第十三話 魔王と女狐と闖入者と
城の中庭に出たジオグリフとジュリアは、互いを観察していた。
ジュリアは元騎士ではあるが、剣はさほど得意ではない。いや、同年代、そして同性ならば常にトップを走ってきた。だが、男女混合となると最強ではいられなかった。魔力による身体強化があるとはいえ、それは男側も同じこと。出力や保有量の多寡に個人差はあるとはいえ、それは地力となる身体能力も同じなのだ。
女の身を歯がゆく思ったことはある。だが、それで折れる程、彼女は腑抜けた性格をしていなかった。
故に、彼女は別方向に鍛えることにした。
(さて、ここ最近、執務ばかりで面と向かっての魔術戦は久しぶりだが…………)
ぱきり、と指を鳴らすジュリアは苦笑する。
そう、身体能力も身体強化も頭打ちで男を相手にして最強を取れないのならば、剣ではなく魔術を武器にすればいいと結論した。騎士でありながら剣を取らず、魔術を武器にしたジュリア・ラドック────ジュリア・フォルスマイヤーは、この国では無刃の騎士と長く呼ばれていた。
嫁入りした後では、あまりそう呼ばれることもないが、その時の武威は今でも有効であり、国内外問わずよくよく使える名前だ。
(ふん…………魔王などと僭称するだけはある、か)
そんな彼女が、相対するジオグリフをそう評価した。
収納魔術から取り出した大杖を手に提げて、見下すようにしてこちらを見てくる碧眼は、ぞっとするほど冷徹であった。
纏う魔力量も異常だ。先程の話し合いの時、最初の方は隠蔽でもしていたのかそこまで気にならなかったのに、口調が変わった途端膨大な魔力が部屋を支配したのを覚えている。
(他人に気圧されたのは何年ぶりだ、全く…………)
最後に臆したのは何時だったか記憶を攫えば、早逝した旦那を思い出した。
そう言えばあの男、気は弱いくせに夜は滅法強く底なしであった。途中でこちらが覚醒するまでは良いようにされていたが、それまではベッドマフィアか貴様、と呆れたものだ。
(慣れてきて逆撃して搾り取ったらぽっくり逝ってしまったが、まぁ次代は繋いだし最低限の仕事はしたか)
あの時以来の圧力だ。
他人を前にして勝てない、と戦う前から悟るのは。
「穿て、『氷華砕』」
短縮詠唱で起動式を口にすれば、ジュリアの周囲に氷の礫が出現し、一斉にジオグリフへと向かって加速した。
第八魔術式に該当する低位の魔術だが、その分術者負担も軽く出が早い。ジュリア自身、遠中近距離のオールレンジを想定した戦闘様式を得意としているので、起点としてよく使う術式だ。
おそらく最も習熟した魔術で、威力も精度も並の魔術士よりは上だが。
「解凍」
しかし、標的が謎の起動式を口にした瞬間、不可視の壁が出現し、氷の礫と接触すると爆散。続く他の氷の礫を巻き込むようにして誘爆。
第九魔術式の『魔力障壁』。本来は単発の簡易障壁だが、ジオグリフはアレンジを加えて指向性誘爆反応を付与しているので、反応装甲よろしく単発で周囲を巻き込んで防ぐようになっている。
「穿て、『氷華砕」
一掃された氷の礫の礫をジュリアは再び展開。否。
「貫け、『徹甲雪』」
それを目眩ましに一つ、貫通力の高い魔術を混ぜた。
「解凍────」
礫の嵐を前に、ジオグリフが起動式を口ずさむとその足元から炎の壁が天に向かって出現し、一瞬にして空を舐めた。その妨げを前に、氷の礫は一瞬で蒸発し相殺するが、一つだけ必殺の意志力以て貫く氷柱が炎の壁を貫けて来た。
『徹甲雪』────大きな氷柱だ。元々は成人男性ぐらいの大きさだったが、炎の壁の熱で少し溶け、子供サイズへと小さくなっている。だが、鋭さは鈍っていない。
タイミングも仕掛けも良好。まさに必中ではあった。並の魔術士ならばこれで詰みだ。
だが。
「────置換」
ここにいるSFオタは並の魔術士ではない。ネタであっても魔王を僭称しているのだ。
相変わらずジュリアにとっては謎の言葉をジオグリフが口にすると、炎の壁が揺らいで変化した。空に登っていた炎の壁が、炎の鎖へとその姿を変えて上空から叩きつけるようにして氷柱を圧殺したのだ。
余波で広がった炎が庭を焼き、その反射光が中心にいる魔王を鮮やかに照らし出す。浮かび上がる陰影に、ぞっとするほどの圧力を得たジュリアは。
(面白い。なら、その座から引き摺り落としてやる…………!)
