絶好調二人羽織
「チョメスケ君、おはようございます。今日、授業終わったら同好会行くよね?」
一限目が終わった休み時間中。次の授業の予習をしていると、二つ隣の席から凛とした可愛らしい声が聞こえてきた。ふとそちらに視線が向く。
声の主は、学校一の美少女との呼び声も高いクラスのマドンナ、ミッチーちゃんである。そんな彼女が仲良しの女子グループの輪から抜け出して、教室の反対側、自分の席で独り本を読んでいる男子生徒のところにやってきて話しかけていた。その男子生徒はチョメスケというあだ名で、普段の学校生活ではあまり目立たないタイプの奴だ。
今は夏休み期間中なのだが、田舎の自称進学校であるこの学校では課外授業がお盆を除いてほぼ毎日行われており、生徒たちが大勢集った教室内の光景は通常の学期中のそれとほとんど変わらない。そんな中で、クラスでの立ち位置も対照的なこの二人だけで顔を合わせて言葉を交わし合う様子というのは、改めて不思議な感じがした。
「あぁ、ミッチーおはよう。うん、もちろん。作業の続きがあるし」
「分かった。私、今日日直だから、少し遅れちゃうかも」
「それなら、すぐ始められるように先に道具引っ張り出しとくよ。スポンジを貼り合わせる工程は大方完了したから、次は……」
進捗表と思しきペラ紙を取り出したチョメスケと話し込んでいる彼女の横顔をチラリと盗み見る。
艶のある黒髪のミディアムショート。彼女のトレードマーク・カラーである若葉色の夏用ベスト。その下の白いブラウスのボタンは一番上まできちんと閉め、胸元のリボンも緩まないようにしっかり結び、校則には一切抵触しないような着こなしを守っている。
黒いスカートも腰のところで折らずに無加工で履いていて、ブラウスの裾はそのウエストにきちんと仕舞っている。女子生徒の中にはタックインはダサいと言ってわざとスカートからブラウスの裾をダランと出している者も多く、そうした着こなしも服装検査期間以外は事実上黙認されているのだが、彼女の場合は本人が醸し出す優等生然とした雰囲気と相まってその整った佇まいは非常に似合っていた。
かたや多くの生徒たちから注目を浴びるマドンナ、かたや教室内ではほとんど目立たない男子生徒。一見、学校生活の中では交わる機会のなさそうなこの二人だが、風の噂によれば状態変化同好会とかいうよく分からない謎のサークルに所属しているという共通点がある。しかも、その同好会にはこのチョメスケとミッチーちゃん、この二人しか所属していないんだとか。それすなわち、チョメスケはあのミッチーちゃんと、いつも二人きりで過ごしているということではないか。
チョメスケの野郎……。あのみんなのアイドルを毎日独り占めにしてるとか、羨まし過ぎるぜ……。
これでチョメスケがミッチーちゃんの美貌に鼻の下でも伸ばしていようものなら他の男子生徒たちからのヘイトは天上突破していたところだろうが、話し込む二人の表情はいつもと同じく真剣そのもの。放課後の活動内容を打ち合わせているようだった。遠巻きに見ていると、この二人の間には『同志』という雰囲気が漂ってる。少なくとも恋人同士でイチャイチャし合ってる、というのとは違う気がする。なんとなく、同好会の活動中もこんな感じなんだろうなと、透けて見えるようだった。
その、なんとか同好会っていうのがどういう活動をしているのかはさっぱり分からないが……。あの模範的生徒として非の打ちどころのないミッチーちゃんのことだ、授業中と同じように、さぞ立派な活動に日々励んでいるに違いない。
そう思っていると、教室前方のスピーカーから授業開始のチャイムが鳴り始めた。
やばっ、ミッチーちゃんの可愛さに目を奪われてたせいで、全然予習終わらせられなかったよ……。
教室に入ってきた教師から隠すように、半分以上が空白なままのノートのそのページを閉じる。
✳︎
「ぬあぁ〜、ヤッバ…………今年の夏、ちょちょちょ超暑過ぎるんですけど〜……」
「それな……」
放課後、ミッチーとチョメスケは恒例のミーティングを行うために同好会の活動場所である空き教室に集まった、のだが……。あまりの酷暑に作業は完全に中断、各々机や椅子に突っ伏すような姿勢で項垂れていた。
つい先ほどまで、秋口のロールプレイ例会に向けて若葉色のビックリマーク化の衣装を二人で製作していたところだった。
