第二十八話 色に出にけり我が恋は・後編
歴史書を振り返ると、アルバート流と呼ばれる流派は1500年程前に突然勃興した。その裏事情や真実は歴史書は語ることはないが、事実としてみると、ある日突然表舞台に出てきたのだ。
魔力による戦闘補助を重きに置いたこの流派は、その有用性から瞬く間に亜種派生が生まれ、セントール派もその中の一つになる。
身体能力強化はそこそこに、魔刃と呼ばれるアルバート流の基礎技術を根幹に据えたセントール流の肝は、距離の管理と立ち回りになる。
魔力の刃を武器に乗せて飛ばす技術である魔刃は、その性能こそ使用者に依存するが、確かな威力とリーチを保証した。だが、その命中率もまた、使用者依存であった。
魔力の燐光を伴うそれは視認しやすく、そして斬撃範囲の延長でしか無いために見てから回避が可能なのである。
所謂必殺技ではない基礎技術なため、そして戦士にとっては飛び道具技は余技なので、多くの流派がこれに拘泥することはなかった。精々が不意打ちや牽制など、王道ではない使い方をした。
セントール派は、これを主力にした珍しい流派だ。
「ふっ!」
「っ!?」
そして、その旗手が本気で攻め寄せた時、シャノンの反応はギリギリであった。迷いはある。戸惑いもある。しかしそれ以上に。
(速っ…………!)
突き込まれた穂先を、魔槍を盾にして凌ぐ。同時に、姿勢を低くして後方へ飛ぶ。
案の定、突きの軌跡が魔力の斬撃となって横に飛んできた。そのまま防いだ体勢のままであったなら、首と胴が泣き別れしていた事だろう。
魔刃の変形────いや、派生進化先である残光。その即時発動型である残光・白波だ。突きや薙といった攻撃に僅かに遅れて発動し、その形態も使用者依存。セントール派の基礎技術だ。
突く、という動作で描いた軌跡がそのまま刃となり、敵対者を斬る。知っていなければ必中必須の二連撃を、シャノンは知っているからこそ躱せた。
しかし、それで終わるはずがない。連撃が来る。
「くっ!」
突き、薙ぎ、払い。それだけに留まらない。身を翻して生まれた軌跡からすら白刃が生まれ、急角度を付けて視界外からシャノンを襲う。
その全てが残光付きだ。たった一人を相手にしているというのに、何十人を前にしているかのようだ。
まるで白刃の波────最早、波濤と呼んで遜色ない程の連撃を叩き込まれる。同じ流派の、そして師だからこそ、ある程度手の内を知っているシャノンはそこそこ保った。
だが、そこまでだ。波と意識の合間。それに乗るようにして、するりとリヒターが距離を詰めた。
「これは実戦だぞ、馬鹿弟子が」
その踏み込みと同時、魔力を纏った掌底がシャノンの軽鎧に突き刺さった。
「か、はっ…………!?」
火力の高い槍や残光に気を取られていたシャノンは、その打撃に反応できず直撃。防具を考慮して放たれた一撃は、打撃そのものよりも衝撃に特化していた。肺の中の空気を全て吐き出し、身を折る。
それが致命的であった。リヒターがトドメを刺すべく槍を構え、その冷徹な瞳に恐怖を覚えたシャノンは。
「反、転…………!」
手にした魔槍を大地に突き刺し残光を発動。そのベクトルを反転させ、まるで間欠泉のように吹き出た魔力の刃に紛れ、後方へと飛んだ。
「やれやれ。困るとそれに頼る癖は変わらんな、お前は」
衝撃に痛んだ身体を整えていると、呆れた声が聞こえた。視線の先、槍を肩に担いで悠々と歩いてくる師の姿があった。気安い口調なのに、纏う殺意は本物だった。
弟子と死合うことに全く気負っていないその姿に、シャノンは絶望すら覚えていた。
●
最初は、不憫な子供だと思った。
公爵令嬢として不具になるということは、最早どうしようもないほどのハンデだ。中途半端に男になってしまうシャノンの身体は、そうなった時、貴族としての彼女は死んだと言っても過言ではなかった。
