバは三号の心を握り潰した。




 赤い破片が辺りに散らばっている。ウスバはオリヴィーンを破壊し尽した。割った窓の枠に立って見下ろすと、塔の前の舞台には人がみっちり詰まっていた。

 遥か下方から何かが猛スピードで近づいてくる。集中して補足すると、それは大きな球体と小柄な人間で―――

「んがっ!」

 よくわからない物体とぶつかってウスバは後ろに倒れる。上半身を起こすと、アリカとユーニが辺りに転がっていた。

「アリカ……ユーニ!?」

 アリカはぐったりとしている。ユーニは目を回してから浮き上がる。

「ユーニ、どうやってここに来た?……ずっと車の下に隠れてた!?はぁ、ボクの空間把握もまだまだだな……」

 ユーニを一撫でして、ウスバはアリカに近寄る。

「平気か?」

 ウスバがアリカの肩を持って起こそうとすると、痛みに呻いた。服に血が滲んでいる。

「ユーニ、ウスバ…………」

 アリカの目から涙が零れる。

「おい、どうした?痛むのか?」

 二人が心配そうにアリカを覗き込んだ。

「あ……ごめ、なんか、安心して……平気だ!大した怪我はない。ちょっと疲れただけ」

 アリカは左手で涙を拭い、身体を起こす。

「虚栄を張るな」

 ウスバは綿のように優しくアリカを抱きしめた。ユーニも尻尾で緩く巻き付く。ロボットの身体は少しだけ熱を持っていて、指先は冷たい。アリカは彼女の背中とユーニの尾に触れた。また涙が零れて、少し泣いた。

「ごめん……アタシ、エリィに会ってきた。でも……でも、アタシは……あの子を、救えないかもしれない」

 ウスバは静かに彼女の言葉を聞いている。

「……怖かったんだ、あの子が」

 ウスバはアリカの服に滲んだ血を睨んでいた。

「そうか。では逃げよう」

「え」

 アリカは驚いてウスバの顔を見る。

「元々心を取り戻す計画だ。待っていてもいずれ彼女はサードアースにやってくるだろう。その時までは逃げの一手だ」

「でも……それじゃあエリィが長く苦しむ」

「キミはもう十分足掻いたよ。なァ」

 ウスバが顔を向けると、ユーニが大げさに頷く。

「さぁ、サードアースへの直行便だ!暴れるなよ!」

 さっさとウスバはアリカを抱っこして、塔から飛び降りた。

「待っ、ちょっ」

「舌を噛むぞ!」

 アリカが何か言う暇もなく、三人は地面スレスレまで落ち、飛び上がった。地表を見下ろし、空中に留まる。

 舞台には砂糖に群がる蟻のように多くの人間が蠢いている。舞台を挟んだ向こうには港があり、大小様々な宇宙船が停泊していた。四体の空鯨は対角に繋がれて浮かんでいる。

 舞台の直上のカプセルには、聖遣が入っていた。

「なんで、あんなところに……」

 アリカは何となく悪い予感がした。ウスバも同じようで、何かを考えていた。

「オリヴィーンは破壊した。なぜ、聖遣が心の抽出のカプセルに入っている?」

「……エリィは電気が出せる。空鯨もだ!心を抽出できる人間は山ほどいる。オリヴィーンも、どこかにまだ隠されているんじゃ」

 オリヴィーン。地球の鉱物と同じ名前。地球のオリヴィーンは緑色だ。ではなぜ、それらは同じ名で呼ばれている?地球のオリヴィーンは、その内核を形成している。核。地球の中心。

「……まさか!」

 巨大なカプセルの中でエリィは両手を伸ばす。その手のひらの間に火花が散った。




 時間は少し遡る。

 狭い廊下に群がる研究者や警備の人間をすり抜けてアリカは走る。ウスバとユーニと過ごした日々の中で、トレーニングは怠らなかった。右腕の包帯の中から一本触手を伸ばし、人間を薙ぎ払う。

