第十一話 再開と再会と
名前を得てからも、それの在り方は変わらなかった。
与えられた場所で虚数領域を監視しつつ、時折現世にアクセスしては眺めるだけ。そうしている間にも世界には生物が溢れ始め、最初の頃は見ているだけで楽しかったように思う。
だが、いつからかそのパターンが読めるようになってきた。おそらくは、これが神の言う成長というものなのだろうとは察した。自らの成長に心躍ったそれだが、すぐに感情が渇いていくのが分かった。
分かってしまうのだ。生物の行動が。
繋がってしまうのだ。既知となって。
読めてしまうのだ。その先の未来が。
予測や観測の枠から外れず、この世界の人々は混沌ではなく秩序だって歴史を刻む。
それが性質的に虚数領域の守護者であり管理者であるのも原因だろう。この世界所以の生物では、そのシステムの柵から解き放たれることはない。
それを憂慮したのだろうか。時折顔を見せる神が────。
「じゃぁちょっと、撹拌してみましょうか。世界」
そんな事を宣ったのだ。
●
アルベスタイン王国南西部にあるラドック辺境領は、険しい地形の多いこの国において、珍しく平野部の広がる領地である。必然的に国の食料庫としての機能を求められ、それ故に食料生産や流通に特化して栄えた。
しかしながら豊かであるということは、他国から見れば良い狩り場であることの反証である。まして国の端っこであるが故に、他国の干渉を免れることはほぼ不可能に近く、もっと直接的な干渉────即ち、略奪も過去には多くあった。
とは言え隣接する大陸の雄、レオネスタ帝国がここ数十年内政に注力しているのもあって、ここ最近のラドック領は富国強兵に努めてその生産力や領土防衛力を非常に強く推し進めた。
その結果、三馬鹿の眼の前に広がったのは────。
「ほー。ここがラドック領か」
「大農地ですわねー」
「ウチもそうだけど、食料供給が安定している領地は必然的に防衛力強化するから治安良くて平和でいいよねぇ…………。終の棲家とするならこういうところがいいなー」
『わかるー』
トウモロコシや大豆、小麦をはじめとする穀物や豆類を多く生産し、ほかにも牛乳や牛肉、鶏肉など畜産物の生産も盛んな豊かな大農地であった。
モーガスの馬車の荷台で周辺の景色を楽しむ三馬鹿は、前世で見た海外の大農地を思い出していた。それでいて辺境伯家の城がある城下町が隣接しているものだから、それなりの利便性も確保されている。程よく田舎、程よく都会。馬などの移動手段があるのなら、住むには丁度いいところだと彼等は思ったのだ。
「もう完全に観光客だよね、君達…………」
それを半目になって呆れるのは、モーガスの馬車に同乗したシャノンだ。ここ数日の興行ですっかり心身をすり減らしているが、それも昨日までということで、多少持ち直したのか三馬鹿に突っ込む余裕があった。
「焦ったって仕方ねーしな」
「シャノンちゃんはどうしますの? ここから」
「ボクはラドック伯に会うつもりだよ。────君達も、どうだろうか?」
不意に紡がれた言葉に、三馬鹿は顔を見合わせる。
「あ、いや、その、ね? 君達も探している人がいるんでしょう? ラドック伯は広い人脈を持ってるし、頼み込めばひょっとしたら見つかるんじゃないかって思って」
それをどう受け取ったのか、シャノンがわたわたと弁明のような言葉を口にした。
『ふーむ…………』
それを見て三馬鹿は少し唸り、ややあってから。
『────作戦ターイム!』
「たいむ?」
三人揃って両手でTの字のハンドサインをして、馬車の隅っこでいそいそと額を寄せ合う。
「で? どうする? 先生。これ多分、アテにされてるぜ。戦力として」
「だよねー。演奏の練習時間が欲しかったからって、ちょっとやりすぎたかも」
当然ではあるのだが、興行をして金を稼ぐにあたって演奏や歌の練習が必要だった。三馬鹿は前世の経験もあってそれなりにこなせるのだが、後々の事を考えてルベス達にも仕込んだり、そもそも目玉になるシャノンに叩き込む必要があったのでどうしても練習時間が必要だったのだ。
