第十五話 悪役の矜持・下 ~子狸と女狐、あるいは古狸と子狐~
「え? どういうことだ? カズハ」
茶番、という言葉の真意が分からなくて、リリティアはカズハに尋ねた。
「最初にルミリア様と出会った時、事のあらましを聞いた時から、何だかおかしいとは思っていたんです。王宮を掌握した宰相が、数人の供回りだけの姫をみすみす逃しますか? 言ってしまえば自分の家です。閉じ込めた籠の中の小鳥の動きを読めないだなんて、そんなことがあると?」
「ってことは、わざとか? そりゃ一体何で…………」
「儀式の失敗、かしら?」
今まで黙っていたラティアが口を開く。
「霊龍アルベスタインを鎮める鎮魂の儀。多分、封印の強化というよりはアルベスタインが復活のために溜めた魔力を、大妖精カテドラが残した秘術を使って一定周期で国内に散らしているんじゃないかしら? その結果、魔力鉱脈が生まれる。でも四年前、それに失敗した。国内からの支持を失う訳ね。それを手っ取り早く取り戻そうとするなら────悪役がいるってところかしら」
どう? とラティアが首を傾げると、ガーデルは喉と腹を揺らし。
「全く、聡明なお嬢さん達だ。まぁ、概ね正しいよ」
肯定した。自らが、その悪役だと。
「さて。君達から見てどうだね、この国は。お世辞にも豊かとは言えないだろう?」
ガーデルの言葉に、三人娘は反論の言葉を持たなかった。
転移してから一週間と少し、この国を歩いてきたが、どこも困窮している。仕事がないわけではないが、細いのだ。最も太かった主要産業である魔石発掘が折れてしまったのだから、仕方がない話ではあるが。
「昔は違った。四年周期で繰り返される儀式の成功は、即ち新たな魔石鉱脈の出現だ。採掘事業は世界の需要を満たすために常に高止まりしていて、この国はその恩恵を最大限に享受していた。だがね、運営する側からしてみるとこれほど恐ろしいものはないのだよ。今はいい。だが次は? その次は? 何か対策を考えるべきではないか? そうした不安が常に付きまとうのだからな。先人達は知らないが、少なくとも私の代では身罷られた陛下とともに別の道を模索していた。何年も、何年もな。だが、新たな事業を起こそうにも、既得権益に絡みつく貴族達に阻まれ上手く行かぬ。そして、そうこうしている内に────恐れていたことが、ついに起こったのだ」
四年前の鎮魂の儀の失敗。
魔力は国土に散逸せず、未だ王宮の地下深くの祭場で渦巻いている。故に新たな鉱脈は発生せず、経済が死にかけているのだ。
「ちょうどその頃、陛下が病に倒れたのも良くなかった。あの方が未だ健在ならば、まだ立て直すだけの余力はあっただろうが…………もはや抑えが効かぬ。であらば…………」
「バーテックス卿が貴族達を纏め、背後から刺すと」
貴族達の専横は昔からあったことだが、儀式の失敗から特に酷くなった。何しろ懐を潤していた魔石発掘が無くなったのだ。
腹を満たしていた獣が、飢餓を覚えれば生き残りをかけて、他の権益に手を出したり守ろうとするのは必定。そしてそれは先王と予見していたことだ。王家の王家たる所以を失えば、必ず他の権力者が暴走を始めると。
最早、腐敗は引き返せぬ所まで来ている。上から抑えるための王権は、かつての勢いを無くした。正すためには、常道では不可能だ。
ならば、手を血に染めるのは、ただ一人でいい。正しき王家の後継者が、血に塗れることはあってはならない。
「既に選定は済み、国を割った。儂の周囲にいるのは、この国の未来に必要のない貴族だけだ。必要なのは、ラドックに全て渡したよ」
「マジか…………でも、それだとあんたは…………」
反逆者じゃないか、とリリティアが口に出す前にガーデルは笑った。
「掃除をする時、まずはゴミを一箇所に纏めるだろう? その時、掃除道具は必ず汚れるものだ。そう、儂は汚れた箒やちりとりで良いのだよ。そして役目を終えて壊れれば捨てられる。────この国を正しきれなかった凡愚には、過ぎた末路だとは思わんかね?」
それは悪役の笑みだ。