この衣装はビックリ怪人に扮したチョメスケに驚かされたことによってミッチーが人間大のビックリマークに変化させられてしまった姿……という設定のものである。ソフトボードで丸みを帯びた円筒状のビックリマークの外郭が形成されており、その内側には着用者であるミッチーの身体にフィットするようウレタンスポンジを埋めてある。また、そのビックリマークの一側面は縦長に大きくくり抜かれていて、このあとの予定では塗装が完了次第、その空洞の内側からビックリマークと同じ色味の若葉色の薄い布地のストレッチ生地が帆を張るように貼り付けられることになっている。その一面は実際にこの衣装を着込んだ際にミッチーの身体のちょうど正面にあたる箇所であり、背中側からウレタンスポンジの程よい圧迫によって外向きに押し出されるような形で、ビックリマークの表面に彼女の顔の輪郭や胸の膨らみ、お腹や鼠蹊部の肉感、華奢な両ふとももの間のほんの少しの隙間、そしてビックリマークの先細っていく形状に沿って締められた膝小僧や脛の筋肉まで、彼女のボディラインがピッチリと浮かび上がるような完成図を想定している。カーボンフリーズの固め拘束感・オブジェ感と、バキュームベッドに浮かび上がる人肌の柔らかい感じ、そのいいとこ取りができれば理想的だ。そのあとは生地と着ぐるみの間の継ぎ目を目立たぬように埋めて、ビックリマークの一番下の点を表すツルンとした丸いボール型の別パーツを透明なワイヤーでくっつけてやれば大体完成である。
さて、上記工程のうち、ビックリマークの外郭の形成とウレタンスポンジの埋め込みは完了済みで、次の大仕事は全体の塗装になるわけだが、空調を効かせるために密閉した室内で塗料を使うわけにもいかないし、かと言って今年一番の炎天下の屋外で作業する気にもならない。内部のスポンジの位置の微調整や、レザー生地の張り方の確認など、他にも室内でできる作業がないではないのだが……。この教室は普段授業で使われていないということもあり、設備の更新が後回しになっているのだろう、他の部屋と比べて空調の効きが非常に悪い。この蒸し蒸しとした暑さの中で熱のこもりやすい着ぐるみに入っての作業は熱中症の恐れがある。
致し方なし、今日のところは二人とも絶賛休憩中である。
冬の寒さであれば、炬燵や赤外線ストーブを用意するなり上着や毛布を重ね着するなり、保温手段を足し算していくことで対処しようがある。しかし暑さに関しては、これが意外と取れる選択肢が限られる。
室温を下げられないのであれば、体内に溜まった熱を逃す方向で考えるしかない。
……という訳で、今のミッチーは普段の学校生活では絶対に見せないような、非常に解放感のある格好をしていた。
この同好会ではもはや恒例となりつつある、ギャル化した姿である。
上から順番に視線を巡らせていくと、いつもはストンと下ろしている黒髪を、若葉色のシュシュでポニーテールにキュッと結んで、首元に熱がこもらないようにしている。
上半身を包む、脇や肩周りの柔肌感がピチッと浮き出るような少し小さめサイズのブラウスの、第三ボタンまでざっくり開けて、その下に着けている若葉色のビキニ水着まで垣間見え、たわわな二つの丸い膨らみが主張する胸元が強調されている。その隙間、そこに特に熱が篭りやすいのだろう、胸の谷間に向けて右手に持った小型扇風機で風を送り続けている。首にはネックレスを下げていて、両胸の間の川を流れるチェーンの先の、ペンダントトップの雫のような若葉色のジュエルが、時折送風にあおられ零れ落ちそうに震えている。
ビキニ水着自体の表面はマッドな質感の材質なはずなのに、夏用の薄くて白いブラウスの生地越しに透かしたその若葉色は、光の加減によるものか、まるでツルツルとした光沢を帯びているみたいに見えてしまって、目に入るとなんだかドキドキしてしまう。
授業中はきちんと胸元に結んで着けていた襟の赤いリボンも外してしまって、スナップボタンのところで寸断されたまま、机の上にポイっと放り出されている。あのリボン、自分で一から結んでるんじゃなくてワンタッチでパチっとつけられるタイプだったのね……。
黒いスカートもそのまま履いている普段とは異なり、腰のところで折り畳んでミニスカみたく短くしていた。両脚もいつもの教室では考えられないくらいの大股開き、体温を逃すために左手で裾をバサバサとはためかせているものだから、スカートの中のビックリするほど細身な白い内太ももと、下に履いている若葉色のビキニパンツ越しに浮き出たお股の肉感が、チョメスケの視界にまでいちいち映り込んでくる。
足元を見ても、いつもはピシッと膝下まで伸ばして履いている白い長靴下を、ルーズソックスのようにくるぶし付近までクシャッと下ろしてしまっている。
……こんな具合で、属性が優等生からギャルに変わっているという設定をいいことに、今日のミッチーはいつもにも増して露出度の高い着こなしをしているのだった。
ミッチーと同好会の活動をともにする中で多少の刺激には慣れっこになりつつある僕と言えど、一応は健全な思春期男子、ちょっとこの光景はおセンシティブが過ぎますよ……。一言差し挟みたくもなる。
「あのー、ミッチーさん? 人皮ごとめくりたいぐらい暑いのは分かるんですけど、もうちょっとこう……素肌を隠すことってできませんかね? こちらとしても目のやり場とか、配慮に困ると言うか…………」
「え〜? これでもまだ自重してる方だよ? 私って女子の中でも代謝良くて体温高い方だし、こうして熱逃さないと熱中症になっちゃうんですけど〜。
てか、今の私ってこの通り、ピッチピチのギャルなわけじゃん。ギャルだったらこれくらいパーッてした格好の方がむしろ正装っしょ⭐︎
