第四十話 禁忌の魔女
シリアスさん「輝いてる!私輝いてるよ!!」
ディアド・ケッセルは若くして当主となったカリム王国の辺境伯だ。
16年前、レオネスタ帝国との戦争にて前当主であり、ディアドの父であるアラド・ケッセルがラドグリフ・トライアードとの決闘に敗れて没したことにより、当時10歳であった彼はこの地位についた。
苦難、という言葉が生易しいぐらいの環境であった。
幼少期より教育こそ施されていたものの、当時、彼はまだ10歳であったのだ。部下の使い方も甘く、身内同士の派閥争いの調整など知る由もなく、そもそも領地経営から何からこれからじっくりと親から継承されていくものだったからだ。
母は政治に興味を示さなかった為、貴族としての振る舞いとそうする自分こそ求めていたが、何故裕福な暮らしができるのかは知らなかったし、実入りが少なければ単に税を引き上げれば良いとしか考えていなかった。
主が幼いからと侮り、言うことを聞かぬ部下。戦争に負けたというのに今まで通りの贅沢をする母。同年代は未だ学生として中央で温々している。
ディアドの周囲に、味方など一人もいなかった。そんな中で、ディアドは一つの出会いを得る。
―――デルガミリデ教団。
かつて、現在のリフィール教会の主流派から分派―――もっと言うならば差別と迫害を受けて地下に潜った宗教であり、早い話、地方の密教の一つであった。丁度、内政を効率化するために地方へと視察に訪れていたディアドは彼等と出会い、紆余曲折の末に契約を結んだ。
領内で保護をする代わりに、手足として配下に加えると。
以降、契約がある以上は信頼できる部下としてディアドはデルガミリデの信徒を重用し、領内派閥の綱紀粛正に乗り出す。そして休戦期間―――事実上の終戦ではあるが、為政者としては次の戦争を見据えていた―――を利用して力を蓄えた。
全ては、父を殺したトライアードへの復讐のために。
だが―――。
「なん、だと………」
その乾坤一擲の復讐戦で、思いも寄らぬ反撃を受けていた。
(ふーむ………思ったよりも強いわね、トライアード。このままだと、一方的にケッセル軍が押し込まれて撤退って流れになりそう)
自軍の3割が初撃で持っていかれるという事態に愕然としているディアドを尻目に、その横に控えるカリーナは冷静に状況を俯瞰していた。
彼女―――いや、彼女が所属するデルガミリデ教団にとってはどちらがどれだけ優勢だろうと興味の埒外だからだ。
元々、前の戦争も火を付けたのはデルガミリデ教団だ。戦果を拡大し、戦死者を増やし、魂の収集とそれを贄として終末の時に現れるという滅びの邪神デルガミリデを復活させ、世界の浄化を目的とするのが彼等の教義だ。
大陸各地で数百年に渡って戦死者の魂を収集し、前回の戦争ではもう少しで規定値に到達する予定であったが―――ラドグリフ・トライアードという英雄出現による戦争の早期終結によって、彼等は16年も足踏みすることになった。
予定では今回で規定値に達しそうなのだが、どうも味方が不甲斐なく旗色も悪い。
(仕方ないわね。ちょっとだけテコ入れしましょう)
しゃん、と手にした錫杖を鳴らして彼女は仮初の主へと膝を着く。
「私が出ましょう」
「カリーナ!?いや、しかし」
「こういう時のための私ですわ、ディアド様」
「そ、それは、そうだが………お前は………」
私の女だ、と言葉が続くのだろうが―――それはあくまで仮初の関係だ。操縦するのに楽だからそうなっただけで、カリーナ自身にディアドに対する情など無い。
だが、途中で日和られても困るので、微笑んで釘を差しておくことにする。
「ただ、ちょっと前に出過ぎるかも知れませんので、私を置いて撤退などなさらないでくださいね?」
「す、するものか!お前を置いてなど………!」
「冗談ですわ。―――では、行ってまいります」
尚も言い募ろうとするディアドの唇に人差し指を当てて、彼女は婉然と微笑んで最前線へと向かう。
●
「―――ふむ。始まったようだな」
ハーベスト平原、大深度地下70mに空洞があった。正確には魔術を使用し突貫で作ったのだが、その作業を完了させて儀式の段取りを組んでいた赤黒いローブの初老の男―――バスラは空洞中央に敷かれた魔法陣、更にその中央に鎮座する巨大なオベリスクのような黒紫色の水晶を眺めて呟いた。
古代にあったというメクシュリア文明には、現代を遥かに凌ぐ魔法技術が数多あり、その中でも禁忌と呼ばれる技法が幾つかある。
今も禁忌とされる無詠唱などが有名なのだが、その中で一等禁忌とされるのが死霊術だ。より正確に言うならば魂に係る技術は軒並み禁忌扱いされていて、時の国家政府に厳重に管理されていたらしい。詳しい記録は残っていないが、やがてメクシュリア文明が滅び、禁忌技術は拡散、あるいは埋没、あるいは忘却されていく。比較的簡単な無詠唱などは、やはり才能があるものならば習得はできるが運用に困って後の文明でも禁忌扱いされることになる。
そんな中、埋没した禁忌技術―――死霊術を偶然掘り当てた勢力が存在した。そう、デルガミリデ教団である。
元々教団はリフィール教会の分派組織であったが、とある理由から排斥され、ならばと離反することとなって現在に至る。当時からして教団は女神リフィールの夫神であるデルガミリデを信奉しており、彼の一柱の降臨こそが世を浄化する手立てだと信じていた。
