第二十七話 色に出にけり我が恋は・前編
ずどん、ずどん、と振動が起こるたびに、王都の地下坑道の天井からパラパラと剥離した外壁や埃が落ちる。
光魔術で照らしたそれを見て、ジオグリフとラティアはと言うと。
「派手にやってるなぁ、レイ…………」
「最近、カズハも感化というか順応してるから、もう止まらないわね…………」
割と呑気な感想を抱いていた。
「だ、大丈夫でしょうね?」
その二人の前で痩せぎすの男が不安げに振り返った。イオである。
三手に別れた後、彼等はアルベスタインの魔力パスの跡を辿って地下へ向かうことにしたのだが、その際、這々の体で地上へと出てきたイオとばったり出くわした。
ベオステラルを途中まで案内した彼は、帰り道で天へと登るアルベスタインが巻き起こした崩落から命からがら逃げてきたのだ。
地下坑道自体は無事であったが、大空洞の方は崩壊したそうだ。その説明を聞いたジオグリフ達は、途中までの道案内を要求。
イオは身の危険を感じて一旦は拒否したが、内戦の終結という情報と拙速を尊んだ魔王様の物理的な説得の甲斐あって、これを快く受諾。
こうして再び道案内をしているのだが、先程から地上で行われている破壊活動────もとい、掃討戦、ではなく、救出活動が気になって仕方ないらしい。
「さぁ? まぁ、心配だったら早く地下に案内してよ」
「分かりましたよ…………」
しかしジオグリフはどこ吹く風で、イオは魔力を伴った物理的な『お話』を前に渋々といった様子で先導に戻った。
そんな中、ジオグリフはラティアのチラチラとした視線に困惑していた。合流した直後はそんなことはなかったのだが、あの作戦会議からここに至るまで、何だか彼女の様子がおかしい。
変な寝癖でもついているんだろうかとか、見当違いの推察もしてみたが、どうにも分からない。仕方がないので、直接聞くことにした。
「所でラティ。さっきからなにか言いたげだけど、どうしたの?」
「あー、うん、その、ね?」
そう尋ねられたラティアは、ぴくん、と耳を反応させて、しばし言い淀んだ後でこう尋ねた。
「何だかラドック伯と仲いいみたいだけど、ジオはああいう女性が好みなの?」
その言葉に、一瞬だけ間を置いて、理解が及んだジオグリフはぶはっと吐血した。ちょっとした焼き餅が可愛いという健全な理由よりも、ジュリアとお似合いとされた方がダメージが大きかったようで、彼は魂の限りに叫ぶ。
「じょ、冗談よしこちゃんだよ! 誰があんな腹黒女狐なんか!」
「でも、何だかああ言えばこう言うというか、打てば響くというか、妙に通じ合ってるみたいだったけど…………」
「ラティ! 君はまだエルフの中だと若いから分からないだろうけど、互いへの理解度が高いのと好感度は必ずしも比例する訳じゃないんだよ…………!?」
そうなの? と首を傾げるラティアに、ジオグリフはため息を一つついて。
「僕とアレは確かに政治的視点と好む手段は似通っているけど、だからこそ立場が違うからどうやっても相容れない。個人的にも同僚としてカウントできても、身内としたくはないね」
「同族嫌悪?」
「あんまり認めたくないけど…………そうとも言う」
恐らくは近衛騎士として実績を積んで、辺境へ嫁入りしたという経歴故だろう。ジュリア・ラドックという女は手段を選ばず、理想と現実を使い分けられるタイプだ。
それはとりも直さず、前世であった政治家と近い思考回路を持てるということだ。理想を公約とせねば票が集まらないし、かと言って現実から目を逸らせば実務が立ち行かない。
それを経験として知っているし、場合によっては迷うこと無く他人に頭を下げられる度量も持ち合わせているのだ。
性格云々はさておいて、実行力ベースで自分の思考にこんなに早くついてこられたのは、転生して初めてだ、とジオグリフは感嘆していた。故郷ですら、何度かこちらの実力を見せねばああはならなかったのに、と。
だが、能力が好ましいのと性格が好ましいのは別問題である。
「それに、大体僕の好みは────」
「好みは?」