それは馬車での移動時間に行えば良かった。しかし、この中世ヨーロッパ風の異世界では旅というのは、それはもう全く安全なものではない。盗賊の襲撃や魔獣の襲撃なども散発的ではあるが出くわし、その度に三馬鹿が『練習時間が惜しい』という理由でサクッと蹴散らしていたのである。割と全力で、容赦なく。
最早語るまでもないが、この三馬鹿。頭のネジがダース単位で外れたふざけた連中ではあるが、その戦闘力は人類最高峰クラスだ。
であらばその蹴散らし方は他者から見ればまさに鎧袖一触といった感じであり、『コイツらだけ世界観が違うんじゃないの?』と一行全員が呆然としたぐらいである。
さて、そんな力の見せ方をしてしまったらどうなるか────それが、先のレイターの言葉に集約されているのだ。三馬鹿が常日頃から懸念している状況になってきた、とも言う。
早い話、ぶら下がられかけているのである。この連中の馬鹿げた力に。
「どー考えても厄介事の匂いがしますわ」
「おや珍しい。普段のマリーなら、面倒だと思っててもシャノンにくっついていきそうなのに」
背景がクリーンならそうしましてよ、とマリアーネはそう前置きして。
「あれからちょくちょくシャノンちゃんやモーガスとお話して、あの子の素性を調べましたわ。どうも立ち振舞が平民ではなさそうでしたし。そしたら案の定、イルメルタ公爵家令嬢のシャノン・イルメルタと判明しましたの。この国ではちょっと有名人でしてよ」
王女であるルミリア・エル・アルベスタインの近衛騎士にして、魔槍の騎士の異名で知られる女騎士。それがシャノン・イルメルタという少女の正体だ。
「つーことはアレか。シャノンが探している相手ってのと、ラドック伯ってのは…………」
「ええ、ルミリア姫とそれを擁立する王権派と言ったところですわ。つまり体制側ですわね。それもゴリッゴリの」
『うーわー…………やっぱりかー…………』
三馬鹿は馬鹿ではあるが、察しは悪くない。
何しろ元は前世で社会人をやっていた中年なのだ。現代社会の日本において、察しの悪さ=社会不適合者の烙印を押されかねないのだから当然とも言える。俗に空気を読むと呼ばれるその風習の是非はともかくとして、他者を色々と観察して考察する人間観察のような癖は必須スキルとして身に染み付いている。
翻ってシャノンと一週間近く行動を共にして、彼女の言動や戦闘能力から立場を察し、この国の現状と照らし合わせて色々と考察はしていた。取り越し苦労であれば笑い話だと思った妄想のような結論は、しかし現実のものになってしまったのだ。
直接尋ねてしまえば巻き込まれると思ってそれぞれ胸に秘めていたのだが、事ここに至っては現実を直視せざるを得なくなった。
即ち。
「厄いぜ」
「厄ネタだね」
「それもとびっきりですわ」
内乱直前のこの国の中で、体制派の中心────その側付きと共に居る謎の超戦力。
事実はさておいて、穿った見方をすれば三馬鹿の立ち位置はそれになる。このままシャノンの提案に安易に乗っかってラドック伯に面談すれば、そのまま巻き込まれる可能性が大いにあった。
とは言え、である。
「普段なら回避一択────なのですけれど、ラドック伯の人脈というのは魅力的ですわ。私達、この国でアテに出来る人脈無いですし」
マリアーネの言葉にも一理あった。
何しろここに至るまでの道中、三馬鹿は折に触れて三人娘の捜索をしてはいたが、情報一つ手に入れることができなかったからだ。これが帝国内ならばトライアードというネームバリューを使って貴族経由で調べたり、ロマネット大商会の情報網から探ることも出来ただろう。
だが、ここは他国であって三馬鹿の背景は使えない。情報収集能力に関しては、全くの無力であったのだ。それを考えると、この国に根付いてこうした辺境領を治めるラドック伯の人脈というのは大きな力になるだろう。
「これでも、ちょっとは責任感じてますのよ?」
今回の転移事件の発端はマリアーネだ。
勿論、本人の意志ではないだろうし原因までは不明だが、おそらく召喚術関係で彼女の魔力が使われてこうなったことはジオグリフが太鼓判を押している。つまり、彼女に悪意はなかったとしてもそれなりに責任というのが伴うのは必定。
なので、そんなしおらしいことを宣っているのだが。
『────本音は?』
馬鹿二人が白い目でマリアーネを問い詰めれば、彼女は握り拳でこう言った。
