第十四話 フォーティチュードは諦めない⑫ ~ぶちギレマリーちゃんと精算結果~
「どうですか?ラード子爵。番狂わせ、というのも乙なものでしょう?」
正面スタンドの貴賓席でレースの結果を見届けたビックスは席を立とうとして、背後から声を掛けられた。振り返ってみれば、ジオグリフがニコニコと朗らかな表情で立っていた。
だが、その周囲は表情に反して物々しい。警護にしては過剰なほどに武装した兵隊がビックスを包囲していたのだ。ジオグリフの背後に控える代官や兵達の鎧に刻まれたトライアードの徽章を見るに、代官麾下の一団であるのは理解出来た。
「これは、一体何の真似だ?」
問いただしながらもビックスは思考を回す。どれがバレた、アレは大丈夫なはず、と精査しているが────残念ながら、全部である。
「それは自分の胸に聞いた方が早いのでは?」
「私は行政監督官だぞ?それを…………」
「ベツレム」
「はっ。────おい、これを見よ」
ジオグリフの指示に従って、ベツレムが前に出て手にした紙をビックスに広げて見せる。だが、その口の聞き方は貴族に対するものではなく、ビックスは怒りを顕にする。
「貴様、代官の分際で貴族の私に向かってそのような口の聞き方をして…………ぐぼっ!?」
だが、ベツレムはそんな彼に対して深く吐息した後、鉄拳を見舞った。一度、二度、三度、と余程ストレスが溜まっていたのか、大人しくなるまでぶん殴って引き倒した後、手にしていた紙をビックスに見せる。悪人面も相まってアウトレイジ感強いなぁ、とジオグリフは思った。
「御託を並べる前にまずは見ろ。それで私の態度の意味が分かる」
「これ、は…………」
広げられた用紙には、ビックスの罪状と拘束事由、更には貴族籍の剥奪と皇帝の花押と印が押されていた。このレオネスタ帝国に於いて、最も効力を発揮する公的文書である。
「つまり、今日この時を以て貴様は貴族籍を剥奪され、ただの平民だ。ジオグリフ様の前で…………頭が高いぞ、平民!跪けっ!!」
ビックスの髪を掴んでぐしゃり、と床に叩きつけるベツレムをジオグリフは涼しい顔で見ているが、内心は「いや僕も三男だから平民と変わらんのだけど」と突っ込みを入れていた。まぁ、空気を読んで黙っていることにしたが。
「こ、これは何かの間違いだ!へ、陛下がこのようなことをするはずが…………!」
「ならば陛下の前で言い訳するが良かろうさ。丁度、この令状を届けてくれた近衛がそこにいる。待たされること無く裁きが下るだろう。おしおきだべぇ~、とね」
顔がボコボコになり、鼻から口から流血しながら釈明のような言い訳をするビックスに、ジオグリフはそう告げた。既に証拠は提出済み。この令状を届けてくれた近衛が言うには少し前から公儀隠密も動いていて情報収集していたようだ。ベツレムが纏めた証拠群はその裏付けになって、故にこそここまで話が早くなったらしい。
「そんな…………そんな馬鹿な…………」
顔面蒼白になって言葉を失うビックスの肩を、ジオグリフは気安く叩いて。
「だから言ったろう?競馬と人生に絶対はない、と。────胸に刻んだかね?」
極めて晴れやかな笑顔で申し渡され、ビックスはがっくりと肩を落とした。
●
「――――何のつもりですの?」
一方同じ頃、マリアーネとリリティアはニッド一党に囲まれていた。
無論、マリアーネとて敢えて問わなくても分かっている。これはちゃぶ台返しだ。出た賽の目を覆そうとする、あってはならない盤外戦術。
「まぁ、言わなくても分かるんじゃねーの?」
「お前ら!お姉様が勝ったんだぞ!?」
「うっせーよバーカ。確かに勝負は勝負────だけどよ、延長戦だってあるだろ?リアルファイトってやつさ」
それを察したリリティアが抗議するが、ニッドはニヤけた表情のまま懐からナイフを取り出す。それが合図になったかのように、彼女達の周囲を囲む警備員────いや、ニッドの手の者達もそれぞれに武器を握った。
「――─―美しくないですわね。勝負師としての美学がないのですか?貴方は」
元々、さほど期待はしていなかった。
