第十五話 ラステ伯爵家の受難 前編
本日、カドカワBOOKS様よりこの三馬鹿の書籍版が発売されました。
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マリアーネ・ロマネットには独自の資金源がある。
元々、幼少期から現代知識で無双したマリアーネではあるが、大抵の発明品の権利をロマネット大商会に売り飛ばしている。これには幾つか理由があるのだが、最大の理由はロマネット大商会の後継者レースから外れるためだ。
ロマネット家の家族構成は会長である祖父と両親、それから兄二人とマリアーネになる。そう、奇しくもジオグリフと同じようにお家騒動を懸念したのだ。
ロマネット大商会はマリアーネの発明によって、既にこのレオネスタ帝国において政商と言っても過言ではない程の地位を手に入れている。その後継ともなれば、莫大な資産と太すぎるパイプを継承することになるのである。次の代は父なので安泰だろう。だがその後はどうだろうか。兄弟の多い資産家の骨肉の争いなど、有史以来何処にでもあるものだ。そしてその醜さと碌でもない結末も、マリアーネは腐る程見てきた。兄弟仲が悪い訳では無いが、莫大な利益を考えればどうしたってその先を意識するのは致し方ないだろう。
なので彼女は知識を切り売りすることで早々に降りた。『七光りやボンボンと骨肉の争いをするより、自由にやれる初代の方が辛くとも楽しいですわ』と宣って、発明品を粗方売り払った資産で、自ら全出資の商会を立ち上げたのである。
元々、マリアーネは人手を求めていた。それはゴーレム召喚や影の獣との契約である程度解決の糸口は出来たのだが、それでも『人の手』ほど小回りが利き、更に成長する道具というのは、現代社会ですらそうそう見当たらない。まして機械技術がほとんど未発達のこの異世界では何を況やである。
マリアーネが持つ衣食住全ての現代知識をこの世界に合わせてローカライズし、立ち上げた商会で量産して販売する────そういった名目で作られたその商会の名は、アトリエ『フォミュラ』。
仕事を失って路頭に迷っていた年若い夫婦を拾って育てる事から始まったその商会は、今や帝国全土に根を張る勢いである。販路やネームバリューは他国にも手を伸ばしているロマネット大商会に譲るが、ブランド力と開発力、そして庶民からの支持率はそろそろロマネット大商会を凌ごうとしている程である。
そして設立から六年。
アトリエ『フォミュラ』は新たな事業に着手していた。
「調子は良さそうですわね」
「ええ、会長のお陰です」
「経過報告の資料は受け取りましたわ。貴方も仕事に戻りなさいな」
「はい。失礼します」
ラステ伯爵領の東部から帝都に向かって走るイクヨ街道の一角で、マリアーネはシェフ帽を被った男に頭を下げられていた。周囲には木製のテーブルが並べられており、旅の途中で束の間の食事を楽しむ客で賑わっていた。
周囲には馬車を改造したキッチンカーモドキが隊列を組んで並べられており、その中でそれぞれの料理を作っていた。客はその馬車へと注文しに行って料金を払い、空いたテーブルで食べるシステムだ。料理の内容も節操がない。たこ焼きからお好み焼きと言ったおやつから麺類に定食にと枚挙に暇がない。
まるで小さな横丁である。
「大判焼きをこっちで食うことになるとはなぁ…………」
その一角で、シリアスブレイカーズも昼食がてら一服していた。感心したように周囲を見渡すレイター手にしているのは、あんこ入りの焦げ茶の和菓子────大判焼きである。
「大判焼きじゃなくて、オーヴァンが焼いていたからオーヴァン焼きですわ」
それに対して突っ込みを入れたのは渡された資料に目を通し終えたマリアーネである。何でも、アトリエ『フォミュラ』設立時、最初に拾った若夫婦に最初に任せた屋台が大判焼きであったらしい。
「そのパチモンみたいな名称どうにかならなかったの?」
そのまま大判焼きで良かったんじゃないの? その名称だと二作目でラスボス張りそうなんだけど? と首を傾げるジオグリフに彼女は首を横に振った。
「正式名称で宗教戦争が起きかねませんから、これでいいのですわ」
『あー…………』
マリアーネの言葉に、馬鹿二人が天を仰いだ。
