第十一話 フォーティチュードは諦めない⑨ ~アーリマ記念、開幕~
ファンファーレが鳴り響く中、順番に各馬がゲートに入っていく。
そんな順番待ちの中、掲示板の最終オッズを確認したレイターは苦笑して跨ったフォーティチュードの首筋をポンポンと軽く叩いた。その身は黄色と赤の勝負服に身を包んでおり、速成とは言えジョッキーの面持ちをしている。
「最終オッズ見てみろよ、フォーティ。単勝銀貨13枚とんで銅貨7枚。笑えるなぁ、オイ。予定通り18番人気、ぶっちぎりの超大穴だぜ。単勝10万馬券とか冗談だろ?あのサンドピアリスだって430倍だぜ」
オッズが成立してる。つまり馬券を買っている人間はいる。しかし間違いなく応援馬券だろう。だから当然のようにびりっけつ。他の誰も彼等に期待してない。
フォーティチュードは終わった馬だと、そもそも無名の騎手に何が出来るんだと、何よりも雄弁にその数字が語っていた。単なる賑やかしにしか思われていないのだ。
「笑えるわ。笑えるくらいに――――」
その時、背中越しに感じた感情の波を、フォーティチュードは生涯忘れることはないだろう。
「――――腹ァ立ってくるじゃねぇか…………!」
言葉とともに流れてくる精神の波は、アリアホースだから知れたもの。顔を見なくても分かる。背中の新しく、そして最後になる相棒は笑っている。きっと怒りながら笑っている。
黄金の、いっそ苛烈なまでのその精神の波は、しかし一方でフォーティチュードに勇気を与えた。一頭じゃない。自分を信じてくれて、一緒に戦おうとしてくれる相棒がいる。
「行くぜフォーティ。事ここに至っちゃ一着以外に価値はねぇ。他の馬全部撫で斬りにして、不屈に賭けなかった節穴共全員に中指立ててゲラゲラ笑ってやろうぜ」
『うんっ!』
その事実に俄然気合が入ったフォーティチュードは、意気揚々とゲートに入っていった。
レース開始まで、後二十秒。
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『さぁ、各馬ゲートに入りまして――――開きました。各馬一斉にスタート。中団から抜け出すのは五番やはりいつものツインジェット。やや遅れたのは十八番ハリボテエナジー。それ以外は好スタートを切っております。――――おっと、ここで先頭ツインジェットに追従するのは十五番フォーティチュード。ここ二年はずっと調子を落としておりましたが、往年の頃を思い出すよいスタートです』
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発馬機に前頭が収まると、発走委員の旗が振られゲートが一斉に開く。
競馬のルールを人の言語で理解しているフォーティチュードにとって、ここは得意な分野だ。全頭が収まって、旗が振られたら後は折を見て駆け出すだけなのだから驚くこともなく、ましてゲート内で立ち上がることもなく、何だったら騎手の指示さえいらない。
旗が振られたらゲートが開く合図、そして開いたら走るだけ。だからフォーティチュードにとってスタートでまごつくことはない。
問題があるとすれば、このレースに関して言えば上がり最速ではなく初速最速を目指さねばならないことだ。
フォーティチュード自身が逃げを得意とする馬であり好スタートを比較的理論値に近い形で切れるとは言え、アーリマのコース特性上、最初のコーナーまでの距離が極端に短い。メートル換算で192mしか無く、逃げ馬ならばそれまでに馬群の鼻を押さえる必要性が出てくる。更にそこを抜けると高低差2メートルの急坂だ。先頭、あるいは先行集団の頭を抑え距離の貯金を続けるためには初速が何よりも肝要。
その上。
(きょうはそとっかわだからね…………!)
