第四話 フォーティチュードは諦めない➁ ~レイターとカズハの場合~
もう短編とは思えぬ長さにw
手荷物を宿に預け、シリアスブレイカーズ一行は解散した。
何しろベルチューレは都市、と銘打っているだけあって広い。街そのものが観光資源化しているので、そっくりそのままが歓楽街。それぞれに興味を覚えるものも違うし、じゃぁ一旦散らばろうとなっても仕方がないことだった。
そんな中、レイターと彼についていくことにしたカズハが足を向けたのは都市の南側だ。
「んーっ………!しかし久々だなぁ、先生と姫と別行動するの」
運転から開放されて、身体を伸ばしコキコキと首を鳴らしながら歩くレイターの身体はそれなりに疲労していた。
運転自体は慣れているし得意なのだが、この世界の馬車の振動はちょっと洒落にならないほど酷い。そもそも道すらろくすっぽ舗装されていない中、エアサスは流石に贅沢でも板バネすらない馬車では直下型地震なぞ目じゃない振動が乗り手を常に襲う。当然、揺れを考慮してそれほど速度は出せないし、速度が出せないと到着が遅くなるのでその分運転時間が増える。
結果、慢性的に腰にクるのである。
「仲がよろしいですよね、御三方は………」
先生と姫に頼んで早いとこ板バネぐらいは世間に広めてもらおう、と世の中の運転業務に携わる人のためにレイターが改めて決意していると、横を歩くカズハが羨ましそうに呟いた。
「まぁ、魂の義兄弟ってところだからな。つるんでて楽しいと言うよりか、無理がないんだわ。―――楽しいだけだと、人間関係疲れるしさ」
レイターが前世で運送業務を生業に選んだ理由は幾つかあるが、煩わしい人間関係を嫌ったのもある。
基本的に一人仕事であるし、拘束時間は長いが比較的自由はあるからだ。尤も、移動距離が直接仕事に反映される以上はサボったりは出来ないし、定時が12時間で給料は安いというデメリットも多々あるが。
だが、デメリット以上に必要以上に人と関わらないで済む、という点が魅力だったのだ。少なくとも、前世の彼にとっては。
「前々から思っていたんですけど、ずっと前からのお知り合いだったんですか?」
「んー………俺達にも色々あってさ、その辺りの事情はちょっとややこしいんだ。説明はいずれするとは思うが………まぁ、俺達三人が腹くくってから、かな」
転生の事情、前世の記憶、そして前世でのトラウマ。
基本的に前世での後悔から好き勝手に振る舞っている三馬鹿ではあるが、そこに関しては一様に及び腰になっている。前世での記憶や経験は彼らの武器になっているのだが、同時に心の柔らかい部分でもあるために諸刃の剣ともなっていた。
すでに転生して、この世界で骨を埋める覚悟は決めてはいるが―――どうしても引きずるものがある。
今が楽しいから良いじゃない、と刹那的に生きれるほど人生を舐めてはいないし、かと言って真面目に向き合うほど実直でもない。
結果、問題を先送りにして享楽的に生きることになったのだ。この三馬鹿、人生を舐めてはいないが即物的な生き方を主としている。根っからの俗物とも言う。
「さって、そろそろ見えてくるかなぁ………!」
「そう言えばレイター様、私達はどこへ向かうのですか?」
「そりゃ決まってんじゃん」
あまりこの話題を続けたくなくて、露骨に話題をそらすレイターは首を傾げるカズハに親指を立てて告げる。
「いざ競馬場へ………!!」
やはりこのケモナー、随分と享楽的に生きていた。
●
ベルチューレのマカヤナ競馬場と言えば、この世界では競馬の聖地である。
そもそもこの世界に於いては馬と言う存在はただの労働力、あるいは軍事物資の一つと言う認識だったのだ。
働かせることはしても、競争させて利益を出すという発想には至らなかった。三馬鹿の前世である地球では、元は王侯貴族の遊びからスタートしたが、この世界では最初から大衆娯楽として始まった。
発起人であるジオグリフが日本競馬を参考に広めた結果、その面白さから大いに民衆にウケたのだ。
いや、正確にはウケすぎた。