悪党ではなく、その役柄を、その役目を、自らに任じた者だけが浮かべる笑み。
「ラドック卿は王権派だ。元々が近衛だから、尚更な。故にルミリア様を懐に入れたなら、その御心に従うだろう。立てば良し、そのまま受けて立ち、頃合いを見て不必要な貴族達を後ろから始末するだけ。仮に立たなくともラドックの地でアルベスタイン王家の血脈は続く。ルミリア様を再び王都へお迎えする前に、儂の手で新時代に邪魔な貴族を処分するだけのこと」
そうとも、とガーデルはにやりと口の端を歪みを深くする。
「どちらに転んでも、先王陛下と儂の勝ちだ」
そしてその笑みは、覚悟の笑みでもあった。
「でも、それだと貴方は…………」
「分かっているとも。内実がどうあれ、儂は王家を乗っ取るべく貴族連中を纏め、そして動いた。つまりは謀反よ。その責は如何な功があっても免れぬ。信賞必罰を違えれば、人はついて来ぬ故な。ルミリア様には、いっそ苛烈なまでに儂を処断してもらわねばなぁ」
ラティアの言葉に、ガーデルは頷く。
「その時こそ、新たな王としての自覚をなされるだろうよ」
あるいは、儀式が成功していれば。
あるいは、先王が身罷れなければ。
あるいは、他の貴族がまともであったならば。
「少々、長く生きすぎたのだ。我々は────いや、この国もか」
だが、全てはタラレバだ。最早この国は行き詰まりを迎えている。それを突き破る鏃となるのに、否はない。
「だから頼む。手を貸さなくて良い。ただ、この国の行く末を見守っていてほしい」
故に悪役は三人娘に向かい、静かに頭を下げる。
それこそが、悪役に許されるたった一つの矜持だ、とばかりに。
●
寸評を聞き終えたジュリアは、深く息をしてジオグリフを見つめた。そして口にする。
「ふん。大した情報も無しによく見抜く」
「そっちは持ってたんだ?」
「まぁ、な」
直接宰相に問いただしたわけではない。だが、あの男にしては随分と杜撰な動きが多い。ここ数年、丁寧に詰めていただけに特にだ。事ここに至ってこれほど雑になるか? と首を傾げたぐらいだ。
挙句の果てに、ラドック領に逃げ込む直前のルミリアの所在を知らせてきたのがリヒターの子飼いの情報であったことからも、盤面にある絵図がそのままの意味でないことは察することが出来た。
となれば、別の意図が見えてくるのは必定。それを他国の人間にも察せられるとは思わなんだが。
ふむ、とジュリアはジオグリフを見て尋ねる。
「ジオグリフと言ったか」
「そうだけど」
「貴様、私に仕えないか?」
「嫌だよ」
即答だった。なんなら食い気味にジオグリフは断りを入れた。
「おいおい、即答か。ラドック領は辺境だが、悪い場所じゃないぞ」
「トライアードも辺境だから、気質や運営も分かってるさ」
この城に来るまで、領内を見た。なかなか悪くない領地運営をしている。立地も悪くない。穀倉地帯でもあるから飯も美味い。終の棲家にはもってこいだとはジオグリフも思っているが、まだその時ではないのだ。
「では何が不満だ? 坊や」
「誰かの飼い犬になるのは真っ平ごめんだね。まして子供扱いしてくる女狐とか最悪だ」
「なるほど、大人扱いが望みか子狸。よし、ならこの身体、好きにしていいぞ? 子持ちだが、未亡人だし、なかなかの器量だろう?」
「耳尖らせてから出直して」
「何だ、耳長が良いのか? 参ったな、亜人は我が領には少な…………そうだ、実家の伝で、北のマルベール公国と付き合いがあってな。ドワーフとの縁はあるが…………」
「その話、詳し────こほん、何を言われても靡かないよ?」
「今、食指が動いただろう。踏みとどまったのは、他に亜人の相手がいるからか?」
言われ、ふと思い浮かんだのはラティアの顔だ。しまった、と気づいた時にはもう遅かった。ジュリアにそれを察せられた。
「くくく…………時々いるよなぁ? 人間ではなく他種族にぞっこんの変態が。特に貴族が多いが…………貴様もその口か」
「黙秘します。ご質問はトライアード本家まで。では、また来週」