何しろ現代日本では地域によって名前が異なるのである。何ならチャットA.Iですら匙を投げてアンコリーノとか言う謎名称を生み出す始末だ。この世界では争うことはなかろうが、何となく回避することにしたらしい。
「それに、他にも色々作ってますしね」
テーブルに置かれた紅茶に手を伸ばしながらマリアーネが店舗に視線を向けると、ジオグリフとレイターも確かにと頷いた。
「もう何でも屋だな。複合商業施設のフードコートか高速のサービスエリア思い出すぜ。しかもちょっとデカいヤツ」
「と言うかほとんど移動型レストランだよね。隊列まで組んでるし。でもこれで儲けは出るの?」
「儲けと固定費と周辺住民の理解を考えると、帝都一択なんですけれども、あまり手を出しすぎると反発を買うのですわ。既にロマネット大商会とロマネット料理の名は帝国で大き過ぎますし」
マリアーネが持ち込んだ現代知識によって、元々大きかったロマネット大商会は更に躍進した。それはいいのだが、少し上手くやりすぎてしまったのである。
最初に着手した石鹸の時もそうであったが、一つの分野でブレイクスルーを起こして従来品を駆逐すると、干される人間が出てくるのである。もちろん、それ自体は自然淘汰とも言える。だが、マリアーネが持ち込む現代知識は何度も何度もそれを起こしてしまう。何しろ相手の技術が中世仕様なのだから仕方がない。とは言え一度程度ならいざ知らず、洗剤や化粧品、鍛冶、上下水道、料理とあらゆる分野でそれを起こすものだから既存システムをあちらこちらで破壊してしまったのだ。
早い話────駆逐された側から恨みを買っている。
無論、資本主義経済において、それは逆恨みだ。嫌だというのなら金を注ぎ込み相手よりも良い商品を作れば良い。だがここは中世。しかも既得権益は貴族が握っている場合が多々ある。マリアーネはその辺りも考慮して化粧品に注力し、貴族家の奥方を味方につけてはいるが、その恩恵に授かれない庶民は例外である。
そこで考えたのがあぶれた人手の再利用だ。干された側は新たに仕事に就くことが出来、マリアーネも人手を確保できる。全体を通してみるとマッチポンプのような絵図になってしまったが、それでもどうにか軟着陸にはなった。
「なので、大動脈に限った移動型のサービスエリアを考えたんですの。護衛費を含めた人件費や諸経費を考えると薄利ではありますが、どうせ多角経営の内の一角なので割り切って大きな実利は捨てました」
「成程、人材版のセーフティネットか」
「姫も色々考えてるなぁ…………」
「まぁ人材は人財と宣うくせに、残業代未払いをカマしてくれたどっかのケチな経営者にはなりたくありませんしね」
「はぁ? 今のご時世にそんなブラックあるの?」
「先生、俺も色んなところに行ったが、零細の経営者に労働者の権利を求める方がそもそも間違ってるんだぜ。法律がどうこうって理論的な話じゃなくてさ。ありゃそもそも筋や道理が通じねぇ、ちょっとでも通じたらラッキーと思った方がいい。何しろどいつもこいつも自分で無駄遣いしておいて二言目には『金が無い』だからな。倫理観がどっか壊れてるか法律ガン無視できる肝っ玉がねぇと小さい王国なんか維持できねぇんだから当然っちゃ当然だがよ。だから社会一般常識の《《マトモ》》を求める労働者はみーんな、色んなもんにガチガチに縛られて労働者の権利を無視できない中小、あわよくば大企業に入りたがるのさ」
「で、そこに入れなかった人達は、会社に寄り掛からないで生きていけるよう自らの力を磨いていかねばならないのです。特にこの世界では、ね。オーヴァン達も最初はそうでしたわ」
最初に拾った若夫婦も元はそれなりの大店に勤めていたのだが、代替わりして大した理由もなく首切りされたらしい。何でも新会長が若妻の方に関係を迫ったとのことだ。それを拒否して勘気を買ったのが真相のようである。尚、この大店はマリアーネが後に潰していて既に帝国に存在しないが。
さて、元大店の従業員ということで接客スキルはある若夫婦だったが、逆に言うとそれ以外に目ぼしいスキルは無く、言ってしまえばいくらでも代わりが利く市場価値の低い人材であった。そのため、マリアーネに出会うまでは再就職に難儀していた。
最初はマリアーネも見向きもしなかったが、夫婦愛に美しさを見出して手を貸すことにしたのがアトリエ『フォミュラ』の成り立ちである。