……ていうか、もしかしてチョメっち、私のこのナイスバデーにコーフンしちゃってる? うーわ、いつも教室だとカタブツっぽい雰囲気出してるくせに、本当はムッツリなんだ? やっばー♡」
「うっ、いや、そういうわけじゃないけどさ……」
すっかりギャルキャラに入ったミッチーに捲し立てられ、思わず僕は口籠る。普段の礼儀正しいお淑やかな言葉遣いから一転、本物のギャルを思わせるような挑発的で大胆不敵な口調に気圧されてしまう。うーん、このモードの時のミッチーを相手にすると、いつもこうして防戦一方になってしまうんだよな……。
本人曰く、今回のこのギャル化した姿は元のミッチーとは別人格であり、本来の彼女の人格は制服の下に纏っている若葉色のビキニと、首から下げているネックレスのジュエルという姿として封印され身動きが取れなくなっている……という設定だそうです。「キャー! 私、水着化させられた挙句、別人格に乗っ取られた自分の身体に着られちゃってるぅ! 助けてチョメスケくーん!」とのことである。ほう、そうきましたか。やっぱこの子才能あるわ。
こういう設定にして何が嬉しいかというと、それは『物品化させられて身体の自由がきかない』という状況と『自律して身動きが取れる』という状況、一見矛盾しているように思える双方を両立できる点である。
例えば、単純に身体がそのまま水着化されるというシチュエーションを考えてみる。絵面としては、教室の床に若葉色の水着が一着、ペランと転がっている感じになる。勿論これだけでも乙なものではある。
加えて水着化させられた本人がどう感じているかを演出したいのであれば、カメラ視点の四隅のどこかにワイプ画面を出してそこに本人のバストアップを映したり、天の声という形式で本人の声を流すのも良い。ただ、せっかく水着になったのに床の上に放置されたままなのも可哀想である。たまたまそこに他の人間が通りかかって、床に転がっている水着を発見する。まるで啓示か何かを受けたみたいにその人は無性に水着を着たくなってきて、その場でその水着に着替え出してしまう。「や、やめて、着ないで! 私は人間よ! 水着なんかじゃない! あ、あぁ……変わっちゃうぅ……完全に、水着に、なっちゃうぅ……」という感じでアフレコでもすれば完璧である。
さて、この一連の流れだけを見ると、水着化した本人は一貫して状況そのものに対して直接的に干渉することはできない。その状況こそが醍醐味じゃないかという考え方も、勿論有力だと思う。実際、ミッチーも一時期こういう方針のネタを量産していた。同好会の共用PCのローカルディスクは、ミッチーの「やめて……私、◯◯になっちゃうぅ……」のMP3でパンパンである。しかし、そのうち演じている本人も様々なパターンを楽しみたくなってきたのだろう。その後は自分の意思でも身体を動かせるような衣裳を用意したり、こうして自分の肉体でシチュエーションそのものに干渉できるようにしたり、多様なアイデアを出すことが増えた。選択肢が増えるということは、演者としても飽きが来ずに延々楽しめるという豊かさに繋がる。
「それに、こうして水着化した自分自身を着ているって考えてみると、まるで自分の素肌同士が擦れ合ってるような気がしてきてなんだかドキドキしてきちゃうのぉ……。はぁ、全身の触感を意識すればするほど✳︎✳︎してくるぅ……♡」
……なんか今、涎をジュルルと啜る音とともに妄言が耳を掠めていった気がするけど聞かなかったことにしておこう……。こんなのクラスメイト達には絶対聞かせちゃいけない。惚けた顔で自分の身体をギュッと抱きしめている姿も門外不出。この同好会も一応は学校の公認を得てようやく活動を続けられているという事情がある。行き過ぎたお楽しみは今後とも自分の部屋の中だけで留めていただきたい……。
教室でクラスメイトに見せるいかにも清純な優等生としての顔はあくまで彼女の一側面に過ぎない。このミッチー、一見すると日々澄ました表情を浮かべて真面目に授業に聞き入っているように見えるが、その実、状態変化や変身願望に関する妄想を脳内でマグマのようにたぎらせては教科書の蔭に隠したネクロノミコン……もといネタ帳にびっしり書き留めていっているという、あまりにドスケベ過ぎるギャップを持つ女なのである。ムッツリはそっちだろと言い返したいところだ。
そも社会的動物である人間は様々な側面を内に抱えて生きているものであり、インターネットやSNSの一般化した現代においてそれはより分かりやすい。真面目な優等生という顔も、状態変化という趣味に没入している時の顔も、どちらか一方だけが本当の彼女という話ではなく、どちらも彼女を構成する数ある要素の一つに過ぎないことを、同好会メンバーとして共に過ごしてきた僕はよく分かっている。
あるいはこう考えることもできそうだ。このギャル化した姿というのは一種の媒介である。ミッチー自身が普段の生活の中でなかなか表出させられない抑制された自身の一側面が、“ギャル”というペルソナを纏うことによって出口を見つけた間欠泉のように外界に顕現した結果なのだろう。