 奥へ奥へ進むと、大きな扉があった。明らかに他の部屋より厳重に閉じられている。アリカは深呼吸して、右腕に力を籠めた。


 破壊音がして、座っていたエリィは顔を上げる。破られた扉の先に、アリカが立っていた。

 二人とも目を見開く。この部屋だけ世界から切り取られたように無音だった。

 アリカは心の中でウスバに謝って、エリィに向かって歩いた。

「髪、切ったんだ」

「え、ああ、うん。切ってもらった」

 エリィは日常のように他愛なく話す。彼女はこの星の宗教的な衣装を着ていた。ツインテールではなく、ハーフアップに結われている。床に向かって伸びる大量の触手は拘束具に覆われている。

「それ……」

 アリカのスカートが破けて、太ももに括り付けた銃が見えている。エリィはそれを見ていた。

「変な形。銃なの?」

 いつも通りでもあるが、冷たく言われたように聞こえてアリカは緊張する。

「……有脳体に効く熱線銃、らしい」

「あの女からもらったの?」

 いや、明らかに冷たい。自分を殺すための武器と見て、警戒させてしまっただろうか。

「私のこと、撃たないの?」

「撃つわけないだろ!アタシはエリィを連れ帰りに来たんだ」

 アリカは跪き、右目を覆う包帯を引っ張って外す。有脳体とくっついて雪のように白くなった皮が現れた。不器用に微笑む。

「こんな姿見られたくなかった、って言ってたけど……アタシも似たような感じなんだ」

 右腕の袖からは触手が覗いている。エリィはアリカの顔を見つめた。

「帰る場所がないなら、アタシが作るよ。船は仲間が用意してくれる」

 アリカは彼女の手を取る。

「アタシのところに、帰ってきてほしい」

 アリカは真っ直ぐにエリィを見つめる。エリィの目が閃く。不揃いなアリカの両手を見て、優しく微笑んだ。

「アリカ姐は、前より強くなったね。やっぱり、貴女はヒーローだよ」

 こんな私でも……期待したくなるくらい。そんな言葉は飲み込んで、手を握る。

「化け物なのは、私だけ。羽衣を羽織ったら、人の心は消えちゃう」

 背中から光を受け、こちらを見るアリカを眩しく感じて、エリィは目を細めた。

「私、アリカ姐のこういう馬鹿なところ、好きだよ」

 両手でアリカの手を包み込んだ。エリィの手の甲が刹那、強く光る。

「゙あ゙あっ!?」

 鋭い痛みを感じて、アリカは膝から崩れ落ち、エリィの膝の上に倒れる。

「うぁ……なんっ、これ……」

 うまく呂律が回らない。身体も、指一本すら自分の意思で動かせない。

「内側から焼かれるみたいに痛い、よね」

「えぅ……え、い……」

 触手の拘束が解かれる。エリィはアリカの目に重なる髪を耳にかけた。

「アリカ姐の身体に電流を流して……神経を吃驚させたの。電気の信号が乱れて、身体が動かなくなる……」

 触手でアリカの手首を縛り、持ち上げる。アリカの足が地面から離れて、浮かび上がった。引き寄せて、首筋から鎖骨にかけて、触れているか否か分からないほどに繊細になぞる。

「……っ」

 たったそれだけなのに、アリカの身体は熱く沸騰するようだった。息遣いが荒くなる。

「こうすると、脳が混乱して……感じやすく、なる」

 エリィはアリカの腰に手を回した。踊るときのように身体を添わせる。互いの身体が熱い。アリカの服の襟を触手で強く引いて左の肩を露出させた。暗闇に浮かびあがるような色の薄い肌が晒される。

 怖い。アリカは初めて彼女を怖いと思った。いや、本当は二回目だった。制服を身に纏っていたあの日、見晴らしの良い高台で踊った日。彼女はわざとアリカを切り立った崖の端へ突き出した。あの日は、彼女は暗い顔をしていて、でも、帰るときにはもう笑顔が戻っていた。

 アリカは楽しいことが好きで、ダンスをする彼女はよく笑っていたから、彼女が寂しそうなときは一緒に踊った。楽しいことに目を向けていたくて、それ以外は見ないふりをしていた。何かを恐れている彼女の言葉にも。彼女を怪我させてしまってからは、彼女すらも見えていなかった。

