第六話 フォーティチュードは諦めない④ ~妨害屋~
元々、ベルチューレには牧場など無かった。
ただ、当然のことながらそれぞれの農家は自分の農地を持っていて、そこを耕すために農耕馬を所有していたのだ。維持が大変ではあるが、農閑期には鉱山に貸し出すなどして不労所得にもなるので豪農になるとそこそこの数を揃えていたそうだ。
だが、鉱山が廃坑となり馬がダブつくようになってきた。
さてどうしようと悩み始めたろころで、ベルチューレで競馬が一大ムーブメントとなったのだ。農家は勿論、商人も自分がスポンサーとなって馬を所有するようになり、元々広い農地を持っていた豪農は畑を牧場へと変えて委託管理料などで生計を立てるようになっていった。
ミソラ・バークレイもそんな農家から厩舎へと転身した豪農の出だ。
平民でありながら農家を管理する側として性を旧領主から授かった一族であるバークレイ家は、財政を傾けて罷免された領主が去った後も農家をしていたが、農地は一部分を残すだけにして大部分を牧草地にした。豪農の多くは10年前の改革次期に、ラドグリフやベツレム―――もっと言うならジオグリフの提案だが、当時5歳では信用面から受け入れられないという判断のため―――から打診を受け、このまま細々と農家をやるよりは、と転身を決心した。
結果として、当時傾きかけていたバークレイの財政も大きく立て直すことになった。この10年の間に4頭の顕彰馬を排出し、幾つかある厩舎の中でも上澄みという認識をされていた。
ほんの二年前までは。
一昨年、ミソラの父、ラグ・バークレイが死去した。死因はレース中の落馬だという。
厩舎を運営する傍ら、自身が騎手として出場する調教師は多い。というのも、まだ競馬の黎明期ということもあって下手な騎手よりも普段から扱い慣れている調教師の方が扱いが上手かったりするのだ。時代が進み、いずれは洗練されて分業化するようになってくるだろうが、過渡期とも言える今は実に雑多な風景が見れる。
ただ、調教師兼騎手ということは、言ってしまえばワンマン経営だ。
大黒柱が折れてしまえば、その凋落はあっけない。無論、ラグも自身が壮年ということもあってか将来を見越して次代を育てるべく幾人か騎手を見繕って育成していた。多い時には二十人近く弟子がいたらしい。だが、前述の通りワンマン経営。カリスマがいなくなれば、後は砂上の楼閣だ。
そして最後の一人―――ダットが先程去っていった。救いがあるとすれば、彼も自分のためだけではなくバークレイを救うために外に出たということか。
走れる馬はいる。だが、騎手がいない。ミソラも人並に馬に乗れるが、勝負となればまた別だ。まだ調教師としても半人前なのに、今、勝負の世界に飛び込んだとしても食い物にされるだけだ。彼女が育ち切る前に潰されるか―――いや、その前にバークレイ厩舎が資金繰りで保たないかも知れない。今現在でさえ自前の馬を切り売りしているぐらいだ。
そんな彼女にとって、アーリマ記念での勝利は起死回生の一手であった。
基本的にファン投票で出走が決まるのだが、慣例として顕彰馬に数えられた馬ならば引退レースとしてほぼ無条件で出ることが可能だ。ミソラはそこに目をつけて自厩舎の馬をねじ込んだ。ここで結果を残せれば、引退した後も種付け料でしばらくは繋げる。およそ数年の時間稼ぎにしか過ぎないが、今はその時間が欲しかったのだ。数年もあれば、最悪自分が騎手として育つ時間も作れると。
だがそれも、ダットの出奔で潰えた。
彼女はただ、父の遺した厩舎を救いたかっただけなのに。
「ははぁ………なるほどねぇ………。苦労してんな、姉ちゃん」
「うっ………うっ………苦労したんですねぇ………」
「あ、あの………?」
厩舎への移動がてら身の上話を聞きいていたカズハはその奮闘ぶりに涙を流しながらミソラを抱きしめて、レイターはポンポンと肩を叩いた。されている側はとにかく必死で動いていただけで、あまり自覚がなかったのか困惑するばかりだ。
「もう大丈夫ですよ………レイター様が、レイター様がきっとなんとかしてくれますからね………」
「期待が重いぜ………。ま、取り敢えず、出る馬見てからだな」
調教師細腕繁盛記かよ、とレイターはボヤきつつ競走馬に会うってワクワクするよなと胸中ではテンションを上げていた。このケモナーは本当に空気を読まない。
バークレイ厩舎はベルチューレの南東の牧場にあった。この一帯は幾つかの厩舎が犇めいていて、その一角がバークレイ所有のようだ。