それを弁明するために言いかけて、勢いで恥ずかしいセリフが喉を通りかけたのに気づいたジオグリフが躊躇った。しかし、それを促すようなラティアの上目遣いに気づき、観念したように口を開く。
「あー、こほん、うん。君だよ、君。うん。だから、気にしなくていい。あんな腹黒に靡くなんて、絶対無いから」
「ジオ…………」
感極まったラティアがすっとジオグリフに身を寄せようとし、ジオグリフも照れくさそうにしながら両手を広げて迎えようとしたが。
「背後でいちゃつくの、やめてくれませんかねぇ…………!!」
前を行くイオに掣肘されて、ばっと二人は距離を取った。完全に存在を忘れられていたイオは二人を睨むが、そっぽを向かれるだけだ。
それを暖簾に腕押しと見たイオが呆れて先導に戻ろうとした時だった。
「はぁ。まぁ、いいですけど。────そろそろ、着きますよ…………え?」
光魔術で照らした進むべき道が、完全に閉ざされていた。恐らくは崩落の影響で潰れてしまったのだろう。これでは魔力パスの中心である祭壇へと進むことが出来ない。
「これは、また…………ある意味、予想通りだけど」
「崩壊して道が塞がっちゃってるわね…………」
とは言え、あんな巨大なミミズが地下から現れたのだ。無傷ではないであろうことは彼らも想像していた。
故に、ジオグリフは収納魔術から夜空の王権を取り出す。
「はぁ、仕方ない。じゃぁ、掘るとしますか」
「その杖でですか?」
冗談でしょう? という顔をするイオに、ジオグリフは杖の先を地下へと向ける。
「まさか。かつて、僕の知る偉大な魔砲少女は壁貫で道を作ったんだよ。それに倣うだけさ」
まほうしょうじょ? かべぬき? とラティアとイオが顔を見合わせていると、ジオグリフは邪悪な笑みを浮かべ。
「重複────解凍」
夜空の王権に超収束された貫通特化の光属性砲撃魔術が、桃色の燐光を伴って射出され、瓦礫と言わず、岩盤と言わず、地層と言わず、大深度地下の断層付近までぶち貫いた。
それはまるで、星を砕く光のようだった。
●
生暖かい風と硬い床の感触で、ルミリアは意識を取り戻した。
昼間のはずなのに、妙に薄暗い。光量は視線の先、真上にあるが、太陽にしては乏しく周囲の暗闇に負けているそれを見て、何かがおかしいと思った。
先程まで昼間だったはずだ。そして自分は、敵軍の首魁と一対一で対峙していたはず────。
「こ、ここは…………!」
それを思い出して、ばっと身を起こしたルミリアの視界に飛び込んできたのは、薄暗い闇とちゃぷちゃぷとした水の音。それから、しゅうしゅうと煙を立てるような音と、不快な臭気。
薄ぼんやりと見えるのは、まるで夜の海のような光景だった。アルベスタインには海が無いので話でしか聞いたことがないが、こんな不安と恐怖を煽るのだろうか、とルミリアは身体を確かめながら思う。
怪我は無い。自分が座っているのは、硬い岩盤のようだ。しかし、意識を失う前は本陣────平原の一角だったはずだ。このような岩盤だった覚えはない。
一体何が起こった────そう訝しげに思考を回していると。
「おや、遅いお目覚めですな」
「ガー、爺…………!?」
「文官の分際で、少々無理をしましてな。いやはや、歳は取りたくないものです」
背後から声がかかって、その声に覚えのあったルミリアが振り返ってみれば、信じられない光景がそこにはあった。
まるで生物のような血管の浮き出た肉の壁。そこに声の主────ガーデル・バーテックスは半身を呑み込まれていた。
口はない。ただ、肉壁から生えた短い触手が蠢いており、ガーデルは右半身が既に包みこまれていた。
「呑まれたのですよ。霊龍アルベスタインに」
「え…………?」
一体何が、とルミリアが疑問を口にする前に、ガーデルが答えを口にした。
「悠長に観察している時間も無かったですが、巨大な口が本陣ごと襲撃したのを見ました。この地にこれほどまでに大きな生物など、それこそ霊龍アルベスタインしかございませぬ」
「そ、そんな…………復活の予兆などまだ無かったはずです」
「おそらくはフリッツの馬鹿者でしょうな。アレを仕留めるように儂の手の者を派遣しておりましたが、どうやら失敗したようです。申し訳ない」