「博打、という行為は人の本性を暴き出すものですわ。常識、良識、虚飾で取り繕った仮面など、その鉄火場の熱量で全て溶かしてしまう」
最初にこの場に呼ばれた時からそうだった。ニッドは仕掛ける勝負に仕込みをしている。それはいい。勝負師なのだから、いや、そうでなくても事前に準備をして勝てる段取りを取るのは極自然なことだ。だが、彼はそれを隠そうともしなかった。
「だから、博打を蛇蝎が如く嫌う人達というのは、自分の本性に向き合ったことがない、あるいは向き合う気のない臆病者だと私は思っておりますわ。だって、人生というのは所詮勝つか負けるか―――どうやったって博打の連続ですもの」
騙し騙されるのが博打の妙味だ。激熱は外してこその激熱。だから騙し合いはいい。だが、騙し抜こうとという気概が感じられない時点で、マリアーネはニッドを同じ勝負師として見なくなった。ただのにわか野郎だと断じた。
「博打はそんな諸刃の剣、それを研ぎ澄ます行為だと私は思ってますの。だから、真摯に博打と向き合わざるを得ない根っからの博打打ちというのはかくも美しく熱量のある人達なのですわ。それに比べて貴方達は…………」
彼は博打が好きなのではない。勝つのが好きなのだ。
「何を訳わかんねぇこと言ってやがる!もういいてめー等!この女を畳んじま―――─」
それが、マリアーネの癪に酷く障った。
「―――もういいよ、お前」
いっそ酷薄とも言えるその言葉とともに、部屋中の影という影からぞるり、と影の獣達が噴出した。
『ひっ…………!?ぎゃあぁぁぁああっ!!』
飛び出してきた影の獣達は主の激憤に呼応してニッド一党に襲いかかる。その速度たるや、まるで雷撃戦のように一息であった。だが、殺しはしない。主がそれを望んでいない。だから、武器を噛み砕き、手足を封じるだけにしておいている。
「美しくない。あぁ、美しくない。見てくれは確かに大事だけれど、心はもっと大事だけれど、それ以上に―――生き方が!本ッ当に!醜いっ………!!」
「お姉、様…………?」
事ここに至って、リリティアはようやくマリアーネの怒りに気づいた。
彼等はマリアーネの地雷を踏んだ。そう、地雷を踏んだのだ。数少ない、マリアーネ・ロマネットという女の地雷を。
「気に入らない。あぁ、本当に気に入らないなぁ。お前、勝負師だろう?何で金と一緒に自分の美学を賭けられない?冷静と情熱の狭間に誰かが仕込んだ地雷原でタップダンスするからボク等はスリルを感じて楽しめるんだぞ?だから単勝オッズ1.1倍にだって大金突っ込んでヒリつけるんだ。だから中穴と外すリスクを天秤にかけて攻略するんだ。だから青天井のブービーに夢を見れるんだ」
マリアーネと言う人間は美しさに憧れている。前世の経験から、いっそ憧憬と言えるほど恋い焦がれている。それは女性同士のカップリングという面が主軸にはなっているが、本質的には美しさそのものへの憧れだ。
綺麗なものを眺めたかった。
綺麗なものに触れたかった。
綺麗なものを並べたかった。
綺麗なものになりたかった。
身が焦がれるほどに願ったその憧れは、しかし前世ではついぞ叶うことはなかった。綺麗な朝など決して彼女には訪れなかった。だが、それでも彼女に一つの経験を与えた。
美しさとは、人の有り様にも顕れるものなのだと。
「勝てば嬉しい。負ければ悲しい。バレなければイカサマだって合法。見抜けなかったほうが悪い。生き馬の目を抜き、ただ勝つためだけに自分の持てる全てを尽くす。運否天賦は当然、そこに至るまでそいつが積み上げてきた経験をオール・インする。それが博打打ち。だから、出た目をひっくり返すようなみっともない真似だけは死んでもやるべきじゃない」
人。人生。見た目や性格だけではなく、その人間が持つ経験や信条にも美しさはある。それは美しさに手が届かなかった前世に於いて、彼女が信じることが出来た唯一の教訓であり訓戒だ。
故に彼女は美しくある生き方────即ち美学を学び、愛した。
そして美学を持つ人間に、貴賤はないと思い至ったのだ。
翻ってニッド達はどうだ。騙し切ろうという意思はなく、数と金だけに頼って、あまつさえ出た賽の目すらひっくり返そうとする。そこに泥臭いまでの努力の跡が見えれば話は別だが、彼等はただ儲けたいからそうしているだけだ。ただ負けるのが嫌だから、勝ちたいからこうまで粗雑なやり方をしているのだ。
