第八話 フォーティチュードは諦めない⑥ ~かつて笑撃王と呼ばれた馬~
「今年のアーリマはどうなるかなぁ」
「代官もかなり気合い入れてるって話だぜ。メンツも豪華だしな」
大衆食堂の一角でエールを煽り、ツマミをかじりつつ管を巻く中年が二人いた。
肉体労働者であるのか、ガッチリとした体型にタンクトップ、頭にはねじり鉢巻きとどう見ても仕事上がりに一杯引っ掛けに来たという風貌だ。手にはエールの入ったジョッキ、テーブルにはツマミと―――大銅貨2枚で購入した競馬紙。今週末の目玉レースのアーリマについての情報や関係各所の所感、あるいは推定オッズなどが記入されている。
観光客だけではなく、ベルチューレで暮らす彼等も時に競馬を楽しむ。仕事をし、家族を養い、たまの休みにそうした息抜きをしていると日々を生きているという実感が湧くのだ。忙しくとも窮屈ではなく、充実した日々であると。
毎日のように競馬をしていては資金が保たないが、大きなレースだけに絞ればそこまででもなく、小遣いの範疇で十分遊べる。たまに勝てば家族に豪華な夕食を振る舞えるし、負けても自分の小遣いだ、仕方がないと来月を待てば良い。
見た目はともかく、ギャンブルとは大人の付き合いをしている二人であった。
「よぉ、先輩達」
「何だ、お前」
そんな二人に、声が掛かった。視線を向ければ、長い赤毛を馬の尻尾のように結んだ少年だ。年の頃なら15の成人前後といったところか。
「俺はレイターってんだ。ちょっと前にここに着いてよ、目玉の競馬で遊んでたんだが、聞けばデカいレースが今週末にあるって話じゃねぇか。ここは一丁、先達諸兄に話を聞かせてほしくてよ。おーい、ねーちゃん注文頼むわー!エール3つと適当におすすめのツマミー!!」
レイターである。彼は手早く近くにいた給仕に注文すると、テーブルに着く。その物怖じしないと言うか手慣れた馴れ馴れしさに中年は二人は苦笑する。こういうはしっこい若いのは嫌いではない。
「話が分かるじゃねぇか、坊主」
「坊主は止めてくれよ先輩。これでも今年成人だぜ」
「かぁー!いっちょ前にナマ言いやがって。でぇ?アーリマの何が聞きたいって?」
届いたジョッキに口を付けながら、テーブルに広がっている競馬紙に視線を落とす。
「そうだなぁ、まずはどんなレースなんだ?重賞レースってのは聞いたけどさ」
「おう、それを聞くとなりゃ、まずは競馬の発案者であるトライアード辺境伯の三男、ジオグリフ・トライアード様から語る必要があるな」
「ああ、それは知ってるぜ。なんでも都市開発のテコ入れの一環で軍馬調教がどうこうとか聞いたな」
「お前えらい詳しいじゃねぇか………」
「え?まぁ、風の噂でな。で?アーリマの話よ」
実際には本人から聞いたのだが、わざわざ口に出す必要はないのでレイターは先を促した。
「本来はこんな娯楽を大衆に提供してくれたジオグリフ様を称えるべく周年記念レースと銘打ってジオグリフ杯にするべきだって話だったんだが―――」
「ぶっふぉ………!」
「あ?どうした?」
「い、いや、喉に酒が詰まってな。で?」
仲間がダービー氏や有馬氏の扱いになりかけていて思わずエールを吹き出しそうになったレイターだが、口元を引きつらせるだけでどうにか堪えた。
「流石に無許可じゃできねぇってんで、ベツレム代官がお伺い立てたんだが、奥ゆかしくもジオグリフ様は固辞したらしくてな。次期領主であるミドグリフ様の名前にするかどうかと色々話が出たんだが、結局過去の偉人から名前を貰ってアーリマ記念になったらしい」
そのアーリマって偉人がどんな人なのかは知らないがな、と彼は補足したが、レイターは知っている。篤志家と名高い政治家だ。成程、元政治家らしい選択かもしれない。まぁ、この世界の暦的には今の時期、安田記念か宝塚記念なのだが。
「コースはこのマカヤナ競馬場内回り芝2500m。距離も長く、計6回のコーナー、そして短い最終直線………どれをとっても一筋縄じゃいかねぇレースだ」
(まんま有馬じゃねぇか、先生よぉ………。こりゃ途中で面倒になったな?)