「あ…………」
忸怩たる表情を浮かべるガーデルを見て、ルミリアの脳裏に様々な情報が浮かんで、それらが一本の線で結ばれていく。
宰相派の台頭────しかし、集められた貴族達の顔ぶれ。
王都からの逃避行────少数精鋭とはいえ、ほぼ全軍からの逃亡成功。
まるで見計らったかのようにジュリア・ラドックが現れ、そして抵抗の準備も終えていた王権派。
いくつかのイレギュラーは重なったとはいえ、予定調和のように決まった終戦。
そして今。巨大生物に呑み込まれたのに、無事な自分と、半死半生でありながら醜態を晒さないガーデル。
「まさか」
「呑まれる直前、障壁を張って土属性魔術で足場を作りましたが…………まさか胃壁も動いて獲物を仕留めに来るとは思わなんだ。無様にも捕まってしまいましたよ」
捕まる直前、身を挺して庇うように抱きしめていたルミリアを突き飛ばして護ったが、逃げ遅れて胃壁の触手に捕まってしまったらしい。
どういう意図かは不明だが、触手に拘束こそされているだけではある。だが、逃げ出そうとすると凄まじい力で引っ張られて、脱出は難しいと彼は語った。
「では…………」
茶番であるなら、また自分の臣下として────と口にしようとしたルミリアを掣肘するように、ガーデルは首を横に振った。
「いずれにせよ、まとめて責を取る者が必要だったのですよ。その適任者が、儂であっただけのこと。これからは貴方の時代です。古き我らは、消え去るのみ」
「そんなことを言わないでください! い、今助けます!」
「近寄るでない!!」
「!?」
ガーデルを救うべく身を乗り出したルミリアに対し、彼は信じられない声量で喝を飛ばした。かつて無いほど怒鳴られたルミリアは思わず身をすくめ、動きを止めてしまう。
「────良いですか、姫様。最早儂は助かりませぬ。しかし今、どうやら霊龍めは食休みをしているようでしてな。壁を伝って上へといければ、口から外へ出られるやもしれません。貴方一人なら、妖精化すれば飛んでいけることでしょう」
「で、でも…………! 妾はガー爺を見捨ててなんて…………」
行けない、と口にする前に何処か遠くで水音が響き始めた。今までのちゃぷちゃぷとしたそれが漣なら、これはまるで鉄砲水の前兆だ。
それに気づいたガーデルは厳しい表情をして、即座に詠唱を開始する。
「ぬ。またぞろ来よったか…………! 求めるは防塁…………! 『理力壁』!!」
直後、不可視の結界が周囲を包んで、薄緑色の液体から二人を護った。流れ込んできたそれは一気に腰高まで嵩が増え、更に徐々に増えていく。
「これは…………!」
「どうやら奴めの胃液のようでしてな! 先程から潮のように満ちては引いておるのです! しかし…………これは、先程よりも多い!!」
その嵩は刻一刻と増えていき、そして今度は引く気配は一向に無い。生体機能に意思はないだろうが、まるで今度こそ絶対に溶かすという殺意をガーデルは感じ取った。
「姫様、早う妖精化を…………! 既に何度か防いでおりますが、故にそろそろ儂の魔力が持ちませぬ! 障壁の上に穴を開けます! そこからお逃げください!!」
「だ、だめです! そうだ! 妾も一緒に障壁を張って凌げば…………!」
「いい加減にせんかたわけ! 力の無き者が、己の我儘を通せると思うでない! 今、自分自身すら危うい身の上で、他の誰かなど救えるものか! 弱いのならば、己のことだけ考えて居れば良いのだ!」
胃液の嵩が、とうとうルミリアの頭頂部を超えた。障壁の高さまで、後一メートルもない。
「そしてそれが悔しいのなら、いつか強くなって、力なき者を────民を救うが良い! 思う存分、己の我を通すが良い!! それまでは────!!」
ついに障壁が瞬き始める。胃液の水圧に比例するように、ガーデルの魔力消費量が指数関数的に増えているのだ。最早枯渇は目前だ。そうなれば、ルミリア諸共胃液に溶かされるであろうことは明白。
「王となる者を守り支えるのが、臣下の務めなのですよ…………!!」
だが悲しいかな、政治に携わる貴族として、護身用程度にしか魔術を学んでいないガーデルではすぐに限界が来た。
