第三話 マリアーネの露天商と槍の乙女
アルベスタイン王国の北東に位置するアドの街は、王国内を走る大動脈の交差地点である。
元々は宿場町であり、そして他国へ渡る場合、最後の大規模補給地点となるためにここに逗留、あるいは拠点とする者も多く、人の流入が多いために古くから発展してきた。
最近の情勢不安定の影響で国内は荒れているが、アドの街がまだ不景気で留まっているのはそうした独立独歩の姿勢があったからだ。そんな不景気の波の中でも、他国との通商が近いこの街は今でもそこそこの活気が残っており、そうした雑踏の中で一際大きな声が響き渡る。
客引きの声だ。大通り沿いの露天市場の一角で、銀髪に赤を基調としたドレスを身に纏った少女が、釈台をぺしぺしと張り扇しながら人に声を掛けて衆目を集めていた。透き通るような少女の美声に、道行く人達は何だなんだと野次馬を成していく。
「さぁさぁ寄ってらっしゃい見てらっしゃい! はるばる南東、レオネスタ帝国から仕入れた商品の数々をお見せいたしますわー!」
マリアーネである。釈台の前に手持ちの商品を広げて、売りつける算段らしい。彼女は一つの小瓶を手にとってすらすらと講釈を垂れ始めた。
「まずはコレ! 名を天女の化粧水! レオネスタは西、ガルグ山脈の麓にあるヨーレイの滝は別名、天女の滝と呼ばれてます。その天女の滝から採取した霊験あらたかな神水を元に作られたこのお化粧。つければ効果は立処! シミ・そばかす肌荒れから夫婦仲、何でも治って皆様の未来は薔薇色間違いなし! 効果が心配? でも大丈夫ですわ! このお化粧。何と制作は昨今飛ぶ鳥を落とす勢いで急成長しているアトリエ『フォミュラ』が携わってますの。今なら何と天女のフェイスパウダーまで付けちゃう! やだマリーちゃん太っ腹! ────はい、皆さんご一緒に」
『やだマリーちゃん太っ腹』
「誰が太鼓腹ですか!────さてそんな訳でしてね、ここに用意した化粧品を始めとした品々。今日ここにいる皆様だけにお安くお譲りいたしますわ。まずは銀貨一枚から!」
そんな露天商の働き振りを、ちょっと離れた位置で観察する少年がいた。
(流石前世は商社勤め。アレで根っこはヒキニート一歩手前のコミュ障だったとは誰も思うまい…………)
ジオグリフである。
アドの街に辿り着いた三馬鹿は、それぞれに別れて行動を起こした。マリアーネは商売でこれから先必要になるであろう路銀の確保。レイターは冒険者ギルドへ。そしてジオグリフは街で情報収集に赴いたのだ。ある程度聞き込みをして、戻ってきた所でマリアーネの客引きに出くわしたのである。
(仮面付けるの得意だからねぇ、マリー。…………まぁ、過去の経験を考えれば仕方がないことだけどさ)
マリアーネだけに限らず、三馬鹿はそれぞれの抱えている闇を互いに知っている。この世界に来てから再集合し、色々話す内にピア・カウンセリングのようになって、その胸の内を吐露したのだ。
前世は前世、それより今生を楽しく生きようぜ────と、簡単に割り切れるほど、彼らの精神性は幼くなかったし、培ってきた人生も恵まれていなかったからだ。ただ一人での転生であれば、もう少し鬱屈した新たな門出であったと三人は思っていた。
三人揃っているから馬鹿ができるのだ、とこんな面倒なことに巻き込まれても付き合っているのはそんな事情がある。
「おう、先生。どうだよ?」
「ああ、おかえりレイ。そっちは?」
しばらくマリアーネの商売を眺めていると、横合いから声を掛けられた。ジオグリフが視線を向けると、レイターがいた。尋ねてみれば、彼は首を横に振った。
「やっぱ駄目だな。ギルドカードが無ぇと依頼は受けられねぇ。再発行するにゃここの冒険者ギルドへの移管作業が必要で、その移管作業自体は出来るが、ここアルベスタイン王国だろ? 申請しても最速で二ヶ月は掛かるってさ」
三馬鹿の職業は冒険者である。
なので路銀を稼ぐのならば依頼を受けた方が堅実且つ手っ取り早い。だが、ギルドカードは帝国の拠点に置いてきてしまった。身分証を兼ねているこれが無いと、街への入場も割高になってしまうので、このアドの街へ入る時も難儀した。
