第十六話 月下の乱入者・上 ~彼女が望んだもの、彼女が望むもの~
月が静かに夜を照らしている。
ぼんやりと浮かぶその月を眺めて、ルミリアは静かに吐息した。
昼間、気を失うように寝入ったせいだろうか。やけに目が冴えてしまった。目覚めてみれば既に宵の口で、寝室に軽食を運んで貰って食べ、腹ごなしがてら中庭に出たはいいが、やることがない。
中庭の茶会用のテーブルに座ったルミリアは、あの日のことを振り返る。
あの日も────そう、あの儀式の日も、こんな静かな夜だった。
四年前、王城の地下で行われた鎮魂の儀式。アルベスタインの荒御魂を鎮める儀式は、妖精化した王族が大妖精カテドラの残した封印の大樹に接続することで成される。彼の大妖精の加護を受けた直系が、その秘術を以て調律するのである。それによって、アルベスタインが復活のために蓄えた魔力を国土に散らし、封印を継続させるというもの。
副作用で散らされた魔力が龍脈に沿って大地を隆起させ、新しい魔石鉱脈が国内に生まれるのだ。
しかし四年前、ルミリアはそれを成せなかった。
散るはずだった魔力は、何故か今も王城地下の祭壇で渦巻いており、しかし封印を破れずにいる。大妖精カテドラが何処まで想定していたかは不明だが、少なくとも一度や二度の失敗程度では封印は崩れないらしい、とは宮廷魔導士達の見解だ。
だからと言って、安心できる状況ではなかった。
何しろ国内産業は、魔石発掘によって成り立っていたのだ。それが無くなってしまえば、経済からして傾き始める。そして一度傾いた経済は転がるようにして悪くなり、その責は王族へと向かい、求心力が低下する。
その結果が、宰相派の台頭だ。
公爵であるフリッツ・フォン・ルブランを神輿に担ぎ、ルミリアの王配とするべく動き出したのである。縁戚であることを除いても、生理的に受け付けない部分があるのは確かだ。
だが、それ以上にアレを王配とした場合の未来が視えない。徹頭徹尾の貴族主義であるフリッツは、その割に政治に興味など無い。アレは日々を王侯貴族として生きられるのならば何でも良いクチだ。国がどうなろうが、自分だけはその地位や立場を失わないと信じて疑っていない。
今は大人しいが、隣国に大陸の雄であるレオネスタ帝国がいるアルベスタイン王国でそれは、非常に危うい。無論、宰相もそれは分かっているのだろう。だから神輿としてフリッツを選び、ルミリアとの子を望んだ。傀儡にして後宮にでも押し込んでおけば、アレは文句を言わないのだから。
だが、ルミリアは自らの力で儀式を為すことを望んだ。いずれ政略結婚を視野に入れるにしても、であればこそ慎重にしたかったからだ。
それに────。
「こんな所にいたのですか。ルミリア様」
物思いに耽っていると、後ろから声がして、直ぐに誰か分かった。
「シャノン…………。ええ、少し、眠れなくて」
シャノンだ。
静かに振り返ってみると、月光に照らされた『彼』がいた。
(綺麗だなぁ…………)
ふと、そんな胸中の吐露が、口の中で渦巻いた。外に出さなかったのは、なけなしの自制心のお陰だ。
「ルミリア様?」
「あ、えっと、その…………話し合いの方はどうなりましたか?」
そんな見惚れるように動きを止める彼女に疑問を思ったか、シャノンが首を傾げ、ルミリアは慌てて話題を変えた。
「問題ないですよ。明日から部隊の再編を行って、四日後には王都へ向けて進軍することになりました。道中で糾合する貴族達と合流して、王都で決戦になります」
「そう、ですか…………。急…………いえ、妾が遅いのでしょうね」
流れの早さに愚痴が口を突いて出そうになって、ルミリアはしかし我が身を振り返った。