「まぁ、待て。冗談はさておいてだ。その政治的な感性を捨て置くには勿体ないだろう。我が領は他国と接しているお陰で精強だが…………その分、頭の回るのが少なくてな」
「あー…………」
正直、トライアードもそう、とジオグリフは思った。
辺境とは即ち国家の最前線。そこに封じられる貴族というのは、だからこそ武門の家柄だったり武断派が多い。裏返せば血の気が多いのだ。そして脳筋が多いということは、必然的に文官気質な人材が不足しがちだ。
ラドック領も例に漏れず、その手の人材不足に喘いでいるらしい。尤も、トライアードで更なる脳筋化を推し進めたのは、他でもないジオグリフであったりするのだが。
「女当主は軽く見られがちだから、本来はすぐにでもベルトーニを当主にした方が良いのは分かっているんだがな。流石にあの歳では結局私が摂政する羽目になるから、だったら私を暫定当主のままにして、あの子が育つまで待つことにしている。しかし、困ったことにベルトーニの教育係がな…………」
ジュリア自身が元々近衛騎士ということもあって、領内を統率する武力も政治的センスも持っているのが幸いした。
だが、女当主というのは国内法的には緊急手段として用いられることがままあり、普通ではないのだ。彼女自身が傑物なので、あからさまに下に見られることはないが、それでも領外では「女のくせに」とか「女の分際で」とかそういった差別的な声は聞こえる。
個人への攻撃だけならば尻に氷の礫でもぶち込んでやればよろしいが、辺境領全体となると彼女自身もいかんともしがたいのだろう。なので息子を当主としたいが、まだ幼い。家臣とて欲はある。幼い当主に付け入って良からぬことを考えないとは限らない。
結局権勢はジュリアが握ることになるし、中途半端にそれを割れば、ベルトーニとていずれ面白くない、という感情が鎌首擡げて不仲となりかねない。ならば今は一手に引き受けた方が幾分かマシ、という判断をしているのだ。
だが、それはそれでベルトーニへの教育に手を割けないということだ。なので、家庭教師よろしく政治的センスを教える人材を欲しているのだが────。
「そうかい。────僕には関係ないね」
「子供には甘いと見たが、違うのか?」
「否定はしないけれど、子供の教育はその親がすべきだと思っているよ。いつか自分のことを棚に上げて、他人に責任を押し付けないように、ね」
ジオグリフは当然、拒絶する。
何が悲しくて他国の政治に関わらにゃならんのだ、という気持ちが二割。僕は趣味に生きたいの、という気持ちが八割と言ったところか。
「どうやら勧誘は難しそうだな。では、そちらは一旦取り下げて────」
そしてジュリアは言葉を貯める。しまった、と思った時にはもう遅い。これがおそらく本題だ。
「ラドック軍全権委任の話をしようか? 夜天の魔王、ジオグリフ」
思わず夜天の魔王は天を仰いだ。
●
「おーい、どうしたよ先生」
「ハメられたんだよ、あの女狐に。全く…………」
客室に帰ってくるなりテーブルに突っ伏したジオグリフにレイターが声を掛けるが、彼は生返事のまま思考を巡らせていた。
ハメられた、というのは正しくあるのだがジオグリフの失言を逆手に取られた、というのが正解だ。何しろ戦列に加えるのなら全軍寄越せ、と魔王プレイで言ってしまっていたのだ。
本来ならばありえないことなのだが、魔術戦で実力的にジュリアを圧倒してしまったので彼女も「だったら何も問題ないな、やれ」と丸投げしてきたのだ。当然、ジオグリフも「いやいや他国の貴族の縁者に全権とか有りえないから」と拒絶したが「ウチの連中ならば、このジュリア・ラドックに勝ったと言えば納得する。体裁としては、私には勝ったがベルトーニに負けて幕下に加わったとするさ」と反論した。
何度も押し問答したが、結局「おやおや、魔王様は自らが吐いた言葉の責任を取らんのか?」と言われてしまえば何も言い返せない。他国の王族へ責任の非難をしたばかりなので余計に、だ。
無論、恥を忍んで逃げることもできるだろうが、彼はシリアスブレイカーズのリーダーであり、個人であると同時に責任者でもある。彼の醜態はパーティ全体のものとされると、今後の活動に支障が出てくる可能性もある。