「────姫×女騎士が成立しているか確認したいんですの…………!」
『だと思ったよ! この百合豚め!!』
この女、本当に欲望に忠実である。
「まぁでも実際問題、だ。アテがないのは確かだし、どの道数日は逗留するんだろ?」
「そうだね。僕達だけならさっさと食料諸々の補給だけしてそのまま帝国入りしてもいいんだけど」
「抱えてしまいましたからねー…………」
チラリ、と三馬鹿が馬車の後方、モーガスの商隊の後列に視線をやる。ガラガラと音を立てる車輪の音に混じって、今も歌と音楽が聞こえてくる。
ルベス一行の家族────その少女達が今も練習しているのだ。
三馬鹿+シャノンの変則ユニットは、一つ前に立ち寄った街で解散した。元々三馬鹿は帝国に帰る予定であるし、シャノンにも目的があるからだ。ずっと一緒にはいられない。
とは言え、今回成果を上げた興行収入を考えると、そのまま止めてしまうにはあまりにも勿体ない話である。それらを引き継ぎ、そして新たなユニットとして成り立たせるために、今、彼女達は必死で興行の練習している。そう、人生掛かっているのだからこれを外せば文字通りの必死だ。
ただ放り出すはあまりにも無責任で、更に彼女達も自らの理不尽な運命に立ち向かおうとしているので、三馬鹿はもう少しだけ付き合う気でいるのである。なので、どの道数日はラドック領で足止めだ。
三人は揃って溜息をつく。こうやって責任が発生して自分のタスクを優先できなくなるから、安易に人助けはしたくないんだ、と。
「じゃぁ、会うだけあって、頼むだけ頼んでみようか」
「大丈夫か先生」
「内戦に協力を要請されません?」
リーダーであるジオグリフの提案に、レイターもマリアーネも懸念を示すが、必ずしも願い出るわけではない。あくまで打診するだけだ。
「要請されたら断って、力を借りるのを諦めればいいよ。僕らはヒーローじゃないんだし、いつものルールに従えば良いのさ」
尤も、そのルールも成り行きには抗えないのだが。
●
シャノン・イルメルタという少女は、アルバート流がセントール派において皆伝の腕前を持っている。
その一つ上の秘伝が実質継承者の証であることを考えれば、皆伝まで至った人間は余所で自らの流派を掲げても不思議ではないほどの腕前を持つ。実際、去年の暮れ、師であるリヒター・セントールから皆伝を言い渡されたシャノンは秘伝への打診を彼からされている。
リヒターはセントール侯爵家の当主であるが、子供がいない。そもそも結婚していない。
婚姻の申し込みは殺到しているようなのだが、何故か本人が固辞しており、セントール侯爵家の跡取りは未だにいない。本来であれば、その子息がセントール派の秘伝を継ぐべきであるからシャノンも皆伝のまま留めている。そのため、実力から言って彼女はリヒターに比肩し得る実力を持っているのだ。
さて、そのシャノンが見るに、この三馬鹿は異常な連中である。
出会ってから六日ほど共に旅をしてきたが、出会いからして色々衝撃的であった。外国ってあんなのゴロゴロいるの? コワイ! と間違った警戒してしまっても不思議なことではないだろう。
何しろこの三馬鹿、道中襲いかかってくる盗賊や魔獣をほぼ瞬殺で仕留めてくるのだ。それを前に、シャノンは自分の価値観が崩れていく音を聞いたぐらいである。
とは言え、だ。
その戦闘力は彼女から見ても異常であり────同時に魅力的である。
『解凍』という謎の言葉で魔術を速射して圧倒するジオグリフ・トライアード。
同じ武人からしても異様な機動力と近接能力を含めた魔道具による手数の多さを見せるレイター。
ハンマー振り回したり意味の分からない魔道具開発したり|なんかよく分からない趣味人《影の獣封印中》のマリアーネ。
なにか変な評価の馬鹿が一匹混じっているが、一人一人がまさしく一騎当千の猛者のそれ。彼等を味方につけられたのなら、この国家の危難を乗り切れるのではないか────と、シャノンが考えても仕方のない話なのだ。
だからこそ、ラドック伯への訪問に彼等も誘った。
「あの、三人とも分かってるよね? くれぐれも…………」
「あーはいはい、無礼を働くなってんだろ? 俺は平民だし、黙って頭下げてるさ」
「どの道喋るのはジオだけですわ。貴族でもない私達は相手にもされないでしょうし」