だが、神の降臨など如何すれば良いのかは当時、誰も知り得なかった。
膨大な魔力は当然必要だろう。相応の器もいるかも知れない。そもそも存在するかどうか分かりもしない神を本当に呼べるのだろうか―――等々、問題は山積していた。
そんな中で見つかった死霊術。その中の一つに、この世の魂を糧に高次の存在を呼び込み、世界に固着、現界させる―――という技法があった。
何度かの実験の末、確かに異界から目的のものを呼び出すことは可能であった。だが、神の召喚となれば信じられないほど莫大な量の魂が必要となる。
どうすればそんなものが手に入るか。ただ単に殺して回るだけでは、いつかデルガミリデ教団自体が討伐対象になってしまう。
ならば、と時の盟主が思いついたのが戦争の火種作りだ。ここ数百年、ラグフェード大陸における国家間戦争の背後には必ず教団が関与していた。
時に商人となって経済から不安を呼び込み、時に政府の要人となって各所へ利害を調整して戦争へと誘導し、時に盗賊となって国境線で騒ぎを起こし着火剤となる。
そうして戦争を起こし、隠れて魂を収集―――その結果、後一押しという所までやってきた。
魔法陣の周囲には教団の信徒達1000名が召喚呪文の詠唱を始めている。この合奏魔法の最後の発動呪文はバスラに預けられており、彼は今も推移を見守っていた。
「いささか収集率が悪いのは、気のせいか?」
あの黒紫水晶が完全な黒色に染まる時、全ての準備が完了するのだが―――思ったよりもその変移が遅い気がする。
「まぁいい。カリーナがどうとでもするだろう。あれで禁忌の魔女だからな」
だが、戦争は始まっているのだ。
これより大勢が死ぬし、足りなければ同胞であるカリーナが殺すだろう。あれでこと魔法戦闘においては教団の中でも一、二を争う。死んだとしても、本望であろう。それはここにいる信者達やバスラも同じ。
デルガミリデ教団は、この世界に絶望した者達の集まりなのだから。
「後少し、後少しですぞ………」
少しずつ少しずつ色が変わり始めるオベリスクを見て、バスラは己の神に語りかける。
「我らの魂を喰らい、このくだらない世界を滅ぼしてくだされ………デルガミリデ様」
邪神の復活まで、あと少し。
●
ハーヴェスタ平原左翼に展開していたトライアード軍第二騎士団は未だ残る魔物軍とケッセル軍を相手に奮戦していた。
あらかた彼等の主一家が消し飛ばしてくれたとは言え、まだまだ敵は残っている。数の上ではやっと同等と言ったところだ。ここからが正念場―――という所で、敵軍に動きがあった。
「―――ぬ………?」
「何だ?妙に統率が………」
正確には魔物軍だ。
単に突撃を繰り返すだけの魔物達が、突如として整然と列を成して道を開けたのだ。
そして、その中央から前に出てきたのは―――。
「女………?」
褐色の肌を黒のローブで覆い、大振りの緑の宝玉が嵌った錫杖を携えた妙齢の女だ。長い銀髪を戦火の風に遊ばせて、最前列へと悠然と歩いてくる。
およそ魔術士らしからぬ行動だ。魔術士とは即ち魔法を武器とする者達だ。故に、詠唱という特大の隙をカバーするために必然的に距離を取る。それが最前線―――しかも最前列へと出向いてくるなど正気の沙汰ではない。
余程の大馬鹿か自信家か―――さもなければ、領主一家のように英雄の器か。
その可能性に思い至った瞬間であった。
黒い風が無作為に戦場を駆け抜け、前線を支えていた第二騎士団の半数の首が飛んだ。
「―――は?」
その状況に現場指揮官は理解が及ばなかった。何か魔法のようなものを行使されたのは分かる。魔力の流れも、実態を伴った風も見えた。だが、誰が、いつ、どうやって。
否。否だ。魔術士ならば、眼の前にいるではないか。
「無、詠唱………?」
「馬鹿な!無詠唱などありえん!」
生き残った部下の言葉に現場指揮官は現実に引き戻され、否定する。だが、眼の前の女魔術士―――カリーナはくすくすと場違いなほど品良く、そして柔らかく微笑む。
「あら、何を驚いてらっしゃいますの?技術としては、ずっと昔からあるものですよ?―――このように、ね?」
そしてその背後に、鎌を象った黒い風が数百ほど出現した。風属性の第四魔術式―――黒禍風。威力としては大したことはない。対魔力抵抗や彼等が装備している地竜の鎧ならば跳ね返す。だが、関節などの隙間などはその限りではない。
「くっ!詠唱が無くとも魔力は無限ではない!間断なく畳みかけろ!」
故に現場指揮官は即座に撃滅の判断を下した。生き残った部下たちが最前列へと出てきたカリーナへと襲いかかるべく殺到するが―――。
「えぇ、えぇ、そうですわね。いくら私でも魔力には限りはありますわ。理解しておりますとも。弱みとなるのならば、そこだとも。―――だから、魔物を手駒にしてますの」
一匹の魔物が彼女へと寄り添い―――カリーナは《《その魔物の体内へと貫手を突き入れ》》、《《魔石を取り出して砕いた》》。
「なっ………!」
魔物は消滅したが、その瞬間、カリーナの魔力は増大して黒禍風の数が倍増した。
「ところで名乗りがまだでしたわね。私はカリーナ・レンブラント。仲間内からは―――」
魔物の血が付いた手をぺろりと舐めた無詠唱の使い手は、すっと目を細め―――。
「―――禁忌の魔女、と呼ばれておりますわ」
魔女の暴風が、戦場で吹き荒れた。
次回はまた明日。