面倒になった、というよりは最初に参考にしたのが中山競馬場だった。その流れで自分の名前を冠したグランプリが出来るのが嫌で、「じゃぁアーリマで」と口をついて出たのが運の尽き。
あれよあれよという間に周年レースへと変わっていき、出走馬もファン投票や前年以前の顕彰馬で決まったりとファンサービスに溢れたオールスターレースへと変貌していった。
「ふーん。それで、今回はどんな馬が出るんだよ」
「おう、今年は豪華だぜぇ。色々いるが、なんと言ってもこいつ―――『絶対』よ」
「絶対?」
「そう。去年の春から今年のメイン重賞を出たら全て取ってる史上二頭目の6冠馬。『絶対皇帝』―――ロートリンゲン」
そう言って二人の中年が指さした競馬紙には、『絶対皇帝ロートリンゲン、アーリマ連覇となるか!?』と煽り文句が並んでいた。
「強いのか?」
「強いも何もねぇよ。―――バカ強ぇ」
苦笑する中年二人がその戦績を語る。
デビュー戦では流したかのような鮮やかな勝ち方。続く条件戦では騎手の指示に従わず、それでも「こう走るんだよ」と言わんばかりに先行勢を撫で切ってあっさりと勝利。重賞においてはゴールが分かっているかのようなギアの変え方で凄まじい末脚を見せて勝っている。
そして未だ無敗の絶対者。それでいて暴れ馬のような素振りを見せず、普段は大人しく気品のあるその振る舞いから帝国皇室に準えて絶対皇帝―――愛称として『絶対』と呼ばれていた。
「ははぁ、そりゃとんでもねぇや。じゃぁ、当然一番人気か」
「まさに押しも押されぬ、ってやつさ。正直、ここ一年、こいつが出るレースは紐を探すレースって言われてる」
まだ開催まで3日ある。前売りも発売されていないので想定単勝オッズ―――しかも精度もへったくれもない中世仕様の中でなので、言ってしまえば妄想の類だというのにも関わらず、1.2倍。それほどまでに多くの人間が彼が勝つと思っているのだ。そしてそれは、この中年達も同じであった。
「じゃぁ、先輩は決めてるのか?紐」
「んー、そうだなぁ………やっぱりアスカンドが良いかな。騎手乗り替わりが不安要素だが、ダットも悪くない腕をしてる。何しろあのフォーティチュードをどうにか乗ってたんだからな」
ポロリ、と出た言葉にレイターが反応した。
「フォーティチュード?なんだよ、暴れ馬か?」
「ほら、こいつさ。推定人気、18番」
「びりっけつじゃねぇか。なのに何で出てきたんだよ」
「アーリマは引退する馬の晴れ舞台とも言われていてな、過去にいい成績残した馬………顕彰馬ってやつには無条件で出る権利があるんだ。ま、記念レースってやつだな」
その年を彩った強豪馬には、運営であるベルチューレから称号と周年レースへの招待枠が渡される。その枠は対象馬が引退するまで有効で、引退宣言をすると自動的にアーリマへの出走条件が満たされるらしい。
「何で駄目になったんだ?」
「一昨年な、主戦騎手が落馬して―――死んだ」
一昨年のとある重賞レースで、フォーティチュードの主戦騎手であるラグ・バークレイが落馬した。フォーティチュードが逃げ馬だったことが災いして、落馬したラグは後続の馬群に埋もれ、踏まれ、蹴飛ばされてレースが終わった頃には既に手遅れであった。
原因は、鐙の帯切れとされているが―――。
「あの事件は闇が多い。何でだか帝国行政監督官までしゃしゃり出てきて、いつの間にかレース中の落馬になってた。だが、あれは………」
良くあること。そう、良くあることではある。レース中のトラブルと言うのは落馬に限らず、良くあることなのだ。
馬具の異常に関連したそうした事故は、今まで無かったわけではない。だが、現地で見ていた中年達は知っている。切れた鐙があった場所、即ちフォーティチュードの右腹から血が流れていたことを。それが何者かからの攻撃と結びついたのは、妨害屋と呼ばれる連中が跋扈してきたのを地元だから肌で感じていた故にだ。
だが、そんな疑念の声も監督官の鶴の一声で掻き消されてしまった。
疑問はある。疑念は今も。だが、真相は闇の中だ。
「いい馬だったのか?」
一瞬、暗くなってしまった場の雰囲気をレイターが振り払うようにして訊ねると中年二人も無理して笑った。
「おお、今でも珍しいアリアホースでよ。もう一頭の6冠馬がコイツさ。一昨年の顕彰馬なんだぜ」
「よく走るし、当時の主戦騎手ラグ・バークレイとの息もぴったりでさ、まさに人馬一体って言葉がお似合いのコンビだったんだ。二人揃ってゲラゲラ笑って楽しそうに逃げるもんだから、付いた名前が『笑撃王』。あの落馬事故がなけりゃ、今も『絶対』にデカい面はさせてねぇだろうさ」