事情を話して再発行か仮発行して貰えないかレイターが交渉しに行ったのだが、彼が言ったように可能は可能だが身分確認の為にレオネスタ帝国の帝国支部との書類の遣り取りをする必要があるそうだ。国を跨ぐので完了するのに最速で二ヶ月。酷い時には一年ぐらい掛かるらしい。三馬鹿は現在進行系で金が無いので、そこまで待ってはいられない。
「既にカードがあるのに新規登録すると、二重発行がバレた時に元のカードまで剥奪されて永久に登録できないらしいからね。再申請するにも最初に発行した帝国のギルド行かなきゃだし…………」
「そもそもこんな状況を想定してる方がおかしいわな。しっかし、となると適当な人足しながら帝国を目指す方向が良いか」
「そうだね。こりゃ行く先々で日雇いする羽目になりそう。三馬力だからなんとかなるだろうけどさ。…………後はマリーの資産がどこまで売れて楽できるかだけど────」
チラッと口上を垂れ流すマリアーネに視線をやるが。
「では銅貨三枚! 持ってけドロボーですわぁ────!!」
どんどん値下がりしていくが、誰も買おうとしていなかった。
「こりゃ厳しいかもね…………」
「だな…………」
どうやら商売は芳しくないようである。
●
その夜の事である。
「えぐえぐ…………私の、私のお洋服が、宝石が、化粧品が…………こんな二束三文に…………」
場所を移してアドの街の安宿の一角で、マリアーネが体操座りで横になって不貞腐れていた。手持ち不如意なので、格安の四人部屋を取ったのだ。
あれから、結局マリアーネの所持品が露店で売れることはなかった。仕方がないので街の質屋へ行き、そこで換金してきたのだ。結構な数を売ったが、それでも僅か金貨五枚。日本円にして五十万と言えばそうでもない気がするが、見知らぬ他国に放り出された上に三人分の旅費となれば、これでも些か心許ない。
「足元見られてんなぁ」
「違うよ、レイ。露天に来るような庶民じゃ手が届かないし、質屋だってちゃんと目利きした上で値付けしてる。今のこの国が貧しいんだ」
マリアーネが全出資したアトリエ『フォミュラ』の品々は前世知識も入っているので質が高い。これは足元見られてぼったくられたな、と思ったレイターだがジオグリフが否定した。
「そうなんか? 先生」
「うん。元々、アルベスタイン王国って魔石の産出で成り立ってた富裕国なんだけどね────」
アルベスタイン王国は建国数百年の歴史を誇る大陸の老舗である。
建国当初から魔石が特産品であり、それは魔獣から採れるものよりも品質が良く、且つ均一で供給も安定していることから世界中の魔術ギルドや錬金ギルドからの評価が高い。どういう仕組みかは国家機密になっているのでジオグリフも詳しくは知らないが、魔石が採れる鉱脈の制御権を王族が握っているらしい。
だが近年、その制御に失敗したのか魔石の流通量が急速に先細って、途絶えた。ある時を境に一気に流通しなくなったので、世界中が混乱に見舞われた。とは言え魔石は魔獣からも採れるので、他国は冒険者の地位を上げることで賄えた部分もある。
問題はアルベスタイン王国である。魔石採掘は当然、それに係る産業が軒並み頓挫した。消費が冷え込み、景気が急減速。経済が回らない影響で、それをカバーするためにかなり無茶な政策を取った。挙句の果てに、こんな大事な時期に王が病死したためさらなる混乱を呼んでいる。
「なるほどな。魔石が採れなくなって、主要産業頼りだったからもう後は国を切り売りするしか無くなったってわけか。石油だけで栄えた国で石油が枯れた、みたいなもん?」
「言い得て妙だね。お陰で随分不穏な噂が多いよ。最近、宰相派がクーデター起こしたとか最後の王族の妖精姫が逃げ出したとかさ」
「うへぇ。くわばらくわばら…………そんな情勢不安な国にいたくねーわ」
「同意だね。だからとっとと抜けるに限るんだけど…………」
チラリ、とジオグリフが未だベッドで不貞腐れるマリアーネに視線を向けるが、彼女は未だに『ありえませんわ…………こんな安値でウチの商品を売るなんて…………』とか『帝都に戻ったらあの質屋敵対的買収してやりますからね…………覚悟しやがれですわ…………』とか不穏な言葉を呟いている。