元々大衆娯楽が少ない時代である。簡易的なボードゲームやトランプなどのカードゲームはあっても、大衆が熱狂の渦に包まれるような娯楽は闘技場ぐらい。それも血を見る結果が多々ある上、管理者は国でも賭博の胴元が裏社会という傾向が強く、ご当地化することはあっても賭博のメインストリームにはなりづらかった。
そんな中で始まった公営競馬である。
馬を走らせ誰が一着になるか予想するだけというシンプルさだが、そこに至るまでに様々なドラマがある。
その馬がどのようにして生まれて育ち、騎手と出会い、走ってきたのか。血統は、適正は、脚質は、性格は、と予想するための判断材料は非常に多く、そのバックストーリーにもジオグリフは注力したために沼る、もとい、嵌まる人間が続出した。
早い話、推しの馬、という概念が創出されたのだ。
結果、ベルチューレだけに留まらず、その人気は大陸中に広まりつつある。
そしてその発祥の地であるベルチューレはマカヤナ競馬場では、今日も数多くの競馬ファンで賑わっていた。
「大きいですし、人も多いですね………毎日やっているのでしょうか」
「獣人的にはつらくねーか?音とか」
「大丈夫です。ほら、こうやって時々休憩してますから」
「おおう、耳が………!」
今日も競馬場に押し寄せている観客たちの活気に圧倒されるカズハをレイターが気遣うが、彼女は狐耳をぺたん、と伏せさせて遮音性を確保した。その動きにケモナーが色めき立つが、公衆の場なので我慢。
さて、少額の入場料を払って競馬場へと入ると、エントランスでは今月のレースの日程表が張り出されていた。それを眺めるレイターは考察しながら頷く。
「このスケジュール表見ると、オープン、重賞レースは土日。平日は平場だけ―――あ、障害やばんえいも平日か。ふぅむ………中央と地方を合体させたような感じ?ああ、成る程。休日に目玉レース固めることで平日に到着した宿場客を足止めしようって魂胆な。そりゃそうだ。隣の都市まで旅すりゃ数日がかりが普通だし」
現代日本では場外発売もあればライブ中継もあるし、昔は電話回線での馬券購入も最近ではスマホやPCでのネット購入が主流になった。本場の熱気を体感しないのであれば、家にいながらにして全てが事足りてしまうのだ。
だが、この中世仕様の世界ではテレビは当然ラジオもない。それどころか本場へ行くための足も徒歩か馬車での移動が基本で、休みの日にちょっと車で遠出して競馬場へ、という行動も出来ない。
畢竟、手軽さが無い為に利益を出そうとすると綿密な仕込みが必要となった。
故に、まずは平日に競馬を体験できるレースを網羅してここを通過する商人や旅人に軽く遊ばせる。時間指定や期日必着が薄い世界なので「数日ぐらいいいか」と長逗留を促し、週末の目玉レースでの集客へ繋げるのである。
「人だかりが出来てますが、あれは何でしょう?屋台にしては食べ物の匂いはしませんが」
エントランスでは壁際に屋台のような帳台が軒を連ねていた。何事か書いてある木札を板に掛けたり外したり、色々と忙しくしながら周囲に店主らしき人達が人だかりに向かって声を掛けている。
「ああ、多分場立ち―――予想屋だな。レースの予想をする代わりに、小遣い程度の手数料を貰うのさ」
「当たるんですか?」
「参考程度にするのが丁度良いな。丸乗っかりは危険だぜ。自分で全的中できるならそもそもそんな商売しないんだし」
これが結構店ごとの個性が出てておもしれーんだよなぁ、とレイターは懐かしいものを見た表情で頷き、エントランスの案内板に視線を巡らす。流石に前世知識を持ったジオグリフが基礎設計に関わっただけあって、施設の配置も似通っていた。
前世のレイターならば適当なベンチや片隅でホットスナック片手に競馬新聞とスマホで予想しながら狙っているレースを待つが、異性連れですることではない。あれは連れが同じ趣味の同性か、さもなくば気ままなお一人様でやるから楽しいのだ。
「飯には少し早いし………じゃぁ取り敢えず、まずはパドック行ってみっか」
「ぱどっく?」
自らの腹の空きぐらいを確認して、レイターはカズハを伴って通用口を歩いていく。すると小さな運動場のような、あるいは屋外ステージのような場所を馬達が厩務員に手綱を引かれて歩いている場所へと出た。連なって周回する馬達を、席から眺める客達は真剣な眼差しで選別していた。