学校内において、ミッチーは基本的に優等生としてのキャラのみを求められる。彼女自身としても、別に優等生としての側面は『偽りの自分』というわけでもなくれっきとした自分の一側面だと自覚しているので、そのキャラで学校生活を一貫することに不満があるとか、そういう訳ではない。かといって、優等生としての顔が自分の社会的評価の全てで、他の側面は余分なものなんだからなるべく閉じていこう……などと考えるつもりもない。そのような極端な考え方にはどのみち無理が生じるものだ。選択肢を多く用意しているということは豊かさに繋がり、様々な意味でのリスクヘッジにもなる。
すなわち、この姿の時のミッチーは“ギャル”という普段の自分とは全く異なる種類の人間に変身することによって、間接的に、普段のキャラを通してでは表に出すことができない自分の素の部分を晒け出すことができている、という訳だ。
ただ、ちょっと引っかかる部分もありましてね……。
僕とミッチーが通うこの学校は田舎の方にあり、生活範囲も都会的な文化圏とは程遠い。友達がそんなにいない僕は言うに及ばず、学校中の人気者として交際範囲が狭くはないミッチーでさえ本業は進学校に通う学生である以上、日常生活の中で接触できる人間の種類は限られる。おそらく、本物のギャルを自ら目にした経験も乏しいんじゃなかろうか。
ぶっちゃけ、本物のギャルの中でも、ここまで素肌を出したり下着代わりの水着を見せつけるように着たりする露出狂みたいな人って、ほとんどいないと思うんですよね……。いや、もしかしたらこの世のどこかにはそういうギャルも実在しているのかもしれないけれども、少なくとも僕らの生活圏からは縁遠い。
…………同好会活動中のミッチーとの雑談の内容から察するに、どうも彼女にとっての“ギャル”についての情報源は、作品投稿サイトやSNSで流れてくるような、絵師さんが描いた可愛らしいアニメ絵調のギャル“風”キャラクターのイラストが中心だと思われる。それって、良い悪いって話ではないんだけれども、ちょっと趣旨が変わってきますよね……。
端的に表現してしまおう。僕の目から見て、ミッチーが扮する“ギャル”は、僕みたいな奥手の思春期男子にとってのロマンをひたすら詰め込んだフィクション作品のキャラクターのように見えるのである。
目鼻立ちがはっきりしている中にもほんのりあどけなさが残る容姿。堂に入ってる一方でどこか『頑張って背伸びしてみました』感が滲み出ている崩した着こなし。フランクで砕けた口調の中に素の礼儀正しく品行方正な性格が隠しきれていない感じ。こちらの弱いところをからかいつつも本当に傷つくようなことは口にしない絶妙な距離感。『下着じゃなくて水着だから見られてもダイジョーブだし! 今の私はギャルだからこういう格好しても合法だし!』などという謎の論理。
……おいおいおい、なんなんだこの都合が良すぎる生き物は。見ていて逆に怖くなってくる。全ては計算済みなのか、それともどこまでかは天然でやっているのか?
ミッチー本人としてもこの“ギャル”の格好はかなり気に入っているようで、毎回ノリノリで演じているのが分かる。素の時の彼女はあまり自分の容姿についての話はしたがらないのだが、ひとたび変化した姿というフィルターを通すとタガが外れたように「どう? ギャルになった私めっちゃ可愛いっしょ!」みたいな感じで僕に聞いてきたりもするのだ。だから彼女自身としても、こういう姿になることもその姿を僕みたいな他者に見せることも、満更ではない、というかむしろすすんでやりたいと思っている……と捉えてしまっていいのだろう。僕としても、普段なかなか女子と接する機会のない生活を送っているもので、ミッチーみたいな可愛い女の子の色んな姿を見せてもらえるのは眼福と言うより他ない。僕からしてみれば、あまりに虫が良すぎるWin-Win関係である。なんか、そろそろ何かしらデッカいバチが当たるような気がしてきた。せめて今からでも水着代ぐらいは僕が出してあげた方がいいのだろうか。
そんなことを考えていると、彼女と再び目が合った。相好を崩して「にへら〜」と人懐っこく笑いかけてくる。アニメ絵調のギャルキャラかク◯ヨンし◯ちゃんぐらいしかこんな笑い方はせんでしょ。
やられっぱなしも癪なので、目が合ったまま、こちらは真顔で彼女の両目をジーッと見つめ返してやる。
……数秒間そうしていると結局根負けしたのは彼女の方で、素に戻ったように僕から視線を外し、シパシパと瞬きをしながら少しく目を中空に泳がせたあと、僕の方からは目を逸らしたままなんでもないように飄々とした顔を繕い直し、左手ではスカートについた皺を伸ばし整えつつ、右手では小型扇風機の風をおでこに当て始めた。蕾みたいに結んだ唇の脇、ポニテの一つ結びから溢れた房が舞い上がる。
…………そういう仕草まで見せてくるのはズルくないですか?