 彼女は今、いつものように笑っている。歯が覗くほどに口を開けて―――

 そのまま、アリカに噛みついた。

「゙あ゙゙あァあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ!!!」

 アリカの絶叫と共に、汗と血が冷たい床に滴る。脳髄を電撃が迸るように痛みを感じた。身体が痙攣する。エリィの頭が離れると、アリカの首筋の痛々しい歯型が空気に晒される。抉られた肉が赤い。アリカはがっくりと頭を垂れて、肩で息をしている。

「とんじゃった?」

 エリィは汗と涙でぐしゃぐしゃになったアリカの顔を持ち上げる。両目は閉じかかって虚ろだった。有脳体の皮に包まれた右頬が脈打つ。

「゙うぅ……」

 涎の垂れた口からうめき声が漏れ、右目だけの瞳孔が開いた。

「゙うあああああっ!」

 右半身に力が漲って、振り払うように拘束を振りほどく。そのままエリィを殴り飛ばした。エリィは拘束具の散らばっていた床に落ちる。

「お前なぁ……何好きな奴ひん剥いて噛んでんだよっ!」

 半身が有脳体の女が叫んで、はだけた服をより戻した。彼女も完全に浮遊している。エリィは鼻血を拭って上半身を起こした。

 確実に、何かが違う。

「あなた、だれ……?」

「なんだ……忘れちまったか?私だよ。ドールだ」

 エリィは目を見開いた。アリカと融合した有脳体が身体を乗っ取っている。その意識の主は、かつて二人が属していたダンススクールのオーナーだった。

「先生……」

 エリィの瞳が一瞬揺らぐ。

「私はアリカの中に残った残りカスみたいな魂だけどよ……お前が余りにも悪い子なもんで、目が覚めちまった」

 低く厳つい声が響く。エリィはドールを見上げて拳を握りしめ、脚で立ち上がってから浮遊する。

「私はあの時、ねむって、って言ったのに……先生には勝てないね」

 彼女を不敵に睨み返して、呟く。おそらく、コアの抽出を経験していないアリカの身体との融合と、ドールの意識の覚醒のために命令遵守の規範が薄れているのだろう。と、エリィは考える。