木造の厩舎は幾つかのパーティションがされており、何頭かの馬が繋がれているが、それは預かっている馬のため馬主はまた別らしい。厩舎の最奥、ある意味でバークレイの主とも言える馬房に鎮座する馬こそが、このバークレイ最後の所有馬―――。
「フォーティチュードって言います」
馬房の藁で寝転がっている馬の毛色は鹿毛。体格から外見から察するに500kg前後の軽量の牡馬。その絞った身体から浮き出た筋肉に、レイターは前世でのサラブレッドを想起した。
この世界での競馬は、未だ幼く、言ってしまえば農業の延長線上だ。人間があくまで農耕馬に、それ以外の価値を見出しただけに過ぎない。故に今はまだ兼業が多く、競走馬一本でやっていく馬の品種改良はこれから始まっていく。
だから体つきというのは本当にまちまちだ。これは走らないだろうという体格の馬から、筋肉のつき方が荷役のそれに特化している馬まで色々いる。レイターが先程競馬場で馬鹿勝ちしていた理由もそこにある。少なくとも、馬券生活したことがない彼ですら見抜けるぐらいにはこの世界の競馬は浅い。
そして、前世で幾つもの名馬を知っているレイターが見るに、このフォーティチュードという馬の体つきは競争に向いて―――否、特化している。
更に。
「この子は―――」
『おかえり、ミソラ。そのひとたちは、だれ?』
寝転がりながら視線を向けてきた馬から、思念が飛んできた。
「アリアホース………!マジか!?」
その事実にレイターは絶句する。この馬は、ただの馬ではない。
「レイター様、アリアホースというのは、確かレイター様がお持ちのブラシに使われていたような………」
「そうだ。別名、群れない馬。馬同士、離れた状態でも思念能力で意思疎通が取れるから広域警戒網を持っていて、他者が近づくとすぐさま伝達して広がった群れごと移動しちまうから、接近者が見れても一頭だけ。だから学者が調べる前の時代には孤独な馬とも呼ばれていたんだ」
地域によっては神の一種、あるいはその使いとして崇められていたり、思念能力があることから人と僅かながらに関わることもあるという。神鳥グリムエッダほどの知能や戦闘能力は無いにしても、少なくとも人に害をなす種ではないことから魔物という認識はされなかった。
付かず離れず、ある意味で人と野生動物との理想的な距離感を維持してきた種族とも言える。
「俺は昔、地元の森の中で『はぐれ』と出会ったことがあってな。その時仲良くなって、尻尾の毛を少し譲ってもらったんだが、人里にいるアリアホースなんて初めて見たぜ………」
レイターは子供の頃、アリアホースの広がった群れ―――言ってしまえば思念領域網から外れてしまった子馬と森の中で出会い、暫くの間世話をしていた時期があるという。結局、一週間ほどで迎えに来た親に引き取られていったが、その際に礼として親から尻尾の毛を少し貰ったそうな。
因みに、この世界ではウサギの足よろしく幸運のアイテムだという。
『はじめまして、あたらしいひと。ありあほーすの「ふぉーてぃちゅーど」だよ。ながいから、「ふぉーてぃ」ってよんでね』
「おお、俺はレイターってんだ。よろしくな」
「カ、カズハです」
のそっと立ったフォーティチュードが、馬房から顔を覗かせて挨拶する。その人懐っこさにレイターは相好を崩し、アリアホースとの初邂逅となるカズハは若干緊張気味であった。
「ごめんね、フォーティ………。ダット、別の馬の騎乗依頼が来て、そっちの方行っちゃった」
『そっか………でもしかたないよ。ぼくはもう、むかしのようにはしれないから』
彼の大きな流星を撫でながらそう告げるミソラに、フォーティチュードは頷いた。気落ちはするが、どこか諦めたように。
それは見たレイターはチグハグなやつだなぁ、と眉をひそめた。
「なぁ、おいフォーティ。そんなイイ身体しておいて何でそんな諦めてんの?」
『それは………』
「お前さんの身体は諦めたやつのそれじゃねぇ。そのバッキバキの身体のつき方は、調教師の指示に嫌々付き合ってちゃならねぇよ」
フォーティチュードの言動と身体が不一致過ぎる。これはアーリマ記念を見越して身体を作り込んできた者の仕上がりだ。仕方ないの言葉一つで捨てられるほど、掛けた時間は短くないだろう。まして自分の意志を伝えられるアリアホースなのだ。本当に嫌ならば、普通の馬と違って拒否の意思も伝えられたはずだ。
それをせずに、大舞台へと向けて仕上げてきた。それはつまり―――。
「心のどっかで、まだ諦めてねぇんだろ?」
レイターの言葉に、フォーティチュードは否定はしなかった。だが、瞳を閉じてこう告げる。
