第二話 ここはどこ? 我々は三馬鹿!
ふと、自らの成り立ちを振り返った時に、その発生原因を特定することは出来なかった。
ただ、何かの願いから生まれたのは分かる。
けれど、何を為せば良いのか分からなかった。
困惑し、ただただ過ぎゆく時の中でそれは出会った。
唐突で、突然で、脈絡が無かった。
認識としては上位の存在。言葉の上では神と呼ばれる者。この世界の創造主。
神は言った。
「驚きました。貴方のような存在が、まさかこんなに早く自己を確立するだなんて。この世界、まだ人の祈りも無いんですけれど」
それは理解した。自分はイレギュラーな存在なのだと。イレギュラーは世界のシステムにバグを生み出す。ならば消されるべきだ。
「わー! 待って待って! すっと消え始めないで! 別にいてもいいですから! いえ、最終的にはいてもらわないと困りますから!!」
この世界の母にして父、そしてそれの存在を初めて認めた神────固有名、リフィールは何だか慌てていた。
●
ぱちん、と電気が走ったかのように意識が覚醒した。
「ここは…………?」
マリアーネが瞼を開くと、そこには抜けるような青空と木々の枝があった。むくり、と身を起こして周囲を見回してみれば木々生い茂る深い森の中だ。先程まで都会にいたのに、いつの間に森の中へ移動したのだろうかとマリアーネが首を傾げていれば。
「マリー。目が覚めたかい?」
「全く、呑気なもんだぜ」
「ジオ? レイ?」
近くにジオグリフとレイターがいて、それぞれに周囲の観察や装備の確認やらをしていた。
「どこですの? ここ」
「そりゃこっちが聞きたいかな。レイ、どうだった? ここ、帝国内?」
「さらっと調べてみたが、この時期の気温と植生、それから小動物を見るに北の方だと思うぜ。少なくとも帝国内じゃねぇわ」
「北、か。帝国周辺だったらマルベール公国、メイザル共和国、アルベスタイン王国なんかがあるけど…………近場だったらいいなぁ。全く、ランダム転移とかダンジョンの中だけだと思ってたんだけど…………」
「転移…………ですか?」
「状況的に見てね」
ジオグリフが言うにはあの謎の光に包まれた後、気づけばここにいたらしい。
「私達だけですか? 三人娘は?」
「俺等だけだ。あのまま帝都に残っているか、それとも同じようにあの転移に巻き込まれたか…………」
「僕達と同じように巻き込まれたのなら、ラティがいるはずだから大丈夫だとは思うけどね。三人とも、自衛ぐらいは出来る力はあるし」
「案外ドライですわね…………」
「心配は心配だよ。ただ今、僕が人並みに焦った所であの子達の所へ行けるわけじゃないし、現状を正しく認識してるだけさ」
ラティアはあれで氏族からエルフと他種族の折衝を任されるぐらいには世渡りに通じているし、人間換算では十代半ばであるが実年齢は四十だ。特殊性癖さえなければ三人娘の中で一番大人である。三馬鹿のように三人纏めて転移していれば、少なくとも路頭に迷うことはあるまい、との判断だった。
「つーか姫、アレ何だ?」
「アレ?」
「多分、ここに飛ばされたであろう原因さ。あの時、君の背後に現れた魔法陣だよ。────君、一体何を呼び出したんだい?」
「と言われましても…………私、あの時、別に召喚術は使いませんでしたわ」
レイターの問いに、マリアーネは首を傾げジオグリフが補足する。だが、マリアーネには何のことか分からなかった。少なくとも彼女は召喚の鍵となる短縮詠唱すら口にしていなかったのだ。
無詠唱が禁忌であるこの世界で、しかも特に魔導の深淵に通じていないマリアーネでは起動式の詠唱も無しに召喚などできようはずもない。
「召喚術を使わなかった? じゃぁ事故か? それとも七十二の獣がマリーの制御から外れた…………?」