「エリィ。お前が一番大切に思っているのはアリカじゃなかったのか」

「一番好きだから、だよ」

 ドールの額に青筋が立つ。浮き上がった二人の目線が揃う。

「それが傷付けていい理由になるとでも思ったか?」

 エリィはただ微笑んでいる。

「先生、私、おなかすいたの」

 化け物は子供のように笑って、上唇から血の付いた犬歯を覗かせる。

「アリカ姐、かえして?」

 彼女は上目遣いで小首を傾げる。

「馬鹿野郎が……こいつの身体にちょっとでも触れてみろ。叩っ切ってやる」

 ドールは懐からナイフを取り出し、構えた。眼光は鋭い。エリィの触手が放射状に伸びて、花のように広がる。半透明だったそれに血が巡って、真っ赤に燃えているようだった。

 ドールは縦横無尽に飛び回りながら、襲い来る触手をナイフで切る。素早さに翻弄された触手が何も無い場所を殴打し、建物が崩れていく。

「確かになぁ……アリカは大馬鹿野郎だ。骨が折れるまで練習はやめねえし、私が教えたダンスを暴力に使う」

 エリィはまだ無数の触手を使いこなせていない。それでも破壊力は凄まじいものだった。

「それでもあいつは!ずっとお前のことを想ってやってんだよ!」

 ドールは無限にも思える猛攻をいなし、本体へ切り込んだ。回転を乗せた踵落としが炸裂する。

 聖遣が地に落ちた。数の多い触手も地面で引き攣るばかりだ。本体の脳を揺らすと触手の動きも鈍くなるらしい。

 回復の暇を与えないまま、ドールは仰向けに転がる化け物の上に立ち、胸に熱線銃を突きつけた。息を整える。

「あいつだけが……お前を人間だと思ってんだ。エリィ。もう……やめにしないか」

 化け物は黙っている。ドールは深い紺色の瞳に気圧されそうになって、銃を強く握った。

「アリカには撃てなくても、私は撃てる。教え子の不始末は私の責任だ」

 言い聞かせるように言葉を放つ。

「お前はもう……死ななきゃ止まれないんだな?」

 エリィは微笑んだ。ドールは一瞬強く目を瞑り、開いて、引き金を引く。

 しかしそれは、自らの左腕に阻止された。

「アリカ……邪魔をするな!」

 銃を持った右腕は左手に射線を逸らされて、エリィには傷一つ付いていない。

 扉の先が強く光って、二人は扉の前から離れる。廊下から発された光線が部屋を両断した。拉致型侵略者と千手型有脳体が突入する。人間の手をそのまま巨大化させたような形である。手のひらには人間が一人乗っていた。