ぐん、とフォーティチュードは持てる最大の力を込めて芝を抉る。
七枠十五番、というのが彼に与えられた枠順だ。つまりゲートの外側。裏を返せば、コーナーに遠い場所。その分を詰めながら先頭に立つのならば、最高のスタートと全ての馬を圧倒するだけの最大加速が求められる。
これが差し馬、あるいは追い込み馬なら馬群に埋もれた所で作戦の内だが、逃げ馬は先頭――――最低でも二番手に位置付けなければその真価を発揮できない。
それを考えれば逃げ馬でアーリマの外枠というのは非常に厳しいハンデだ。
しかし。
「…………っ!」
背中で相棒が息を呑む声が聞こえた。だが、フォーティチュードは手加減しない。ある意味で、このレースで最も難しい勝負所がスタートだからだ。ここを制せねば馬群に捕まり、彼は実力を発揮できずに下馬評通りに負けてしまうだろう。
今日は負けないともう決めた。だから脚が千切れるかと思うぐらい強く芝に叩きつける。
風切音が加速度的に音量を増していき、流れる景色に他馬が混じって少なくなって来た頃――――。
「貴様!シリアスブレイカーズ!」
「あん!?」
横合いから変な声が聞こえた。
暴力的なまでの加速に耐えるようにしていたレイターが、横を見ると五番ツインジェットのゼッケンを付けた馬――――その騎乗から発されたようだ。
ちらりと視線を向けると、何だか病的なまでに生っちょろい男が一人、こちらを睨みつけていた。
「えー、と、あれだ…………べ、べ、べ―――ベー公!」
「ベオステラルだ!」
ベオステラルである。どっかで見た顔だが名前まで覚えていなかったレイターがそれっぽい名称を口にするが、そんな雑な略し方にご立腹のようであった。
「うっせー知るか!長いんだよお前の名前!後何か語感が先生に似てて紛らわしい!!」
「えぇい、礼儀のなっていない奴め!そもそも貴様こんな所で何をやっている!」
「何って見りゃ分かんだろ!?騎手だよ!お前こそ何やってんだよ!!」
「ぐぬぬ…………路銀が尽きて怪我した騎手の代役で出たは良いが、こんなところで貴様と出会うとは…………!」
奇しくもレイターと同じ様に飛び入りで参加することになったらしいベオステラルは、やおらキッとレイターを睨みつけて。
「いいだろうシリアスブレイカーズ!ここで会ったが百年目!このツインジェット号の素晴らしさを見せてやる!ハイヨー!!」
まるでここが最終直線だ、と言わんばかりに馬に鞭を入れて加速し始めた。合図をされたツインジェットですら「え?ここで全力?いつもより早くない?」と困惑しながらも加速していく。
『ねぇ、れいたー。あのこ、にせんごひゃくをあのぺーすではしれるほど、たいりょくないとおもうんだけど………』
「予定じゃ俺等が先頭走るつもりだったが………しばらくは風除け代わりについて行こうぜ。後ろが戸惑ってくれた方が都合が良い」
この二頭、後に『アーリマの馬鹿逃げコンビ』と名誉なのか不名誉なのか分からない名称で呼ばれることになるのだが――――それはまた別の話。
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『さぁ、早速アーリマ最初のコーナーです。先頭のツインジェット、一馬身離れてフォーティチュードと続き、馬群が未だに纏まり切らない中で―――あーっとハリボテエナジー転んだ!観客のまがれぇえぇっ!という声援虚しくやっぱり転んだ!木箱が崩れる嫌な音ォ!』
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最初のコーナーで盛大にすっ転んで中身がポロッと二人ほど出てきた八枠十八番ハリボテエナジーの様子を見たマリアーネは、思わず鉄面皮を取って突っ込む。
「……………………冷静に考えるとグランプリレースに何であんなのがいるんですの?」
「明らかに中の人いますよね、お姉様」
リリティアもその突っ込みに追従する。しかしそれを耳ざとく聞き取った周囲が声を大にして叫ぶ。
「中の人などいない!」
「知らないのか嬢ちゃん達。ハリボテはみんなの期待で動いてるんだぜ。これが本当のアイドルホースってヤツだ!」
『えー………』
警護の連中が職務を忘れて擁護するので胡乱げな視線を向けたが。
「しかもたまに勝つ」
『ウソぉ!?』
ニッドの言葉に二人揃って絶句した。
因みに、単勝オッズ125倍で一度勝っているらしい。競馬とは何が起こるかわからないものである。