尚、闘志を滾らせて詠唱を口にする。
「舞え、『氷鎖撃』!」
●
ジュリアの起動式を口にすると同時に、ジオグリフは射線から外れるべく横に飛んだ。
直後、彼女の手から飛び出た複数の氷の鎖がジオグリフが数瞬前までいた所を駆け抜け────外したと認識したのか、追尾してきた。
「ほぅ…………!?」
しかもそのままジオグリフに迫るのではなく、彼が移動する先へ回り込むようにして伸びていく。まるで猟犬のようなその動きに、状況が動いたことをジオグリフは察した。
(手を変えてきたか。手持ちが心許ない今、近中距離戦はこちらとしても好都合だが)
互いに距離を取って遠距離戦からスタートしたが、おそらくジュリアはそれでは勝ち目がないと察したのだろう。実戦に即した良い判断だ、とジオグリフは感心する。
魔術────正確には魔法を主体とする魔導士というのは、戦闘でとかく距離を取りたがる。詠唱時間と彼我の距離が勝利の鍵になるのだから、必然とも言えるが、それが必ずしも正解とは言えないのだ。
どれほど強力な大魔法を扱える魔導士でも、発動前に接近されて初級魔術で潰されてしまえば無用の長物なのだから。今の一合でジュリアはそれに気づき、中近距離での低位魔術の打ち合い────即ち、高速打撃戦の方がまだ勝ち目があると判断したのだ。
そしてそれは正しい。ジオグリフが、普通の魔術士であったのなら、だが。
「解凍」
追撃してくる氷の鎖から身を捩って回避し、少しずつジュリアの方へと追い立てられながら、ジオグリフは起動式を口にする。反応したのは手にした大杖だ。その先端から光の刃が吹き出て大鎌の形へと変形する。
「解凍」
加えて風魔術を背中に展開。追い風と言うよりは爆風に近い暴風が発生し、それに弾き飛ばされるようにしてジオグリフは地を駆ける。ジュリアとの距離は15m程。それを一足飛びに詰めるが、相手もさるもの、と言うべきか迎撃の態勢を取っていた。
そのまま光の鎌で斬りつけようとしていたジオグリフは作戦を変更。光の鎌を正面に突き出し。
「置換」
魔術の再構築命令を実行。展開していた光の鎌が変化して、光の礫となって広範囲に広がりながらジュリアに襲いかかる。さながら散弾である。
「纏え! 『氷の鎧』!」
逃げ切れないと判断したのか、ジュリアが詠唱と起動式を唱えると、彼女の周囲に氷の壁が出現し、光の礫を弾いて防いだ。見事な判断力だ、とジオグリフは思う。だが、それは彼の狙い通りだった。
防御を優先したことによって足が止まったのだ。ジュリアは氷の壁を前に、安堵しているはずだ。いずれ破られることはあるかもしれないが、ひとまず立て直す時間は稼げると。
そんな時間を、魔王が与えるはずもない。
「重複────解凍!」
光の鎌を重複起動。刃が通常の五倍程に伸長した。元が第八魔術式だが、重複させることによって第三魔術式まで威力を引き上げたのだ。
それを以て。
「そぉいっ!!」
上段から振り下ろし、真っ向から氷の壁を割断した。
叩き割られた氷の破材と、光の鎌の熱量と割断によって生じた湯気と陽炎がジオグリフの視界を奪う。それはジュリアも同じはずであったが────。
「あまり嘗めてくれるなよ。自称魔王」
発生した湯気を吹き払うようにして、右拳を握ったジュリアがジオグリフの前に飛び込んできた。対してジオグリフは杖を振り下ろしたままだ。その後隙を狩るようにして踏み込まれたが。
「そっくりそのまま返そう。氷の女狐」
手にした杖を手放し、飛んできた右拳を左手でいなすと、そのままジュリアの右腕を抱き込むようにして腰を捻り込み、跳ね上げる。変形の背負い投げ。このまま叩きつけて終わりだ────とジオグリフは思ったが、想定していたよりも手応えが軽い。