それでも歯を食いしばって彼は障壁を維持する。生命力すら魔力に変えているのか、全身の穴という穴から血が吹き出て、しかし尚も老骨に鞭を打って魔力を絞り出す。
それを可能としたのは意地か、矜持か、忠義か、あるいはその全てか。
いずれにせよ。
「────カテドラの血脈の名に於いて、我は光の翼を願い奉る」
真一文字に口を結んでいたルミリアが、ついに声を発した。その詠唱を聞いたガーデルは微笑みを浮かべる。
それは大妖精の秘術。霊樹シーカレイムと接続するための姿になる変身魔法。
「光翼変位…………!」
力ある言葉とともに、ルミリアが光りに包まれ、それはやがて光球となった。そして妖精化の変位を待たず、障壁の上、開けられた穴へと飛び込んだ。
その背中に。
「おさらばです、姫様」
悪役を気取った忠臣の声が投げられ、ルミリアが振り返った時には既に胃液に沈んで見えなくなっていた。
●
一方その頃、王都の入口で待機していたシャノンは、王城にとぐろを巻く霊龍アルベスタインを睨みつけていた。
「急いてはことを仕損じる、ですわよ」
「マリー。そうは言うけど、いつまで待てば良いのさ」
その横から声をかけられ、焦れた様子でマリアーネに問うた。
三手に分かれて、既に二組は行動開始している。そんな中で、シャノンとマリアーネは王都の入口で立ち尽くしている。
シャノンとしては一刻も早くあの霊龍に取り付き、ルミリアの救出に動きたい。だが、具体的にどうするのかと問われ、彼女は返す言葉もなかった。
何しろあの巨体だ。腹を突き破ろうにも『龍』の名の通り全身を鱗で覆われており、まともに刃どころか魔術も通らない。挙げ句、その鱗を飛ばして尖兵にしており、その剥がれた鱗も尋常ではない再生能力で回復していて、柔らかい体表など数秒程度しか露出しない。
仮にそこを突けたとしても、即座に回復されるだろう。現状、直接攻撃は得策ではない。やるにしても、ジオグリフが魔力パスを遮断してからだろう。
となると口腔、すなわち内部からの破壊が常道ではあるが、その弱点侵入口は今、天を向いている。よじ登ろうにも、王城の頂上よりも高いのだ。シャノン一人ではどうしようもない。
そんな中、手はあると言ったマリアーネに従って待機することになったのだ。
何でもまずは霊龍を調べると言っていたが、彼女は何もせず待っているだけだ。
少なくともシャノンにはそう見えた。しかし、マリアーネは既に行動を開始している。
「言ってませんでしたわね。私の本領は、召喚術ですの」
「え?」
「────来なさい、イポス」
100tハンマーを振り回していた彼女からは似つかわしくない言葉が出て、シャノンはぽかんとするが、次の瞬間、マリアーネの足元から影がぞるりと現れた。
まるで粘性を持っているかのような影は、即座に形を作る。翼長十メートルを超える巨大な影で出来た鷲だ。人二人なら、余裕で乗れるだろう。
「まさか、これで突入するの?」
「丁度口を開けたままお昼寝しているようですからね。この子で上から強襲、腹の中でルミリア殿下を救出して撤収するのが一番手早いでしょう」
「じゃぁ…………!」
「行ってもまだ場所が分からないでしょうに。だからそれを調べるまで待てと言ってるのですわ」
「う…………」
仕方ないとはいえ、逸ってますわねーと扇子で口元を隠しながらマリアーネが呆れていると、彼女たちの前に男が一人、立ちふさがった。
「────よぅ。覚悟は、出来たか? シャノン」
黒髪の巨漢だ。肩に長槍を担ぎ、満身創痍ながらもシャノンを睨むように見据えている。
「師匠…………」
どちら様ですの? とマリアーネが首を傾げていると、シャノンが絞り出すようにして口にした。なるほど、アレが噂に聞くリヒター・セントールですわね、とマリアーネは頷き、彼に向かって声を掛ける。
「それで、何の御用ですの? 私達、ルミリア殿下を救出しに行かなければならないんですが」
「悪いが嬢ちゃんには用事はねぇよ。あるのはそっちの馬鹿弟子だ」
どうやら個人的な要件のようだが、殺気を纏っている以上は穏やかな理由ではないだろう。
