Geardagum
なろう作品らしい表現でふわっと投稿するなろう特有の少年の一人称視点的作品が見たい人はこちらもどうぞ。
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「クソ……クソ……クソ……クソォ」
男の唇から絞り出される言葉は、虚空に響き、すぐに消えていった。
荒く息を吸い込むたびに冷たい空気が喉を刺し、肺が焼けるように痛む。
体は限界を超え、崩れ落ちそうになりながらも、男は必死に前へと進んでいた。
右腕は肩から先が完全に消失し、裂けた肉の隙間から白い骨が露出している。
止まらない血が雪を赤く染め、彼の進んだ跡がまるで命の痕跡のように続いている。
左手の三本の指は明後日の方向へ折れ、力を入れることすらできない。
右足は真横に折れたまま、感覚すら失われていた。
視界は、頭から流れ落ちる血で赤黒く染まり、世界全体が滲み、揺らめいていた。
空はまさに血のように赤くかかがき、雪が静かに降り積もる。
その静寂は異常なほどで、まるで時間が止まったかのようだった。
死の匂いが辺りに充満し、彼の思考を蝕んでいく。
「クソ……なんで……こんなことに……俺は……どこで間違えたんだ……何が正しかったんだ……」
その言葉は誰に向けたものでもなかった。
ただ、ひたすらに自らへ問いかける。しかし、その問いに答える者は、もはやこの世界にはいない。
背後からは無数の曳光弾が飛び交い、木々を貫きながら火花を散らしていた。
耳元を弾丸が掠め、爆発音が鼓膜を痛めつける。
次の瞬間、音が消え去り、世界は無音となった。
キィーン——
ただ、頭の奥で耳鳴りだけが響き続ける。
全身が痺れ、意識は今にも途切れそうだった。
「cicadaは……cicadaはどこだ……届けなければ……俺は……死ぬわけにはいかない……」
遠くから響く爆発音が、彼の意識を現実へと引き戻した。
仲間たちの命が、次々と消えていく。男はそれを知っていた。
だが、今は進まなければならない。立ち止まることは許されなかった。
膝を引きずりながら、ようやく森を抜けた。
その先に見えたのは、静かに佇む発射台だった。
彼の視界にぼんやりと映るそれは、今や残された唯一の希望だった。
「あった……あれだ……」
震える手でポケットを探り、血に濡れたメモリを取り出す。意識が朦朧とする中、奥歯を噛み締めながら、それを装置の穴に差し込んだ。
「あれ…あ。上下逆…か」
上下逆に入れようとしたメモリを差し込み直した。
表には文字で“未来を託す”と乱雑な文字で記されているのが目に入る。
「これで俺たちは……また一歩、お前たちを追い詰めたぞ……何が神だ……何が加護だ……クソ喰らえ……」
その声には、怒りと絶望、そして決意が滲んでいた。
体中が痛みに苛まれ、呼吸は荒れ狂い、それでも彼は言葉を続けた。
「俺たちがダメでも、次の者が。それもダメならまた次が……それが俺たちの使命だ。あと少し。もう少しだ」
男の声は震えていた。
それでも、その言葉には確固たる意志が宿っていた。
自分の命がどうなろうとも、この使命だけは果たさなければならなかった。
「これは俺たちの願いと希望と….未来だ。
あぁ。アルフレッドは……任務を果たせただろうか……?」
装置の横に腰掛ける。
「最後にタバコくらいは吸わせてくれよ」
血に滲んだ胸ポケットを探る。そこにあったのは、潰れかけたタバコの箱。
紙箱は湿り、赤黒い染みが広がっていた。指先で震えながら一本取り出し、唇に挟む。
カチッ——
ライターの蓋を開く音が、虚空に響いた。
炎を灯そうとした瞬間、視界が滲む。時間が溶けるように崩れ、遠い記憶が鮮明に蘇る。
……金色の陽だまりの中、甘い香りが鼻をくすぐる。
焼きたてのアップルパイを前に、あどけない笑顔を向ける少女。小さな手がパイを割り、嬉しそうに頬張るその姿が、目の前に浮かぶ。
「フレイヤ……すまなかった」
———兄として、何一つしてやれなかった
守るべきものを、守り切れなかった
でも、もうすぐ会える
その時はもう一度…..あのアップルパイを一緒に食べような———
装置が起動し、cicadaが高く飛び立つ。その瞬間、男はかすかに笑った。彼の心の中で、何かが確かに繋がった。彼らの犠牲は、決して無駄ではなかったのだ。
そのとき、空を裂く音が響いた。三機のξι-ωφが編隊を組み、高速で飛び去っていく。それを追う無数の敵機。ドッグファイト状態となる。逃げる一機、また一機が炎に包まれ、墜落していく。
そして、最後の一機が撃墜されようとしたその瞬間。
上空、雲の中から突如として様々な色を輝かせる無数の閃光が降り注ぐ。
——次の瞬間
轟音と閃光が世界を引き、大地が揺れ、爆風が敵機を呑み込み、あたり一面を破壊していく。彼はその光景を見届けながら、崩れ落ちる意識の中で、最後の景色を心に刻んだ。
キノコ雲が上空に立ち昇る。
彼の意識は完全に途切れた。
——これでいい
仲間たちの願いは、確かに未来へと繋がったのだから
俺たちは、その時が来るまで進み続ける。決して立ち止まることなく——
— μετά—
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