「人材を発掘したり育てるという目的を考えると、このフォミュラ青空料理店は丁度いいのです。なので、最悪赤字でも良いんですのよ。衣服や化粧品や薬品、他にも色々儲けは出てますし」
何しろ帝国中の大動脈を行ったり来たりしている。人との出会いは山程あるし、見所のある人間は背後関係洗って引き入れろと従業員に厳命して権限も渡しているので、今もガンガン従業員が増えている。
暇な時に経営のチェックぐらいはしているが、今では件の若夫婦を筆頭にしてほぼ任せているし、その《《あがり》》はマリアーネの有り余る資金力の源泉となっている。
「うぅ…………三人が何を話しているかよく分からないわ…………」
「おそらく商売と経営のことなんでしょうけれど…………難しいです…………」
「流石お姉様!」
因みに、その横で静かに三馬鹿の話を聞いていた三人娘は内容の理解が追いつかなくて頭を抱えていた。約一名、思考を放棄している聖女がいたが。
と、そんな折────。
「お嬢様! お待ちくださいませお嬢様!」
「いや!」
街道の方からそんな慌ただしい声が聞こえた。何だ何だ、とシリアスブレイカーズが身を乗り出してみると、ドレス姿の少女が執事姿の老人に追いかけられていた。歳の頃なら十歳も数えないのではないだろうか。栗色の髪のその少女は、小さい体を精一杯動かして老人から逃げ回っている。
大人の足には拮抗できまいが、追いかける方も老体なので何だかいい勝負になっていた。何だどっかのお嬢様の我儘か、とシリアスブレイカーズが興味を失った辺りで、件の少女がジオグリフに目をつけ駆け寄ってきてその懐に飛び込んだ。
「助けてください!」
常ならば面倒事はゴメンだと拒否する三馬鹿であるが、この少女は如何な嗅覚を働かせたのか見事に正解を引き当てた。
レイターならまずは状況を判断して子供の方を諭していただろう。マリアーネなら予測不能な話の向かい方をするだろう。だが、かつて篤志家を志していたジオグリフにとって子供は────。
「いいよ。────解凍」
ほとんど無条件で庇護の対象である。少なくとも、助けを求められたら見捨てることは出来ない。
「ひぃっ!?」
少女を追いかけてこちらに向かってくる老人に対し、ジオグリフは火魔術を行使。大きく息を荒げる老人の足下からでボン、と火柱が五メートル程吹き出た。とは言っても見た目よりは威力を抑えている。あくまで牽制と仕切り直しの意味合いが強い。
「さて。悪いけど、『子供には温めの冷たい方程式で』を個人的な信条としているんだ。詳しい事情は知らないけれど、介入させてもらうよ」
少女を背中に庇うようにして立ち上がったジオグリフは、手にした大杖を老人へと向ける。とは言えあくまでポーズだ。老人の身なりを見ても、この少女の使用人の可能性が高い。
案の定、老執事は両手を上げて敵意は無いと身振りで伝え始めた。
「お、お待ちくだされ! ぼ、冒険者の方とお見受けしますがこれには事情があるのです!」
「問答無用するには情報が足りないから、聞くよ」
「じ、実は…………」
そして老執事の話に、ジオグリフは頭を抱えることになる。
●
老執事────このラステ伯爵領の領主に仕えるダコダは、主の実子ライザ・ラステ付きの使用人であった。
使用人の中でも先代の主から仕えてきた古参であり、しばらく前までは現ラステ伯爵の筆頭執事であったらしい。とは言えそろそろ老齢ということもあって主な職務は後進に引き継ぎ、自らはライザ・ラステの使用人として半ば隠居生活を送っていたようだ。
しかし昨日になって、近くの貴族領から人がやってきた。
何でもその貴族領の三男だと名乗るその男は、ライザ・ラステに婚約を申し込み、そのまま手勢とともに屋敷に居着いたらしい。見知らぬ人間が家にいることを知ったライザはその事情を理解し────。
「ははぁ、そんな事があったんですわねぇ…………ライザちゃん、オーヴァン焼きおいしいですの?」
現在、マリアーネの膝の上でオーヴァン焼きを頬張っていた。
「うん! ありがとう! おねーちゃん!」
「あらあらまぁまぁ…………くふふのふ…………もーっと食べても良いんですのよー?」
「相手は子供相手は子供相手は子供相手は子供…………」
にぱっと子供らしい笑みを浮かべるライザに、マリアーネはご満悦な表情を浮かべて甘やかし、その横で嫉妬と理性の間で揺れるリリティアがぎりぎりと奥歯を噛んでいた。驚いたことにこのバーサーカーにも一分の良識があったらしい。