それでも彼女は、原因となったルミリアを恨むことはなかった。むしろ、これで枷が外れたとばかりに騎士を目指した。
リヒターが面識を持ったのはその頃だ。
名前や話だけは聞いていたが、直接会っての印象は小動物みたいな子供、であった。
身なりは確かに出会った当時九歳ぐらいであったから、元より大柄なリヒターからしてみればそんな感想を抱くだろう。だが、それ以上に常に何かに怯えているような、そんな振る舞いが行動の端々にあった。
気丈というよりは強がり。
従順と言うよりかは卑屈。
我が無いわけではないが、攻められると一歩引く。貴族よりも冒険者時代の記憶の方が濃いリヒターは、そんな印象をシャノンに抱いた。
家同士の付き合いで、彼女を頼まれたリヒターは良く面倒を見た。自分にそんな才能があるとは微塵も思っていなかったが、最終的にシャノンを槍一本で身を立てれるぐらいには育てたのだから、少しは自惚れてもいいと思う。
しかし同時に、年々女として育っていく彼女に惹かれる部分もあった。男としての性か、それとも師として身近にいたが故の執着か。
どちらにせよ、抱くにしては立場上、不適切な感情だった。
あるいはシャノンもその気なら、と思ったこともある。だが、彼女はルミリアしか見ていない。長く側にいたからというのもあるだろう。だが、シャノンは女としても男としてもこの数年間を生きてきた。
彼女にとっての異性は、当然女も含まれる。
ルミリアに向けられる視線に、そういったものを感じ取れたリヒターは迷った。背中を押すべきか、それとも我を通して奪うか。
そして同じ頃、宰相から茶番の打診があって、彼は決めたのだ。それに乗じて、自らの気持ちを定めようと。
その始まり、つまりはルミリアとシャノンの逃避行を見て、彼の気持ちは定まった。シャノンは、どれだけ苦境に立たされようとルミリアの傍を離れない。そしてルミリアも、また同じ視線をシャノンに向けている。
皮肉なものだ、とリヒターは思う。
魔槍の呪いがあればこそシャノンと出会い、それに阻まれた。けれど、魔槍の呪いが無いただの公爵令嬢ならばそもそも惹かれもしなかっただろう。
いずれにしても、愛だ恋だを叫ぶには、些か歳を取りすぎた。
だから。
「技は半端。力も半端。覚悟も半端。おまけに性別まで半端。お前に何が残った? お前に何がやれる? 何の為に、その槍を手に取る? なぁ、半端者」
リヒターは悠然と敵に向かって歩を進め、問いを投げる。
「捨てちまえよ。そんなもの。そして呪いを解きに旅にでも出ろ。そうすりゃお前はただの女だ。ぐだぐだぐだぐだつまんねーことに悩まねーで、どっかに嫁いでガキこさえて幸せになりゃ良い」
それは願望だ。
「鬱陶しいんだよお前は。女の分際でずけずけ男の領分に踏み込んで、割り切っているならともかくメソメソしやがって。イヤイヤ槍を取りやがって。別に好きでもない戦いに、大した理由もなく飛び込みやがって」
何もかも投げ出すのなら、ただの女でいてくれるのなら。
「辛い? 苦しい? んなの当たり前だろーが。文字通り性に合わねぇことやってんだから。何でそんな当たり前の事をこっちが察してやんなきゃなんねぇんだ。そんな当たり前の事を飲み込んで踏ん張るのが戦士の在り方だろうが」
きっとリヒターは全てを捨ててでも、シャノン・イルメルタを救うだろう。
「そんな当たり前の道理一つも分からねぇのに、男の真似事してんじゃねぇよ! この馬鹿弟子が!!」
きっと叶わぬと知りつつも、口から出たその色を言葉は隠しきれない。
●
ごめんなさい、と泣く彼女がずっと心に残っていた。
この魔槍を手に取ったあの日。シャノンは自分の居場所が何処にも無くなったような、そんな感覚に襲われた。子供の身には、政治的に不具となったからと言って理解が出来なかったからだ。