パドック―――所謂下見所、と呼ばれる施設だ。
「先生が多種多様な馬を集めたって言ってたが本当だな………!」
そこには軍馬で使われる品種から長距離移動を前提とした品種、更には農耕馬まで色とりどりの品種が連なっていた。まるで馬の博覧会の様子を呈しているパドックに、ケモナーは大興奮だ。
前世の地球では競走馬といえばサラブレッド及びサラブレット系種だが、あれも始まりはそもそも18世紀に別品種同士のかけ合わせから始まった。競馬が始まって十年では、競争に適した馬、という厳格な品種改良はまだ行われていないのだろう。
元々の狙いも軍馬育成を目的にしているので、走る芸術品ともガラスの脚とも形容されるサラブレッドは、もっと競馬が浸透して競走馬という枠組みが出来ないことには生まれないのかも知れない。
「どれがどれだか分かりません………」
しかしそんな目利きを出来るのは馬に関わる生き方をしている人間か、元からの馬マニアか、さもなくばケモナーぐらいなものである。一般人からしてみればどれもこれも同じ馬に見えるし、カズハの戸惑いはさながら理解の出来ない趣味を自慢する彼氏に対する彼女のそれであった。
「ああ、悪ぃ悪ぃ。まぁ、早い話、ここと返し馬見て、調子の良さそうな馬を買うのさ。で、買った馬券が的中したら、配当表に従った払い出しがあって、掛け金よりも増えてたら勝ちってこと」
「え?的中しても負けることがあるんですか?」
「ああ、トリガミつってな。負けたくねーからって保険で幾つも馬券を買うとなりやすくてよ。当てたは良いけれど、配当低くて総購入額より低くなって結果赤字、って状態だな」
こればっかはやってみねーとわかんねーよな、とレイターは苦笑して、懐から財布を出す。運悪く、細かく崩れたものは大銅貨二枚。残りは銀貨。大きな金額はギルドへ預けている。とは言え大銅貨二枚は日本円換算で二千円。遊ぶにはちょうどいい金額だろう。
ぴん、と親指で銅貨を跳ねたレイターは。
「折角だから小銭でやってみるか?」
落ちてきたそれをキャッチしながらカズハを誘った。
因みにギャンブルに限らず、この「まずは少額から」は悪辣な罠である。無限に続く底なし沼への第一歩なので賢明な諸氏は注意されたし。
●
競馬の予想をする際、血統や前走のデータは確かに大事だ。
だが、馬は生き物であり機械ではない。人間でもそうであるように、如何にプロのアスリートであろうともその日の調子や気分で成績を左右される。無論、人間はその来る日の為に精神を含めた調子を整えていくのだが、馬にとってその日など理解できようはずもないし、そもそも人間の都合など知ったこっちゃない。
必然、どれだけ強い馬であっても体の調子が悪い、気分が乗らない、今日は手を抜こう、などと様々な要因で持てるスペックを振るわず勝ち星を落とす時がある。馬の知能は人間換算で二歳から三歳程度。その頃の人間が所謂イヤイヤ期に該当することから、そうして戦績を落とすのは仕方がないことだと察することもできよう。
だが、人間都合ではあるが金が掛かっている、あるいは賭けている側からすれば溜まったものではない。
そうした発走直前の調子を見抜くためにこの下見所という場所は存在するのだ。
「下馬評じゃあの馬が一番人気だが、ちょっと汗出過ぎじゃねぇかな………」
都度木片を差し替えて代わる次レースのオッズ表と馬の様子を眺めながら、レイターは懐疑の視線を向けた。
汗馬、という言葉があるように馬は汗を掻く。それも大量にだ。これには様々な要因が挙げられるのでここでは割愛するが、人間に置き換えれば汗を掻いて疲弊している状態だ。
レース前にこれでは、途中でバテてしまうだろう。
「心音が速いですね。あの7番の子が一番落ち着いてます」
それを聞いて、カズハが寝かせていた耳を立たせて周回する馬達の鼓動に着目して助言する。
「前走データは二着………3ハロンタイムは―――ああ、まだ競馬自体始まったばかりだから計測してねぇのか。だが距離と天気、馬場は前走と同じで内枠。なのに中穴だぁ?何で?」
