第二十一話 辻斬りレイターVS残念なリヒター 前編
始まりは、誰ともなく、という形ではあった。
ルミリア達が歌い始め、敵軍の貴族達が珍妙な踊りを始めた瞬間、そこから魔力が迸り、前線の兵士達へと届いた。それが補助魔術の一種であることぐらいは、宰相派の兵達も理解はした。
理解はしたが、その後に起こった現象を脳が理解を拒んだ。
補助を受け、突撃を開始した王権派を迎え撃つべく、なし崩し的に宰相派の軍も進軍。激突と同時に異常状態に出くわす。
全軍補助魔術という極めて高難易度且つ高位の魔術だ。何処かに綻びがあると誰もが思った。実際、それは無敵の超人を生み出すものではなかった。力は強いし、動きも早い。一当てした時は、それだけであった。
だが、一人倒す度に「平気、へっちゃら!!」と倒した相手が何故か立ち上がってきて、「この胸の歌がある限りッ…………!!」とルミリア達の歌を自らも口ずさみつつ戦列に復帰する。味方からすればこの上なく頼もしいのではあるのだろうが、敵に回すと倒しても倒しても一向に総数が減らない兵士と変わりないので、宰相派は早々に大恐慌に陥った。
実はこの段階でジオグリフの予見していなかった現象が起きていた。イレギュラーは起こるものである。
ルミリア達と共同で行う補助魔術は持続性を重視しており、ここまでのタフさは付与していない。だが、その歌────この世界にはない、そして洗練されすぎた文化に触れた兵士達はこの戦場に至るまでの練習でそれを覚えてしまっていたのだ。
そしてこの大一番。
王権という大義名分が自軍に有り、国の趨勢を決める戦場ということで気力は充実し、バフを受けたことでかつて無いほどに自身の戦闘能力が上昇している。
これで燃えないはずもなく、いつしか前線で誰かが自らの女王の歌を自分で歌いながら戦い始めた。そしてそれは周囲に波及し、いつしか全軍が歌いながら戦うというインド映画さながらのトンチキな戦場が出来上がった。
それだけならば笑い事で済むが、宰相派にとっての悪夢は、その歌が意味を持ってしまったことだ。
この世界の生き物は、強弱の違いはあれど、全て魔力を持つ。そしてそれは、術式という指向性があれば単音一つでも魔法という現象を引き起こせるのだ。無論、教育された貴族や、魔法を専攻してきた魔導士ではない学のない一般兵は術式など知らない。
だが、歌という型枠の術式が出きた中で、そこに魔力を流してしまったらどうなるか。
結論。
『生きることを、諦めないッ……………!!』
無自覚な補助魔術の完成である。全体バフ(身体能力強化)+自己バフ(身体能力強化+自己回復)の合せ技はそれを成していない勢力からしてみれば最早悪夢のそれでしか無く、その上。
「貴様らが剣を取る理由は何だ!?」
「たかだか一度失敗したぐらいで、建国以来この国を支え続けてくれた王家を見限り、あまつさえ裏切るのか!?」
「と言うかあんな美少女に武器を向けるとか正気か貴様等!?」
「そうだそうだ! シャノンたん萌え────!!」
「そこはマリーたんだろ、常識的に考えて」
「は? 貴様、経産婦の良さが分からんとかムスコの皮すら剥けとらんのか? 割礼しろ割礼」
「殿下は俺の嫁!!」
『────不敬者が出たぞ! 殺せっ!!』
とか説得なのか内ゲバなのかよくわからない状況の中、最前線では戦意を失って宰相派の兵達が次々と投降していく異常事態となっていた。
それを慄きながら眺める宰相派貴族達は、皆一様にこう思う。
「何だ、これは。戦を…………戦を舐めているのか!?」
至極真っ当な怒りだった。
因みに一部では「恐ろしい…………」とか「素晴らしい…………」とか「信じられない…………」と呆然とする貴族達もいたとかいなかったとか。
そして、その最前線で。
「戦争の話の時間だ! コラァ!!」
金属バットを片手に、馬を手繰って一騎駆けをするケモナーの姿があった。
●
その赤毛が迫った時、宰相派の兵士達は一瞬、動きを止める。
この世界において、強者の圧力というものは魔力を媒介に物理的な実行力を持つからだ。レイターは基本的に自らの魔力を人身の身体強化など内向きに使っているが、狩りの時、体外放出することで獲物の動きを一瞬ではあるが止められることを知っている。
それは、さながら夜中の路上に迷いでた野生動物のようであり、その隙は近接格闘を主とする彼にとって十分過ぎる時間であった。自軍から借りてきた馬を駆って、スラロームのようにすり抜けながら長大な金属バットへと変化させた聖武典を振り回し、敵陣奥へと突き進んでいく。
どっかんどっかんと並み居る兵士を、いっそ爽快と言えるほどに吹き飛ばしていくレイターではあるが、その胸中はあまり穏やかではなかった。
(しかたねぇんだからよぉ、もう!!)