ついでに、今は少し間が悪い。
「そんな勝手を許すと思って?」
『!?』
百鬼夜行の呟きとともに、マリアーネの足元、その影から続々と影の獣が出現した。
「今、それなりに立て込んでますの。生半可な理由で邪魔立てするなら、容赦はしませんわよ、私」
調子を確かめるついでに全て召喚してみたが、問題ない。やっぱり転移現象の原因は分かりませんわねぇ、とマリアーネが内心困っていると、リヒターが一歩後退した。ちなみに、シャノンはドン引きしている。
「こいつは…………参ったな。武神みたいな小僧の次は、影の女王様か。今日はどうなってやがる」
「力の差を理解できたなら下がっててもらえます? 宰相派は潰えましたわよ」
「悪いが、それは出来ない相談だな」
気後れこそしたが、それでもリヒターは我を曲げる気はないようだった。
「所属勢力として敵対しちゃいるが、俺の目的はそもそもそっちじゃないんだ。師弟のケジメってやつさ。部外者はすっ込んでろ」
槍を構え、完全に戦闘態勢だ。おそらく、数の上で負けると分かっても引きはしないだろう。そういう気当たりをマリアーネは感じ取った。
正直な所、ルミリアの捜索には今しばらく時間がかかる。あの巨体の中を当てずっぽうで捜索していては、日が暮れてしまうだろう。場所を確認し、何ならその場で抑えてしまって、本人が動けるなら出口まで誘導したほうが手間が少ない。
なので、まだしばらくは待機だ。
これでただ邪魔をしに来ただけなら、付き合わずに一蹴するつもりだったが、どうもリヒターから感じる気概はそういったものとは違う。
どちらかと言えば情念と言うべきか、そういう拘りを感じた。
(惚れた腫れたにしては、随分歳が離れてますけれど…………)
もしやへんたいふしんしゃ? と迷うが、であらばシャノンに槍を向けないだろう、と考えたマリアーネは静かに頷き。
「────良いでしょう。シャノンちゃん。お相手をしてあげなさいな」
数歩下がって、影の獣達を全て送還した。
「恩に着る」
あからさまに安堵するリヒターに対し、シャノンが一歩前に出る。
「師匠、どうして今…………」
「この期に及んでまだ俺を師匠と呼ぶか。なら、まだ半端者だな」
困惑したまま魔槍を手にするシャノンに、リヒターは槍を構えたまま吐き捨てる。
「どうしてですか? ボク達が戦う必要は、もう…………!」
「何を聞いてたんだ、お前。師弟のケジメと言ったろう。王権派とか宰相派とか、関係あるものかよ」
「ケジメって…………」
「改めて問う。覚悟は出来たのか? シャノン」
「覚悟って、何の」
「ルミリア殿下以外に何がある」
その問いにシャノンは戸惑い、そして外野であるマリアーネは察した。察してしまった。
(ああ、なるほど。不器用ですわね。────嫌いではないですけれど)
元が男だから分かる。分かってしまう。これは決別だ。それを望んでいるのだ。自分の気持ちと、そしてシャノンとの。
届かぬというのなら、秘したまま、綺麗なままで終わらせる。可能ならば、愛した女の一助となって。この場で言うなら、シャノンの背中を押す気なのだろう。
良く言えば潔い。悪く言えば諦めが早い。
(逆であってもそれはそれで乙なものですが…………そうですか、リヒター・セントール。貴方の美学は、それを選んだのですね)
その在り方は、マリアーネ・ロマネットという人間の胸に確かに響いた。傍迷惑ではあるが、どうしても嫌いになれないと。
「何のために、殿下を救いに行くんだ?」
だが、そんな男の美学など知りようがないシャノンは困惑するばかりだ。
「な、何のためにって…………ルミリア様はこの国の王族ですよ!? それ以外に何があるというのです!?」
その言葉に、ため息が二つ重なる。リヒターとマリアーネだ。互いのそれに気づいた本場と外野が視線を交わして、苦笑する。
「構えろ。どうやら、ここで殺してやった方がお前の幸せのようだ」
そして、不器用な男が一人、殺気を放って悪役を担う。
分不相応な恋心と、自らの役割にケジメを付けるために────それすらも殺して。
続きは また来週。