だが、そんなフォーティチュードもその事故以降は調子を見るからに落とし、騎手も幾度か乗り換えたが改善が見られず、今や完全に終わった馬として見なされていた。実際、事故以降も騎手乗り替わりで幾つかの重賞レースには出ているが軒並み惨敗している。
そして今回、顕彰馬の枠を利用してアーリマを引退レースにすべく参戦したが―――おそらく結果は見えている、と中年二人は思っていた。この二人だけでなく、アーリマに注目しているファン全員が。その上、この直前で主戦騎手が別の馬に乗るのだ。代役が見つからなければ、出走取消もあるだろう。
それでも彼等は語る。
フォーティチュードがラグ・バークレイと駆け抜けた、あの鮮烈なレース達を。
彼等が走って伝説を創るのが役目だというのならば、観客は伝説を語り継ぐのが役目だと言わんばかりに。
「―――ありがとよ、先輩達。後の払いはこれで済ませてくれよ」
フォーティチュードの過去、そしてその武勇伝を幾つか聞いた後、レイターは銀貨数枚をテーブルに置いて席を立った。
「おお、悪いなレイター。俺も楽しかったぜ。久々に、あのフォーティチュードの話ができて、よ」
そのどこか寂しそうな物言いに、レイターは振り返らずにこう告げる。
「―――なぁ、先輩達。いい話の礼に、あんたらに1つ助言するぜ。週末のアーリマで馬券買うなら是非参考にしてくれ」
「ん?何だよ」
こんな事を言うつもりはなかった。彼等との関わりもきっとこれっきりだろうから。これから先、本人―――否、本馬がどんな選択をするかわからないから。だが、それでも。
「フォーティチュードは諦めない。―――きっとな」
理不尽を見せつけられた彼等に、僅かな救いを見せたかったのだ。
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自身の馬房で寝転んでウトウトしていたフォーティチュードは人の気配を感じて、一瞬だけ目を覚ました。だが、直ぐに厩務員の誰かだろうと再び意識を手放しかけ―――。
「よぉ、フォーティ」
『―――ああ、あたらしいひと………えぇっと、れいたーだっけ?』
声を掛けられ、視線を向けてみると赤毛の少年がいた。
「貰うぜ」
『あっ。ぼくのにんじん!』
いつもの悪童みたいな笑みを浮かべるレイターは馬房入口に置かれた給餌箱から人参を一本拝借すると、ボリボリ齧り始めた。
「ケチ臭ぇこと言ってんなよ。次のレースに勝ちゃ、幾らでも食えるさ」
『むりだよ………。つぎのれーす、ぼくにのるひといないし』
それが本音で、それが不貞寝している理由であった。
いくらフォーティチュードが仕上げてきても、騎手がいなければ出走できない。普通の馬と違って思念伝達能力がある彼等アリアホースは人の言葉を理解できるし、畢竟、人が敷いた競馬のルールも理解している。だからこそ、現状ではアーリマ記念に出走できないと知っていた。
それを鑑みてミソラが奔走しているが、芳しい結果には至っていない。アーリマ記念まで後3日。それまでに騎手を見つけて最低限、自分の走り方に合わせてもらう必要がある。だが、そうそう代役は見つからないし、有力な騎手は既にお手馬でアーリマに挑む準備をしている。
そうでない騎手であっても、既に終わった馬とされているフォーティチュードに乗って、悪戯に自分のキャリアを傷つけようとはしないだろう。
そしてその現状を変える手段を、フォーティチュードは持っていなかった。事ここに至ってはやれることも、やるべきこともなくなった彼は不貞寝していたのだ。
「お前、本当にそう思ってるのか?」
『だって………はしれたとしても、ぼくは………』
言い淀むフォーティチュードにレイターは吐息する。レースに向けての準備はしてきた。実績も、アリアホースの知能による理解や覚悟もある。だが、今の彼は心の何処かでホッとしている。
何故なら。
「―――騎手を死なせるのが怖い、か?」
『………!』
走らなければ、落馬させることもないのだから。
「聞いたぜ。前の前の騎手………ラグ・バークレイは、二年前のアーリマの落馬事故で死んだって」
『ちがう!あれはじこなんかじゃない!』
「へぇ?」
フォーティチュードの強い否定にレイターは腕を組んで先を促した。
『あのとき、あぶみがきゅうにはじけとんだ。まじゅつをとばされたんだ。まりょくのながれで、ぼくにはわかった』
「妨害屋、か?」