「ていうかミッチー、今の笑い方、◯◯ちゃんにめっちゃ似てたね。」
「……えっ?」
空気を変えたくなり、出し抜けにそう尋ねてみた。◯◯ちゃんというのは、最近話題の深夜アニメだか漫画だかに登場する有名キャラクターの名前である。僕自身はそのコンテンツ自体に触れたことは全くないんだけれども、ネット上では絶大な人気を誇るキャラのようで、SNSのタイムラインで毎日のように有名絵師さんが描いたそのキャラクターのイラストが流れてくるものだから、結局作品そのものより先にその子の名前と容姿の特徴だけは覚えてしまった。それこそいかにもギャルっぽい見た目をしているのだが、キャラクターデザインの妙というのだろうか、トレードマークである柔和で人懐っこい笑顔の一枚絵を見れば、初見であったとしても「あ、優しくて良い子なんだろうな」とこちらが勝手に思い込んでしまうようなビジュアルをしている。
キャラクター性を一発で説明しきるような造形ができるデザイナーさんって本当すごいよね。まぁ僕は原作に全く触れたことがないから、そのキャラの実際の人間性とかは全然分からないんだけど。多分この子は、僕みたいな状態変化フェチを拗らせた変態オタクのことも「やっばー♡ 異常性癖者じゃん♡」などとからかって致命傷を与えてきつつ、なんだかんだ受け入れてくれるようなオタクに優しいギャルなんじゃないかな。知らんけど。
「……そうそう! よくぞ見抜いてくれたじゃん!」
僕の質問にミッチーは一瞬キョトンとしていたが、思い出したように僕に頷きを返す。そのキャラが登場する作品は割と男性ファンの方が多いコンテンツなので半分は当てずっぽうのつもりだったのだが、ズバリ正解だったようだ。
「あの子、めっちゃ可愛いよねー。人気もすごいし。私の感性にもめっちゃツボだったからさー、せっかくだしイラストとか色々見ながら同じような表情になるように練習してきたんだよぉ。
ほら、右目を前髪で少しだけ隠してー、目尻はこれくらいの垂れ具合にしてー、口は丸みをキープしながら歯がくっきり見えるぐらいまで口角を上げてっ……」
ミッチーもそのキャラのことは好きなようで、それどころかそのキャラの模写の練習まで積んできたと言う。素のミッチーの表情から、徐々に◯◯ちゃんそっくりの顔つきになるまで、僕の目の前でそのシークエンスを解説つきで実演してみせる。
ん? これ何気にすごいことしてない?
「えっ、ちょっと待って、何その技? 人の顔の筋肉ってそんなに自力で動かせるもんなの?」
もう一度同じように表情を動かすところを見せてもらう。ビフォー・アフターで、全く別人みたいに見える。顔の筋肉の可動域が僕と同じ人間のそれとは思えない。
「あれ? チョメっちには言ってなかったっけ?
私、同好会に入ってすぐの頃、家で表情の動きとか、演技の訓練もめっちゃ頑張ってきてたんだけど」
「……そうなの?」
完全に初耳だ。入った当初から「喜怒哀楽の表現がはっきりしていてマイムもやたら上手だなぁ」と思ってはいたものの、まさかそんな訓練まで自主的に積んでいたとは。本人がそうした自分の努力を声高に喧伝してこなかったことも勿論だが、彼女がこの同好会に入った頃と言えば彼女がブレインストーミングで想像の斜め上のエキセントリックなアイデアを次々出してくるものだから、僕からすると毎日のようにビックリさせられたり調整に追われたりしていた記憶の方が色濃い。裏では、自分の提出したアイデアを具現化するための人知れぬ努力があったというわけか。努力とは言っても、動画サイトで自分の好きなモノマネ芸人の動画や落語の滑稽話の上演を見て真似するというやり方が中心で、本人としては面白楽しくやっていたという。
「あと、表情筋トレーニングはずっとやってるよ。美顔効果もあるから一石二鳥だし」
そう言って、かつて発売されていた一昔前の携帯ゲーム機のソフトの名を挙げる。あれやってる人、身の周りでは生まれて初めて見た……。近所のリサイクルショップでたまたま安価で手に入ったらしい。
ミッチーはいつも鞄に入れて持ち歩いているそうで、持ってきていたそれを僕も試しにプレイさせてもらう。外付けカメラで映し出される自分の表情を、音声と映像ガイドに従って動かしていけばミッションクリアなのだが、このメニューが地味にキツい。鼻を中心に眉毛や唇、自分の顔のパーツをギュッと中央に集めて10秒間キープ……今度は逆に顔の外側へ思いっきり離すような形でまた10秒間キープ……という繰り返し。こういったメニューが無数に収録されているのだ。瞼を閉じたまま鼻根を伸ばすような形で眉毛だけをおでこの方にギューッと伸ばしたり、唇を可能な限り小さく窄めて10秒間キープした後に今度は両側の口角を思いっきり上げて10秒間キープ……。一通りこなした後には、瞼や頬、顎の下の筋肉がひとりでに痙攣してピクピク震えてしまっていた。これを毎日か、なかなかストイックだなぁ……。
ミッションクリア後には、トレーニング中に自分がどんな顔をしていたか、その画像がダイジェストで映し出される。……なんというか、とても他人様には見せられないような間抜けな表情ばかりである。白目を剥いていたり、ほうれい線と鼻の下が伸びきっていたり。
「履歴遡って私のも見せてあげようか? 最初は全然表情が動いてなかったのが、続けていくうちにだんだん顔の筋肉が柔らかくなってったのが分かると思うんだけど」
「……今日のところは遠慮しときます」
そんな秘蔵のものを見せられても、僕の手には余る。もし仮の話、ミッチーが気まぐれでも起こしてその過程の画像をネットにアップロードでもしてみれば、彼女自身の可愛らしい容姿とのギャップも相まって大バズりしてしまうんじゃないかという、そんな予感がある。こんな爆弾みたいなもん持ち歩くなよ……。
「あと、ネットの美容記事で特集してた舌トレっていうのも併せてやってる。これめっちゃ効くよ。やるようになってから、周りの子たちに『表情が明るくなって、喜怒哀楽がはっきりしてきた』って言われるようになったんだよね。
チョメっちもやっといた方がいいんじゃないかな? チョメっち、教室だといつも能面みたいな顔で、独りで本読んでる時とかたまに口元だけニヤニヤしてたりするじゃん。あれ、クラスの子たちから変な誤解されてるかもよ?」
流暢にトレーニングの効能を説明し、ついでに僕のメンタルまで殴ってくる。えっ、僕って教室だとそんなふうに見えてるのか……。なんでもっと早く言ってくれなかったの……。ギャル化したついでに普段なかなか言いにくいことをいっぺんにぶちまけてくるのやめてもらえますか……?