だが真実、居場所は無くなったのだ。両親は腫れ物を触るように接することが多くなり、同年代の貴族子女も似たようなものだった。
そんな中で、唯一変わらなかったのはルミリアだ。
きっと自らが原因という引け目はあるのだろう。だがそれでも良かった。変わらず自分といてくれるのなら、幼かったシャノンにとって、それは救いであった。
だが時々、ルミリアの表情が曇る時がある。それは決まって夜────つまり、自分が男でいる時だ。きっと責任を感じているのだろうと考えたシャノンは、それを払拭するべくこう告げた。
『大丈夫ですよ、ルミリアさま。ボク、騎士になります。そうしたら、ずっと一緒ですよ』
彼女は少し驚いた表情をした後、微笑んでくれた。
その日から、シャノンは自らをこんな身体にした因縁の槍を手に取り、家の伝手でセントールに弟子入りした。
修行はとても厳しいものだった。だが、目的があれば人間どうにかなるものだと学んだ。
やがて彼女はルミリアの騎士となって、公私共に支え合う仲になった。
けれど。
「道理の一つも分からねぇのに、男の真似事してんじゃねぇよ! この馬鹿弟子が!!」
「くっ!」
師の叫びにも似た喝と同時、蹴りが飛んできた。体勢が悪かったからか、そのまま受けてしまって転がり、しゃがんで呑気に観戦していたマリアーネの足元に辿り着いた。
「あら、無様にいらっしゃい。その衣装、高いんですからちゃんと洗って返してくださいね」
「んなっ!? 君はどっちの味方なのさ!」
そして唐突に罵倒され、シャノンは鼻白む。その上、着替える暇が無かったとはいえ、ステージ衣装のまま軽鎧を来ているのだが、そっちの方を心配されて思わず叫んだ。
「どっちもこっちも、私個人は美学を掲げる人間の味方ですわ。心情としては、そうですわね────いつまでもフラフラしてるシャノンちゃんの味方なんか、したくないですわ」
「フラフラって何が」
「そのままの意味ですわ」
反論を口にしたシャノンに、マリアーネはぴしゃりと言い放つ。
「シャノン。貴方、まだ男だとか女だとか、しょーもないこと考えているんじゃありませんの?」
「え…………?」
「図星ですのね。全く、いい加減自分の気持ちに素直になったらどうですの? 好きなんでしょう? ルミリア殿下のこと。いえ、愛していると言っても良いのでしょうね」
「それ、は…………」
「敬愛とかではなく、家族愛とかでもなく、まして親愛でもなく、言うならば深愛。誰よりも傍にいたいと、そう思っているのでしょう?」
ズバズバと言いたい放題を始めるマリアーネに、煮えきらないシャノンに反論する術は無かった。隠しきれていると信じていた胸の内を、ここぞとばかりに暴かれて、二の句が継げない。
「女同士だからーとか男としては中途半端だしーとか、うっだうだつまんねーこと考えている顔ですわよ」
「ゔ…………」
「大体、貴方、実際にぽっと出の男が現れて殿下取られたらどうするつもりですか」
「それは…………」
嫌だ、と口には出さないが、口の形はそう告げていた。それを全く、似た者同士なんですから、とマリアーネは呆れて苦笑する。シャノンの肩越しリヒターを見れば、こちらと同じ表情をして待っている。
「良いですこと? 男だとか女だとか、そんなのは瑣末事ですの。どーでもいいことですの」
「どうでも良いって、性別は大切なことなんじゃ…………」
「おシャラップ。どうしょうもない馬鹿貴族に殿下NTRれて脳破壊されたいんですの? 貴方。世界ランクだだ下がりですわよ」
「ねとら…………? のうはかい? せかいらんく?」
おっとイラッとしてつい前世語が、とマリアーネは軽く咳払いして、ぴっと指を三本立てる。