「聖遣!無事か」

 異形に乗った長髪の男が叫んだ。祭りのための鮮やかな衣装を纏っている。エリィはそっぽを向き息を吐いた。

「血を拭え。堕蛇はこちらで処理する」

 男が差し出したハンカチを聖遣は触手で取り、乱暴に口元を拭った。そのまま捨てて、壊れた拘束具の上に落ちる。

「先生、生きててくれてありがとう」

 エリィは振り向きざまにドールを見て、呟いた。

「千人の魚が待っている。行くぞ」

 聖遣と男が部屋を出る。

 緊張の糸が切れ、ドールは膝から崩れ落ちた。汗が噴き出る。

「アリカ……動けるか」

 問いかけてみるが、返事はない。重石のような倦怠感に包まれていた。エリィとの戦いに身体を使いすぎた。

 拉致型が三体、新たに部屋に入ってきた。標的を補足し、光を溜め込む。ドールは咄嗟に左半身を庇った。

 光線が炸裂する寸前、何かが拉致型にぶつかる。弾き飛ばされた拉致型が地面に激突した。

「……ユーニ!?」

 二回りほど小さい拉致型が一回転する。そのままドールを労わるように、尻尾で彼女の右腕に触れた。

「馬鹿野郎……助けられたら叱れねえじゃねえか」

 ユーニは少しだけ怪我をしていた。危ない橋を渡ってきたらしい。ドールは微笑む。

「ありがとな。助けるついでに、伝言も頼まれてくれねえか。アリカに……これから何が起きても、自分を責めるなって」

 そう言ってからドールはユーニの顔を見る。

「あ……私はアリカじゃないんだ。ドールという。混乱するかもしれねえけど……」

 ユーニは頷いて、彼女の右手を尻尾で握る。知っていた、と言っているようだった。互いに微笑む。

「……アリカのそばにいてくれてありがとう。私はもう時間切れみたいだ」

 ユーニが強くドールの手を握る。ドールの目は閉じかかっていた。

「幸せになれ……全員な……」

 死にゆく彼女は、無責任に生者の未来を願う。瞼が降りて、右腕から力が抜けていった。

 ユーニは彼女を尻尾で巻き、飛び上がる。ウスバと合流しなければならなかった。伝えねばならなかった。みんなが―――しあわせになれるように。










 千人の“魚”が、礼拝所の舞台の上でその時を待っている。それは選ばれし者達だった。敬虔であり、聖地への帰還が認められた者。全員白い服に身を包んでいる。

 鐘が鳴り、長髪の男の手に引かれて聖遣が舞台の真上に浮かんだ。舞台の外にいる民も畏れどよめく。

「迷える魚たちよ、哀れな同胞よ。これより聖者の同化を行う」

 男が民を見下ろして言う。彼はこの星の第二王子、グソク・ナリスだった。

 鶴の一声で、舞台の人間たちはすぐさま跪く。目が潰れないよう、誰もが首を垂れた。

 聖遣が巨大なカプセルの中に入る。両手を伸ばすと、その手のひらの間に火花が散った。

 街の全ての明かりが消える。

 刹那、極夜のこの星に太陽が現れたかのように、全てが輝いた。


 空鯨達と聖遣から放たれた電撃が街を走る。


 アリカが目を開けると、そこは無音だった。数多くいた信者のすべてが倒れ伏している。ウスバもユーニも絶句していた。


 聖遣はだらりと両腕を垂らし、茫然としている。カプセルの天井が開く。浮かび上がると、倒れて幾重にも積み重なった人間が笑っているのが見えた。

 これで、聖遣に随行することができる。電流の負荷から生まれる多幸感も相まって、誰もが安らかな顔をしていた。

 聖遣は顔を覆う。


「エリィ……」

 アリカが声に出せたのはそれだけだった。すべてが静まっている。



 聖遣は顔を覆ったまま肩を震わせた。すすり泣いているようだった。腰を折り曲げて、その震えはいよいよ大きくなった。

「う……ふ……」

 吐息が漏れる。

「ふふっ。ふふ……あははははは!みんな……みんなうれしそう!」

 両手が離れて見えた顔は、笑っていた。腹の底から湧き上がるような哄笑が響く。壮絶な慟哭が笑い声に聞こえるように、その晴れやかな声は号哭のようにも聞こえた。

 一通り笑って、聖遣は一本の触手を垂らす。ずるりと聖者の一人が飲み込まれ、溶けて、触手の一部となった。

「ふ……はぁ、おなか、すいたなぁ」

 背中から新たに触手が生え、伸びた。

「おなかすいた!おなかすいた!」

 今までただ垂らしていた腕を大きく動かす。川面で逃げる魚を手で掴むように力が入る。それに合わせて遥か下方の地表では触手が荒ぶる。服だけを残して、全てが聖遣の一部になっていく。増えていく大量の触手が縦横無尽に動き、地表の人間達を浚った。

 聖遣と随行できるのは選ばれた千人だけという話だったが、舞台に乗っていない人間も倒れている。街全体の人間のコアが抽出され、セカンドアースの核に吸収されたようだった。

 やりすぎだ。グソクは口を覆って隠した。

「素晴らしい……聖遣とは、これほどの……!」

 どうしても上がってしまう口角を隠すために。



 アリカは眼前の光景を受け入れられず、口を押さえた。嘔吐しそうだった。

「逃げる……逃げるぞ!」

 ウスバは正気に戻って、脚からジェットを吹き出す。港を目指して一直線に飛んだ。


 舞台から少し離れた地点にて、グソクの目は飛行する者達を捉える。

「まだ生きていたか……カムリ。頼むぞ」

「承知いたしました」

 グソクの傍に控えていた老人が答える。鉄面皮から感情は伺えない。




 ウスバ達は有脳体達の猛追を振り切り、停泊所になだれ込む。ウスバが小さな船に手を当てると、扉が開いた。

「発進するぞ。席につけ」

 三人乗りの船はコクピットもこじんまりとしている。ウスバは手早く操縦系を起動した。船を固定していた機械が外れる。

「とめなきゃ……エリィをとめなきゃ……」

 アリカは窓に縋りついてうわ言を繰り返している。

「今あれを止められる奴なんていない」

 ウスバが突き放すように言う。ユーニがアリカに巻き付いて椅子に座らせた。ウスバが振り向く。

「しっかりしろ。いいか。キミは逃げるんじゃない。聖遣を人間に戻してやるために進むんだ」

 (ポート)が開く。磁場が発生して、大気圏の重力が打ち消されていく。船が浮き上がった。

宇宙(そら)に逃げる気か」

 カムリが空を睨む。千手型に乗っていた。通信機が切迫した情報を伝える。

「目標、五分後に成層圏に到達します!」

「先に有脳体を放て!我々も船を出す!」

「港のインターフェイスがハッキングされています!自動制御装置が作動しません!」

「……もとより戦艦は動かすのに時間がかかりすぎる。小型船だ!手動で私が操縦する!」



 アリカ達の乗る小型船には碌な火器が搭載されておらず、追ってくる有脳体に反撃する術を持たない。急制動を何度も受けてアリカは自分が上がっているのか下がっているのかわからなくなった。



 ウスバは自己の肉体の認識を拡大し、小型船を意のままに操縦していた。しかし人間の身体を模した物と宇宙船では勝手が違う。多数のカメラ、高度計、気圧計、速度計から怒涛の情報が雪崩れ込んでいた。