運が良ければ軽症で済む程度に手加減しつつ、まるで雑草刈りが如く軽快に進軍していくが、そうせざるを得ない理由があるのだ。
それは、補助魔術を受けた兵士達が自分でもバフを重ねてしまったことだ。
範囲こそ超拡大した補助魔術だが、その効力はデタラメを地で行くロータス愚連隊に遠く及ばない。あれは基礎スペックを地獄の訓練でかさ増ししているからこそ、精神的に耐えられるだけであって、彼等ですら肉体的に耐えられていないのである。踏み込めば足が折れ、槍を振れば筋断裂、歯を食いしばれば砕けるという人体の耐久限界を大幅に超えた力を得る代わりにズタボロになる、という犠牲前提の自爆特攻だ。
なので、ジオグリフは掛ける補助魔術はある程度セーブしているし、精々が翌朝、多少の筋肉痛が襲ってくる程度ぐらいであった。しかし、見様見真似で歌うことで自己バフを重ねてしまったため、彼等の戦闘力は跳ね上がり、同時にその代償も予定以上になってしまった。
ジオグリフが設定していたのは身体強化2.5倍ぐらいであったが、自己バフの重ねがけで4倍まで膨れ上がっている。ロータス愚連隊の10倍とかいう頭のネジが外れた倍率よりはずっとマシではあるが、これは普通の兵卒が耐えられる耐久力を大幅に超えている。現状、自己回復も重ねているので何とか保っているが、補助魔術の源泉は魔力だ。それを使い切ってしまえば、その代償は即座に彼等に牙を剥く。
畢竟、凄まじいほどに短期決戦を余儀なくされたのだ。
それに最前線だからこそ真っ先に気づいたレイターは、即座に将狙いへと切り替えた。
(ある程度道つけたら、そのまま駆け抜けて三人娘回収しに行くつもりだったんだけどなぁ…………!!)
既に三人娘の居所は割れている。王都にある宰相の邸宅だ。そこに突撃かましてとっとと回収するのがレイターの役割であったのだが、前線の思わぬ暴走────もとい、発奮により、予定を変えざるを得なくなってしまったのだ。
恐るべし日本の誇るエンタメ…………! と慄きながらも、レイターは敵陣を荒らし、目についた将兵を狩っていく。
「やぁやぁ我こそは────ごふっ!?」
「私こそこのアルベスタインで水鳥の────がはっ!!」
「貴様! 名乗りすらさせんとか────ぐふっ!?」
「悪ぃな。雑魚の名前なんざいちいち覚えてられるほど、頭良くねーんだ、俺」
何しろ拙速が必要とされる場面だ。レイターがちょっと豪華な鎧とか衣装とか着た連中を片っ端から掃討しつつ敵陣深くまで斬り込んでいると。
「そこまでにしてもらおうか、オイ」
「っと」
彼の手繰る馬の前に、槍を手にした男が現れた。
それだけで馬は足を止め、僅かに嘶いてからじり、と後退した。それを宥めながら、レイターは改めて進行先に現れた槍使いに視線を向けた。吹き荒ぶ戦場の風に、黒髪を靡かせた巨漢。白銀の鎧を身に着けたその槍使いを認め、レイターはふぅん、と頷いてから馬を降りて、軽く尻を叩いてやって空馬で逃がした。
「ちょっとは歯ごたえのありそうなのが出てきたじゃねぇか」
此処から先は、馬は必要ない。もともと、乗馬は最近覚えたばかりであまり上手くないのだ。騎馬術となれば論外で、ここまではスペック差で圧倒していただけで、同格かそれに近いとなれば本来の戦闘様式が必要となる。
肩に金属バットを担ぐレイターを見て、同じ感想を抱いたのか、黒髪の巨漢も呆れたように吐息する。
「予定通りに行かなくなるから困るんだよなぁ。お前みたいな戦場荒らしに出てこられると」
「そりゃそっちの都合だろ? 俺にゃ関係ねぇわ」
「それもそうか。お前、名は?」
「レイター。王権派に雇われた冒険者だ」
「そうか。俺はリヒター・セントール。…………少し名前が似てるなぁ」
槍使い────リヒターが苦笑すると、レイターはその名前に記憶の引っかかりを覚えた。
「リヒター・セントール…………? ひょっとしてシャノンの師匠か?」
「アイツのこと知ってんのか?」
「まぁな。アンタに勝てないって不貞腐れてたからちょっと指導してやった」
「ほぉ、それはそれは…………」
レイターがそう告げると、リヒターは僅かに頷いて。
「いらんことをしてくれたな?」
「っ!?」
直後、一足飛びで槍の突きが飛んできた。
比喩でも揶揄でもない。彼我の距離は約十メートル。槍のリーチを勘案しても、七から六は遠間。その距離を一足で詰め、レイターの胸へ向けて穂先が疾走った。レイターが手にした金属バットでいなすが、見てから反応したのではない。ほとんど勘だ。魔力の動きは無く、身体強化もされておらず、純粋な脚力と技術での抜重。
動きの起こりは限りなく少なく、無拍子でこそないが、対峙しておらず、これが辻切りであればまともに喰らっていたことは必定。
「問答無用たぁ、騎士サマらしくねぇじゃねぇか」