「大事なのは、自分が誰なのか。何を成したいのか。誰の隣にいたいのか────求めた先に、美しさがあるかどうか」
指折りしながらそう告げる彼女に、シャノンは首を傾げる。
「美しさ?」
最後のは私の持論ですけれども、と肩を竦めるマリアーネはシャノンを立たせて服の埃を払ってやる。
「自分が自分である立脚点。行動原理。あるいは欲望や我儘と言っても構いません。それを自覚しないでフラフラしているから、あの程度の煽りに何も言い返せないんですわ。むしろ、貴方の師匠の方が哀れですわよ。分かりやすいぐらい、ずっと剥き出しにしてくれているのに」
そして、リヒターに向き直らせ、その薄い背中を押す。
「思い出しなさい、シャノン。貴方が何のためにその魔槍を手にし、そして戦ってきたのかを────戦いの中で」
●
(思い出せって言われても…………!)
背中を押されたシャノンは魔槍を手に、しかし迷っていた。だが、現実は待ってくれない。
「おしゃべりはもう終わりか?」
律儀に待っていたリヒターが、槍を構える。シャノンも遅ればせながら槍を構え、ジリジリと間合いを詰めつつ考える。
(とにかく攻めないと…………!)
射程圏に来た直後、両脚に力を込め踏み込み、突きを放つ。動きは悪くない。速度も十分。狙いは胴。並の兵士なら、躱しきれない速度だが、リヒターは右足を一歩下げて身体を開いただけでそれを躱して見せる。
だがそこまでは予想済みだ。
突いた体勢のまま、右へ向かって薙ぐ。対するリヒターは槍の柄を盾にして、防ぐ────いや、滑らせて薙の軌跡を上へとズラした。そのまま槍を半回転させ、石突きでシャノンの足払いを狙い、それを察知したシャノンはカチ上げられた慣性を利用し前方へ跳躍。
そのまま石突きによる急降下攻撃と、直前に流された軌跡を利用した『残光』の波状攻撃でリヒターを襲う。
「互いの手の内を知っているってのも、考えものだな」
しかしリヒターはつまらなさそうに呟くと、身を滑らせるようにして更に踏み込み、シャノンの真下へ入り込むことでその波状攻撃を潜り抜け、左拳のアッパーを軽鎧ごと腹に叩き込んだ。
先程と違い、魔力を練っていないただの打撃だ。鎧によって阻まれ、大した衝撃もダメージもない。だが、軽く宙に浮いて無防備になったシャノンに。
「ほら、よ!!」
右の回し蹴りが追撃され、後方へと大きく吹っ飛ぶ。これも鎧の防御力で事なきを得たが、距離が離れた。
「せいっ!」
「はっ!」
気合一発。リヒターが振り下ろした槍から光り輝く魔力の刃が発生し、シャノンへと向かって突撃する。しかし、彼女も同じ技でそれを迎撃し、即座に踏み込む。
分かっている。師であるリヒターとの手合わせは何度もしてきた。だから、今の魔刃という基礎技術は、槍の適正距離まで接近するための目眩ましに過ぎない。
だから、光の刃が交錯し、弾けた瞬間にお互いの姿を認めた。
『…………っ!』
互いに槍を突き込み、しかし夾叉。刃が鳴き散らす。
通常の槍使いなら、ここから直撃を目指して乱撃を重ね始めるだろう。だが、セントール派には残光がある。互いに今の夾叉で仕込んでいるのだ。足を止めての乱撃は悪手なのは分かっている。
だから互いに後方へと飛んだ。直後、仕込んだ残光が虚空で弾け、空間を切り裂いた。続けていれば、二人ともただでは済まなかっただろう。
仕切り直しだ。
「はぁ…………はぁ…………!」
これを機にシャノンは肩で息をして、整息を急ぐ。体力的には若いこちらの方が上のはずなのだが、対するリヒターは槍を片手に短く呼吸しただけで、まだ余裕がある。
今の一合にしても、効率性が明らかにシャノンを上回っているのだろう。
(どうして、ボクは…………)
師匠に勝てないのか、と自問しかけて小さく首を横に振る。否だ。そのビジョンが見えないだけ。
(勝つために、どうすれば…………?)