ぶつぶつと考察を始めるジオグリフを他所に、マリアーネはレイターに水を向けた。
「結局あれ、何だったんですの? 私、確認する前に光に包まれたので何が起こったか分からないんですの」
「俺等もだよ」
「は?」
「あの時、何かがあの魔法陣から現れた。それを俺等は確かに目撃した。だが、それが何だったか覚えちゃいないんだ。俺達は姫みたいに気を失わなかったからほんの数分前のことなのに」
「記憶…………いや、事象を司っているのか? 在ったことを無くした? いや、マリーの魔力量を考えればそこまでの出力は出せないはず…………なら、何か別の能力か…………? 待て、じゃぁこの転移現象はなんだ?」
ジオグリフの独白────特に、記憶という部分に引っかかりを覚えたマリアーネは、それを口に出してみた。
「まさか…………その姿は、黄金の蜘蛛でしたの?」
『何て?』
「ですから、黄金の蜘蛛」
『はぁ?』
「黄金の蜘蛛と言ってるでしょう?」
何度か口に出してはみたが、ジオグリフもレイターも首を傾げるばかりだ。急に難聴系主人公になるんじゃねーですのこの馬鹿共、とマリアーネは呆れるが────。
「いや、姫。何急に知らない言葉で話すんだよ」
「あ、レイにはそう聞こえるんだ。僕には完全にマスクされてるよ。言語として認識できない出鱈目な音律だ」
まさか、本当に言葉が通じなくなっていたとは思わなかったマリアーネは絶句した。
「試しにマリー、地面にその言葉を書いてみて。そうだな…………僕達だけが理解できる日本語で」
「え、ええ…………」
ジオグリフの言葉に従って、マリアーネは手近に転がっていた木の枝を使って地面に『黄金の蜘蛛』と日本語で書いてみた。マリアーネには少なくともそう見えるのだが、どうも二人は違うようで。
「おぉ? どうなってんだこれ、地面にモザイク掛かってんぞ」
「認識阻害…………。それも姿形だなんて人が使うものじゃない。名前を含めた存在そのものに掛かってる」
『つまり?』
「存在が十八禁」
「何だ、驚いて損したわ。────姫と同じか」
「ちょっとレイ!? それどういう意味ですの!?」
「隙あらば色欲方向に話が飛かける普段の行いを見直してみたら? で、それの事だけど、身に覚えがあるの?」
「いえ、私にも分からないんですの。昔に一度だけ呼び出したことがあるぐらいで、以来、すっかりその存在も忘れていたぐらいで」
マリアーネは黄金の蜘蛛との接触から何から語ってみせるが、ジオグリフは腕を組んでしばし瞑目し、やがて首を横に振って諦めた。
「……………駄目だ。情報が少なすぎる。お手上げだね」
「先生が無理なら俺にも無理だな。じゃぁ、取り敢えず原因は横に置いて、帰る方向にするか。────先生。転移魔術、なんて便利なものはねーのか?」
「あるよ。机上の理論だけど。魔道具も施設もない状態でやろうとすると、難易度は始祖魔術に相当すると思って」
ジオグリフはこの世界の成り立ちが前世の地球────即ち惑星になぞらえて作られていることは既にほぼ確信していた。その上で転移の魔術を考えた場合、どうしても自転や公転の影響は避けられない。それらを一切無視する方法はあるにはあるのだが、今度は転移先に大規模な仕込みをするか時間転移をするかしか無くなる。
そしてそれは、いずれも現時点では現実的ではない。
「第零術式ですか。例の『幻想侵食』と同じレベル…………因みにジオ、今、魔術のストックは?」
「大体全盛期の一万分の一かな。これでもこの一ヶ月で一から増やしたんだよ。ストック無いの不安だったからさ」
望む全てを叶えるというあの魔術ならば可能なのであろうが、それを行使するための魔力量は魔導士として規格外なジオグリフをして十年分である。それも一月ほど前に使い切ってしまっていて、今の彼はちょっと強い魔導士程度であるらしい。