そのレベルの攻撃に、久方振りに闘争本能が沸き起こったレイターは笑い。
「名乗りは終えたろう? なら後は、殺し合うだけだ」
それを躱した若いのにリヒターも笑った。
●
実のところ、リヒターはそこまで自分の腕に自信がある訳ではない。
元金等級の冒険者、という実績はある。国一番の騎士であるという自負もある。だが、世の中、上には上がいることを冒険者であったからこそ気づいてしまったのだ。いや、薄々は分かっていた。だが、骨身にしみたのはその頃だ。武芸者にしろ魔導士にしろ、所詮は同じ、人間という土俵で競っているに過ぎない────というのを、冒険者の頃に思い知った。
カービル火山の調査依頼。近頃急に魔獣が増えたから、という理由で出されたその依頼を、暇だったからという理由でリヒターは一人で受け、そして火山の火口付近で争う古竜二匹と出会った。
体長五十は超える二匹が、何の理由かは知らないが相打っており、リヒターは観客に徹した。徹せざるを得なかった。ブレスを吐き、噛みつき、爪で切り裂き、血潮を撒き散らしながらも絡み合う二匹を前に、彼は自分の手にする槍に視線を落として、こう自問する。
果たしてあれ等に、自分の武は届くのか? と。
明確に胸の奥から答えが返って来る。否、と。
自信を喪失した訳では無い。ただ、自分はあくまで人間の枠組みでしか強さを誇れない、と気づいてしまった。その誇りに一体何の意味があるのか、と思ってしまった。
そうした迷いは武人としてはままあるもので、大抵は折り合いをつけていくものだ。リヒターも同じく、自分のやれること、やりたいことと折り合いをつけてきた。
だが、今、そうした迷いを得た時と同じ感情を、眼の前の少年から呼び起こされた。
(こい、つ…………!)
槍という武器は、近接武器の中で最優と称されるほどに万能な武器だ。突いて良し、薙いで良し、払って良し、返して石突で叩いて良し。長剣よりもリーチに優れ、しかし取り回しに遜色がない。仕様上、ある程度の広さを求められたりもするが、屋内戦でもなければ、これに勝る近接武器というのはすぐには思いつかないぐらいだ。
だが、その槍に対してレイターは一切臆さない。
(何だその遺失装具!)
手にした聖武典を剣にしては突きをいなし、盾にしては薙ぎを防ぎ、槍にしては払いに合わせ、返した石突には戦鎚で迎撃する。まるで武器の見本市だ。しかし、そうした感想はあくまで表面、この戦闘の一面に過ぎない。
本質的には。
(いや、それ以上に────人生を何周したらこうまでチグハグな戦い方を出来る!?)
その全ての武器を扱い切る、レイターの技術力にリヒターは瞠目していた。
武器の扱い、その習熟度とは、即ちその武人の歴史そのものである。剣を握ればそれに似合った手の平や重心となり、拳を獲物にすれば拳ダコが形成され、弓を取れば弦を引く肩が発達する。
対して眼の前の少年は、均一的な筋肉をしている。何処かに極端なところはなく、平均的に、満遍なく鍛えられている。そのような鍛え方は得てして器用貧乏になりがちなのだが、リヒターの振るう槍に対して幾つもの武器を的確に扱って対処するその姿は、器用万能と言いたげな風情があった。
しかしそれでいて、全体が破綻したようなザラつきがない。複数の武器を扱う者は、どうしても粗さが出てきてしまうものだが、円熟した身体運びは、むしろ川の流れで磨かれた丸石のように無駄がない。
そんな相手は、十数年続けた冒険者生活の中でも見たことがなかった。
「レイター、だったか。お前、流派は?」
胴を狙った渾身の突きを長剣でいなして斬り払ったレイターに対し、リヒターは追撃の手を止めてから尋ねた。
「我流、と言いたいところだが、それじゃあんまりに不敬が過ぎるからよ。地球CQCとでも名乗っておくかね」
「チキュウシーキューシー流? 聞いたことが無いな…………」
「言っておくが、舐めねぇ方がいいぜ。俺もこっちで功夫も積んだし、こちとら最長で5000年の歴史があるからよ」
「メクシュリア文明まで遡るのかよ。ホラ吹きもいい加減にしろ」
肩に剣を担いで口の端を歪めるレイターに、リヒターは知れず槍を構える。
(とは言ったが、アルバート流やエンライ流とも違う。いやエンライ流に近い感触はあるが…………何なんだ、こいつは)
異質。
その言葉がピタリと合う。現存するどの武芸体系にも符合しないのに、その洗練された技は、表舞台に出てこないのがおかしいほど。元金等級のリヒターをして、勝てるかと問われれば、分が悪い、と返さずにはいられない。
だが。
「まぁ、それはそれで都合はいい。簡単に死ぬなよ」
「そっちもな。俺だって知り合いの師匠なんか殺したくねぇし」
両者が武器を構え、対峙する。
交錯する視線が、互いの本気を予感させた。
次回は(多分)来週。