良いのか、と問いかけようとして、はたとシャノンは思う。何のために、そんな事を思ったのだろうと。
(勝つ、ため? いや、違う…………強くなりたいと思ったことはあるけど、師匠に勝ちたいだなんて、思ったことなんか無い)
マリアーネの先程の言葉が脳裏に浮かぶ。
『思い出しなさい、シャノン。貴方が何のためにその魔槍を手にし、そして戦ってきたのかを────戦いの中で』
(何のために…………)
落とした視線の先、魔槍バルトロメオがあった。
自分を半端にした憎き魔槍。
自分に戦う力を与えた愛槍。
正しく愛憎混じったその一振りを、何故手にし続けたのか。別に槍で良ければ、他の武具で良かったはずだ。なのに何故、それを手放さなかったのか。
性能だけではない。もっと醜い理由があったはずだ。
(…………ルミリア様が、ボクを気にかけてくれるから)
知っていた。気づいていた。これを手放して、もっと安全で使いやすい槍にしなかったのは、彼女の気を引きたかったからだと。
自分が半端者になったこの槍をルミリアの前で使っていれば、その原因となった彼女は自分を気にかけてくれる────そんな浅ましい理由で、シャノンはこれを手にし続けていた。
では何故だ。何故、そうまでして、あるいは呪いの解呪を目指さないでルミリアの傍に侍り続けたのか。
『全く、いい加減自分の気持ちに素直になったらどうですの? 好きなんでしょう? ルミリア殿下のこと。いえ、愛していると言っても良いのでしょうね』
またもマリアーネの言葉がシャノンの脳裏でリフレインする。
『敬愛とかではなく、家族愛とかでもなく、まして親愛でもなく、言うならば深愛。誰よりも傍にいたいと、そう思っているのでしょう?』
ああそうか、とシャノンは思う。
そんな思いを抱えながら、どこかでずっと遠慮していた。自分が女だから、番にはなれないと。男としても中途半端だから、奪いにも行けないと。
だが根付いた愛情は執着となって、それは独占欲にもなる。だからルミリアの気を引いていたかったのだ。
醜い。浅ましい。けれど、そう思ってでさえ、この気持ちは止められない。
(ボクは、ルミリア様が好きなんだ)
彼女を守りたい。この気持ちは本当だ。
彼女の傍にいたい。この気持ちも本物だ。
誰かに、あるいは何かに彼女を奪われる────。
(冗談じゃ、無い…………!)
沸々と、シャノンの心臓に熱が宿る。
何だ。何なんだこの状況は、と理不尽に対する怒りが湧き上がってくる。一国の、そして守るべき姫に刃を向けられ、それを下したかと思えば、訳の分からないミミズに奪われている。それを救いに行こうとすれば、師が理解不能の理屈で立ちふさがる。
いい加減にしろ。何処まで邪魔をする気だ。何の権利があって、自分の邪魔をするのだ。この理不尽は、いつまで続くのだ。
(ああ、そうだ。ボクはルミリア様が好きだ。一人の女性として。あの人が欲しいんだ)
ルミリアに応えてもらえるかどうかは知らない。拒否されても、それでも傍にいたい。それを問いたい。尋ねたい。だと言うのに、肝心の彼女を奪われている。
王城でとぐろを巻く理不尽に。そしてその行き道を阻まれている。己の師に。
(ふざけるな!!)