「おい姫。いい加減不貞腐れてねーで話し合いに加われ」
「んぎゅっ…………」
呆れたレイターがその首根っこを掴み、車座へと放り込むと、マリアーネは観念したようにため息をつき。
「で? どうするんですの?」
「これ、レイが買ってきてくれた簡易地図なんだけど」
「うう…………私のお洋服がこんなボロ紙に…………しかも何ですかコレ、子供の落書きみたいですわ」
「仕方ないじゃないか。精度の高い地図は戦略物資だし、大雑把に分かるだけでもありがたく思わなきゃ」
「それで、今、俺等はこの辺。アルベスタイン王国の北東辺りにいる訳だ」
ボロボロの地図を覗き込むレイターが、現在地であるアドの街を指で示す。幾つかの主要街道も記されているので、そこから南西の帝都に帰るとなれば直進するか南回りになる。北回りルートもあるが、険しい山越えをしなければならないので現実的ではない。
「直行するとなれば、単純に直進して王都経由で南西に抜ければ一番早く帝国に帰れるんだけど…………」
「さっきの情勢不安ですの?」
「そう。宰相派がどこまで掌握しているかは知らないけれど、こういう内乱の場合、保守派勢力が現れてってのが常道だ。そして間違いなく出てくる」
「確信してますのね?」
「内乱を民が歓迎していないのと、実際に暮らしが貧しいままだからね。僕もさらっと情報収集はしたけれど、宰相派の貴族達は腐敗貴族の集まりだよ。いい噂の一つもないとか情報統制もロクにしてない。実家の近くにそんなのいたら、兄様達の教育に悪いから速攻でしばくくらいには気に入らない連中だね」
昼間の内にした情報収集で、王権派貴族や官僚を放逐して宰相派が中央集権を進めているのが分かった。しかしどうやら政権の根拠となる最後の王族────妖精姫ルミリア・エル・アルベスタインを取り逃がしてしまったようで、今現在血眼になって捜索しているらしい。
そして姫が王権派に流れたのならば、間違いなく旗印となって王権派が蜂起し宰相派とやり合うだろう。
「となると、今度は保守派勢力が何処から旗を上げるか、だけど…………正直分かんない。ただ、決戦をするなら間違いなく王都だ。だから、王都直行ルートはかち合う可能性が高いからやめた方が得策だね。安全な街道沿いを通るなら中央の王都を避けて、南ルートから回り込むようにして行ったほうが良いと思う」
そもそも神輿とするべき妖精姫が何処にいるか分からないのだ。彼女が何を思って逃げ出したのか、その護衛はどれぐらいいるのか、そもそも再起する気があるのかすら分からない。
「流石の先生も他国の貴族の力関係は知らんわな…………」
「悪いね。ただ、集めた情報で一番可能性がありそうなのはラドック辺境伯かな。帝国と領土が接している事もあって、元々武門の家柄で生粋の王権派。当主は早逝したらしくて現当主はその奥方が代行しているみたいだけど、中々の女傑らしいのは帝国貴族の中でも有名だよ」
「…………帝国に帰ろうと思うと、通りますわね。ラドック辺境領」
「他のルートは…………無くはないが、北の山越えルートと東から他国を経由する大回りルートで手間と時間がかかりそうだぜ」
「ねぇ、ジオ。コレ、巻き込まれないですの?」
話を聞くに、自身の力となりそうなラドック辺境伯の所に件の姫が流れないかと懸念するマリアーネにジオグリフは腕を組んで唸る。
「うーん…………正直、どっちにしろタイミング次第な所があるんだよ。まぁ決戦は王都だろうし、僕達が抜ける前に出立してくれるか、抜けるまで蜂起しないことを願おう」
いずれにしろ内乱が本格化する前に国を抜けたほうが良いと思う、と彼は語った。
「なんかフラグが立った気がしますわ…………」
『やめれ』
尚、この不穏な言葉は見事に的中することになる。
●
さて、その翌日のことだ。
ルートを策定し、主要街道を南へと向けて徒歩で歩く三馬鹿がそろそろ昼にするか、と一息付ける場所を探していた折────。
「ん?」
「おや?」
「あら?」
甲高い悲鳴と共に、盗賊の襲撃を受ける商隊と出くわした。商隊と言っても小規模だ。おそらくは親族経営なのだろう。年若い少年少女もいる。一応少数の護衛はいるが、相対するのは数十人規模の盗賊だ。単純に考えれば分が悪い。