勝負を舐めている。
博打を舐めている。
美学を舐め腐っている。
それが酷く、腹立たしい。
「その美学の無い者が、博打なんぞに手を出すな…………!!」
故に根ざした美学に、真っ向から反逆した彼等に対しマリアーネは激怒しているのだ。
だが悲しいかな。影の獣達に襲撃され、大半の者達は失神しておりマリアーネの言葉は聞こえていなかった。
「─────さぁ、行きますわよ。貴方達のような美学もへったくれもないボンクラを飼っている親の元へ」
「き、貴様…………一体何をする気だ…………?」
こんな愚鈍な奴等に何を言っても無駄か、と溜飲を下げて元の口調に戻ったマリアーネに対し、影の獣に拘束されたニッドが恐る恐る尋ねる。すると、彼女は首を傾け見返りながらこう言った。
「―――─教育するに決まっているじゃないですか」
場所は既に調べてあるし、詰めている人数も把握して、何なら代官経由で警備隊も仕込んでいるのだ。
むしろ狂育の間違いでは?とリリティアは心の中で突っ込んだが、ボクっ娘のお姉様も好きぃっ!とメーターを振り切ってゲージを三本ぐらい溜めていたので口に出すことはなかった。
その日、ベルチューレのマフィアが一切合切残らず全滅したことだけはここに記しておく。
●
アーリマ記念から一夜明けて、ベルチューレの門でフォーティチュードは困惑していた。
相棒となった少年とその仲間がベルチューレを発つというから見送りに来たのだが、件の少年────レイターが自分にしがみつくように騎乗して鬣に顔を埋めたまま動かないのだ。
ひょっとしてさびしいのかな、とフォーティチュードは思ったのだが、何だか妙に気持ち悪い。
「あぁ~…………レース中にも思ったがやっぱ癒やされるわぁ、このモフモフはよぉ…………すぅぅぅぅぅぅぅぅ」
『あ、あの、れいたー?』
いよいよもって気持ち悪い言動を始める相棒に、フォーティチュードの混乱が極まる。
あの後、色々とあった。何にしろ周年レースの勝利だ。しかもブービー人気からの逃げ切り。会場の大半はどよめきと悲鳴だった。一部中年のおっさん二人が泣きながら狂喜乱舞していたが、あれは自分に賭けてたのかな、とフォーティチュードはちょっとだけ嬉しく思った。
レイターの足の傷も大したことはなく、直ぐにスタッフとして詰めていた回復術士によって救護されて事なきを得た。
その後は引退式もやった。馬主兼調教師のミソラがぼろぼろ泣いてインタビューどころではなかったので、何故かフォーティチュードがインタビューに答えていた。自分に拡声魔道具を向ける記者がちょっと嬉しそうだったのを彼はよく覚えている。
そして祝勝会をやって、その朝が今である。
「何か、昨日までと雰囲気が違う?」
「あ、あはは…………レイター様は、いつもは大体こんな感じなんです」
フォーティチュードにしがみついて馬吸いを行うレイターを不思議に思うミソラだが、カズハとしては見慣れた風景だ。
『ありがとうね、れいたー』
「んー?そりゃ何度も聞いたさ」
最早掃除機と化しているレイターに、フォーティチュードは礼を告げる。
アーリマ記念を制した実績は大きい。賞金額もそうであるが、『アーリマを勝ったバークレイ厩舎のフォーティチュード』と言うネームブランドは馬鹿にできないのだ。
更に、絶対皇帝ロートリンゲンを倒したことからも実力のある馬だと周囲に知らしめた。元々顕彰馬だったので、調子が悪かっただけで強い馬なのだと再認識させるに至ったのだ。実際、祝賀会ではこれから種牡馬入りするフォーティチュードに数多くの種付けの打診があった。
とは言え経営としてはここからが正念場ではある。余裕はそこまで無い。だが、数年の時間稼ぎは出来た。此処から先は、また別の戦いになり、その主役はレイターでもフォーティチュードでもない。
それでも、だ。
『なんどだっていうよ。ひさしぶりに、ぼくのなまえのいみをおもいだしたんだから…………ありがと』
「…………そうかい」