そうだ。周囲が早いのではない。自分が遅いのだ。儀式失敗から四年。父王の死や宰相派の台頭はあったにせよ、この間にルミリアが出来たことは周囲への協議の持ちかけだけであった。
協議内容は自身の王位継承と、凋落するであろう国内産業へ内部留保を用いての補助。
真っ当と言えば真っ当であるが、それだけだ。王家に力がある時代ならばまだしも、その力を陰らせ、更に比較的強い王であった父王が没したとあらば周囲が跋扈するのも必然と言えた。
これでルミリアが儀式を失敗していなければ、もう少し話を聞いてくれたかも知れないが、この時にはすでに見限られていたのだろう。彼女の要望が通ることはなく、代替案として出てきたのがフリッツとの婚姻。それが成された時に王位継承が認められるというもの。
おそらくは、儀式失敗の段階で、そこまでの絵図は描かれていたのだろう。彼等はルミリアではなく、次の世代に期待したのだ。
それを見抜けず、あくまで挽回に拘泥したルミリアは五里霧中に陥った。そんな中でも宰相派は地道に周囲を固め、三年もする頃にはルミリアの味方は、地方の王権派と最側近しかいなくなってしまったのだ。
そして彼女はそれを拒絶し、都落ちしてラドックへと流れてきた。
だが。
「シャノン。このままで、良いのでしょうか?」
「このまま、とは?」
このまま行けば、確かに王都への決戦へと導かれる。
ルミリア自身は戦いのことは分からないが、味方となってくれる王権派は地方出身が多く、即ち近隣諸国への要壁ともなっているので精強な勢力が多い。国の成り立ちからして王家あってこそ、な部分が多分にしてあるアルベスタインなので、その旗頭のルミリアがいれば大義名分としても十分に成り立つ。
だが。
「妾は、四年前の儀式を失敗しました。あれが、全ての始まりだったのです」
仮に勝利を収めた所で、何も変わっていないのだ。
「シャノン。妾は、このままで、いいのかなぁ…………?」
こうして逃亡劇を終え、人心地ついたからこそ打ちひしがれる。
自らの無力さと、これから再び訪れるであろう儀式への────恐怖に。
●
一方その頃。
「あらあらあら、まぁまぁまぁまぁ…………!!」
百合センサーに導かれて、どっかの馬鹿が生け垣の中から気配を消して気振っていた。
●
泣き笑いのような表情を浮かべる主を前に、シャノンは動けずにいた。
分かっていた。知っていた。
アルベスタイン王国、最後の王族。そういった肩書を全て外した先にあるのは、十五歳のただの少女だ。同い年であるシャノンが、彼女と同じ重責を背負えるのかと自らに問えば、否と答える。
もしも、シャノンが貴族でもない平民の少女であったのなら。何の柵も経験も知らず、無知だからこそ向こう見ずになれたのなら、きっと無責任なまでに彼女を励ましていただろう。
だが、シャノンは知っている。分かっている。
王家の重責やその宿命を────ずっと側にいたからこそ。
簡単な言葉で、安易な気持ちで、彼女の心に触れてはいけない。無責任に言葉を発して励ませば、彼女を余計に追い詰めるだけだ。
けれどもしも。
簡単でなければ。
安易でなければ。
無責任でないのなら。
その全てを捧げ、受け止められるというのなら────。
「ルミリア様、ボクは…………」
だからシャノンは、迷いながらもルミリアに手を伸ばして、その肩に触れた。
●
一方その頃。
(ちゅーう! ちゅーう! ちゅーう!!)
こんなシリアスにあるまじきどっかの百合豚が大興奮していた。
(行けぇっ! そこですわっ! 抱きしめてっ! 銀河のっ! 果ちぇまれぇぇぇっ!!)