思いがけない告白にショックを受けつつも、ミッチーが実演してみせるのに従って僕もその舌トレとやらを実践してみる。
ミッチーが毎日欠かさず行っている舌トレは二種類。
一つは、舌で全ての歯をなぞりながら口腔内をグルグルと周回させるトレーニング。まずは反時計回りから。右上の前歯から左上の奥歯、左下の奥歯から右下の奥歯、そしてまた右上の奥歯から左上へ……きちんと全ての歯に舌で触れるようにして十周。そして今度は時計回り。左上から右上へ……。その繰り返し。
ちょっと待ってくれ。これめちゃくちゃキツいぞ? 一セット十周はとても無理そうなので、自分は三周ずつくらいで様子を見てみるが、それでも舌の根元があっという間に攣ったみたいに硬直してしまった。痛みに耐え無理してついて行こうとすると、喉奥の方からゴリゴリッという音が鳴って、限界を迎えた舌はそれ以上動かなくなってしまう。これを毎日……?!
自分の方は休憩しつつ向かい側でミッチーが実演しているのを見てみると、小さく窄めた唇の内側、舌を上下左右に這わせるたびに顎の下や甲状腺あたりの筋肉がスムーズに稼働している様子が首の皮膚越しに浮かび上がっている。彼女曰く、毎日何セットやるというノルマは特に決めておらず、代わりにスキマ時間ができたときはずっとこれをやっているのだという。なるほど……その小顔と細い首は、こうした日々の鍛錬によって成り立っているわけか。
もう一つは、舌を上方向と下方向、交互に限界まで伸ばすトレーニングだ。天井を仰いで大口を開き、舌を天井まで届かせるぐらいのつもりで上空に伸ばし、真っ直ぐ突き上げる。こ、これもなかなか辛い……。限界までピンと舌を伸ばした状態で10秒ほどキープ。そして今度は下方向、顔は正面に向けて、思い切りアカンベーをするような感じで下方向にダランと伸ばす。……この往復を十セットほど繰り返す。これも、先ほどの舌回しほどではないにせよ、慣れていないとなかなかの負荷を感じる。一通り終えてみると、舌自体の筋肉も勿論だが、顎の下から喉仏、首前面の皮膚がまるで日焼けした後みたくジンジンと疼くように熱くなっている。普段からあまり顔周辺の筋肉を動かし慣れていないため、急にピンと伸ばされたことによって皮膚がビックリしているのだ。そして、これも一連のトレーニングの成果なのだろう、口腔内で唾液がドバドバと分泌されているのが分かる。
「……すごいなぁミッチーは。これを毎日欠かさずか。努力の鬼だよ」
自然と、彼女を称える言葉が筋肉痛でカチカチになった喉奥から溢れる。痺れたぜ!
「フフン、やっと気づいてくれましたか。こう見えて私、実は努力家なわけですよ。
とは言っても、これくらい慣れちゃえばなんてことはないよ。お金もかからないから、コスメ買うよりはよっぽど安上がりだしね。
……ていうか、見て見て! 毎日続けてきたおかげで、今こんなに長く伸ばせるようになったんだから!」
そう言って、ミッチーは舌をベロンと口元から伸ばしてみせる。
うおっ、本当に長い! それも単に長いというわけではなくて、日々の鍛錬によって舌の筋肉の質自体が強靭に、かつ柔軟になっており、その気になれば長く伸ばすことも短く縮めることもできるようだった。形状もある程度自由にコントロールできるみたいで、まるで蛇を思わせるような細長いチロチロとした形から、大型犬のような広くて平べったい形、小動物みたいなこじんまりとした形まで、自在に伸縮させて見せつけてくる。
「すごい! 凄すぎる! それぐらいになるまで頑張れるのも、もはや一種の才能だよ! ミッチーは天才と努力のハイブリッドだね!」
「……ふっふっふ! そうでしょそうでしょ!