『だけど………だけど、ぼくは「ひとごろし」だから』
彼の前に立ち塞がる理不尽は、彼が自由に走ることを許さなかった。
●
証拠金を預けたまま賭場を後にしたマリアーネとリリティアは、そのまま街を散策―――というよりは屋台巡りに興じていた。今日は他のギャンブルをする気がなくなった、と肩を竦めるマリアーネに、リリティアは尋ねる。
「お姉様。よろしいんですか?」
「何がですの?」
砂肝串をはむはむと口にするマリアーネに、リリティアは手にした紙を見せた。
大銅貨2枚で発行されている競馬新聞だ。こうした活版印刷自体はロマネット大商会―――正確に言うとマリアーネ経由の前世知識―――が普及させている最中で、やや高額だが、同一書面の大量生産には向いているということで、昨今では帝国の至るところで見られる。この競馬新聞もその1つで、数日分のレース表と週末の目玉レースの寸評などが書かれていた。
「勝負の内容です。いくらなんでも、お姉様に不利なのでは?」
「そう思います?」
「だってほら、この馬………」
新聞をめくってみれば、週末のアーリマ記念―――マリアーネとニッドが賭けるレースの寸評が書かれていた。
そこには『絶対皇帝リートリンゲン、アーリマ連覇となるか!?』と煽り文句が書かれており、リートリンゲンという馬がいかに素晴らしい戦績を上げてきた駿馬なのか所狭しと書かれていた。前売り馬券の人気予想も不動の一番人気。現段階ですら、推定オッズ1.2倍の所謂ガチガチである。
勝負は水ものとは言え、下馬評だけでここまで力の差があると、リリティアでも不安に思った。何しろ、マリアーネは賭ける馬の優先権を譲っているのだ。
「間違いなくアイツ、この馬に賭けるはずです。それに多分………」
「妨害屋、ですわね」
加えて屋台巡りの最中、情報を集めていた二人の耳に不穏な言葉が入ってきた。
「八百長を取り締まってマフィアを締め出した結果、やはり外部介入が増えたようですわね。色々とあくどいことをしているようですわ」
ニッドと対峙した時に予想したイカサマが現実味を帯びたのだ。必要悪を排除した結果、行政が制御しきれない巨悪が介入を始めてしまったようだ。ここ数年、主だったレースが荒らされており、行政も手を打っているが取り締まりきれていない。一昨年に至っては、人気騎手が落馬事故で死亡までしている。
どうもニッドに紐をつけている胴元―――その上役がマフィアのようで、おそらくは妨害屋と繋がっているか、さもなくばそのものだろう。
そしてリートリンゲンは人気馬だ。間違いなくニッドは指名するだろうし、万全を期してマリアーネが選んだ馬を妨害屋を使って狙い撃ちにする可能性が高い。
どう考えても分が悪いのだが―――彼女はにこりと微笑んで。
「リリティア、よく覚えておきましょう。昔の偉い博打打ちはこう言いました。―――分の悪い賭けは嫌いじゃない、と。リスクを取れば取るほど、リターンもまた増えるものですわ」
一般的に、穴党と呼ばれる人間の台詞である。
確かに理論的に、番狂わせが匂っているレースばかり選んで試行回数を重ねれば使った掛け金よりも配当が上回ることはあるだろう。だが、今回に関しては一回勝負だ。その一回で穴を手繰り寄せるというのはなかなかにシビアである。豪運というか悪運というか、ちょっと賭け事の神にでも愛されていない限りは不可能だろう。
「でもお姉様。今回はリターンと釣り合ってませんよ」
「あら、そんなことは無いですわ」
それを理解しているリリティアが苦言を呈すが、マリアーネは扇子で口元を隠してクスクスと笑う。
「金貨2000枚を手に入れて、生意気にも自分の勝ちを確信している気に食わない勝負師モドキの鼻をへし折る―――博打打ちにとって、これほど心躍るメリットはありませんわ」
もしもこの時、扇子で隠された彼女の口元を見ることが出来たのならば―――口の端が歪み、笑うよりも嗤うというニュアンスがピッタリの表情を見れたことだろうが、リリティアにはただ楽天的に笑っているようにしか見えなかった。
そう。この時はまだ、彼女もまだマリアーネの逆鱗を知りようがなかったのだ。
●
一方、レイターとカズハ、マリアーネとリリティアを見送ったジオグリフは割り当てられたホテルの一室にベツレム代官を招いていた。彼は手勢にシリアスブレイカーズの案内を任せて分かれる際、ジオグリフにだけ話があると耳打ちしていたのだ。
案内人からすぐに来ると聞かされていたジオグリフは、だからベルチューレの観光に赴かずホテルで待機していた。隣にはラティアもいて、彼は「四人に一緒に行っても良いんだよ?」と促したが「四人に悪いし、観光するならジオと一緒がいいわ」と固辞。