これは自ら飛ばれたか、と正答に至った時には、掴んでいた腕がするりとジオグリフの手から抜けていった。それなりの距離を飛んでいったが、それだけだ。綺麗に着地し、ダメージは入っていない。
やれやれ、とジオグリフが態勢を立て直して手放した杖を拾うと、同じように襟を正しているジュリアが視界に映った。こちらの方が押していて、分が悪いはずなのに、彼女は口の端を歪めている。
「全く…………近接格闘まで修めているか。流石トライアード、と褒めておこう」
「魔力切れや詠唱時間に手間を取られて戦えません、というのはあまりにも戦場を嘗めているだろうよ。研究職ならいざ知らず、在野の冒険者やってる魔導士は大体何かしら近接技術を持っているものだ」
「ふん…………その台詞、我が国の魔導士団にも聞かせたいものだ」
「ならばまずは魔力切れまで追い詰めて、鍛え上げた近接部隊で四方からプライドごと磨り潰してやると良い。トライアードの魔導士部隊は全員その道を通らせた。────今では立派な筋肉系魔導士の集団だ」
「貴様の故郷は魔境か何かか?」
最近の狂信振りを見るに、否定できない…………! いや作ったの僕だけど…………! とジオグリフは言葉を詰めた。
「さて、しかし驚いたぞ。私よりも格上の魔導士が在野に転がっているとは」
「ほぅ。プライドが高い割には存外素直だな?」
「敵対戦力を冷静に見れぬようでは待っているのは犬死にだ。雑兵ならいざ知らず、部下を抱える将がそれでは先がなかろう」
とは言え、と彼女は言葉を継ぐ。
「座して死ぬのは性に合わん。もう少し、付き合って貰うぞ、魔王。────塞げ! 『氷幕』!」
「死なば諸共は冷静とは言わないのではないかね? 全く…………!」
再び起動式を口にしたジュリアに、ジオグリフは身構えるが。
「ぬ?」
それが攻撃術式ではない事に気づいて、動きを止めた。
全周囲に出現したのはダイヤモンドダストだ。陽光が乱反射し、気づけばジュリアの位置を見失っていた。
『瀑布の氷炎よ、彼の者を地の底へ誘え』
「これは…………」
目眩ましか、と気づいた時には詠唱が始まっていた。声も反射して、どこにいるのか分かり辛い。分かったのは、ジュリアが唱えているのが第三魔術式────高位の魔術だということ。
『氷獄』
起動式が発せられ、ジオグリフの足元にパキパキと氷の茨が迫りくる。大魔法の前震、その予兆だ。一度発動すれば、この距離では逃げられないだろう。確実に仕留めに来るための魔術。
対応策の定石は、回避か防御か相殺。
だが、回避は魔術の規模的にもう間に合わない。防御は威力を読み誤れば死ぬ。相殺も同様でいささかギャンブル性が高い。並の魔術士ならば、南無三唱えて賭けに出るだろうが────異世界の魂を起源に持つ魔王には、もう一つ手が残されていた。
ジオグリフは発動する魔術の起点となるであろう自分の足元に、右手に添えると瞼を閉じる。
魔術に限らず、魔法とは精緻な術式────即ち、一定の法則に基づいて組み上げられている。意味こそは違ってくるが、その並び方や対応性に関しては2進数のバイナリコードに似ている、とジオグリフは幼少期に気づいた。
つまりここを弄れば詠唱を短縮したり、魔術そのものを圧縮したり、全く別のものに変換したり、発動体を置換したり────そして、一部を崩壊させることによって機能不全にさせることも可能であった。
読み取るのは、展開直前の『氷獄』。その構成を辿り、流れているコードを先回りして必ず踏まなければならない進行手順に辿り着き。