槍を掴む手に力が籠もる。荒かった息が、急速に定まっていく。目的を見据えた瞳が、確固たる意思を宿す。
槍を構える。意思は勝る。しかし技術は劣る。おそらくは体力も。
だから思い出せ。記憶の中に、師の知らない技術は無いか。
『いいかよ、シャノン。男の力に女の時のお前が真っ向から立ち向かった所で勝ち目は薄い。鍛え方や相手にも寄る────とか、そういう屁理屈は聞かねぇぜ。全人類、中央値出して男女で力比べしたら男が勝つんだ。そこで駄々こねたって仕方ねぇ』
脳裏に過ったのは、一週間ほど前のこと。赤毛の少年と手合わせした時の事だ。夜ならともかく、昼の女の体ではその少年には手も足も出なかった。
どうにか勝ち筋はないかと探したが、ともすれば師匠以上に引き出しが多いその少年は現実をシャノンに突きつけながらこう言った。
『だから足技を覚えな。それなら男女の筋力の付き方に余り差は出ねぇし、体重も威力に変換できる。女の関節含めた柔軟性は、しならせればそのまま強みに変わる』
教えてもらった時は本当にそんなことが? と首を傾げた。だが、説明を受けるにつれ、確かに合理的だと思った。教えてもらった幾つかの技は、確かに問題点は多い。だが、男女の違いは少ないのだろう。
問題は、この土壇場で成し得るかどうか。
否。
(やるさ。師匠を踏み越えて、ルミリア様の所へ行くんだ…………!)
●
(ほぅ…………?)
槍を構え直したシャノンの空気が変わったのを、リヒターは明確に感じていた。殺気というよりは、確固たる意思だ。
「何だ馬鹿弟子。急にやる気になって」
「やる気になったわけじゃない。成すべき事を、思い出したんだ」
「はぁ? そりゃなんだ?」
「ルミリア様を救う」
「あー、はいはい、そうかそうか。結局お前は────」
「そして告白する」
『ん゛ん゛っ!?』
本場と外野の声がハモった。
「いや、お前、本当にどうした? 急に」
狙っていたとはいえ、急速なその心変わりに戸惑うリヒターだが、シャノンはそんなことには最早目もくれない。
「男だとか女だとかもう知ったことか。ボクはボクだ。ルミリア様だけの騎士、シャノン・イルメルタだ。そのために師匠、貴方が邪魔をするというのなら────蹴り飛ばしてでも先に進む」
先程とは違う、明確な意思を示した弟子を見たリヒターは、小さく口の端を歪めて槍を構える。
彼女の中で何が起こったかは知らない。ただ、開き直りのようなそれでも、やっと自らの在り方を定めた。
そしてここが戦場である以上、その示し方はたった一つ。
「そうか。────示してみな」
「ああ。────これで決める」
彼我の距離はやや離れている。
「行くよ、師匠」
「来いよ、弟子」
腕の差は、明確に離れている。
「アルバート流がセントール派、皆伝────シャノン・イルメルタ」
「アルバート流がセントール派、秘伝────リヒター・セントール」
手加減はしない。本気を向けてくる相手に、それは無礼だから。
故に。
『参る…………!』
互いに全力で踏み込んだ。
(やる気かコイツ!!)
その直後、リヒターは気づく。シャノンは最早、傷つくことを恐れないと。
セントール派同士の戦いは、どうしても一合が短くなりがちだ。それは槍という中距離武器である事を含めても、『残光』という所謂置き技の影響が強い。
魔力消費で武器の軌跡を斬撃に変換できるこれは、近距離で打ち合えば打ち合うほどその弾が増えていくのだ。これがセントール派と、そうでない者との戦いとなると、長引けば長引くほど他流の者の不利が一方的に積み重なっていく。
一転して同門同士の戦いだと、その特性が両刃の剣となる。だからこそ、先程もある程度刃を交わしたら距離を取るのが通例なのだ。
だが、シャノンの踏み込みが深い。最早下がることを望まないほどに。いっそ相打ち覚悟でも攻める気だ。
(上等ォ…………!!)
