悦進
──退院の朝。
少年は病院の表に立ち、少女を待っていた。白く磨かれた床が窓から差し込む淡い光を反射し、外の景色は相変わらずの雪原だった。
四か月もの間、この場所で過ごしてきた。いつしか、雪景色が”日常”であるかのように感じ始めていた。だが、それが恐ろしく思えることもある。
本当に自分は、この世界の人間なのか?──
その疑問が、少年の胸を静かに締め付ける。
正面玄関の自動ドアの向こうには、どこまでも続く白い風景が広がっている。
行く当てがあるわけではないが、院長が手配してくれた場所へ向かわなければならない。
それが”新しい人生”の第一歩となるのだから。
「行ってらっしゃい。何かあれば、いつでも戻ってきて構わないから」
院長は柔和な表情でそう告げた。
病院のスタッフたちも、それぞれに温かい眼差しを向けてくれている。
だが、その視線の奥には、純粋な優しさだけではない、何か別の感情が滲んでいるようにも思えた。
少年は、改めて名刺を手に取る。
そして、その裏に刻まれたマークを指でなぞった。
病院の扉を開いた瞬間、冷たい風が容赦なく吹きつける。肺の奥まで染み込む雪の匂い。
少年は思わず目を細めた。
──そのときだった
胸の奥が、鋭く突き抜けるような感覚に襲われる。痛みではない。
だが、それはどこか懐かしく、そして恐ろしい感覚だった。
遠くに見える街並みは、白銀のヴェールに包まれている。その先には、何が待っているのか——希望か、それとも絶望か。
少年は静かに唇を引き結び、前へと進んだ。
粉雪が舞う。その光景は、祝福のようにも、新たな試練の合図のようにも見えた。
──二人は静かに歩く。
足音が湿った地面に吸い込まれ、空気の重さを際立たせる。
少女は、どこか壊れた人形のようにふわりと微笑んだ。だが、その笑顔には色がなく、目の奥には深い影が潜んでいた。
少年もまた、沈黙を守りながら歩き続ける。
夜なのか、朝なのかすらわからない曖昧な空の下、彼らは振り返ることなく進んでいく。
ふいに、少女が少年の袖をそっと引いた。冷えた指先の感触が、少年の皮膚に残る。
大丈夫か——
問いかけようとするが、喉がひりついて声にならない。少女は小さく首を振り、再び歩き出した。
少年は、自分の上着をそっと少女に掛け、その小さな手を握りしめる。
彼の指も、少女の指も、ひどく冷たかった。
———進み続けなければならない。
失われたものを取り戻すために。
立ち止まってはならない。
喪われたものを取り戻すまでは
私は進み続ける———
雪がやみ、陽光が影を照らすときこそ、すべての謎が解き明かされるのだろうか
— μετά—