「────抹消」
ジオグリフは、その一部を消した。
直後、彼に迫ってきていた氷の茨はピタリと動きを止め、ややあってから自己崩壊を始める。
「…………何を、した?」
「発動直前の魔術式を一部消した。先程の『氷華砕』などは出が早いので難しいがね。顕現に時間がかかる高位術式は、こうした崩しが通りやすいのだよ」
気づけば、視界を覆っていたダイヤモンドダストも晴れていた。声の先にはジュリアがいて、頬を引きつらせながら問うて来るので解説してやれば、彼女は絶句する。
「…………素直に脱帽だ。短縮詠唱で最大ではないが、それでも私が使える最強の術式だったのだが、これをあの一瞬で読み解いたか」
「第三魔術式を一小節まで短縮したのだ。ウチの長兄が同じ第三魔術式をまだ三小節までしか短縮できないのを考えると、君も大概傑物だよ。父は数年前、第二魔術式を三小節まで短縮できるようになったが」
「化け物しかいないのか、貴様の一族は」
ちょっと脳筋なだけでそんなことはないと思う、とジオグリフは胸中で反論するが、この場にトライアード一家がいたならば『魔力馬鹿のお前が言うな』と声を揃えて突っ込んでいたことだろう。
「さて、手の内は出し終えたかね? なら、そろそろ────茶番は終わり…………」
「やめろっ!」
「ん?」
奥の手も使わせたことだしそろそろ片付けるか、とジオグリフが杖を握り直したところで、横から小さな影が飛び込んできた。
木剣を手にした子供────それも、五歳児ぐらいの少年であった。ジオグリフがその青い瞳に既視感を覚えていると、少年が叫ぶ。
「母様をいじめるな!!」
「ベルトーニ! 出てくるな!」
成程親子か、とジオグリフが納得するが、何故乱入してきたのか分からなくて周囲を見回せば、屋敷の入口にニヤニヤしている馬鹿二人と手を振っている老執事が一人。
「おい、執事。これは…………」
「お前なんか、ぼくがやっつけてやる!」
どうやら彼が主犯のようだと見抜いたジオグリフが抗議の声を上げようとするが、それよりも先に少年が手にした木剣を振り上げて突撃してきた。
「お? おぉ?」
現領主の息子────次期当主なだけあって同年代の子供よりは動けるのだろうが、転生者でもない五歳児だ。動きの質など知れているもので、ジオグリフは困惑しながらも振り回される木剣を避けていく。
その最中、チラリとジュリアの方に視線をやれば顔を片手で覆って吐息している。
最早戦う意欲も失ったようで、ジオグリフもやれやれと肩を竦めてから。
「………………………………。────ぐはっ!?」
迫りくる木剣をわざと受けることにした。
「くっ…………! この夜天の魔王に手傷を負わせるとは…………! 中々やるではないか。小僧、褒美に貴様に名乗りの場を与えてやる」
「ベルトーニ・ラドック! 次期ラドック辺境伯だ! 母様の代わりに、ぼくが相手だ!」
何となく、子供のヒーローごっこに付き合う親の気分になったジオグリフは笑いそうになるのを我慢しながら、魔王プレイを続ける。
「ふ、ふふ…………良い気勢だ、小僧────いや、ベルトーニ・ラドックよ。その勇気に免じて、この場は余の敗北を認めようではないか。ほら、この通り、降参だ」
そして手にした杖を地面に放り投げて降伏すると、ベルトーニはぱぁっと顔を輝かせて母親の方に振り返る。
「母様! ぼく、勝ちました!」
大人の戦いに割って入る子供など、本来ならば叱らなければならない立場のジュリアではあるが、それはそれとして────。
「よくやった! 流石我が息子!」
この女当主、親バカであった。
続きはまた来週。