一方その頃、事情を聞いたジオグリフはと言うと、テーブルに突っ伏していた。
「ど、どうしたのジ…………」
「ジークです。今日から僕はジーク・フリートです。それかもしくは謎の鉄仮面と呼ぶが良い…………! ついでに魂の刃に取り憑かれて闇落ちしてくれる…………!!」
蒼き悪夢に呑まれて脳波コントロールしてやる…………!! とそれを心配したラティアが声を掛けるがネタに振って精神の安定を図っていた。
「先生先生、気持ちは分かるがキャラとネタが反復横飛びしすぎだと思うぞ。せめてファンタジーかSFか統一ぐらいはしようぜ」
「動揺してますねぇ…………」
そのありようにレイターとカズハが突っ込みを入れるが、さもありなんといった表情をしていた。
無理もない。
その例の貴族の三男坊────こともあろうに、《《ジオグリフ》》・《《トライアード》》を名乗っているというのだ。自分の偽者がいるだけでも噴飯ものなのに、こんな幼女に求婚しているという始末。最早怒りを通り越し、脱力も通り越し、羞恥に身を焦がしてしまったのだ。それを誤魔化すためにネタに走っているのである。
「でも政略結婚ねぇ…………こんなに小さいのに、信じられないわ…………」
「貴族としては、まぁ若いけど無くはないよ。政治を考えるなら、ジオグリフ・トライアードという選択肢は悪くない。彼はトライアード家の三男で、継承権は遠いが家中に独自の発言力、影響力は持っている。それを縁続きにして自家に取り入れられたら伯爵家としての家格も上がるだろうね」
ラティアの言葉に、急にスンと冷静を取り戻したジオグリフであるが、あくまで他人事のように語る辺り、まだダメージが抜けきっていないのだろう。周囲は『あ、取り敢えずはジーク・フリートで行くのね』と生暖かい眼差しである。
「はい。御当主様も泣く泣く頷いた程でして。ただ、ですね…………」
この婚約の申し入れには不自然なところが多い────と言うか、それしか無い。
通常、貴族の常識として互いの家が関わることなので綿密な話し合いの後で婚姻が結ばれる。あくまで家の存続が根幹にあるので、個人の相性は無視することがままあるものの、故にこそ事前の折衝は必ずする。婚約に関しても同じである。少なくとも、先触れもなしに突然現れて屋敷に居着く、などと不躾な真似はしない。申し入れるならば、まずは親同士の話し合いが先だ。一応、件の人物はトライアード本家からの手紙も持ってきてはいたが、封蝋が同じで花押が微妙に違うとチグハグ。どう考えても怪しさが満点である。
とは言えラステ伯爵領からしてみると、所謂ボンボン貴族の暴走────という線も無くはないのだ。封蝋は勝手に拝借して、花押は自分で親のを真似たパターンも十分に考えられる。
ラステ伯爵領はそこそこの大領ではあるが、トライアード辺境領に比べると武力も経済力も二回り以上違う。先のハーヴェスタ決戦にて武功も上げて、皇帝陛下の覚えも目出度い大貴族に逆らってもの良いものか、と考えた末にその不躾を受け入れる羽目になったそうだ。
しかし、である。
「何しろトライアード本家から来た話ではないですし、どうにも性急に過ぎまして。我々もトライアードに人をやって裏取りしている最中に、お嬢様が知ってしまい…………」
「逃げ出した、と」
「はい…………」
言葉を引き継いだジオグリフに、ダコダは静かに項垂れた。
「で、どうなの? ジ…………ィーク」
「騙りだね」
「だろうなぁ…………」
「ですよね…………」
ラティアの尋ねに、ジオグリフが断言してレイターとカズハが頷いた。当然である。何しろ本物がここにいるのだ。
「あの、失礼なことお聞きしますが、根拠は…………?」
「…………今はジーク・フリートで出ていますってね」
そんな事情など知る由もないダコダが首を傾げるが、ジオグリフが外套の背中────金糸で描かれた《《トライアード》》の家紋を見せると、目を丸くして安堵したように頷いた。
そして納得したダコダに対し、ジオグリフは尋ねる。
「さて、では聞こうか。────破壊したい理不尽はあるかね?」
尤も、仮に無かったとしても彼の方から《《自らへの》》理不尽を壊しに行くであろうことは、火を見るよりも明らかではあったが。
次の更新はまた来週。