まぁ無い物ねだりをしてもしかたがない、とジオグリフは吐息してレイターに声を掛けた。
「取り敢えず、人里を目指してみよう。まずは当てずっぽうでも良いから頼むよ、元トラックドライバー」
「ここが帝国の北だと仮定すんなら、大雑把に南に行けば良いんだろ? んで、木の年輪が向こうで日差しがこっちだから────よし、まずはこっちへ飛ばしてみるか」
するとレイターは右腕につけていた聖武典に魔力を通す。一瞬だけ震えるようにした後で、ぽてりと水銀のように地面に落ちた聖武典は、くねくねと形を変えて金属の蜘蛛となって森の南へと駆けていった。どうやら偵察の代わりらしい。視界を共有するドローンのようなものなので、確かに向いた役割だろう。
「あぁ、そういう使い方も出来ましたわね、それ」
「使ってる間は俺が無防備になるし、行けるのも魔力の限界までだけどな。最悪、体力使わないでマッピングできりゃ生存率も上がるだろ」
「ふむ…………じゃぁ、私も」
「待って」
それもそうですわね、とマリアーネが頷いて自身も影の獣を使って別方向に偵察をさせようとしたが、ジオグリフから待ったが掛かる。
「何ですの?」
「今回の件、君の召喚術が原因なのは分かってるんだ。少なくとも、あの魔法陣はマリーの魔力で作られていたから。君自身のことを疑うわけじゃないけれど、僕は君の召喚獣達は疑ってる。しばらく、迂闊に使わない方が良いと思う」
「…………それもそうですわね。いえ、ジオの言う通りですわ。私、結局あの子達の事はほとんど知らないですし」
その静止に、マリアーネはしばし考えた後で了承した。
ソロモン七十二柱の名前を冠した影の獣。それに因んだ能力や姿を持ってはいるが、それそのものではない。そもそも、何故異世界由来の悪魔がこの世界で現出できるのか、一体でマリアーネの総魔力量と拮抗、あるいは凌駕できるのに何故彼女に従うのかも不明。
少なくとも、この転移現象の原因が特定できるまでは使用を控えた方が良いという意見には賛成だった。
「お? 街が見えたぜ」
それからしばしして、レイターが声を上げた。
「早いですわね」
「どんな感じだい?」
「こっから直線距離で大体七キロ先ぐらいか。まぁ森の中を歩くからちょっと足場が悪いが、ゆっくり歩いても俺等なら一時間ぐらいじゃね? 街はそこそこデカい。少なくとも寝床や情報ぐらいはどうにかなりそうだ。…………カズハ達には会わなかった」
「向こうも子供の集まりじゃない。なら僕達と同じように最初は人里を目指すと思う。あの転移に巻き込まれているなら、その内行き合うさ」
「そだな。…………しっかし、先行き見えたら腹減ってきたな。先生、収納魔術に何か食いもんねぇか? 最悪食材あれば出発する前になんか作ってやるが」
「悪いけど無いよ。整理に後数日は掛かる予定だったから。今、収納魔術の中はスッカラカン」
「マジかよ。じゃぁ、姫。なんか無いのか?」
「私の収納魔術、ジオみたいに青天井レベルの容量はないんですの。お洋服やお化粧品とか必需品を色々入れたらもう無い────」
どうやらなんとか人心地つけそうだ、と三馬鹿が安堵に胸を撫で下ろした時であった時であった。マリアーネがふと、あることに気づく。
「────ジオ。貴方、今、収納魔術の中身、スッカラカンと言いまして?」
「そうだよ。資材から食料から金銭から何から何までスッテンテン。着の身着のままで、荷物は君に拉致られる直前まで手に持ってたこの杖ぐらい」
その事実に気づいた時、マリアーネはだらだらと脂汗を流し始めた。