そして何より、結局王都へと三人娘の回収に赴かなければならないのならば、ということで渋々頷いたのだ。
「先生。おい、先生」
「何だよ、レイ────」
やらかした、とジオグリフが落ち込んで今後の対策をブツブツ独り言しながら練っていると、レイターが背後から声を掛け。
「あだぁっ!?」
振り向いた直後、デコピンが飛んできた。
「何すんのさ!」
「そりゃこっちのセリフだ。────なーにカリカリしてんだよ、先生」
「カリカリなんて…………」
「してんだろうが。何があったかは知らねーけどさ、らしくねーぞ」
額を抑えて抗議の声を上げるジオグリフに、レイターはやれやれと肩を竦めた。
「俺は馬鹿だから難しい話はよく分かんねーけどよ、俺等は何の為にわざわざ集まったんだよ?」
同時に異世界転生したからと言って、別に集う必要は無かった。それぞれ別の土地で、干渉しないように好きに生きていても良かったのだ。
それを選ばなかったのは。
「楽しく生きたいから、時々馬鹿やって趣味ではしゃぎたいからだろうが。そんな眉間にシワ寄せてよ、やりたくもねー事に頭悩ませるなんざ馬鹿じゃねーの? そんなん、前世と一緒じゃねーかよ」
「それは…………」
前世のような孤独な生き方は、選びたくなかったからだ。
そう、前世でジオグリフは孤独であった。仕事の付き合いだとか、そういうのはあったが、個人としては結局最期まで孤独なままだった。
レイターもまた、孤独であった。ジオグリフと同じように仕事の付き合いだとかはあったが、生涯で一人、と信じた相手に裏切られて、もう他人を見たくもなかった。
そしてマリアーネもまた────。
けれども、孤独であることと、それを良しとするのはイコールではない。心の何処かで、彼等は他者との繋がりを求めていた。それを自覚してもいた。そしてあの時、リフィール神と出会った時、彼等はもう一度、誰かと繋がることを選んだ。
共有の秘密。
共有の経験。
共有の願い。
趣味嗜好はそれぞれだが、そうした部分が重なったからだ。
この三人ならば、再び孤独になることは無いと。
泣いて笑って時々喧嘩して、楽しく異世界を生きていけると────あの日、あの時、あの場所で、そう思ったのだ。
「僕としたことが、あの女狐に当てられて見失うところだったよ」
レイターはかなりの不器用だ。だから直接は言わないだろうが、ジオグリフには分かった。これがちょっとは周りを頼れ、という行動だということに。
「レイ。君は馬鹿だけど、眼は本当に良いよね」
「あん? 頭と眼は関係ねぇだろ?」
「そのものじゃないよ。着眼点というか、物の見方だよ。思えばいつも君、どんな馬鹿やってても物事の本質だけは外さないからなぁ…………」
「当たり前だろ先生。俺は運転手だ。脳死でいらねぇアシスト満載の白物家電転がしてるトーシロと一緒にすんなよ。こちとらそれで飯食ってた専業だぜ? 俺ぁ」
どんな車種でもどんな悪路でもどんな環境でも、走ってる時の慣性だけは嘘をつかない。つまり運転中の重心だ。それを上手く扱うのが運転をする時のコツで、だからどんな物事にも揺るがない芯があるのはレイターは肌感で知ってるし、それとずっと付き合ってきたのだ。
そうした本質とずっと向き合ってきた彼が、ここ一番で外すはずもない。一芸に秀でるものは多芸に通じるものだ。
「そう、そうだね」
彼のように、いつも通りでいればいいのだ。
政治家ではなく、貴族ではなく、冒険者でもなく。
転生者、ジオグリフ・トライアードとして。
ならばとジオグリフは腹を括る。
「よし、決めた」
そう。
こんな茶番、律儀に付き合ってやる義理など無いのだ。
いつものように。
いつもと同じに。
いつもやってきたように。
「こんな理不尽、ぶっ壊してやる────面白おかしくね」
そして夜天の魔王が、遂に悪童のような笑みを浮かべた。
盆休みに突入しますので来週は一回休みまして、次回は8/22(金)に投稿します。