しかしこの百合豚。
かなりやかましい。
●
肩に触れる熱に、ルミリアは我に返った。
「ごめんなさい、シャノン。少し、一人にして」
シャノンの手を振り払うようにして背を向けて、彼女は静かにそう告げた。
「ルミリア様。ボクは…………」
「いいの。一人に、して」
「…………はい」
戸惑いだろうか。落胆だろうか。去っていくシャノンの足音からはそれが測れなくて、ルミリアは静かに目を伏せた。
(こんな、こんなはずじゃなかった…………)
やがて足音が完全に消えてから、彼女は膝から崩れ落ちるようにしてしゃがみ込んだ。
弱音など、吐くつもりはなかったのだ。いや、吐いてはならなかった。特に、シャノンの前では。
(シャノンがああなってしまったのは、妾のせいなのに…………)
七年前のあの日。ルミリアはシャノンの人生を歪めてしまった。
元々、シャノンはルミリアの『お友達』として貴族家から選抜された少女だ。王族の将来の側近として用意されたとも言える。故に、物心付く前から面識があったし、きっとそれはいつまでも続くものだろうと────少なくとも、あの日まではそう思っていた。
きっかけは七年前。ちょっとした遊びだったのだ。騎士ごっこと称した、おままごとだ。ルミリアが王として、シャノンに叙勲する────そんな、いつかあるかも知れない式典の準備練習のような、他愛ない遊びだ。別に凝り性というわけでもないが、庭に転がっているような木の枝では雰囲気が出ないので、宝物庫へ二人して忍び込み、目についた宝石などで着飾って────その槍にルミリアが目を留めた。
禍々しいなれど、情熱の青い炎のようなそれは、シャノンにぴったりだと思ってしまったのだ。自分を守る騎士の小道具としては、最上だと。
シャノンはルミリアに言われるがままにその槍を────魔槍バルトロメオを手にとって、そして呪われた。
後に王宮の典医から聞いた話では、呪われたというよりは中途半端に適合した、とのことらしい。だが、詳細はどうでもよく、ルミリアにとっては結果こそが重要であった。即ち、シャノンの性別が不安定になったという事実が。
これにより、彼女の貴族令嬢としての道が絶たれた。
何しろ女の身でありながら、夜は男となるのだ。貴族の女が最も求められるのは、次代へ血だ。仮にそのようなハンデを乗り越えてシャノンを求める猛者が現れたとしても、夜に男になってしまうという事実────畢竟、ついた種が消えてしまう可能性を加味すると、彼女では次代を産めないという判断が妥当であった。
そして血が繋げない以上、彼女は貴族令嬢としては役立たずの烙印を押されるのだ。
それでも、シャノンは俯くことはなかった。むしろ。
(これで妾の側にずっといられると、そう喜んでいましたね…………)
本心は分からない。今でも女なのか男なのか悩んでいることも知っている。そしてそんなシャノンに対し、彼女は。
(嬉しく、思ってしまうだなんて)
その不幸を喜んだわけではない。だが、無意識に迎合した。本質からは目を背けて、しかし責任を背負うという言い訳を見せるために、ルミリアはシャノンを手元に置いた。
結果として、それは悪手であった。
日に日にシャノンに頼っていく自分がいた。年を経るに連れ、シャノンに惹かれていく自分がいた。そして四年前のあの日。儀式を失敗してから────それは完全に依存となった。
自覚がある。これ以上は駄目だと。王族としても、一人の女としても、これ以上シャノンに踏み入れば自分だけでなく、彼女まで巻き込んで壊してしまうと。
既に彼女の人生を半分壊してしまっているのだ。ならばこれ以上は、踏み入ってはいけないし、踏み入れさせてもいけない。だから先程、振り切るようにして背を向けたというのに、肩に残る熱が問いかけてくる。
本当にそれでいいのか? と。
それに対し、ルミリアは答えを持たない。いや、十五の小娘に、持ちようがないのだ。
この気持ちをどうすればいいのか分からない。
その行先も、何も。
●
「随分とお悩みのようですわね、ルミリア様」
そんな風にして自省なのか自制なのか分からない自縄自縛をルミリアがしていると、背後から声がかかった。
「貴方は…………」
振り返れば、銀髪緑眼の少女がいた。
「マリアーネ・ロマネット。シャノンちゃんの旅を助けた者ですわ」
彼女は優雅にカーテシー一つ熟すと、静かに頭を下げてそう告げる。
「そう、ですか」
ふと、その物言いに引っかかるものを覚える。
シャノンちゃん。一週間ほどの旅で随分と仲良くなったようだが、近衛の騎士を相手に随分と気安くないだろうか。まして、シャノンは貴族籍もある。聞くにつけレオネスタの政商として盤石たるロマネットと言えど、あくまで平民の商人だ。そんな平民、しかもそこの後継者でもない娘が、シャノンに向かってちゃん付けとは、随分と馴れ馴れしい。
そうは思いつつも、部下が助けられたのは事実。ルミリアは王宮で鍛えた鉄面皮を被って礼を告げる。
「我が騎士が世話になりました。マリアーネ様。主として、礼を言いましょう」
「あらあらあら」
だが、この百合豚に対してはあまりにも迂闊。
そんなちょっとした嫉妬でも見せようものなら、最早遠慮も容赦もなく────。
「ルミリア様。そう身構えなくてもシャノンちゃんを取ったりしませんわよ、私」
「なぁっ!?」
ぶっ込んできた。
続きはまた来週。