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『さぁ、正面スタンドに馬群が迫ってまいりました。先頭は5番ツインジェット、二番手15番フォーティチュード、少し離れて先行集団2番アンギラース、4番ヴァスケス、10番デンキヒツジノユメ、7番キョウミナイネ、8番カベニデモハナシテロヨ、人気対抗6番アスカンド。二馬身ほど離れて中団に17番エバー、14番コーエー、そしてここにいました一番人気9番ロートリンゲン、12番インテグラル、16番キョクセンバンチョー。続く後方は11番リメンバー、13番ボーヒーズ、3番ヴァージュリーラ。ぽつんと離れて最後方は1番コンテンダーとなっております』
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「始まったわね………」
正面スタンドを駆け抜けていく馬群を見下ろすようにして、ラティアが呟く。
彼女がいるのは観客スタンドの屋根部分だ。ベツレムの計らいで関係者として点検用通路を伝って屋根へと上がってきたのである。吹き抜ける風に髪をなびかせたラティアは、手にした魔導銃を確認する。
今回、彼女が任されたのは妨害屋の排除――――より正確に言うならばカウンタースナイプだ。
何しろ周年レースともなればベルチューレの住人、そしてそれ目当ての滞在者が詰めかけて十万人を超える大観衆となる。そんな中で、怪しい人間を片っ端から警戒したり捕縛していてもきりが無いのである。
如何に三馬鹿であっても未来視などできようはずもなく、結局のところ後手に回らざるを得なかった。しかしならば、肉を切らせて骨を断てば良い。
過去の傾向から、妨害屋が用いる射手は一レースにつき一人。狙われる場所は第三コーナー辺り。おそらくは偶然の事故を装って無効レースにさせないための策だ。そこならば、衆目から一番遠いので素人目にはただの事故に見える。着順確定さえしてしまえば、暴動を恐れる運営は払い出しに応じなければならないと睨んだのだろう。
逆を言えば、その一人さえどうにかしてしまえば追撃は無くなる。
最初の一発はどう足掻いても防ぎようがない。だから、それはレイターが根性で耐える。問題は耐えた後。追加されるであろう泣きの一発を排除するのがラティアに任された仕事だ。
「―――風の精霊よ」
口にした起動式と共に、彼女の長い金髪を遊ぶようにしていた風が止んだ。
エルフには時折、伝承上のハイエルフと同じ精霊眼を持つ者が生まれる。先祖返りとされるそれは、名前ほど大層な能力ではない。ただ精霊が見えてある程度の意思疎通が出来るだけだ。ただ、それだけに精霊術との親和性は高く、特に細かな調節をするのに役に立つ。
ラティアの目には、起動式に応じた風の精霊――――丁度緑色のクリオネのような見た目――――が列を成して、魔導銃に纏わりついたのが見えた。
ラティアは預かり知らぬ所ではあるが、三馬鹿の元の世界――――即ち、現代の地球で普及している銃は物理学の究極とも言える。だが、その影響でどうやっても重力という柵からは抜け出せず、銃弾は山成軌道を描いてやがて落下する。そのため、狙撃する際には落下や風向きを計算する観測手や、銃身の長さを利用してライフリングを長く、そしてジャイロ効果を強めて直進性を上げ射程距離を増やすなどの方法が取られる。
翻って魔導銃――――いや、正確には魔法はその影響を受けない。故に、銃口と対象物が直線距離で結ばれていれば必ず命中する。
とは言え、いくらラティアがエルフで目が良いと言っても限度がある。それを補佐するための手段がこの風の精霊だ。マカヤナ競馬場に張り巡らせた風の精霊達は一般人には見えない。練度が高い精霊術士であっても違和感ぐらいしか覚えないだろう。
後は一度妨害屋が魔術を使えば、使った相手を精霊が教えてくれる。撃ち抜くべき相手に銃口を導いてくれる。
「ジオが言っていたわ。狙撃手に必要な極意を。10%の才能と20%の努力、そして30%の臆病さ…………残る40%は運だと」
才能は備えている。努力は重ねた。臆病さも得ているからこそエルフは引きこもる。
故に――――。
「さぁ来なさい、妨害屋。――――巡る運は、一度で良いんだから」
次に巡ってきた好機を、ラティアの目は見逃さない。
次回も来週のこの時間に。