三馬鹿も加勢するか、と身を構えたが────。
「んー…………多勢に無勢って思ったが、こりゃいらねぇか? 手助け」
「一人でどうにか出来そうだよね…………。山賊の仲間と思われても嫌だし、放って置く?」
何人かいる護衛の中で、一際強い槍使いがいたのだ。
鳶色の髪を三つ編みにした可憐な少女だ。150センチ程度の小柄な身体だが、身の丈を超える蒼い槍を巧みに操り、迫る盗賊達を次々に降していく。外套を羽織ったその少女が槍を振り回すたびに、まるで舞っているように見え、それだけで熟達の槍使いだと判断できるぐらいには実力が見て取れた。
正直、盗賊に身を窶すような有象無象相手には遅れなど取らないだろう、とジオグリフとレイターがスルーを決め込もうとすると。
「何を言ってますの? そこの馬鹿二人。美少女は助けるに決まってるじゃないですか」
馬鹿が唐突に元気になった。ついさっきまでは昨日の件を引きずって不貞腐れていたのに、現金な女である。
「かぁー、相手が女と見ると姫はコレだからよぉ」
「欲望に忠実なのは良いけどさぁ」
泣いたカラスがもう笑った、と二人が呆れるが馬鹿が力説する。
「甘いですわね。良いですこと? この世界はゲームじゃないんですのよ? 魔獣も山賊も、決められた場所からポップするわけではないのです。つまり、必ず寝床や拠点が在るもの。そして────私達は現在、金欠…………! 圧倒的金欠…………!!」
『君のせいだろっ!』
二人の突っ込みを無視して、馬鹿はドヤ顔で続ける。
「昔の偉い人は言いました。盗賊は資源と。大手を振って正義を行使し、チンピラ虐めてストレス発散しつつ、盗賊の拠点を聞き出しこれを強襲。溜め込んだお宝を強奪…………もとい、徴発…………ではなく、再利用させていただきましょうという完璧な作戦ですわ!」
「何処のドラまただよ」
「その内『盗賊殺し』の異名で呼ばれそうで不安だなぁ…………恐れ多いよ」
「えぇい、黙らっしゃい! お金が無いのは首が無いのと一緒! 冒険者活動も出来ないんですから他に手がありまして!?」
「それはそうだけどさぁ…………」
「姫? 本音言ってみろよ」
「ぎゃんかわ美少女とのアバンチュール万歳!」
『だと思ったよっ!!』
「いいから行きますわよ! そこのけそこのけ異邦人が通る、ですわぁっ!!」
結局の所、自らの欲望に忠実な馬鹿がいつも通り暴走を始めた、ということである。
「全く、急に元気になるんだから。────解凍」
テンションをぶち上げて駆け始める馬鹿に二人も渋々と続き、その折、ジオグリフが魔術を一つ展開した。手にした大杖の頭から、湾曲した光の刃が生えたのである。元々禍々しい形状の杖だったので、それはまるで死神の鎌のようであった。
「お? 珍しいな先生が近接なんて」
「ほら、邪神ちゃんの時にストック全部吐き出しちゃったでしょ? あれから暇見てまたチマチマ貯めてるけど、行く先々で貯めた先から使ってるもんだからやっぱり消費が多くてね。ならちょっとでも節約しないとって」
「それでその光の大鎌ね。どんどん板についていくじゃねぇか。────魔王プレイが」
「言わないでよ。ちょっと気にしてるんだから」
余談だが、このようにして光属性の魔術を近接武器として使うに、候補は他にも光の槍だとか光の大剣だとか色々あったのだ。しかしラティアに披露した際、一番褒められたのが大鎌だから調子に乗ったジオグリフが魔術をいじくり回した結果、光の大鎌で最適化してしまったらしい。
実際切れ味も良く、光波として飛ばしたり、飛ばした光波を散弾にして面制圧できたりと大抵の戦闘はこの魔術一つで片付くので節約に一役買っているのがもどかしい、とは前世ジオグリフさんの言である。
「ちょっとそこの馬鹿二人! 遊んでないでちゃっちゃと行きますわよ!!」
「なぁ、先生。あの馬鹿そろそろシメたほうが良いんじゃね?」
「そろそろリーダー権限で罰ゲームでもさせようかな…………」
そんな苦悩を知る由もないマリアーネの言葉に二人して白い目を向けるが、当の本人は。
「待ってなさい美少女────!」
浮かれポンチになっていた。
次回更新は来週。