だからリヒターもそれに応じた。嵐のような乱撃戦だ。
突き、払い、薙と刃を幾度も合わせていく。その度に、周囲に残光が展開されていき、いつ発動するか分からないチキンレースへと発展していく。
だが、リヒターはその限界を知っている。見極めている。当然だ。セントール派の秘伝なのだから。
『残光』という技術は、対人戦で優位ではあるが、大物を食らうような技ではない。それを危惧した先人が編み出した技が、奥義となっている。
(残光閃…………!)
一度は置いた残光を穂先に集めて収束させ、一息に解き放つのだ。火力特化の大振りの技ではあるが、威力はお墨付き。冒険者時代、リヒターはこれを使って火竜を屠り、金等級に認定されたのだから。
故に槍を払って身を回し、残光を回収。それを腰だめにして。
「っ!?」
同じ動きをして、同じ予備動作に移ったシャノンを目撃する。
(そういや、一度だけ見せたやったっけか…………)
あの頃は、正当にセントール派を継がせるつもりだったのだ。だから余技として一度だけ見せてやったのだが、ここ一番でそれを持ってくるとは思わなかった。
(だが、俺とお前じゃ年季が違う! 良くて相殺だぞ! その後はどうする…………!?)
互いに重ねた残光を解き放つ。
まるで光の砲撃が如く、至近距離で炸裂した。
●
(出来た…………!)
セントール派の奥義、残光閃。ぶっつけ本番ではあったが、シャノンの狙い通り成功した。正確には相殺だ。だが、それでいい。
足を止めての打撃戦に持ち込めば、どうしても設置した残光が気になってしまう。それはリヒターとて同じこと。ならば、それを使って最大火力を持ってくることは予想できた。
だから、シャノンはそれに合わせて相殺した。最も合理的なのは、設置された残光をこちらで同数分相殺して迎撃することであったが、それでは千日手だ。
だがこうして、一息に相殺してしまえば空隙ができる。
今、シャノンとリヒターの間に残光は無い。完全な空白地帯。その瞬間を、待っていた。
「はぁっ!」
手にした魔槍で突きを放つ。狙いは足元。一歩下がらせればそれで良い。案の定、リヒターはそれを回避し、目標を失った穂先は地面に突き刺さった。
リヒターに訝しげな表情が浮かんだ。槍使いとしてありえないほどのチョンボだ。だが、それでいい。シャノンはそのまま持ち手を逆手に切り替えると、刺した状態のまま棒高跳びの要領で宙を舞う。
●
(大振り過ぎるぜ、そりゃ)
サマーソルト。そう呼ばれる技だが、あまりに大振りだ。突飛すぎて僅かに反応が遅れたが、リヒターは身を捩って躱す。頬をかすった程度で済んだ。
だが、その直後。
「反転!」
青白い光を伴って、シャノンのベクトルが変わる。上昇する力から、下降する力へ。
右足から大鉈を振り下ろすようにして踵から降ってきた弟子に、リヒターが最後に見たのは。
(…………紫!?)
