序章 逃亡者、二人
新章開始。
こっから長編ですよ。
夜の闇をかき分けるようにして、森を駆ける一つの人影があった。
アルベスタイン王国の主要街道を大きく外れ、人目を避けるようにして疾駆するその細い影は、一つに重なった二つの影であった。
「ルミリア様! しっかり捕まってて!」
「は、はい………! でもシャノン! 追手がもう…………!!」
夜露を蹴り飛ばすように加速する影に、小柄な影がしがみついているのだ。それは一組の少年少女であった。白銀の軽鎧を身に着けた少年と、薄紅色のドレスを身にまとった少女である。槍を背中の帯にマウントし、両手で少女を抱える少年は少女の言葉に顔を歪める。
長い鳶色の髪を後ろで纏めた中性的な少年────シャノン・イルメルタは思考を巡らせる。既に追手に見つかって一時間程。魔力による身体強化も限界が近い。相手もさるもので、徐々にこちらの手を潰してきて、追い込み漁が如く選択肢が狭まっていく。正直、対抗する手段は数えるほどしか残ってない。
(それでも、どうにかルミリア様だけは…………!)
木々の合間を駆け抜けながら、苦難の中でシャノンの中性的な顔に深い皺が刻まれた。自然で出来た浅い法面を越えるために跳躍。僅かな滞空と共に月夜に照らされて腕の中の少女の顔が見えた。
赤混じりの銀の長髪に瑠璃色の瞳。幼い頃からずっと見てきた鼻梁の整ったその顔は、年々美しさを増してきている。その表情が陰っているのを見て、シャノンは奥歯を噛んだ。
この状況に憤っても仕方がないのは分かっている。それでもこの少女────ルミリア・エル・アルベスタインに降り掛かった苦難を考えれば声を大にして叫びたくなる。この理不尽に対し、槍を向けたくなる。
「シャノン、あと少しで渓谷です。そこまで逃げれば…………!」
「しかし!」
ルミリアの言葉に、残されていた手段が更に限られる。いや、彼女が選んだのだ。となれば最早。
「危険は承知の上です。この危急を抜け、何としても妾はラドック辺境伯領へと向かわねばなりません」
「くっ………! 御意!!」
是非もなし、とシャノンは最後の力を振り絞って森を駆け抜け────唐突に視界が開けた。
行き止まりではある。木々が途切れ、辿り着いたのは断崖絶壁。
百メートルは下────谷の底は、カルトン大河に合流する川が流れている。
狭い渓谷を流れる川だけあって流れが速く、そして荒れている。十分な深さがあるのも知っている。飛び込めば確かに追手を振り切れるだろう。だがこの体力も魔力も限界の身体で、果たしてルミリアを守りながらそれは可能だろうか。答えは不明だ。だからこそ、残された手段で可能な限り避けたかった選択肢だ。
しかし。
「ふん………手間を掛けさせてくれる」
背後から掛けられた声が、それ以外の安全な選択肢を消してくれた。
振り返ると、一人の男が三人の部下を従えて現れた。大柄な男だ。身の丈は二メートルに迫るだろう。黒の髪を短く整え、顔に幾つかの傷を持つ、風格だけで歴戦を思わせる男だ。シャノンと同じ白銀の────しかしこちらは《《アルベスタイン王国第一騎士団長》》という事もあって質の良い鎧を身に纏っている。
その男が、こちらを憐れむように見ていた。
「―――今からでも遅くはない。姫を渡し、大臣に降りな。執り成しぐらいはしてやるぜ? シャノン」
「誰が逆賊なんかに!」
説得と言うには煽り文句のような言葉に、シャノンはたまらず噛みついた。それを見て、躾のなっていない子犬を見るような視線を男は向けて、深く吐息。
「逆賊、ねぇ…………。では王家はどうだ? 国を守れず、民を守れず、飢えさせる王家はその役目に逆らっていると言えんかよ?」
「詭弁を………!」
「詭弁だろうが欺瞞だろうが、どっちでもいいさ。そんなものは立場や見る人間に寄って変わるからな。事の本質は、龍脈の管理を王家ができぬが為に民が死んでいるということだぜ」
男の言葉に、シャノンは言い返せなかった。確かに前回の儀式でルミリアは龍脈の制御に失敗した。初めてのことだったとは言え、その結果、国の経済が傾いて死人が出ていることも知っている。
「青き血、というのはな。ただあるだけでは半人前だ。その血に投入された税金に見合った役割を果たしてこそ一人前。少なくとも、国を傾けた今の王族は軒並み半人前だな。いや、いっそ害悪とも言えるか」
「貴様…………!」
「少なくとも俺は、もう王無き国を目指した方が良いと思っている。だがな、大臣には性急だと諌められたよ。王家の権威をないがしろにしてはいけない。性急に過ぎれば国は内側から破綻するし、龍脈がある以上は未だ王家の血は利用価値がある────故に、大臣はそこの姫に公爵との縁談を組んだろうにさ。嫌がって逃げるんだから、呆れたもんだ」
「それはただの簒奪だろう!?」
「新たな国の起こりとは大体そうだろうよ。全く新しい土地で一人から始めたならともかく、既にある土地で新たな国の前身を打倒するのならさ。それが良い悪いはともかくとして、現状のまま王家だけに国を委ねれば滅ぶことは避けられない。ならば生き残りをかけて、より可能性のある方に賭けるのはそれほどおかしいことかよ?」
「だとしても! このような真似が許されるはずがないだろう!?」
「昔、お前にはこう教えたはずだぜ、シャノン。────人は、全ての選択肢を選ぶことは出来ないと」
「だから、選んで────大臣と公爵についたんですか、リヒター師匠…………!」
「敵に敬語を使うな、とも教えたはずだぜシャノン。殺すべき相手に敬意を向ければ、刃は必然鈍る。お前のような半端者なら尚更だってよ」
そして男────リヒター・セントール侯爵は手にした槍の穂先をシャノンへと向けた。その行動が、シャノンにとって師からの絶縁状だと言わんばかりに。
「いずれにしても、お前らは詰みだ。王族としての責を全うしたくば、その身を捧げろ。それともお前が奪うのか? ────未だに己が何者なのか分からず、フラフラと迷ってる半端者のお前が?」
「くっ………」
シャノンは身構える。問答によって時間は稼いだ。だが、腕の中のルミリアから返事が────。
(シャノン………術式は完成しました)
来た。ならば最早問答は無用だ。
(はい…………必ず、お守りします!!)
シャノンはルミリアを抱えたまま、そして今一度リヒターを睨みつけ────背後へと飛んだ。その先に、足場はない。
「まさか!?」
抱き合ったまま渓谷を流れる川へと落ちていった二人の行く先は、月明かりですら見いだせなかった。
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その身投げとも死中に活とも言える行動に、リヒターは大きくため息を付く。
「はぁ…………。一応、周辺の捜索をしておけ。おそらくは無駄だがよ」
「よろしいのですか?」
「構わんさ。大臣には俺から適当に報告しておく」
リヒターの言葉に、控えていた三人の部下達がそれぞれに散っていった。それを確認してから改めて彼はシャノン達が落ちていった渓谷を覗き込む。百メートル近い高さだ。魔力による身体強化があるとは言え、よく飛んだなー、と感心さえする。
「姫様と落ち延びるにしろ、奮起して逆撃するにしろ────ちゃんと生き残れよ。馬鹿弟子」
苦笑して呟く彼の声音には、弟子と姫の生存を確信するものがあった。
ゴールデンウィークにつき、次回更新は明日。