『わかったんだ。みえてたんだ。あとすこし。ほんのすこしはやく、らぐにちゅういできてたら。ほんのいっぽ、いっぽだけでよかった。よこにずれていられたら………らぐはしなずにすんだ。うったのはぼうがいや。だけどしなせたのは―――ころしたのは、ぼくだ』
あのレース、その第三コーナーで攻撃魔術を受けた。何しろレース中であり、逃げ馬である彼にとっては最終コーナーまでが勝負な部分がある。故に道中で速度が乗りすぎたフォーティチュードの身体は、即座に避けれるほど繊細な制御はできず、それでもどうにか身を捩った。
そのせいだろうか、あるいはそれでもだったのか―――今となっては分からない。
だが、結果として鐙の革帯が断ち切られ、支えを失ったラグ・バークレイは落馬し、後続の馬群に消えていった。
『ぼくなんだ………らぐをしなせたのは』
次に会った時、終生の相棒は物言わぬ姿になっていた。その時の喪失感を、後悔を、諦念を、今もフォーティチュードは昨日のように思い出せる。
「だから「ひとごろし」、ね。それでわざと負けてるのか。お前が負ければ、騎手が狙われないから」
『………』
わざとか、と言われた時にフォーティチュードは頷きたくはなかった。だが、実際はわざと負けているようなものだ。あのコーナーが迫る度に、先頭でいる度に、どうしてもあの時の光景が脳裏によぎってしまう。
また失うではないのかと迷う。迷いは速度を奪う。だから中途半端に稼いだ有利距離は最終直線で役に立たなくて、フォーティチュードは馬群に沈んでいく。そんな事を、もう一年以上繰り返していた。本気を出せない。出したらまた失うかも知れない。逆噴射すると観客が分かっているのなら、妨害屋から手は出されないかも知れない。だから彼は本気で走れないのだ。
「優しいやつだな、お前。けどよぉ、悔しくないのか?―――笑撃王」
『それ、は………』
それはフォーティチュードに贈られた、生きた証。
生まれつき身体が弱く、群れから見捨てられた彼がラグ・バークレイと出会い、そして共に戦った誇り。
「聞いたぜ、お前の足跡を。随分と派手に勝ってたじゃねぇか。ラグ・バークレイと一緒にさ」
珍しいアリアホース。そしてベルチューレ競馬史上初の七冠に王手を掛けた馬。
「残念だが、ラグ・バークレイはもういない。どう願っても、死んだ人間は生き返らない」
皆から期待されていた。信じられていた。
「だが、手向けることは出来るさ。お前はどうなんだよ、フォーティチュード。今のお前は、その姿は、かつての相棒に胸張って見せれるか?まだ負け続けたいのか?」
もう本気で走れなくなって随分になる。次だって、まともに走れるかの保証はない。
それでも。
『まけるのは、いやだよぉ………』
自分が唯一誇れる分野で負けたくなかった。
『うそ、つきたくないよぉ………』
皆の期待を、信頼を裏切りたくなかった。
『わらえないの、いやだよぉ………!』
そして何より―――フォーティチュードとラグが重ねた物語を、こんな形で終わらせたくなかった。
「諦めたくないか?」
『うん………』
最早、趨勢は決しつつある。
「もう一度、本気で走りたいか?」
『うん………』
欲望に端を発する悪意は理不尽となって彼等を硝子のように壊し、かき集めた破片で再び絵図を描こうとするのならば同じ様に牙を向くだろう。
「最後ぐらい、笑って勝ちたいか?」
『うん………!』
それでも諦めたくないと、尚も理不尽に抗おうというのなら―――。
「よぉーし決めた!俺は決めたぞフォーティ!」
『な、なんだよぉ』
見かねた馬鹿が、参戦するのである。
レイターが己の拳を掌で打ち合わせると、それは厩舎に大きく響いた。そのあまりの大きさにフォーティチュードは尻込みし、周囲の馬達も何だ何だと騒ぎ出した。まるでそれがなにかの合図だったかのように、レイターの気配が大きく変わる。
「4日後の引退レース、俺を屋根にしろ。これで最後だってんなら、笑って最後の花道を駆け抜けられるよう―――」
元は野生で生まれたフォーティチュードはその気配を知っている。普段は大人しい大型の草食獣が、群れに手を出されて怒り狂っている時に見た、暴風のような荒々しさ。そのぞっとするような容赦の無さは相手が肉食であろうとも一切引くことはなく、食われるという理不尽を覆して体重差という理不尽を押し付ける。
「お前の前に立ち塞がる理不尽を、俺達の理不尽でぶっ壊してやる」
けれど幼き日に見た暴風は、今度はフォーティチュードを庇護し、そして背中を押すものであった。
続きはまた来週。