そういった訳で、二人でベツレムを迎えてソファに腰を下ろした。
「それで、折り行って話とは?」
「実は、ですな………」
「ああ、彼女は身内だから」
ちらり、とジオグリフの隣に座るラティアに視線をやるベツレムに、彼はパタパタと手を振って大丈夫だと太鼓判を押した。その様子に、ベツレムは頷き、ニヤリ、とやはり邪悪な忠義の笑みを向ける。
「ほほぅ、坊ちゃまの将来の奥方ですかな?」
「おくっ………!?」
「あはは………いつかそうなればいい、とは思ってるよ」
「ふぁっ!?」
ジオグリフのまさかの返しに、顔から蒸気を噴き出しつつ耳をピコピコさせ視線を泳がせるラティアにベツレムは頬を緩ませた。先程までの謀反フェイスではなく、孫にイイ人が出来たかのような慈愛の笑みである。因みにラティアと言うと「奥方………」とか「結婚………」とか「妊娠………」とか「大家族………」とかジオグリフには色々と心臓に悪い妄想の世界に旅立っていった。
「おやおや、坊っちゃんも罪作りなお方だ。では、私のお話なのですが―――」
ジオグリフの言い方に何かしら障害があるのだろうな、とベツレムは察しつつもそれは今回の本題とは逸れるので横に置いておく。
本題はここ数年、ベルチューレで跋扈する妨害屋の話であった。
「成程。個人のイカサマ程度ならテクニックの内で見逃すけど、妨害屋、ねぇ………八百長は未開発の鉱山送りにしたんだけど、駄目かぁ………」
「裏社会を絡めなかったのが裏目に出ました。何年か前から騎手や馬に怪我人が出るようになりまして、一昨年はとうとう死人まで………」
無論、裏社会を絡めなかった理由はある。
と言うかそもそもジオグリフの初期の想定だとここまで大規模ではなかったのだ。精々が草レースぐらいな人気があれば良いと思っていた。そこで蠱毒が如く切磋琢磨させ、成績の良い順からかけ合わせて強い軍馬が出来たら各地へ出荷して儲けるのだと。あくまでレースは過程であり、強い軍馬への品種改良が目的であったのだ。
故に、裏社会を絡める必要性を見いだせなかったし、場合によっては本来の目的の邪魔になりそうだったのであらかじめ排除したのである。
ところがどういう訳か過剰とも言える人気を博し、何だったら今のベルチューレを支える大黒柱にまで成ってしまっている。そして儲かるならばと色々な人間がやってきて―――しかし法権力によって最初から締め出されてしまっている。だが、諦めるにしては関わった場合の利益が莫大すぎる。
ならば、外部から介入を仕掛ければ良い―――と出てきたのが妨害屋だ。
無論、違法の塊だ。だが、そんなものでどうにもならない程の巨万の金が動くとなれば、策を弄してでも仕掛けるのが人間というもの。実際、下手人は食い詰め冒険者や借金まみれの魔術士、あるいは研究するための運転資金が欲しい錬金術士など切り捨てる前提の者達だ。
「根っこは調べてあるのかい?」
「無論です。ですが………」
当然、ベツレムとてそこから辿って当たりは付けているし、既に首根っこを押さえる段取りもしてある。故にこそ、懐に忍ばせた資料をテーブルに置いて、ジオグリフへと差し出した。
「流石。見せてもらうね」
彼はそれを手にとってパラパラとページを捲り、速読で概略を理解するとパタンと閉じて天を仰いだ。
「ははぁ、確かにこりゃ迂闊に手が出せないね………」
「情けないことですが、代官の私では権限が足りません。かと言って閣下に直接お知らせすれば、陛下の御裁可が下されるまでに気取られて隠匿される可能性があります」
「自己保身に長ける人間は鼻が良いからね。父様や次期当主の兄上の動向は見張られているだろう。権力に近い人間が変に動けば悟られる。となると、だ………」
確かに辿った相手がコレでは有能であってもただの代官であるベツレムでは動きづらいだろう。かと言って、直接領主であるラドグリフが動けば、管理者である皇帝に伝達するまでに悟られる。場合によってはトライアードに謀反の動きありなどと虚偽の報告をされて、泥沼に引きずり込まれない。実際虚偽なのだから釈明や弁解は可能だろうが、凄まじく時間が掛かるしこちらが手間取っている間に証拠も隠匿されるだろう。
可能ならば、直接皇帝に知らせられるのが一番良い。
「よし、じゃぁ僕が動こう。―――トライアードの放蕩息子としてね」
そして幸か不幸か―――シリアスブレイカーズには地竜騒動でやらかした結果、その伝手があったりするのである。
続きはまた来週。