ここまで仕上げるのに、私マジで頑張ったんだから!」
初めは「慣れればあとは惰性だから」といって謙遜していたミッチーだが、自分の努力の成果を認めてもらえて悪い気はしないようだった。両手を腰に当て、彼女はすっかり鼻高々。褒めれば褒めるほど、白いブラウス越しの若葉色ビキニに包まれた胸を張った上体は反り返り、ほとんど天井を仰いでいる。
「そこまで言ってくれたお礼に、せっかくの機会、チョメスケ君に私の本気の舌トレをお見せしようではないですか! 自己最高を更新する場面を目撃するがよい! 刮目せよ!」
「うおお!」
僕におだてられたミッチーは有頂天。調子に乗り、限界すら超えてさらに舌を長く伸ばし、天井すら突き破るのではないかという勢いで舌を上空へと伸ばそうとした──その時だった。
「あ゛っ?!!」
瞬間、ミッチーの身体、全身に雷が落ちたかのようにビクッと震えが走ったかと思うと、断末魔みたいな声を上げて身体の動きが完全に静止する。
ど、どうしたんだろう……?
「あー……」
またやってしまった……とでも言いたげな嘆息が固まったままのミッチーの口端から溢れる。彼女の身に一体何が起きたのか、恐る恐る尋ねてみる。
「え、えーと……あのー、ミッチーさん? 大丈夫そうですか……?」
「あへへっ……にょほっほっへっへっあっ。んおほっほっ」
ちょっと遠巻きだと何を言ってるのか分からない。少しでも状況を把握しようとミッチーの唇に耳を寄せて、漏れ出る言葉を拾う。大きな声で喋るのは難しいようだが、すぐそばで聞き取ればいつも通りにちゃんと意味のある言葉を紡いでいることが分かる。本人としては、特別深刻な異変に見舞われたという雰囲気ではなさそうだ。
「あうあ、うへへぁはへぁはっっはへはへへっ、ひんにふあっは……」
「何々? 首から背中にかけて筋肉が……?」
少しずつミッチーの身体に何が起きたのか掴めてきた。どうやら自分の限界に挑戦しようと張り切りすぎて、胆の奥、身体の芯の方の筋肉に急激に、いっぺんに強い力を入れた結果……喉から首、胸元、肩、脇腹、そして背中から臀部あたりまでの筋肉が一斉に攣ってしまったようだった。彼女自身のストイックさが仇となったのだ。声帯近くの筋肉まで攣ってしまったせいで、一時的に声もうまく出せなくなっているみたいである。
彼女曰く、たまに無理をしすぎるとこうなることがあるという。普通そうはならんやろ……と言いたいところだが、あいにくミッチーは普通な奴ではないので、このようなおかしな現象に見舞われるのも珍しいことではない。
ていうか、ぎっくり腰やぎっくり背中になって体が固まったように動けない大人の人なら僕も見たことがあるんだけど、こうして上半身全体の筋肉が満遍なく攣ってしまった人って、生まれて初めて見るなぁ……。今後はそういう無理はさせないよう、僕からも気を配ってやらねば。
とりあえず、彼女が少しでも楽な姿勢を取れるように、肩で担ぎ介添えして、すぐ横のパイプ椅子に座らせてやる。
今のミッチーの姿勢としては、全身の筋肉が攣ったショックで両腕はピンと張った気をつけの姿勢で胴体にくっついたまま。両脚はガバッと大きく開いたままになっていて、そうした方が楽なのだろうか、正座をするような形で膝を尻の方に折り曲げている。相変わらず首は天を仰いだ状態から動かせないようで、伸ばした舌は上に向かって突き出たまま、喉笛が時折「おほっ……んお゛っ」という呻き声とともにビクビクと震えていた。
こういうテトラポッド化のイラスト見たことあるな。あれ好き。
大きく仰け反った姿勢のまま固まってしまったせいで、ブラウス越しの若葉色のビキニに包まれた大きな双丘が、上体がピクピクッと震えるたびに、レジ袋に詰められた二玉のメロンみたくユサッユサッと揺れるのだった。おぉ、おいたわしや……。
彼女曰く、多分しばらくこのまま安静にしておけばじきに治るだろう、とのことだった。ただ、こうなるに至った経緯の馬鹿馬鹿しさも含めて、あまりにも不憫なので、せめて何か僕にできることはないかと、彼女に尋ねてみる。
「あっはーへ、へっ、にょふほおほへぇ……」
「えーと、攣ったところの周りの筋肉をマッサージしてくれたら、もう少し楽になるかも……ってことか。なるほど、ちょっとやってみよう」
パイプ椅子に身体を預けているミッチーの背後に回り、彼女の希望通り、攣った筋肉自体には触れないようにしつつ周りからほぐしてやることにする。
「へほっへ、ふはら、ほへっへ……」
えーと、右手は鎖骨まわり、左手は脇腹の肋骨のあたりを……。
「んおっ!? お゛ほっ?!」
「あっと!? ご、ごめんごめん……力を加えすぎたか……なになに、揉むっていうよりは、もうちょっと優しくさするような感じで? ……こんな感じでいいかな?」
「ほーへほーへ、へーはふち」
「痛くないかな? 大丈夫そう?」
「ふぁるしのるしがぱーじでこくーん」
「そうかそうか、それならよかった」
「おむかえでごんす」
「ボ◯カレーはどうつくってもうまいのだ」
ミッチーの指示に従っておっかなびっくり施術していくうちに、僕の方でもだんだんコツが掴めてきた。
