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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

海月の微笑

海月の微笑

作者: 萌闇

 初めて彼女に会った時、目を疑った。

膝にかかるほど長い黒髪と今にも倒れてしまいそうなほど細く白い身体。そして、何より印象的だったのは透き通った水晶のような瞳だった。それはまるで底が見えない海に吸い込まれるような__全てを見通しているようなそんな目だった。ただ綺麗、可愛いなどの薄っぺらい言葉では表せないような魅力が彼女にはあった。


モデルである彼女の撮影のコンセプトは「儚い少女」だった。彼女は撮影の度に、カメラマンが求めているもの全てを上手く体現してみせる……そんな姿に感嘆するとともに僕は、彼女が皆の求める「儚さ」のために無理をしているのではないかと気が気でなかった。あの華奢な身体を作るために過剰な食事制限をすることの強要などをされているのではないかと。


僕は1度彼女に聞いてみたことがある。休憩時間にたまたま隣にいたのがきっかけだった。

「あの…無理してませんか?………勘違いだったらすみません」

彼女は一瞬目を見開いて驚いたような顔をしたが、静かに笑って答えた。

「してないですよ。……心配してくれてありがとうございます、優しいんですね」

そう言った彼女の瞳にはわずかに影がさしていた。

数秒の間沈黙が続く。僕は焦って話題を変えようとしたが、彼女の方が先に口を開いた。

「…知ってますか?クラゲって、死ぬと水に溶けて消えるんです。とても美しいけれど、悲しい生き物なんですよ」

「そうなんですか…!確かに。儚い生き物ですね」

少し俯いたあと、彼女はゆっくりと口を開いた。

「私、来世はクラゲになりたいんです。ぷかぷか浮いてるだけでいいから、楽そうじゃないですか?……それに死ぬ時も海に還りますから」

どんな言葉をかけるのが正解なのかわからなかった。彼女がどこか寂しそうに見えたから。

「撮影再開しまーす」

スタッフの声が聞こえると、彼女は立ち上がって言った。

「じゃあ、失礼します」

「は、はい!」

彼女は数歩歩いたかと思うと振り返り、やわらかい微笑みを浮かべて

「またお話ししてくれると嬉しいです」

と言うと、踵を返して小走りで去っていった。


それから僕たちは、時々話すようになった。

彼女には親が居なく、少し前まで児童養護施設に入っていたらしい。

外出していて突然通りすがりの人にスカウトされた時は驚いたと、彼女は笑っていた。



 ある曇りの日。海で撮影の日だった。

彼女は真っ白なワンピースを着て霞んだ波打ち際に佇んでいた。今日もいつもと変わりなくカメラマンの指示を受けながらポーズをとり、順調に撮影が進んでいった。……そう、何事もなく、ただいつものように。


撮影も終盤に差し掛かったときだった。


彼女の後ろに迫っている黒い影に気付かなかった。誰も。…………いや、気付けなかったのだ。




彼女が振り向いた瞬間……真っ白だったワンピースは赤く染っていた。

その黒い影の正体はすぐにわかった。通り魔だったのだ。

彼女の腹部には鋭く光る刃物が深く突き刺さっていた。そして通り魔が刃物を勢いよく引き抜くと真っ赤な鮮血の飛沫が噴き出した。

彼女は腹部と口元を押さえ数歩後ずさった。

通り魔はそれ以上何をすることも無くただ歩いて通り過ぎて行った。

…………誰も助けに行かなかった。

監督やカメラマンも、スタッフも、スタイリストも…...僕も。その場にいた人間全員が、ただその光景に釘付けになって、動かなかった。


すると彼女は顔を上げ、こちらに向き直り、スカートの裾を持ってにっこりと笑ったのだ。そしてそのままくるくると舞い始めた。その姿は翼が折れた天使のようだった。彼女はそうしている間も、今まで見たことのない___儚いというコンセプトにそぐわない、まるで子供のような無邪気な笑みを浮かべていた。破顔微笑というべきだろうか。

やがて彼女は何歩かよろめいた後、打ち寄せる波の中へ消えていった。


曇り空の隙間から光芒が差し込み、柔らかい輪郭を照らす。風になびく髪は透けて、潤んだ瞳には光が反射して煌めいていた。その最期の姿は、僕が今までの人生で見てきた物の中で最も美しかったと言える。


その姿が見えなくなった瞬間、やっと金縛りが解けたように僕は走り出した。僕は急いで冷たい波をかきわけ、彼女を引き上げた。

……しかし僕が見た時にはもう彼女の息は止まっていて、その亡き骸は笑っていた。

身体は既に冷たくなっており、ガラス玉のような瞳は完全に生気を失い虚空をみつめていたが、その奥には僅かに優しい微笑みが残っていた。







 彼女は望み通り海に還った。死ぬと水に溶けて消えるクラゲのように。沈み消える時までも純粋無垢な少女のまま。

どうして彼女はクラゲになることを望んだのだろうか。いつも撮影では表情を崩さなかった彼女が、どうして刺された時だけは満面の笑みだったのだろうか。

倒れゆく刹那、僕は彼女と目が合ったのだ。

口が動いていて何かを言ったように見えた。

勘違いかもしれない、でも彼女は僕に何か伝えたかったのではないだろうか。


僕には彼女の気持ちは分からない。

でもなぜだか、どうしようもないほど切なく、悲しく、消えてしまいたくなるのだ。

彼女の心の奥底に在っただろうもの……できるなら無くしてあげたかった。代わりになれずとも、一緒に背負うことが出来たなら良かったのに。せめて彼女が安らかに眠っていられるよう、願わずには居られなかった。


暗い海辺に花を手向け、僕は一筋の涙を流した。

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