ステージ衣装からチラチラ覗く、下着の色だった。
思ったよりも派手だな、というしょうもない感想と共に、脳天に直撃を受けたリヒターは地面に叩きつけられた。
●
「槍使っての変形サマソからの、反転使っての破砕脚? レイ、前世技再現したいなら、もっと統一しなさいな…………」
一連のコンボを見ていたマリアーネは、そのとっ散らかった仕様にマリアーネは呆れたようにため息をついた。足技の女性キャラ代表ならインターポールの中国人とかイギリス特殊部隊の女性隊員とかいるでしょうに、と。
尚、そちらの技も実は教えられているが、ここでは割愛する。
「あら、お帰りなさい。────そう、見つけましたか」
そして勝負の決着と同時、蝙蝠の姿をした影の獣がマリアーネに寄ってきて、情報共有をする。どうやら、ルミリアは妖精化することで霊龍の口から出ようとしているらしい。
じゃぁそろそろ迎えに行きましょうかね、とマリアーネがイポスを呼び出し、シャノンに声をかけようとした時だった。
大通りに面したここに、骨の竜兵がゾロゾロと現れ始めたのだ。
「レーイ! こっちに追い立てないでくださいな!!」
上空でゲラゲラ笑いながら未だにストラックアウトをかます馬鹿に文句を投げるが、流石に届かないようだった。未だにメテオの嵐を続けている。
王都を更地に変える気ですの? あの馬鹿、とそれをジト目で睨んでいると。
「あー、いてーな、オイ」
リヒターが目を覚ましたようだった。
●
大の字になっていたリヒターは、ゆっくりを身を起こして肩で息をする弟子に視線をやった。
色々と言いたいことはある。
あんな技教えたこと無いぞとか、何処の誰に仕込まれたとか、あんな派手な下着お前にゃまだ早いとか────そのどれもが、相応しくなかった。
敗者は勝者に語る言葉は持たない。持ってはならない。
だがそれでも、口にするとすれば。
「見事。────今日からお前、秘伝を名乗っていいぜ。シャノン」
「師匠…………?」
驚きの表情を浮かべるシャノンを無視して、この場を去る準備をしているマリアーネに声を掛ける。
「名も知らん客人よ。悪いがシャノンを頼むわ。女のくせに女を好きになるような馬鹿な女だが、これで自慢の弟子だからよ。────ここは俺が受け持っておく」
再び槍を取り、歩みを骨の竜兵へと進めるリヒターに、マリアーネは少し考えた後でシャノンの手を取った。
「承りましたわ。────行きますわよ、シャノン」
「え? ちょっとマリー! だけど…………!」
押し込むようにして身を屈めるイポスに載せようとするマリアーネに、シャノンは抗議の声を上げるが、リヒターが背を向けたまま口を開く。
「おいおいおいおい、早くもブレブレかぁ? なぁ、馬鹿弟子。姫様だけの騎士なんだろう? だったら、こんな所で油売ってんじゃねぇ! とっとと行け! 行っちまえ!!」
「! ────はい!!」
肩越しにその喝を受けて、意を決したシャノンとマリアーネを乗せ、イポスは天高く飛び立っていく。
「…………ったく、最後まで手間を掛けさせんだから。大人なのは下着だけかよ。いっちょ前に色気のあるモン穿きやがって」
それを見送りながら、呆れたようにリヒターは肩を竦めた。
「あー…………いちち。しかしあの馬鹿、おっさん相手に本気で蹴りやがって。こっちはもういい歳なんだから手加減しろよ、ったく。…………そういや、手加減の仕方教えてこなかったわ」
さっきから満身創痍なんだがこっちは、と悪態をつきつつ、視線を骨の竜兵へと向ける。
「しかし全く、なんて厄日だ。格上には野良で出会うわ、惚れた女にゃ振られるわ…………挙句の果てに、そいつの背中守るために命懸けとは」
散々な日ではあるが、なかなかどうして悪い気分ではない。
「ひのふのむの……………さーて、この身体でどれだけ保つかねぇ」
さぁ、もう悪役は店仕舞だ。
既に敗軍の将。
ならば貴族という柵もない。
ここからは、八つ当たり気味とは言え、正真正銘の本気────。
「雑兵風情が────俺の残光に追いつけると思うなよ…………!」
『残光』と呼ばれた、ただの槍術士が一匹────手負いの獣となって骨の竜兵へと突撃した。
続きはまた来週。