どうやら変に気を遣って小手先だけで処置しようとするよりは、いっそ懐に潜り込んで重心を安定させた方が彼女からしても楽なようである。変なところに触れてしまわぬよう慎重に彼女の身体を自分の方に預けるように傾けて密着、お互いにこれくらいが一番ちょうど良さそうだなという体勢が見つかった──ちょうどその時だった。
コンコン……とノックの音が二回響く。ギョッとして、扉の方に目が釘付けになる。
やばっ……夏休み期間中は下校時刻が一時間早いことをすっかり忘れてた……。
ノックの音に驚いたせいで息が詰まった。そこから教室の扉が開くまでの数瞬が異様に長く感じられたが、その間は実際には一秒に満たない。
こちら側からの返事がなかったことで、てっきり部屋の中には誰ひとりいないと思っていたのだろう、ガラガラと扉を開けて室内を覗き込んだ見回り当番の小林教諭は、面前に僕たち二人の姿を認めるやいなや、ギョッとした表情を浮かべ狼狽していた。
「……う、うおっ!? お、お前らか……?! す、すまん、まさか取り込み中だったとは……。
今のは見なかったことにしとくわ……」
扉の隙間から室内の様子を覗き込んだ瞬間、小林教諭の目には僕とミッチーがどんなふうに映っていたか……。
僕は背後からミッチーの身体を両腕で羽交い締めみたいにして抱え込み、彼女の尻の下に敷いた右膝で臀部の筋肉を真上へ押し上げるように揉みほぐしてあげていたのだった。ミッチーのざっくり開いたブラウスの襟元からは彼女のデコルテと、仰け反るような姿勢のせいで強調されたぴっちりサイズのブラウスとビキニの生地で締まった胸元が覗いている。ブラウスの丈がいつもより小さめなせいで、スカートのウエストに裾が収まらず、色白なお腹がはみ出ている。下半身の方も、椅子からずり落ちそうな姿勢になっているのと僕の右膝に突き上げられているせいでスカートがすっかりはだけてしまっており、ガニ股に開いた状態でピクピクと震える股間を包むビキニパンツが、前方に突き出されるような形で丸見えになってしまっていた。この状況からでも入れる保険があるって本当ですか?
「にょほっ?! あっへへんへっ!? あはひはちそんにゃ……おっほ!?」
「ちょ、ミッチーさん、やかましいですよ!? しばらく大人しくもらってていいですか?!」
のびたカエルみたくひっくり返った体勢のせいで、ミッチーは小林教諭の来訪に気付くのがやや遅れた。慌て始めた彼女を僕は必死で制する。
彼女自身もあらぬ誤解を解こうと小林教諭に弁解を試みたみたいだが、まだ身体の自由がきかないせいで椅子から立ち上がることすら叶わず、傍から見ていると言葉にならない呻き声を上げながらその場でビックンビックンと両膝を突き出すように痙攣しているふうにしか見えない。お願いだからこれ以上話をややこしくしないで?!
「というか、お前らやっぱそういう関係だったんじゃねえか……。こういうことを全くするなとまでは言わねぇから、次からは学校外だけにしとけって」
「ち、違います! 誤解なんですってそれは!」
「分かってる、分かってるから。お愉しみのところを邪魔しちまって本当すまんかった。見回り当番してると、カップルが乳繰り合ってるところに出くわすことってちょいちょいあるんだよ。今回はまさかお前らが……って驚いただけだから、あんま気にしすぎんな。鍵は俺が責任持ってあとで閉めとくから。気をつけて帰れよお前ら」
「いやだからそうではなくてですね……」
小林教諭は言うだけのことは言ったとばかりにそそくさと退場していこうとする。明らかに気を遣われている……。放課後の教室でイチャイチャしているカップルならそりゃ珍しくもないのだろうが、ここまでやってる奴らは初めて見た……というような慌て具合だった。
ミッチーを抱えていた両腕を解いて小林教諭を追いかけるが、ほとんど逃げるようにその場を後にした小林教諭をその日のうちに引き留めることはできず、結局ミッチーと二人がかりで誤解を解くには連休明けを待たねばならなかった。誤解、本当に解けたよな? 解けていてほしい……。
小林教諭のあとを必死に追うも振り払われてしまった僕が仕方なく教室に戻ってみると、立ち上がるのに失敗したミッチーが椅子から転げ落ちて、両膝を折りたたんだ仰向けの状態で床に伸びていた。くたびれきって、平面化したのかと思うくらいペチャンコである。
「あうふへーべん……かーるまるつぅー……」
本当だよ……。なんでこうなるの……。
夏の夕方は太陽の息が長く、あまりの暑さに蝉の声すらおとなしい。
目の前の光景と、仕事をしない空調のせいで、額はじっとり汗まみれである。夏の終わりよりも、この世の終わりの方が先に来るかと思った。
きっと暑さで二人とも頭がどうかしてしまっていたのだ……そう、すべてはこの暑さのせい……。相変わらず伸びた舌がピクピクと震えているミッチーを見ながら、そう現実逃避をしたものだった。
本当なら夏の間に形にしたかった話です。
わざわざ注記することでもないですが、これはコメディとして書かれたフィクションです。何事も無理は禁物ですよ。