「見つかると良いんだけどねぇ、あの子達」
だが、いざラドック領へと着いて三馬鹿を引き連れて城へと歩を進めていると、妙に不安が鎌首もたげてくるのだ。本当にこいつ等ラドック伯に会わせて大丈夫? 処されない? と。
のほほんとお上りさんしつつ気楽な返答をする三馬鹿に、言い知れぬ不安をシャノンが抱きつつ城下町の中央へと足を向ける。そして、ラドック領の中央にある城門へと辿り着いた時であった。
「んお? 随分飛ばす馬車が来たな」
最初に気付いたのはレイターである。
一行の後ろの方から馬車が走る音が聞こえてきて、危ないからと道を開ける。青塗の如何にも金が掛かった馬車で、すれ違う時に見えたのはラドックの雪華を模した家紋。三馬鹿は件のラドック伯の馬車かな、と思っていたのだが。
「まさか…………」
すれ違いざま、シャノンは馬車の窓から見えた人物に瞠目した。赤混じりの銀の長髪。憂いを帯びた表情に輝く瑠璃色の瞳。流れた視界の中で、僅かに捉えたその特徴。忘れるはずもない。間違いなく彼女だと、認識よりも先に心が確信に至る。
「おーい?」
「顔色悪いけど、大丈夫?」
「どうしましたの?」
だから彼女は駆け出した。最早三馬鹿の言葉すら耳に入らない。城壁に沿って走る。幸いにして、城門までそれほど遠くない。馬車に少し遅れるようにして、城門へと辿り着くが。
「止まれ貴様! 何者だ!!」
当然、城門にて門番によって阻まれ誰何される。
だが、馬車を迎え入れるために開け放たれた城門────その視線の先、門番達の肩越しに馬車を降りようとしている守るべき主君の姿が見えたのだ。礼儀や常識を定型通り踏襲出来るほど、今の彼女に余裕など無かった。門が閉じよりも早く、彼女の元へ駆けつけてその安否を確認したいと思った彼女は。
「アルベスタイン第一騎士団所属、近衛のシャノン・イルメルタ! 不躾ながら、押し通らせてもらいます! ────反転!!」
だから足を止めずに門番へと突撃した。
背中にマウントした槍に手を触れて、起動式を口にすれば蒼の燐光が溢れる。同時に、全力で踏み込んだ震脚がその効力を受けて反転。地面に叩き込んだ体重と脚力、重力すらも反転せしめ、全てのベクトルが上へと向かう。
結果、起こるのは大跳躍だ。
『なっ!?』
門番達の頭上を倒立反転跳躍しながら飛び越えて、弾丸のように城の中庭へと到達。その騒ぎに気付いたのか、中庭に配置された兵達も臨戦態勢へと移行するが────。
「シャノン…………!?」
それより先に、馬車を降りたシャノンの主君────ルミリアが気付いた。
「ルミリア様!」
だからシャノンも駆け出して────離れ離れになった主従は、互いにボロボロになりながらも、一週間振りに再開を果たしたのだ。
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さて、こうしたシャノンの行動は色々と、特に儀礼的に問題が多かった────が、国家の主であるルミリアが受け入れている以上、一地方領主とその配下には身動きが取れず、戸惑いとともに一種の膠着状態が生まれた。
そう、生まれてしまったのだ。
一つの主従が周囲の空気など気にも止めず、涙を流しながら再会を喜んで抱き合っている────その一方で。
「あら? あらあら? あらあらあら?」
生まれた膠着状態の為に、未だ開け放たれたままの城門越しに、一人の馬鹿が《《それ》》を見てしまっていた。
「まぁまぁまぁまぁ…………!」
姫と女騎士────少女と少女が、泣きながら抱きしめ合っているその姿を。
「キ、キ、キ…………!」
あー、とその百合豚の様子を見た馬鹿二人は天を仰ぎ見て、額に手を当てる。
「先生。俺、この後の展開が読めたわ…………」
「奇遇だね。僕もこの後どうなるか気付いたよ」
せーの、と二人が言葉を貯め、叫ぶ。
『絶対巻き込まれるヤツだコレ────!!』
「キ・マ・シ・タ・ワ────────────────────────!!!」
尚、隣の百合豚は胸に手を当てて恍惚とした笑みを浮かべていた。
やはり、どれだけ面倒ごとを回避しようとしても、この三馬鹿は成り行きには抗えないようであった。
続きはまた来週。