「脳が焼き切れそうだ……持ち合わせちゃいないがな!」

 紙一重で拉致型の光線を避ける。すぐに後続の目が光る。既に同じ高度に有脳体が迫っていた。腕利きの司令塔がいるらしく、統率がとれている。拉致型が光を溜め込んでいるうちに、口腔型が突っ込む。

 顎の開いた口腔型を、一体の拉致型が跳ね飛ばした。ユーニだった。

 そのまま、普通の拉致型の光線よりも強い光を放つ。光線のような破壊の力はないが、人間の視界を少しの間奪うことができた。

「あの小さな拉致型は……」

 カムリが薄目を開ける。隣で機器を操作する女性が答えた。

「改造が完全でない有脳体を従えているようです。生育不良ですから、大した戦力にはならないかと。目晦ましは厄介ですが」

「そうか……使えるな。第二陣、光線緩めるな!……通信は?」

 老人が有脳体に指示を飛ばしつつ脳を働かせる。

「拒絶されています」

 女性は何かを察するように彼を見る。

「音声を届けたい」

 カムリと数人の部下が乗る小型船は小型の戦闘機を腹に携えて上昇していく。

「もう大気は薄くなっています。船の中にしろ外にしろ、これ以上上昇すると厳しいかと」

「では、こちらから出向こう」

 カムリが席を立ちヘルメットを被る。

「空佐、なぜあなたが行くんです!撃墜すればいいだけの話では」

「堕蛇の死体は回収したい。俺なら奴等を無力化できる」

 部下の女性は何も言い返すことができない。戦闘機を最も巧みに操ることができるのは間違いなく彼だった。

「……今は空将だ。俺が死んだら遺体の回収を頼む」

 何でもないようにカムリは言って、コクピットから離れる。女性は拳を握りしめた。

「ご武運を……」



「ユーニ!戻れ!大気圏を抜ける!」

 ユーニはインカムからウスバの指示を聞き、小型船に戻る。有脳体は気圧の変化に動きが鈍っている。ユーニは傷を受けてぐったりしている。ウスバは無い歯を食いしばりながら、宇宙に向かって全速前進する。

 シャープな戦闘機が現れ、ウスバ達の灰色の船に迫る。戦闘機はアームを取り出した。

「聖遣は一人だけだ……有脳体と融合できる人間が市井から現れるなど、あってはならない」

 多数の拉致型が一斉に光線を放ち、堕蛇の乗っているであろう船の進路を阻む。進退窮まった。

 戦闘機のアームが小型船を掴む。

「馬鹿が!」

 ウスバは瞬時に戦闘機をハッキングする。接触したことにより戦闘機すらも操ったのだ。燃料を逆流させ、爆破する。伸ばしていたアームが断裂し、ただのデブリとなって飛んでいった。