カズハの助言に従って掲示板に書かれていたそれぞれの馬のデータを見て、レイターは考察し、決断する。
「こりゃぁ、多分上が過剰人気になってんな。じゃぁ、あるかもしれねー。買ってみるか」
券売所で掛札を購入した二人は、レースを見守った。
その結果。
「レイター様!あの子勝ちましたよ!!」
「おお、単勝14倍。大銅貨28枚………両替して銀貨2枚に大銅貨8枚だな」
体験させるために小分けせずに大銅貨二枚を賭けたので、的中した払い出しが日本円換算で二万八千円になった。純利で二万六千円である。
取り敢えず昼飯までもうちょっと遊ぶか、と彼らは再びパドックに戻ってきた。
「今度は一番人気の子が一番落ち着いてますね」
「下馬評通りか。じゃぁ単勝に突っ込んでも大して帰ってこねぇな。―――あぁ、オッズも1.1倍。こりゃガチガチだわ」
「止めますか?」
「いや、カズハ。次に落ち着いている馬はどれよ」
「7番人気の子と9番人気の子ですね。同じぐらいです」
「まだ拡連複と複勝、三連系はねぇんだよなぁ。単勝以外だと馬単と馬連だけか。じゃぁ、一軸の2単フォーメーションだな。裏表は………やめとこ。表2点だけで」
次は2連単の2通りを銀貨一枚ずつ購入。
「レイター様!また勝ちました!!」
「2連単35倍。銀貨35枚か」
日本円換算で三十五万円。純利は三十三万円である。
「今度は難しいですね。注目馬が3頭もいます。どの子も落ち着いています」
「データも似たりよったりだ。結構走ってるし、実力伯仲。オッズも三番人気以降で谷ができてら。下手に広めで買うよりか、見送ったほうが良いかもな」
「でも………」
「ん?」
「いえ、何だか3頭ともやる気が無さそうだなって」
「へぇ………。じゃぁ、こいつ。この13番人気の馬はどうだ?」
「上位勢と同じぐらい落ち着いていますね。ですが、目が決闘直前の戦士の目をしています」
「逃げ馬で内側、距離は不安なし。騎手もデビューから乗ってるやつで馬の癖は理解している。出走直後で馬群に埋もれなきゃぁ、あるヤツか。うし、どうせ泡銭だ。単勝で買うか」
購入金額は銀貨一枚。オッズは107倍。
その結果―――。
「レイター様!勝ちましたよ!あの子!逃げ切りました!!」
「獲ったぜ単勝万馬券………!」
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「大銅貨2枚が1時間の3レースで金貨1枚と銀貨39枚と大銅貨6枚………ちょっとふらふらします………」
そろそろ昼飯時なので、とレイターがカズハを伴って一旦競馬場を出ようとしていた。折角だから競馬場の食堂でも使おうかと思ったが、思った以上に稼いだからだ。彼女は手元で膨れ上がった金額に目を白黒させていた。賭けている内はレースに集中していたが、冷静に振り返ってみればこの稼ぎは異常だと気づいたのだろう。
日本円換算で、2千円が139万6千円である。配当方式のギャンブルだからこそ出来る払い出し結果であった。
「いやぁ、儲けた儲けた。けど、カズハ。普段からこんなにコロガシが上手くいくとか思わねー方がいいぞ。先生のお陰で八百長は重罪になってるから、そうそう無いだろうがやる奴はやるし、それで無くたって事故はある。―――競馬に絶対はねーんだよ」
後はこの世界の競馬が、まだまだ未熟なのもある。
いくら混成レースと言えど、輓馬のような大きさの馬を混ぜては勝ちを拾いに行けない。見るからに適材でも適所でもない馬が混ざっていたのだ。
この世界、馬にも魔力は存在していて、彼らも知らず身体強化のようなことはしているので見た目の良さ=駿馬とは限らないのだが、魔力の扱いに長けている人間が見ればその馬の魔力保有量である程度の推測はできる。
結果、ケモナーにとってはそれほど難しくはない勝負であったのだ。
とは言え。
「こいつぁ泡銭としてぱっと使っちまうのがいいのさ。折角だから今夜皆で高ぇ飯でも食いに行くが―――その前にちょっと俺等だけで贅沢するか」
レイターは知っている。