通常、冒険者は自分で荷物を持つか荷物持ちを雇うのが一般的である。ところがこのシリアスブレイカーズ。リーダーのジオグリフが異次元の広さを誇る収納魔術を持っているので、資材から食料から一切を任せていた。
一応、討伐や探索依頼の時にはそれぞれに最低限の荷物は持つが、基本的にパーティの共有財産はジオグリフ任せである。故に今朝からジオグリフが数日掛けて収納魔術の整理を行うと聞いていた彼らは、冒険者活動自体をしばらく休むことにしていたのだ。
念の為、という取り決めでこういう場合、少ないながらも同じく収納魔術を使えるマリアーネがサブの役割を持たされているのだが────。
「────姫。何をやらかした」
「えっとぉ…………そのぉ…………この間、ベルチューレに寄ったじゃないですか、私達」
「そうだね」
「元気してっかな、フォーティのヤツ」
賭博都市ベルチューレでの出来事を振り返る二人に、馬鹿はしたり顔で頷く。
「その時に、私、手持ちの全財産の殆どスッたわけですわね」
「あれは賠償だからギャンブルの結果じゃないよ」
「やめとけ先生。多分、そうしておかないときっと心の平穏が保てないんだろうさ」
その記憶の改竄に速攻で突っ込みを入れるが、マリアーネがつんつんと人差し指同士を突いて言いにくそうにするものだから、嫌な予感が押し寄せてきていた。
「それで、ですわね。それから、預け先から銅貨一枚も引き出していない訳でして…………」
『まさか…………』
案の定、その予感は的中した。
事ここに至って遅ればせながら馬鹿二人も事情を察した。マリアーネは元々自分で商売をしているからかなりの資産家だ。それは先のベルチューレで金貨二万枚をポンッと出したことからも伺える。だからジオグリフもレイターも、取り敢えずマリアーネがいれば金の心配はないなと高を括っていたのだが。
「これが私の全財産ですの…………」
ちんまり、と出てきた銀貨数枚である。日本円で数万円程度。ここが何処かは知らないが、国を跨ぐぐらいの旅をするなら些か────否、かなり厳しい。
見えたはずの先行きに、急に暗雲が立ち込め嵐になった。山の天気は変わりやすいとは言うが、馬鹿の人生も同じようである。
「ど、どうすんだよ! 俺収納魔術使えないからマジで無一文だぞ!? 荷物なんざ聖武典以外は全部自分の部屋だし、ギルドカードも無ぇから金も下ろせねーし依頼も受けれねぇ!!」
「ぼ、僕だって財布もギルドカードもないよ! 整理中だったし、こんなことになるだなんて思ってなかったし!」
『これが本当の意味でのキャッシュレス!?』と頭を抱える馬鹿二人。
尚、マリアーネもちょっとした悪戯のつもりで騒ぎを起こしていたので、ギルドカードや何やら手荷物は自室である。なんとこの三馬鹿、能力はあるのに冒険者活動という手段まで失ってしまったようであった。
『マリー?』
「ぴぃっ!」
そんなやり取りを余所にちょいと戦略的撤退、とばかりにそろりそろりとその場を離れようとしたマリアーネの肩に、馬鹿二人の手が掛かる。
「よぉし、分かってんだろうな? 姫」
「こんなことに巻き込んだ責任、取ってもらうよ?」
「ぐ、具体的には…………?」
『他の金目の物を売る』
言うまでもなくマリアーネ所有の、である。
「い、いやですわ…………しゅ、収納魔術の残りは服とか装飾品とか化粧品とかの必需品…………乙女の嗜みですのよ!?」
『売れば多少の金になるだろ!?』
「ふぎにゃぁぁあああぁぁあっ!!」
それを売るだなんてとんでもない、とばかりに抵抗を試みるマリアーネではあったが、数の暴力に抗うことは出来ずに収納魔術の全てを吐き出す羽目になったのだった。
まさか異世界転生してまで『おい、ちょっと飛んでみろ』をされるとは思わなかった────と、彼女は後に語ったそうな。
次回も来週。