 それを見届けて、ウスバは膝をつく。さすがに疲弊したようだった。振り向いてユーニを伺う。彼は何かに驚いてウスバを庇った。

 硝子が割れて、腹を膨らませた拉致型が宇宙船の中に墜落した。死んだ拉致型の中から宇宙服に身を包んだ男が出てきて、ウスバに銃を向ける。

「おい、コクピットは撃つなよ。全員爆発に巻き込まれる」

 ウスバは冷静に言って両手を上げる。不安そうにユーニが身体に巻き付いた。

堕蛇(ラッセル)はどこにいる?」

 老人の声が、ヘルメット越しに籠って聞こえる。

「さあなァ。もうこの宙域を離れているんじゃないか」

「そうか。では貴様等は爆破したっていいな」

「つれないなァ。ボクは両手を上げていたって、いつでもキミを殺せるぞ?」

 言うや否や、ウスバの懐から鉛玉が飛び出す。カムリが倒れた。持っていた拳銃が放たれ、ユーニが尻尾でキャッチする。

 彼のヘルメットが割れ、額から血が流れるのを感じて、彼の口角が少しだけ上がった。

「下手糞。いつだって、チャンスは一度きりだ。一度の過ちで、お前は全てを失う」

 ウスバは背後から強い光を感じる。何かが大きな爆発を起こしたようだった。

「空将の俺は有脳体に特別な命令を下すことができる……自爆だ。俺はこの周囲の有脳体二百の命を握っている。全員が人質だ。俺を無為に殺せば起動する」

 男は表情を変えないまま起き上がり、ウスバを見る。

「……それで、何を望む?」

 カムリは震える手でユーニを指差した。

「俺ではお前を壊せそうにない。そこの有脳体。お前だ。お前がウスバを撃て。光線は出せるな」

 ユーニが目に見えて動揺する。黙っているウスバと宇宙服に身を包んだ老人を交互に見ていた。

「できないなら、二百の命が消える。そいつは生きてすらいない。命ですらないんだ。安いもんだろ」

 宇宙の空気は澄んでいた。

「ユーニ」

 ウスバがにやっと笑う。胸の中心を親指で指した。

「よく狙え。外すなよ」

 泣きじゃくる子供の声を、ウスバは聞き流している。


 ユーニの瞳の前に、小さな光が集まっていく。やがてそれは見つめられないほど大きくなって、ウスバの胸を貫いた。身体が焼き切れて、完全に肩から上と下が分裂する。船の硝子が完全に溶けて、二人は宇宙に投げ出された。

「よくやった。お前は見逃してやろう……」

 船に残るカムリの命は風前の灯火で、その声はもうユーニには届かないほど小さかった。

「エリィ……先立つ俺を、許すな……」

 カムリは虚空に手を伸ばし、力尽きた。



 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――

「しっかりしろ。いいか。キミは逃げるんじゃない。聖遣を人間に戻してやるために進むんだ」

「できない……無理だよ……先生もいなくなった……」

 アリカの右の袖から伸びる触手はもう動かなくなっていた。ウスバは突然振り向いて、俯くアリカの胸倉を掴んだ。アリカの背後の壁が開き、奥からカプセルのようなものが現れる。ウスバはそこにアリカを投げた。カプセルの蓋が閉まる。

 アリカは驚いて、蓋を叩いた。中からは力を加えても開かない。

「たしかに、無理かもしれないな。本当は、キミに世界を救う義理なんてないんだ」

「なあ、これ、何だよ……」

「緊急脱出用のカプセルだ。今殆どの燃料をそっちに移したから、キミは寝てる間にサードアースに着く」

「……駄目だ、そんなの駄目だ。ウスバとユーニは……」

「ボクは強い。ユーニもな。こいつらを蹴散らして、船を奪って後から追いつくさ」

 ウスバは懐の銃をひらひらとアリカに見せる。コクピットに戻って、彼女に背中を向けたまま話した。

「アリカ、ボクはキミにいくつか嘘をついた。だがな、それらを取り消すようなことはしない。全部キミのためについた嘘だからだ」

 アリカは不死だということ。アリカは化け物だということ。それらは嘘だった。彼女を生かすための。

「んに。アリカ、ボクはキミの存在を肯定しよう。キミの心はキミの中だけにある。人間の心だ」

 アリカの目から涙が溢れる。嗚咽が止まらなくて、何も言えなかった。カプセル内部の液晶が光って、文字を映し出す。

「せんせいが じぶんをせめるな って」

 それはユーニの言葉だった。

「ぼくも そうおもう ぼくたち いっぱい まちがえるから」

「ユーニ……先生……」

 画面の上に涙が落ちる。

「しあわせに なってね」

「無理だよ……二人がいないと、アタシは」

「ボク達は、キミが好きだよ。キミの旅路に幸運を祈っている」

 小型船の前で、ユーニが強く光った。脱出カプセルが勢いよく船から分離する。ステルスの外装は闇に溶けた。


 星が遠くなっていく。アリカは泣きながら、義足を抱きしめた。

 ―――――――――――――――――――――――――――――――――――


 宇宙に、船と有脳体の残骸が漂っている。

 ユーニはウスバの頭部に巻き付いて寄り添う。下半身はどこかへいってしまった。ウスバの硝子の瞳に、白く眩い星が映る。


 アァ……なんて、きれいなんだ。




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