ラグ・バークレイの死後、久しく忘れていた自分の名前に込められた意味を思い出したフォーティチュードは、最後の相棒に改めて礼を告げる。
それを受けて、レイターはフォーティチュードから降りた。
「さて、名残惜しいが仲間も待ってるし…………そろそろ行くわ。元気でな、フォーティ、ミソラ」
「これからも大変でしょうけど、頑張ってくださいね」
「ええ、そちらも元気で。本当に、ありがとう」
『ばいばい、れいたー。…………またね、あいぼう!』
背から受けた思念波に、レイターは振り返らずにただ黙って親指を立てて去っていった。
●
そしてカズハを伴い、門の近くへ止めた馬車に辿り着いたレイターは荷台で体育座りをして涙するマリアーネを発見した。
「何だ姫、まーだやってんのかよ」
昨日の夜中に帰ってきて、今の今までこの状態である。
「えぐえぐ………わたくしの、わたくしのきんかぁ………わたくしのよんまんまいぃ………」
「おいたわしや、お姉様………」
ぶつぶつと未練がましく「よんまんまい」と呟いては涙するマリアーネに、リリティアが寄り添っているが仲間内からの評価は散々である。
「もういい加減諦めなよ。あれだけ暴れて借金背負わなかっただけ上等じゃないか」
「そうよ、マリー。流石に三区画潰れるぐらい暴れるのは非常識だと思うわ。ジオが介入しなきゃ足りなかったんでしょう?」
そう。この馬鹿、マフィアをしばきに行ったはいいが、やりすぎたのである。
あの後、ニッド達を引きずるようにして親玉の所へ殴り込みをかけるまでは予定通りであった。だが、ニッドとのやり取りでぶちギレかましていたマリアーネは街の警備隊を振り切って先行。親玉含めてマフィアそのものへ物理攻撃を伴うお説教。その余波で三区画程破壊してしまった。
無論、リリティアが奮起していたので死人は出なかったが「破壊神なお姉様も好きぃっ!」となっていたので「ん!?間違ったかな…………」とマフィア達に対してちょっと不幸な医療ミスが出たことはここだけの話である。
その結果。
「でも!でもあんまりですわ!39997枚も取られるなんて!」
その破壊行為に対する諸々の賠償金に、本来彼女が手にするはずであったニッドとの賭けの賞金の大半を取られてしまったのである。
「あれだけ被害が出て手元に金貨3枚残っただけ良かったのではないでしょうか?」
「あ、それで思い出した」
両手の平に残った金貨3枚を見て、カズハが突っ込むとレイターが思い出したとばかりに手を打った。
「―――ほい。俺の取り分な。いやぁ、騎乗してると自分で馬券買えねぇからさ」
「は?」
そしてマリアーネの手から金貨1枚を貰う。
「あ、僕も交渉した分の賃金ね。いやぁ、賠償金、金貨5万枚から金貨1万枚値切ったんだから、これぐらい貰ってもいいよね?」
「え?」
ついでに、とばかりにジオグリフも1枚。
「じゃぁ、私の取り分は………」
ちんまりと手元に残った金貨1枚だけである。賭け金として持ち出しで金貨20000出しているので、実質マイナス19999枚であった。日本円にして、19億9990万円の損失である。
「さぁ、出発するよー」
「あいよー」
そして容赦ないリーダーと運転手の音頭にマリアーネはふらり、と目眩を覚えながら馬車に繋がれた影の馬に向かって叫ぶ。
「待って!オロバス待って!この金貨1枚!この金貨1枚をまた増やして来ますからぁ!!」
「オロバス。聞かなくて良いぞ。ご主人様の身持ちを崩させたくねーだろ?」
影の獣であるオロバスは御者の言葉にしばし思案した後、じっとマリアーネを見つめる。そしてやおら「あンた、背中が煤けてるぜ…………」とばかりに御主人様を裏切り悠然と歩を進めることにした。
「ちょっ!オロバス!貴方ご主人様の私よりその男を選びますの!?」
言葉はないが、ギャンブルは程々にね、と言わんばかりの含蓄がある行動である。
「あいしゃるりたーんですわ―――!!」
薫風香る6月の空に、泣きの一回が許されなかった勝負師の悲哀が天高く響いた。
次回更新は4月10日。
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