この手の博打でこれを当て込んで生活することの難しさを。そして、入れ込みすぎたために生活費まで手を出してしまって首が回らなくなることを。あくまで余財で勝負し、勝った時は泡銭と割り切って物や飯に変えて使い切ってしまった方が身持ちを崩さないことを。
どこかの中身が男のお嬢様とは違うのである。
そうしてちょっとお高めの店でのランチと洒落込むために競馬場を出れば。
「お願いダット!待って!」
関係者用の通用口から、女の声が響いた。
何事だと二人が振り返ってみれば、一組の男女がいた。男の方は騎手であろう青の勝負服を身に纏っており、女の方はツナギ姿で男の方に縋っていた。
何だ痴話喧嘩かよくだらねぇ、とレイターが呆れたが、どうも様子が違った。
「気持ちは分かる。悔しいのは俺だって一緒だ。だけどフォーティはもう終わった馬なんだよ。俺にだって人生はあるんだし、ずっとフォーティだけに乗っていられない」
「そんなことわかってるわよ!後一戦だけじゃない!今週末のアーリマ記念!それがフォーティの引退レースなんだから!!」
「―――そのアーリマでね、別の馬の騎乗依頼が来たんだ。フォーティよりも速い馬―――アスカンドの」
「そんな!」
「年に一度のアーリマ記念。そして今年はベルフォーレ競馬10年の節目。名前を競馬史に刻むには、絶好の機会。だけど『絶対』に勝つには、フォーティじゃ駄目だ。アスカンドに元々乗っていて調教中に落馬した騎手には悪いけど、これは俺にとってもチャンスなんだ」
騎手の男―――ダットは心を鬼にして、縋る女の手を振り払う。
「『絶対』を倒して、俺のキャリアに箔をつける。そうすればもっといい馬が俺に回ってきて、有名になる。俺が有名になれば、俺を育てたバークレイ厩舎の名前も広がって儲かるはずだ。『あのアーリマを勝ったダットを育てた厩舎だ』って」
「でも、でも………」
「俺だってバークレイに拾われて騎手として育てられた恩がある。今まではバークレイの馬で勝とうと思っていたけれど、それ以外の方法だってあるんだって、気付いたんだ。ラグさんの遺した………いや、君の厩舎を潰したくないんだ。いつか必ず戻って再建する。その為に、今は………」
男も打算だけでその道を選んだわけではない。例え回り道になってしまっても、恩義に報いるために背を向けることにした。それが分からぬ女ではなかったし、長年の付き合いからダットがそんな不義理な人間でないことも理解している。
「だから俺は行くよ、ミソラ。次のアーリマ、必ず勝つから。応援してくれ」
「待って………待ってよ………」
それでも女―――ミソラは手を伸ばし、しかし今度は掴むことを躊躇って泣き崩れた。
「うーん………この愁嘆場………」
一方、そんな一部始終を見ていたレイターは天を仰いだ。
一方的に男が悪ければケリを入れに行ってやってもいいが、どうもそういう事情では無さそうであった。少なくとも去っていく男の表情は決意を固めていたし、それを事情を知らない側が混ぜっ返すのは野暮だと感じたのだ。
さてどうしたもんかね、と彼が迷っているとカズハが腕を組んで引っ張りだした。
「レイター様。さ、行きますよ」
「お、おい………」
―――泣き崩れる、女の方へと。
「こういう時、放っておかないのがいつもの御三方だと思います」
「―――ま、しゃぁねぇか。けど、ルールには従うぜ。助けるかどうかは、話を聞いてからだ」
何でもかんでも救えるほどレイターの―――否、三馬鹿の手は広くはない。助かりたくない者を引っ張り上げてやるほど慈善家ではないし、偽善者でもなく、そして何より暇ではない。
人生は短い。何しろ前世はアラフォーで死んでいるのだ。他人の為にあれもこれもと手を出していれば、いずれ自分のことを後回しにして、最悪手つかずでまたぞろ死ぬかも知れない。
そんな後悔はしたくないから、今度はゲラゲラ笑って生きる為に―――彼らは訊くのだ。
「よぉ、姉ちゃん。―――壊したい理不尽はあるかい?」
泣き崩れた女に手を差し伸べたレイターは、やはりいつもの悪童のような笑みを浮かべていた。
次回はまた来週。




